中間テスト ー世の中は不公平ー 愛の格差社会だ!
1、テスト前
マラソン大会が終わると、すぐに中間テストが始まる。
さやかとのわだかまりは、まだ残るものの、リカは自習室にもよく表れるようになった。リカが部屋に入ってくると、さやかが部屋を出る。さやかが部屋にいるときにリカが入っていくと、さやかは部屋を出た。つまり、避けているのはいつもさやかで、リカはさやかのことを気にしていない様子だ。さやかの気持ちはわからなくはない。別れたとは言え、武はリカにまだ強い思いを残している。
武とリカが付き合い始めた直後は、女の子達がリカの悪口を言い、さやかは被害者として慰められた。リカと武が分かれた直後は、男女共々リカの悪口を言った。さやかも武も被害者だった。しかし、今はリカの援助交際疑惑も晴れ、学校全体が、武とリカのスキャンダルなどまるで無かったかのように、リカに優しい。さやかは一人でリカという魔物に対して戦っているように見えた。いや、さやかは今一人ではない。彼女はこの頃、貞子先輩と一緒に行動するようになった。
自分の寝室に戻ると、時々貞子先輩が来ていることがあった。
私とさやかの部屋は、「土足禁止」と決めていているのに、先輩はいつもブーツを履いたまま、さやかのベッドに腰かけて、長い足を組む。
私はさやかを睨むが、さやかは私の顔を見ようともしない。先輩と、楽しそうに談笑する。もう、彼女は怯えてなんかいなかった。
貞子先輩は、優しい。
今まであまり関わった事はなく、怖い噂ばかりを聞いていたので、拍子抜けした。
いつもは元気の無いさやかも、貞子先輩と一緒にいる時は、とても明るい。
何となく、納得のいかないものを感じながら、それでも私はこれで良いのかもしれないと思った。失恋を経験したことの無い私には、さやかを慰める事は不可能だから……。
2、テスト
鉛筆の芯が、机に叩きつけられる音。誰かの深いため息。消しゴムを使うと、机が揺れる。紙をめくる音。私は腕時計を見た。あと、30秒。
30秒後には、この答案用紙と机から私たちは解放される。
誰かがまたため息をついた。
「はい。止め」
先生が言ったとたん、クラス中が息を吹き返したかのように明るくなった。
「やっと終わったー!」
「時間、足りなかったし!」
「昨日徹夜したかいが無かった。もう寝る!」
「俺の山勘、当たってたじゃねぇか」
「やったー! ゲームするぞー!!」
「最後の答え、何にした?」
「腹減った」
「もう、だめ。死ぬ」
ガヤガヤと皆にぎやかに教室を出て行く。
中間テストが終わると、すぐに文化祭がやってくる。
女の子の大半がブーツを履きはじめた。男子達はすでに白いTシャツから色の濃いネルシャツへと衣替えをしている。上着の色も落ち着いたものが増えてきた。
ファッションは、私達にとっては季語だ。校庭の木々よりも、よほど正確に季節を映す。
芸術の秋、食欲の秋……、秋は何かと忙しい。
3、格差社会
「リカがまた告白されたらしいよ」
静香は木製のブラシで、私の髪を優しく梳きながら言った。
「今度は誰から?」
私は大して驚きもせずに聞いた。ここ最近、リカの評判はまた上がり始めているようだ。さらに、先週テストが終わり、皆、時間と心にゆとりを持ち始めた。
「俊介君」
「え? 俊介君って、まだ中学生じゃん!」
静香が微笑んでいる。
「これから油塗るからね」と言った。
私は今、自分の寝室で、静香に「オイルパック」をやってもらっている。マラソン大会の後も、時々趣味で外を走り続けていた私の髪は紫外線で相当のダメージを受けている。顎のラインより、三センチ下ほどの長さしかない髪でも、手櫛がなかなか通らないほどに痛んでいる。
さやかは外出中だった。
「で?」
「断ったって」
私は息をついた。
静香が丹念に髪に椿油を塗りこんでゆく。嗅ぎ慣れない匂いがした。
「あゆみはリカを羨ましいと思う?」
「当然!!」
私みたいなブスにとっては、一学期間に五人もの男達に告白されるなんてことは、まるで「豪華客船に乗って五年間世界中を旅する」のと同じくらいに贅沢に思えることなのだ。
だいたい、私は、一生に一度、告白されるかどうかも怪しいのに……。
どんなに不細工な男でもかまわないから、私に向かって「好きだ」と言って欲しいと心から思った。いや、告白でなくても構わない。嘘でも良いから男の子から、「可愛い」って言われてみたい。贅沢は言わない。言えない、けど、「地元の温泉に日帰り旅行」くらいの贅沢な気分を味わいたい。
私は深くため息をついた。
「どうしたの?」と静香が顔を覗く。
「いや……『格差』を感じちゃって……」
「『格差』?」
「うん。貧乏人と金持ち、モテル奴とモテナイ奴。一部の金持ちが世界の富の何割かを独占する中で、貧乏な人たちは、わずかなお金を取り合っている……。私達も似たようなものじゃない? モテル女子が、この学校の多くの男子の心を独り占めにしている。モテナイ女の子達のところには『愛』が回ってこない。愛の格差社会だ!」
「……なるほど」静香はタオルを熱めのお湯で濡らし始めた。
「でも、お金持ちがいつも幸せとは限らないじゃない? リカも、あんまり嬉しそうじゃないよ。あまりにもモテルと女の子達からは睨まれてしまうし……。女の嫉妬は怖いからね……。別に悪いことをしているわけではないのに、不公平感は争いを引き起こすしね。そのうちに、テロが起きるかも……」
「テロ!?」静香が一体何の話をしているのか、わからなくなった。
「リカの身にテロが起きるということ?」
静香はうなずく。
「熱かったら、言って」と、私の髪に蒸しタオルを巻く。
「実はね、昨日の夜、貞子先輩に呼び出された。寝ている間にリカの髪をばっさり切れって命令された」
私は驚いて静香のほうに振り向いた。
「タオルがほどけるから、頭を揺らさない!」と静香。
「で? どうするの? やるの?」
静香はしばらく黙った後、
「まさか」とつぶやくように言った。
油のように重い沈黙が部屋に充満する。静香は私の方を見なかった。
4、夕食
「文化祭の実行委員って、大変そうだねぇ」
早苗がカレーライスにマヨネーズをたっぷりかけながら言った。
ついさっき、ユタが慌しく食堂に入ってきて、無言で食べ物を掻き込むと、すぐに席を立って出て行ってしまった。
ユタは中学生の時から実行委員をやっている。委員長の島先輩にもずいぶんと信頼されているようで、仕事が楽しくてしょうがないらしい。忙しいはずなのに、ユタの顔は生き生きとしている。
「さやかは、今日も貞子先輩達と食べているね」
千絵が横目で遠くの席に座って食べているさやかと貞子先輩と、その取り巻き達を見つめた。
「あゆみ、さやかと最近、話をしている?」と、静香が聞く。
口いっぱいにパンを頬張っていた私は首を振って答える。
そうなのだ。さやかが貞子先輩と親しくなるにつれて、私とさやかの間には、見えない壁が建つようになった。
リカはサラダのプチトマトをフォークで刺してやろうと格闘している。武はそんなリカを時折チラチラと盗み見ている。健太郎は、既に食べ終わって、暇そうにしていた。
「ねぇ、ちょっといい?」
いつの間にか、さやかが静香の横に立っていた。
「貞子先輩が呼んでる。静香、一緒に来てくれない?」
静香はお皿の乗ったトレイを持っておもむろに席を立った。
去り際、さやかがリカの方を見た。微笑んでいるように見えた。が、私は嫌な予感がした。
食堂の出口で朝子先輩に会った。先輩は私に裏庭へ来るように言った。そして、一緒に食堂を出たリカと千絵と早苗には、
「三人で、校庭で遊んでいなよ」とバトミントンのラケットと羽を渡した。様子がおかしい。胸騒ぎがした。
ただ事ではなさそうだと千絵たちも感じたらしい。素直にラケットを受け取ってリカを連れて校庭へでる。
5、裏庭
裏庭は、食堂のある建物から一番遠く離れている。食堂のにぎやかな騒音も、裏庭には一切聞こえてこなかった。静まり返った夕暮れ。カラスの鳴き声だけが時々聞こえる。
一緒に歩きながら、朝子先輩は少し困惑ぎみな顔をしていた。
「私の思い違いだったらいいのだけど……、たぶん、今夜あたり、貞子が実行するかも」
朝子先輩の寝室は、貞子先輩の隣だ。壁伝えに、貞子先輩の企みをこぼれ聞いたのだと言う。
「貞子は静香に髪を切らせるつもりらしい」
そのことは、静香自身から聞いていたので、驚かなかった。
「リカが髪を切られるのを防ぎたいけれど、事を大げさにしたくないから、まず、あゆみに、忠告しようと思って……」
「どうすればいいですか?」
ゆっくりと歩く。朝子先輩はしばらく考えていた。目の前に、学校を辞めた女の子が隠れていた物置小屋があった。私達は小屋の中に入った。
染み付いた体育マット、破れたバレーボールネット、バサバサの竹箒、古い形のテレビ、シンバル部分が欠けたドラムセット、ヒビの入った黒板、落書きされた勉強机……。あらゆる不必要品が粗雑に置かれている。
ここなら、誰も来ない。ナイショ話をするには打って付けの場所だ。
「今夜だけ、千絵と早苗の部屋にリカを泊まらせる事ができる? あゆみの部屋にはさやかがいるから、リカにとっては危険だと思う。できればリカには気づかれたくない。もし、知ったら毎日安心して眠れなくなるだろうから」
「……はい」
朝子先輩はまた
「ごめんね」と謝った。先輩は悪くないのに!!
校庭へ行くと、リカ達はバトミントンに熱中していた。3人とも上着をすでに脱ぎ捨てている。私は、これからおこる暗い陰謀を3人に感じさせないように「入れて!」と元気に駆け寄った。
6、自習室
「ぶっくっくっくぅっ!!」
突然、不気味に押し殺したような笑い声が自習室に響く。
「千絵! うるさい!」
私は苛立って叫ぶ。千絵の反応は無い。相変わらず漫画に没頭しながら、声を殺して笑っている。
「あゆみぃ、ご機嫌斜めぇ?」
早苗が呼んでいた文庫本から顔を上げて言った。
「うるさい!」
私はつい叫んでしまった。横目でリカを見る。
彼女はヘッドホンで音楽を聴きながら、枝毛切りに没頭している。静香とさやかは居ない。
何とかしてリカだけを自習室から出して、朝子先輩がたてた計画を千絵と早苗に伝えたかった。しかし、彼女が一人で居ても安全な場所に行かせなければ意味が無い。
どうしよう……。
普段は滅多に使用されない部分の脳味噌までフルに活用して考えているつもりなのに、全く良い案が思いつかない。
何を私は恐れているんだろう……。何でこんなに不安なの?
リカの髪が切られる、それだけのことなのに。別に、貞子先輩達はリカを殺そうとしているわけでも、身体を傷つけようとしているわけではない。髪を切るなんて、痛くも痒くもないことじゃないか。それも、切られるのは私の髪じゃない。他人の、いけ好かない子の、親友の敵の……、リカの髪じゃないか。
あれだけ長いんだから、多少短くなったほうが良いに決まっている……。なのに!!
いや、私は朝子先輩の信用を裏切りたくないだけだ。先輩が、忠告する相手に私を選んでくれた。私がきっとリカを守れると信じているからだ。私は、先輩に言われたから、リカの髪を貞子先輩から守るのだ。ただ、それだけだから!
早苗が大きくため息をついた。
「この本、つまんな~い。……お風呂、入ろ~と!」
ん? 風呂? それだ!!
「待って、早苗、風呂は後!」
「え? でも、やることないしぃ、暇だから今入りたいんだけどぉ……」
「本、読んでたじゃん! 途中で投げ出すのは良くない! 最後まで読んでから入りなよ」
「ええ~?! やだよぉ。その本面白くないんだもん……」
「じゃあ」と私は言って、千絵の手の中から漫画を奪い取った。
「これを読みな! 千絵があれだけ笑っていたんだから、この本、絶対に面白いはずだ!」
早苗は目を大きく見開いて私を見つめている。千絵は漫画があったはずの自分の手の中を見つめて放心している。
人って、必死になるとテレパシーを使うことができるらしい。早苗は私の心を読み取ったらしい、「あゆみが、そう言うなら」と、千絵の漫画を手にした。まずは早苗を引き止めるのに成功!
次は……
「リカ! シャワー浴びてきなよ」リカは突然名を呼ばれてビックリしたようだ。
ヘッドホンをはずし、キョトンと私を見つめている。
「バトミントンで汗かいたから、臭いんだよ! さっさとシャワー浴びてきて! 耐えられない」
リカは赤くなって「わかった」とつぶやき、慌てて自習室を出た。私も後を追う。
私って、意地悪かな? でも全部、リカのせいなんだから!
7、廊下にて
廊下の途中でリカが振り返る。
「何?」
後をつける私を不審に思ったようだ。
「別に。静香に用があるから、静香の部屋に行くだけ」
静香に、用事なんて無い。バスタオルや着替えを取りに寝室へ帰っている間に、リカが襲われたのでは元も子もないじゃないか!
幸い、部屋には静香は居なかった。リカは素早く必要なものを揃えると、寮の奥にある更衣室へと向かう。私もついて行く。
「何なの?!」
さっきとは変わって、リカは強い調子で私を牽制した。
「私に付きまとわないでよ!」
リカの苛立ちを感じた瞬間、私の苛立ちは風船の様にしぼんでいった。同時に、リカに対してキツイ言葉を使ってしまったことを後悔した。
リカは知っている。この学校の多くの女子達は皆、彼女の敵であることを……。リカは自分から味方をつくろうとはしない。彼女に友達はあまり必要ないらしい。だってリカは独りで居ても平気な猫だから。
でも、それでも、私はリカが気になる。私はリカを群れの中へ引き入れたいのだ。
何で? リカはさやかのライバルで、私はリカが好きじゃない。
私がリカにかまうのは、リカが私のスタディメイトだからだ。スタディメイトは大切な仲間だ。私がリカのことをどう思うかなんてどうでもいいことだ。リカは私のスタディメイト、だからリカが困ったら私が助ける。それは当然のことだ。
私は、何だか靄が晴れたような気分になった。
リカは大きなアーモンド形の目で、私をまだ睨み付けている。
「バスルームを使いなよ」と私は言ってみた。
リカは驚いたようだ。
「嫌なら、別にいいけど……」と私はまた意地悪く言う。
リカはジッと何かを考えているようだ。
「でも、髪が詰まるから……」
「網があるよ」
「私、時間かかるし……」
私は考えた。そして、言った。
「靴を交換しよう」
リカは目を丸くする。
「バスルームにはすのこが敷いてあるから、皆、ドアの前で靴を脱ぐ。私の靴がドアの前にあったら、皆は私がバスルームを使っていると思い込むよ」
「……でも、私は、洗うのに半時間はかかるの」
「二十分たったら、早苗か千絵の靴を私の靴と取り替えるよ。二人分の時間を使ってバスルームに入れるよ」
リカの顔が高揚する。
「ありがとう! 私、バスルームを一度使ってみたかったの!」
私の靴をドアの前にキチンと並べ、リカは小声で、走るように言った
「あゆみちゃんって、いいひとだね!」
バタンッ
バスルームのドアは閉まった。