SS 九月は差さない傘を歌う
雨の匂いがしていた。
白い空に灰を被った雲が浮かび、軒先からは時々滴が垂れる。
濃くなった道路の黒に、薄れた『止まれ』の白い文字。
木々がさわめくたび、標識はどこか寂しそうに揺れた。
冷えた空気が湿り出しても、僕の喉は乾いたままだった。
電線から鳥が飛び立っていく。
一羽だけでも悠々としているのは、きっと、雲の向こうの青空を見に行くからなのだ。
どうしようも無く羨ましいと思った。
雨足が強くなると、世界はその音に埋めつくされる。
雨はあまり好きじゃないけど、雑音が聞こえないのは良い。
不意にあの頃よく聞いた音を思い出した。
それは地面を叩く音よりもくぐもった、優しい音だった。
君が居れば傘を差して歩くのも悪くなかったな。
__洗い流すとか、とんでもないよな。
雨が嫌いな君が、顔をしかめるのがみえた。
隣で笑って頷く僕の亡霊が、心底うっとおしい。
今なら思うのだ。
全部洗い流して欲しい、と。
思い出も青めきもこの詩も全部、雨に溶けてきえてしまえば良い。
美しさなんて忘れて、この痛みさえ手放してしまいたい。
そんな風に思う僕が、虚しい。