第零話 プロローグ
暇つぶしに読んでいただければ幸いです。
「先輩先輩!」
近間から繰り返される元気のいい呼びかけに、鳴守靂は静かに振り向いた。
彼を先輩と呼ぶ声の主は、白い髪をハーフアップにした少女だ。
年の頃は十代後半。背丈は目算で157㎝と、レキよりも15㎝ほど低い。
白い髪はまるで銀髪と見紛うほど輝いており、角度を変えるとアイスブルーに映えるほど、キューティクルには艶がある。
大きなアイスブルーの目には長いまつ毛。
透き通るような白い肌。
活発そうな笑顔にはどこか儚げな色みが同居しており、時折ふとした憂いを感じさせる。
均整の取れた身体付きで、ホルターネックのシャツの胸元ははちきれそうなほど張っている。シャツの上にはミニジャケット。下はデニムタイプのショートパンツを着用していた。
ユウナ・ツワブキ。レキがこの島に来て出会った、少女型のAI知性体だ。
いまは花のように明るい笑顔を見せながら、レキのことをしきりに呼びかけていた。
「ん。どうした?」
「ここからの景色を見てください!」
レキはユウナが指し示した場所まで歩み寄る。
坂の一番上で振り返った向こう側。そこから見える景色は、まるで有名な坂の町の絶景を目にしているかのよう。
よく晴れた空、石畳、街路樹、街灯。ショップが街並みを模したように立ち並び、一直前に伸びた道から海が見えるようになっていた。
「へえ……」
「ここは淤能碁呂島の観光スポットの一つで、私のお気に入りの場所の一つなんです」
「綺麗だな。これくらい良い景色を拝めるなら、何もなくても足を運びたくなる」
「はい!」
美しい景色だった。今日のような晴れの日は、胸のすくような気分を味わえる。
そんなことを思う中、レキはふと、表示されていた電子看板に視線を移した。
淤能碁呂島の観光スポットということは、名前も付けられているのだろう。
そんな風に思いながら、目に入れた電子看板に映し出されていた名前は――
黄泉比良坂。
「…………」
レキはあまりにおどろおどろしい名前を見てしまったせいで、言葉を失ってしまう。
未来世界では多くの記録が失われているとは言っても、これはいくらなんでもだろう。
ネットの海から歴史的な名前を探し、やっと見つけたものだとは推測できるが、どうしてこの名前をチョイスしてしまったのか。これでは坂の下が黄泉の国になってしまう。
レキは胡乱げな目になるのを止められない。
「先輩? どうしました?」
「いや、この名前さ」
「ヨモツヒラサカですか? これ、かっこいい字面ですよね」
「……まあ確かにこう漢字が並べばそんな風には思えるか」
「何かありましたか?」
ユウナはきょとんとしている。
レキは彼女の夢を壊してはいけないと思い、元のいわれについては黙っておいた。
「景色、綺麗ですよね」
「ん。それは間違いない」
名前は別にして、景色は確かに絶景だった。
彼女がお気に入りのスポットと言うのもよくわかる。
「あとそれと、一つ」
「はい? なんでしょう?」
聞き返すユウナに、レキは真面目腐った態度で答える。
「こういう場所は剣で戦うのには不利だ。もし立ち合いをするなら、後ろの平坦なところまで下がらないといけない」
そう、坂道の上というのは、剣士にとって位置が悪い。坂上から坂下へ踏み出す際の高低差のせいで、踏み込みの感覚がかなり変わるため、忌避される。
「きょ、今日は別に剣術のことは抜きでいいですから!」
「そうか? こうして立ち合った場合ことを考えておくのも必要なことだ。そうでなくてもこのゲームはこの島全体が舞台なんだ。いつどこでバトルを挑まれるかわからないだろ?」
「それは、確かにそうですけど……」
ユウナの声音がしりすぼみになっていく。レキの言い分があまりに真っ当過ぎて、反論するにもできないのだろう。
その様子を見て、レキはぷっと噴き出した。
「少しいじわるすぎたか」
「――あ。ひ、ひどいです先輩! からかったんですね!」
「ごめんごめん。つい、な。でも剣士に取って坂の上が不利なのは事実だぞ?」
「むう……折角の、その………なのに」
「ん?」
「な、なんでもありません!」
ユウナは頬をぷっくりと膨らませて、そっぽを向いてしまった。
ぷんぷんという擬音が良く似合うような怒り方だ。
そんな抗議の態度を見せるユウナを、レキが謝罪を繰り返しながら宥めている最中のこと。
ふと彼の目に、一人のプレイヤーが映り込んだ。
「おっと、そんな話をしてたら、バトル希望者だ」
「え? 希望者、ですか?」
レキの言葉を聞いたユウナは、辺りを見回す。二人の周りにもプレイヤーは幾人かいるが、PvPを申し出る素振りを見せる者は誰もおらず、いても島を散策している者か、レキとユウナと同じように島内の観光で出歩いている者ばかり。
あとは、坂を上ってくるプレイヤーが一人いるのみだ。
薄手のアウターを着た中背の青年。
恰好は特徴的であり、手元にかけて大きくなる袖口、首をすっぽりと覆うような円筒タイプの襟元、トップスやボトムスの裾がやけにひらひらしているなど、一時期随分と流行ったという典型的な未来の服装をしている。
過去世界の記憶を持ち越したレキの感覚から言わせてもらえば、奇抜な格好と言えるもの。
その青年を示して、レキが顎をしゃくる。
「あれだ」
「いまこちらに向かって来ているあの方でしょうか?」
「ん。そうだ」
ユウナは不思議そうにしている。当然だ。プレイヤーは積極的に声を出しているわけでもないし、「立チ合ヒヲ求ム」などの看板を背負ってきているわけでもないのだ。
一見してバトルを挑んでくるような素振りには見えないが、それとない気配が挙動の端々からにじみ出ている。
どことなく勇み足を思わせる、気が逸るような足の出し方。
しきりにグリップデバイスを気にする、腰元を確かめるような手の動き。
特に表情から読み取れるそれは顕著であり、気楽さや穏やかさというような感情の色みが失せて、面持ちに硬質さが感じられる。
全体的に落ち着きがない。
試合や戦いに望む前の人間が良く見せる挙動だ。
やがてユウナも、なんとなくでも気付いたのか、表情を硬くさせる。
「先輩」
「少し後ろに下がるぞ。さっきも言った通り、平坦な場所で立ち会った方がいいからな」
レキはユウナに警戒を促す。
立ち合いに対する有利不利の話もそうだが、いまは島内に物騒な連中が紛れ込んだという話もある。そうでなくても、最近はあんなことがあったばかりなのだ。
青年はグリップデバイスを持っているため、プレイヤーというのはまず間違いないだろうが、警戒するに越したことはない。
奥で待ち構えていると、やがて坂を上り切った青年が正面に立ちはだかった。
「あんたとバトルがしたい」
男はユウナに向かって、勝負を求める。
「俺じゃなくて?」
レキがそう言うと、男はぎょろりと目を動かした。
そして、頭のてっぺんから足先までひとしきり眺めたあと、すぐに興味を失ったかのように視線を外す。
「……そっちはルーキーだろう。低ランクの相手に興味はない」
「そうか」
確かに彼の言う通り、レキはゲームを始めたばかりだ。スマートグラスにデータが表示されるため、ルーキーだとすぐにわかったのだろう。
青年はゲーム慣れしていることを匂わせたため、おそらくは一期、もしくは二期受け入れのプレイヤーだろうと推測できる。
相手プレイヤーが再度ユウナに訊ねると、彼女は了承の旨を以て頷いた。
レキはすれ違いの様の離れ際、ユウナに小さく声を掛ける。
――気が逸っている。よく焦らして、相手が飛び出してくるのを待て。
レキの言葉に、ユウナは小さく「わかりました」と答えた。
やがて相手プレイヤーがグリップデバイスを操作して、ロングソードタイプの剣を投影する。ロングソードはこのゲームにおけるスタンダードな武器の一つで、多くのプレイヤーがこの剣を扱っているという。
ユウナもそれに合わせてグリップデバイスを操作し、一振りの刀を投影した。
打刀の映像が現れ、鞘を腰のベルトにマウントする。
直後、周囲に光学ラインが投影され、ゲームの領域が設定された。
次いですぐにスマートグラスを通して、お互いのプレイヤーネームやHPゲージなどの情報が表示。
相手プレイヤーが構えを取る。
現在米国を中心に広まっているという、海外の新興剣術でよく見られるものだ。
ローエイジ・マーシャルの『一角の構え』と言ったか。西洋剣術にある『突きの構え』によく似ている。
一方でユウナが取ったのは中段構えだ。
ゲーム開始のカウントダウンのため、空中に文字や数字が並んで点滅。やがてカウントが始まり、表示された数字がゼロになる。
ALL OR NOTHING!
空中に赤文字で「すべてを賭けろ!」や「全力で臨め!」などに意訳される文言が出現した。
ユウナと青年の打ち合いが始まる。
刀と剣がぶつかり合うと、それに合わせて剣撃の効果音が発生。衝突する都度に、刀や剣から火花のエフェクトが散る。
二人は数合、刀と剣を合わせたあと、一度距離を離してお互いゲームの領域内で間合いの探り合い。
あるいは駆け寄るようにして斬り付け、あるいは待ち構えるようにして相手を迎え撃つ。
直後、鍔迫り合いに持ち込まれた。
「やるな。さすがは100位台まで行っただけはある」
「そちらも、表示されているランク以上の実力と推測します」
「ランキングはあくまで目安だ。実力者から逃げて負けない戦いをしている連中より劣っているつもりはない」
二人はそんなことを言い合ったあと、一度離れ、再び剣を合わせる。
消極的な立ち回りをするユウナに対し、相手プレイヤーが叫んだ。
「守っているばかりでは勝負にならないぞ!」
「くっ……」
相手プレイヤーが、ユウナの刀に剣を乱暴に叩きつける。
彼の剣撃は全体的に荒っぽい。だがそれもあってか、ユウナの防御を崩すまでには至らない。
ユウナが相手プレイヤーの剣撃を耐えしのぐと、彼は呼吸を整えるために一度離れる。
それを見たユウナが『車の構え』を取った。
この構えは、これまでのレキの指導で彼女が覚えたものだ。
初めはレキと戦ったときにこの構えを目の当たりにし、次いでライバルとのバトルで見よう見まねで使って見せ、つい先日の指導でものにした。
身体を横に開いて左半身を前に出し。
足は開いて、左足を相手に向け、右足は身体の向きに合わせて横向きに。
柄を握る手は腰元まで下げ、後ろに向かって切っ先を伸ばし。
敵に左肩口を晒すようにしながら、撞木立ちの態勢を取る。
その構えを見た相手プレイヤーが、眉尻をピクリと持ち上げた。
「妙な構えだな」
「車の構えです」
ユウナは正直に答えるものの、しかし相手プレイヤーはしっくりこない様子。過去の日本では有名なこの構えも、未来世界ではまったく認知されていないということだ。
先ほど「妙な構え」と口にした通り、青年は見たことのない構えを警戒しているのか、不用意には踏み込まないらしい。
一方でユウナは摺り足の要領で青年に向かってにじり寄る。
やがて、圏内手前でその足が止まった。剣尖がギリギリ届かない距離だ。あと一歩踏み込めば、間境を越える位置といったところ。
相手プレイヤーは張り詰めた空気が堪えられなかったのか、飛び出すようにしてユウナに斬りかかってきた。
「はぁあああああああ!」
そう、ユウナの思惑通りに。
相手プレイヤーの太刀筋は上から下への真っ向切り下げ。
狙いはユウナの左肩だ。
雄叫びを上げながら剣を振り上げる相手プレイヤーに対して、ユウナは左足を軸にして右足を前に出し、横向きの状態から正面を向く。
相手の剣筋から外れると同時に、半円を描くように太刀を取り上げ、
「やぁあああああああ!」
相手の真っ向斬りに同じ真っ向斬りをぶち当てた。
金属同士がぶつかり合う音が響き渡ると同時に、相手のプレイヤーの剣がユウナの太刀に負けて外側に逸らされる。
一方でユウナの太刀は、相手プレイヤーの頭部に綺麗に吸い込まれていった。
投影された非実体の剣が、相手プレイヤーの頭部と重なると、HUDに映し出されたHPゲージが三分の一ほど目減りする。
相手プレイヤーは堪らず、大きく後退した。
「な、え……?」
相手プレイヤーは驚きで目を丸くしている。まるで思いがけない事態に遭遇したかのよう。やがて状況が掴めたのか、ユウナに慌てた様子で疑問をぶつけた。
「い、いまのは一体なんだっ……!? どうして俺だけ斬られて、あんたは斬られない!?」
「そういう技だからです」
「同じ剣撃だったはずだぞ……っ!」
相手プレイヤーはいまだ困惑の最中にあったが、気を持ち直してまた剣を構える。
HPゲージは三分の二ほど残っているが、しかしこれで、容易には踏み込めなくなった。
どんな格闘技であっても、自分の知らない技を使う相手と戦うのは怖いものだ。
それが一撃入れられたあとであれば、なおのこと。
あとは、ユウナが一方的に攻めるだけだろう。
彼女の緊張も初めに比べて解れてきているため、勝利は疑うべくもない。
レキはそんな風に立ち合いの決着を見据えながら、これまでのことを振り返った。