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猫かぶり令嬢は寝正月がしたい

 グロスラーダ公爵家の玄関先に、公爵家の紋章の入った黒塗りの馬車が横着けされたのは、1月1日の深夜のことだった。

 王城での新年を祝う式典とそれから続くパーティーは、年中行事としてはもっとも華やかで、おめでたい場だ。招かれる者たちは流行の最先端の衣装を身に纏い、一様に笑顔で昨年の喜ばしかった事などを語り合い、これから始まる1年が素晴らしい物になるに違いないという定型文の挨拶で締めくくってまた別のところで同じ会話を繰り返す。


 しかし年末には主立った貴族がパーティーを催すので、貴族階級の人間にとっては年末年始は体力勝負の試練の場だ。流行によってはやたらめったら服が重くなることもあるし、基本的には立ったままでグラスを片手に歓談するか、ダンスをするものなのだから。

 ある程度の年齢になれば、「ダンスは若い者たちに譲りますよ」と鷹揚に微笑んで一番体力を食うダンスから逃げることは出来る。しかし、そうはいかない立場の者もいた。



 馬車から降り立った公爵も夫人も、さすがに疲労の色を隠せない。人前では隙を見せることは出来ず、そうは見えない作り笑顔も年季が入ってますます磨かれていた。その分、物凄く疲れるのだが。

 ――問題は。


「つかれた……もう、無理」


 最後に馬車からよろよろと降りてきたのは、公爵家の一人娘であるオリヴィアだ。

 家格の関係上、そして、17歳という年齢的に、パーティーへの参加もダンスの誘いも基本的には断ることが出来ない。若々しい華やかさを振りまきながら、パーティーを彩る花のひとつとなることが暗黙の了解になっているのだ。


 ずっと楽しげに振る舞ってきたが、それは全て演技。

 学院の冬休みの間は邸内から一歩も出ずに、ダラダラと過ごしたいのがオリヴィアの本心だった。年末年始のパーティーラッシュの最後を飾った今日の王城でのパーティーを終えた今となっては、気力も体力も使い果たしていた。


 馬車から降りたオリヴィアは傍から見ても危なっかしいほど脚がガクガクとしていて、慌てて駆け寄った執事のヴェインに抱き留められなければ、そのまま玄関へと続く階段にキスをしていたかもしれなかった。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「これが大丈夫に見える? ヴェインの目にはそれを確認する程度に大丈夫に見えるの?」

「……見えません」


 家令の息子であり幼馴染みでもあるヴェインに肩を貸されたまま、オリヴィアはなんとか玄関をくぐった。重厚な扉が閉められると、その場でぽいぽいと靴を脱ぎ捨て始める。一足で庶民の一ヶ月の生活費にも匹敵する靴だが、今の彼女にとっては単なる拷問具に過ぎなかった。今期の流行は、ヒールが例年より高く細かったのだ。いつもとは少し違う履いた感覚に慣れるために、歩き回り、ダンスの練習もいつもより多くやる羽目になった憎い靴だ。


「オリヴィア、いくらなんでも行儀が悪すぎてよ」


 それを諫める母も、オリヴィアの方に向かおうとはしない。公爵と公爵夫人、そして令嬢の三人の頭にあるのは「お風呂入って早く寝たい」という気持ちばかりだ。


「お父様、今年は私を学院の寮に入れてください……年末年始は『課題が終わらないから帰れない』と言ってそっちに籠もります……」

「公爵家の令嬢ともあろう者が、『課題が終わらないから帰れない』は外聞が悪すぎるから却下だ」

「では、では……えーと、そうだ、後輩の『課題が終わらないから帰れない』子の勉強を見るために寮に残っている、と美談風にしてください」


 先ほどまで「王国に咲く大輪の花」と讃えられる華やかな笑顔を浮かべていたとは思えない、険しくも必死な表情だった。そんな娘に向かって公爵は深い深いため息をつく。


「終わらない課題から離れなさい。いいか、オリヴィア。たとえそれをやったとしても、来年には卒業だろう。一度しか使えない言い訳のために、おまえを寮に入れるわけにはいかない。――ヴェインが無理矢理起こさないと、そもそも起きれないじゃないか。寮に入ったら個室なのだぞ? 毎日遅刻するようになったらとんでもない!」

「くーっ! 一言も言い返せない自分が辛い!」


 ばたりとオリヴィアは床に倒れた。そんな娘を見慣れている両親は、オリヴィアを残して自室に引き上げていく。


「起きて下さい。いくら掃除していているとはいえ……」

 ヴェインに腕を引かれてずるずると起き上がったものの、オリヴィアはぺたりと座り込んだまま立ち上がろうとはしなかった。


「お、おふろは?」

「準備は出来ております」

「やっぱりもう歩けない……部屋まで抱えてって……」

「さすがにそれはレディとしてどうかと」

「やーだー! ヴェインの意地悪ー! 一昨年まではひょいひょい縦抱っこしてたくせにー! 連れてってくれないならここで寝てやるぅー!」


 駄々をこね始めたオリヴィアに、ヴェインは一気に疲れたようにため息をついた。



 ドレスを脱ぐのもお風呂に入るのも侍女に手伝ってもらって全てやり過ごし、オリヴィアは死んだ目で夜食を頬張っていた。パーティーでも料理は出るが、ろくに食べれやしないのだ。主催する方は富を象徴するために贅を尽くしたたくさんの料理を並べ、招待客もまた豊かさを表すために小鳥程度にしか食べることはない。たくさん出してたくさん残す、その形式はあまりに馬鹿馬鹿しいとオリヴィアはいつも思う。疲れて帰ってきたときには「食べて寝る」しか頭に残らないのだ。


 ベッドの傍らに置かれた小さなテーブルに置かれていた夜食は、胃にもたれないような具を挟んだサンドイッチだった。ただし、食べていても疲れのせいで何が挟まっているのかいまいちわからない。空腹が満たされるまでひたすらそれを無言で食べ、水を飲み干し、そのままベッドに潜り込む。

 ヴェインなのか侍女なのかわからないが、オリヴィアが入浴している間に、湯を入れた防水袋でベッドの中を暖めてくれていたらしい。ほんわりと温かい感触に、思わずほぅとため息が出る。

 そのまま眠りに落ちるのは、一瞬だった。



 ぐぅぅ、という自分のお腹が鳴る音でオリヴィアは目を覚ました。重たい瞼を無理矢理上げて、寝る前には夜食が乗っていたテーブルを見るが、そこは既に片付けられていて水しか置かれていなかった。

 ベッドから出ずにギリギリまで腕を伸ばして、水差しからコップに水を注いで一気に飲み干す。それでほんの少しだけれども空腹感は紛れた。


「お腹空いた……でも眠い……」


 すぐ隣の部屋には侍女がいるのだろうが、自分にしか聞こえない程度の声で呟くとまた布団を被る。

 とにかく眠い。ひたすら眠い。

 その欲求に逆らわずに、またオリヴィアはとろとろと眠りに落ちていった。



「お嬢様、そろそろ起きてはいかがですか? 旦那様も奥様も、とっくに午後のお茶を終えていらっしゃいますよ」


 オリヴィアの眠りを妨げたのは、「オリヴィアを起こしてやる」という確固たる意思が込められたヴェインの声だった。

 うっすらと目を開けてみると、澄ました顔の執事が薄く湯気の立つカップを持って立っていた。


「むり。ねる」

「はぁあ……まあ、そう言うと思いましたけど。お腹空いたでしょう」

「……すいた」

「これだけでもどうぞ」


 いつもよりもぞんざいな口調のヴェインが手にしていたのは、持ち手のついた大きめのカップに入れられたコーンスープだった。その香ばしくも甘い香りに、またお腹がきゅうと鳴る。

 ぼさぼさの髪を手で整えることすらせずに身を起こし、のろのろと手を伸ばすとヴェインがオリヴィアの手にカップを持たせてくれた。大きなカップは幼い頃に牛乳をガブガブと飲んだりするときに使っていたもので、どちらかというと庶民的な品物だ。


 ふう、と軽く吹き冷ましてカップの縁に口を付ける。一口飲んだスープはとろりとして温かく、トウモロコシとミルクの優しい甘さが口の中に広がっていった。――が、味わっている余裕はオリヴィアにはない。適度に冷ましてあるのをいいことに、ごくごくとそのままスープを飲み干した。


「助かった……これでまた寝れる……」


 大あくびをしながら空のカップをヴェインに渡すと、呆れたような視線が返ってきた。


「年末年始はお疲れなのは知ってますけど、いつまで寝てるつもりです?」

「んー……明後日くらい」

「ふざけないでください」

「本気だよ。寝かせてよ」

「お食事はどうするつもりです?」

「またスープ持ってきて。今度はもっと大きいカップで」

「……はぁ」


 頭からすっぽりと毛布を被ったオリヴィエに、心底呆れたようなため息が降り注ぐ。もう何を言われても反応しないぞと心に決めて布団に潜っていると、ベッドから遠ざかる足音の後にドアが閉まる音が続く。


 そろりと顔を出して彼が立ち去ったのを確認し、オリヴィアは安心して布団に潜り直した。


「おふとん最高……愛してる……」



 宣言通り彼女がまともに起き出してきたのは、1月4日のことだった。

誤字報告ありがとうございます。とても助かりました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] オリヴィアのパパもママもぐったりしてるしパパとの会話もクスっと笑えてほっこりしました。 [一言] 我が家にもヴェインを派遣してほしいです!
[良い点] 寝正月…とってもやりたいけど出来ないことの一つですね!うらやましいです、寝正月!! [一言] とってもコーンスープとお布団が恋しくなりました!!家に帰ったらコーンスープ食べたいと思います!…
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