第十話 尾行
淤能碁呂島の散策路は、すでに暗くなっていた。
時刻は夕刻を過ぎ、夜の帳が降り始めた宵の頃。
見上げれば薄く青みがかった黒色の緞帳が空を覆い、その中で星が瞬いている。
……大気改善プロジェクトで、地球の大気状態は以前に比べかなり改善されたらしいが、星々の見え方は生まれ変わる前とほぼ変わらない。目を凝らせば白く小さな月の中で、うさぎが餅をついているのが見える。
レキは散策路をうろついたあと、居住施設から少し離れた遊歩道にいた。
アスファルト・コンクリートで舗装された歩道はよく整備されていて一切の凹凸はなく、過去の時代の道路の再現か、いまはAR表示に取って変わられた白線もアナログな塗料が使われている。
これが夏の日中ともなれば、アスファルトが茹だって陽炎が立ち上るのだろう。
いまではどこでも温度調節が行き届いているため、陽炎自体を知らない者も多く、この感想を誰かと共有することはできないのだろうが。
歩道の両脇には風防のために植えられた樹木が立ち並び、埋没型のグランドライトによって周囲は美しくライトアップ。薄紫やオレンジが反射する遊歩道は夜によく映えていた。
他に人通りもなく、誰彼に気兼ねすることもない。
普段ならば夜の涼しげな散策となるだろうが、しかしいまはそうもいかなかった。
――尾けられている。
尾行者の存在に気付いたのは、運営会社『ロンダイト』社員、武藤高憲が出したエネミーを倒した辺りからだ。
偶然かと思ったが、急なルート変更を挟んでも付かず離れず付いてくる。
気配は数えて二つほど。
姿を隠すことには気を遣っているようだが、他の部分は特段気にしている様子はない。
気配と言っても、これは第六感めいたものではなく、衣擦れの音や足音、息遣い、体熱、周囲の環境への影響など、それらを総合したものを指す。
人工躯体を用いたAI知性体であっても、その点は人間と変わらない。
服を着ているため衣擦れの音はするし、地面に接するため足音も鳴る。彼らにとっての呼吸は空冷の役割を担うため疑似的なものに止まるが、体熱に関しては小型ジェネレータがその役目を負っており、潤滑油を常に体表に流動させているため、実際に触れたときの体温も人間の体温と同程度に制御されている。
情報を総合すると、女が二人だということがわかった。
歩調などから、おそらく片方は生身、つまり人間だと思われる。
そしてもう片方は人工躯体を持ったAI知性体だ。
十中八九、立ち合いを望むプレイヤーだろう。
兵法に鑑みれば、このまま行った先にある坂で坂の下を取って戦うのが有利となる。
剣を振るう場合に坂の上に位置取ると踏み込みの難易度が格段に上がるため、相手を上にするのが定石だ。
レキはそう考えるが、すぐにそこまでする必要もないかと思い直し、振り返った。
「そろそろ、出てきてもいいんじゃないか?」
何者かが隠れている木陰に向かって言い放つと、やがて二人の少女が姿を現した。
一人は、白い髪をハーフアップにした少女だ。
髪はまるで銀髪と見紛うほどに輝いており、角度を変えると青白く映えるほど。
大きなアイスブルーの目には長いまつ毛。透き通るような白い肌。優しそうな面立ちがとても可愛らしい。どことなく大人しさと活発さが同居したような雰囲気が感じられる。
均整の取れた身体付きで、ホルターネックのシャツの胸元ははちきれそうなほど張っている。シャツの上にはミニジャケット。下はかなり際どいショートパンツを着用していた。
おそらくはAI知性体がこちらだろう。彼ら彼女らが用いる人工躯体は、金属繊維や有機素材、バイオメタル、高分子素材などを用いているため動きも見た目も触感すらも、ほぼ人体と変わりはない。しかし人間と比べるとなんとはなしに、ふとした相違というものが感じられるのだ。
かたわらを歩くもう一人は――こちらには見覚えがある。『Swordsman’s HEAVEN』運営会社『ロンダイト』から公式にキャスティングされたアイドル歌手の『HA=REN』だ。
ウェルカムバトルのあとにライブを開催したので、その顔はよく覚えている。
色素の薄い金色の髪をツインテールにしており、バリエーションは結び目が低い位置にあるカントリースタイル。服装はやはりアイドルを意識しているためか、上からフリルブラウスとオープンバストのコルセット、チェック柄のフリルスカートに黒のガーターという出で立ち。
プロポーションは抜群で、人の目を惹く容姿をしている。
表情はクールな印象だ。一瞬彼女の方がAIなのかと勘違いしまうほど表情に乏しい。前髪で片目が隠れており、見えているもう一つの瞳にはくすんだ灰色の輝きが埋まっている。
ウィルオーなら「ハレンちゃぁあああああん!」と言って大騒ぎしていたところだろうが。
向こうの出方を待っていると、白髪の少女が一歩前に出る。
「気づいていらっしゃったんですか?」
「隠してる様子もないみたいだしな」
「あれ……?」
少女が確認するように横を向くと、『HA=REN』は首を振って肩をすくめた。
少女がうまく尾行できていると思っていた一方、『HA=REN』の方はそれに否定的だったらしい。
「それで、俺に何か用か?」
「はい。先ほど公園でのバトルを拝見させていただきました。是非私と勝負してください」
「ん、いいぜ」
了承の旨を口にしてから、気になっていたことを訊ねる。
「ちなみになんだが、どうして尾行なんかしたんだ? 立ち合いたいなら尾行する必要なんてないだろ」
「その……突然声を掛けるのもどうかと思い、声を掛ける機会を窺っていたというか」
「こういうゲームだから気にする必要もないと思うけどな」
「その、不躾ですみません……」
白髪の少女は申し訳なさそうに頭を下げる。
尾行なんてする割にはきっちりとした性格なのか、言葉遣いも相まって丁寧な物腰だ。
割と控えめな性格なのかもしれない。
ともあれと、PvPを行うにあたってまずお互いに承認作業に移る。
音声認識を利用してステータスボードを開くと、正面にウィンドウが投影された。
プレイヤーネームはユウナ・ツワブキ。AIはネットワーク上でも本名がそのまま登録されるため、カタカナ表記のフルネームが表示される。
ランキングは109位。90位台目前の上位勢だ。
レキは現在3000位。これだけ差があればレキの方から勝負を拒否できるのだが……そんなことをする必要もない。
対戦相手……ユウナもステータスボードを確認したらしい。
「お名前は〈レキ〉さん、ですね」
「そうだ」
「〈ユウナ・ツワブキ〉です。よろしくお願いします」
「ん。よろしく」
お互い名前のやり取りをし終えると、ふいに彼女の隣から鈴を鳴らしたような声が響く。
声を発したのは、ユウナのかたわらにいた少女『HA=REN』だ。
彼女は抑揚の乏しい声で指摘する。
「……君、それでいいのか? 見たところ今日来たばかりの新人だと思うけど、このゲームはランキングの高い相手なら無理して挑戦受けなくてもいいルールだ。拒否したいなら拒否できる」
「知ってるさ。でも、折角この島に来たんだしさ、楽しまなくちゃ損だろ?」
「……そう」
『HA=REN』……ハレンは曖昧な返答をして目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。
「えっと、お受けしていただけるということでよろしいのですね?」
「ああ、問題ない」
ユウナは一度、確認するようにレキとハレンの顔を交互に見た。
やがて、大きく頷く。
そしてそのまま手続きを進め、お互いの難易度の確認に移っていたとき。
「こちらのモード設定は『NORMAL』ですが」
「俺は『TRULY』だ」
「え……トゥ、『TRULY』モードですか!? え!? えぇ!?」
「なんかおかしいか?」
「いえ、おかしいわけではありませんが、その……」
ユウナが困惑していると、代わりにハレンが冷ややかな声を浴びせてくる。
「正直に言っておかしい。君はもしかしてマゾな人なのか?」
「おいおいその言い様はひどくないか? 公式の設定できちんと実装されてるモード選んでるのに文句言われる筋合いはないだろ。っていうかおたく客に見られる商売なんだからそんな物言いはダメじゃないのか?」
「おかしい人におかしいと言うのは当たり前のことだと思うけど」
「いや、まあ、おかしいってところはまったく同意なんだが」
「……ならいいじゃないか」
「どうも納得いかないな……」
ハレンの辛辣な物言いにレキがモヤモヤしていると、ユウナが心配そうな表情を向けてくる。
「あの、そのモードはダメージを受けたときものすごく痛いらしいですよ……?」
「だろうな。ペインフィードバック最大程度とか注意確認の表示が出たし」
「大丈夫なんですか? ショックを起こす人もいるっていう噂ですよ?」
「大丈夫も何も斬られたら普通痛いだろ……リアルに近付けたいならみんなこうすると思うんだが」
レキがこのモードにするのは、ひとえに立ち合いの緊張感を保つためだ。
別に自ら進んで痛みを受けたいわけではない。
一方でユウナはその妙な言い分をどう解釈したのか、真剣な眼差しを向けてきた。
「つまりレキさんは、それだけこのゲームを本気で楽しもうとしているということなんですね!」
「ん? うん、まあ、そうなるのかもしれないが……なんかあの、変なこと言って悪いな」
「いえ」
ユウナは首を横に振った。
彼女が危惧するように『TRULY』モードは他の難易度に比べてかなり厳しい。
ゲーム性をリアルのものに近付けるため、剣撃を受けると電気信号や超音波によって神経が刺激され、痛覚が再現される。パワーアシストがないため、身体能力は生身そのまま。致命的な場所に剣を受ければ一撃死さえあり得るという上級者向けの高難易度モードだ。
確かに島に来たばかりの新人がそんなモードにしていれば、確認に念を入れたくもなるのだろう。
お互い確認が終わり、今度こそバトルというところで再度ハレンから待ったがかかる。
「待って欲しい。わたしの話はまだ終わっていない」
「アイドルさん、今度はなんだ?」
「君、本当にそのモードでいいのか?」
「構わないんだが……もしかして心配してくれてるのか?」
「…………別に君のことを心配してるわけじゃない。わたしは君のせいでユウナが楽しめなくなるかもしれないから言ってるんだ」
ハレンは灰色の瞳をさらに冷たく輝かせる。
そして続けて、
「ゲームなんだからみんなが楽しめるように遊んだほうがいい。それがマナーというものだと思う」
「確かにそれは俺もアイドルさんの言う通りだと思う。でも、俺はこのゲームをこういう風に楽しみたいからこの島に来たんだ。そのやり方が合わないって言うなら、申し訳ないけど誰か他の相手を探して欲しい」
「……やっぱりマゾの人だね、君は」
「ほんと辛辣だな。初対面に対して言うか普通……で、そっちはいいのか?」
「はい。私はあなたがそれでいいのであれば」
「何度も言っているが、俺はこれでいい。このモードで被ることに文句は言わないし、そっちに何か責任を負わせることもない……これでいいか?」
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
AIプレイヤー、ユウナとの立ち合いが始まった。




