校内の噂と、怖い怖い貞子先輩
14、食堂
私はいつも、夕食はスタディメイトと一緒に食べている。つまり、さやか、早苗、千絵、静香、リカと私の六人だ。しかし、武との一件があって以来、さやかは、夕食の時間は部屋で寝込んでいる。
「食欲がない」と言うわりには、「リンゴ持ってきて」だの「サンドイッチ取ってきて」といろいろと注文する。
さやかはリカと顔を合わせたくないのだ。リカも、さやかに遠慮してか、夕食の時間はどこかに消えていた。
「リカ、何処にいるんだろう。食べなくて平気なのかなぁ」
早苗がスパゲッティをフォークに巻きつけながら言った。スプーンも使っているくせに上手く巻けていない。
「さっぱりわからない。ルームメイトと言っても、私とリカはほとんど話さないから……」静香が言う。
「私、知っているよ」
突然会話に入ってきたのは、噂好きな弥生だ。真美も一緒にいる。
「隣、座っていい?」
静香が「いい」と言う前に、もう弥生は腰を下ろしていた。
「男と一緒に何処かのレストランで食べているよ」
真美がその先を話す。
「水曜日の夜も、繁華街にあるファミレスで男の人と一緒に食事していたんだってー。目撃した中学生がいるんだよ」
弥生が、「この先は私が話す!」という勢いで割り込む。
「でね、その男の人っていうのが、白髪交じりの中年親父なんだってさー。絶対に援助交際だと思わない?」
「……」
私達4人は少しの間凍り付いた。おしゃべり女達はその反応に満足したようだ。再び口から土石流のように言葉が吐き出される。
「リカってさー、顔は可愛いけど、性格ブス!」
「男の子って見る目ないんだよね。すぐ外見にコロっと騙されちゃうんだから!」
「だいたい、何? あの長い髪の毛! うざったい」
「ホント、ホント。この学校が全寮制だっていうこと、忘れているんじゃない? リカが来てからもう二回もバスタブの水が流れなくなったらしいよ!」
「迷惑だよねー」
弥生と真美のおしゃべりは食事が終わるまで止まらなかった。
食堂からサンドイッチを持ち出して、私は寝室に戻った。
さやかがいない。いつもは布団に包まっているはずなのに……。
私はさやかのベッドに、ナフキンで包まれたサンドイッチを置き、静香とリカの部屋へ行った。
15、静香の寝室
鼻の奥をツーンと突くような刺激臭がする。
私は髪を脱色したことがないので、染め戻しを使うのも、これが初めてだ。
鼻をつまもうとすると、
「止めな、鼻が黒くなるよ」と静香に止められた。自分の手を見てみると、染料で黒く汚れている。
「すぐに慣れるって」と静香が笑う。
冷たい液体を私の髪に塗りつけながら、
「弥生と真美の話、どう思う?」と聞いてきた。援助交際をリカがしているかどうかは別として、リカが男と食事に行っているという話には説得力があった。オダセンとリカが一緒に喫茶店へ入っていった事は、私は弥生達には言わなかった。この二人は話に脚色を付けたがる。
「まあ、援助交際の話はともかく、リカのせいでバスタブが詰まったっていう話は嘘だよ」
静香は言う。確信のある言い方だ。
「リカは、この学校に来てから一度もバスタブを使っていないからね」
「え?」
「いつも更衣室のシャワーを使っている」
更衣室は、寮の一番奥まったところにひっそりとある。古くて、部屋自体が汚いので、使っている人はほとんどいない。
「何でバスルームのバスタブを使わないの?」
静香は少し嬉しそうに
「あの子は髪に相当気を使っているからね」と言った。
「トリートメントを念入りにすると、どうしても時間がかかるんだよ。バスルームは皆が使うから、自分一人で長い時間は占領できないと思っているみたいだね」
バスルームの使用時間は一人二十分までと「了解」されている。また、一年生はゴールデンタイムにバスタブを使用することができない。ゴールデンタイムとは、午後九時から十一時のことで、一日のうちで一番バスルームの需要がある時間帯だ。
「リカがそう言っていたの?」私は静香に聞いた。
「いや……、でも、髪のことだからね、私には何となくわかる」
「リカと静香って、お互い良いルームメイトになれそうだよね」
静香はため息をつく。
「どうだろうね……。私は美容師になりたい。髪を切る仕事だよ。リカは髪をすごく大切にしているからね、いつもハサミ持ち歩いている私には近付きたくないだろうね」
「静香って、いつもハサミ持っているの?」
「うん。夏にバイトして買った、プロ用のやつ。お守りとしていつも持ってる」
そう言って静香は、いつも学校に持っていっているデニム生地のバックから銀色に光るハサミを誇らしげに取り出して見せた。
16、貞子先輩
バスルームでシャワーを浴び、染料を落とす。排水溝に黒い水が渦を巻いて飲まれていく。ドライヤーで乾かしながら、鏡の中の自分を見る。ちょっとだけ、髪の艶が濃くなったような気がした。まあ、髪を黒にしようが、茶色のままにしようが、私の顔は変わらないのだけれど……。黒は、女の子をちょっとだけ神秘的に見せてくれる色だと思う。
少し湿り気が残るくらいまで乾かした後、私はバスルームを出た。
さやかが廊下を歩いていた。さやかの隣には……貞子先輩!
何故か私はとっさにバスルームの扉の影に隠れてしまった。
私、何しているんだろう……。
貞子先輩はロングブーツのヒールを廊下に響かせながら歩いている。尖ったヒールの先がタイル張りの廊下に刺さりそうだ。腰を振った歩き方。ベリーショートヘアなのに、先輩の髪は揺れる。
さやかは少し怯えた様子で貞子先輩の話に相槌をうっているように見える。二人は足を止めると、誰かの部屋に入っていった。
扉が完全に閉まるのを確認して、私はその部屋の前まで行く。ネームプレートに「貞子」と書いてあった。
17、それから……、
リカと武が分かれたというニュースが流れたのは十月の第一週目だった。当然、振ったのがリカで、振られたのが武だ。
「たった二週間の付き合いだったねぇ」
早苗がエビチリを頬張りながら言った。
夕食の時間、私はいつものようにスタディメイト達と食堂にいた。仲の良いクラスの男子三人組、武、ユタ、健太郎を見つけたので、一緒の長テーブルに座った。
しかし、相変わらずリカはいない。
「何で、武を振ったんだろう……」
少しイライラした声でさやかがつぶやく。
最近では男子のリカへの考え方も変わってきているようだった。
「二週間でポイ捨てはないよな……」
男の癖におしゃべり好きなユタがピザのチーズに翻弄されながら、武を一生懸命慰めている。
「ま、元気出せって。……そのポテト食わないならもらうぞ」
武は何も言わない。が、ユタは気にする様子もなく武の皿からフライドポテトをさらった。
さやかは、ショックで食事が喉を通らない状態の武の方を見ないようにしていた。武に振られた後のさやかとまるで同じ様子だ。
「ケン、水持って来いよ」
ユタの隣で影の様に食べていた健太郎が、のっそりと席を立つ。
「それにしても、リカは一体何処で夕食を食べているんだろう……」私がつぶやく。
「おい、静香。お前、ルームメイトだろ? ちょっとシメ上げて聞いてみりゃいいじゃねぇか」
静香はユタを無視した。が、ユタは気にせず話を続ける。
「リカが援交しているという噂は本当かよ?」
「さぁ……」千絵がサラダを突っつきながら気のない返事をした。
「そういう事は、弥生と真美に聞きなよ」
「あいつらの話には信憑性がねぇよ。……ケン、パン取って来い」
水を持ってきたばかりの健太郎はまた席を離れた。
「何か証拠があがったら、リカは退学になるよ。今のところ、退学どころか、停学処分も受けていないんだから、その噂は事実無根と見るべきじゃない?」静香は冷静に言った。
「でも、噂だけは止まらないねぇ、先週だって、リカが駅前の『狸寝入り像』の前に一人で立っていたのを見たっていう人がいたしぃ……」
「一人で立っていたなら別に問題は無いじゃん?」と私。
「お前、馬鹿じゃね? 一人で立っていたってことは、誰かを待っていたってことじゃねぇか」
「……それ、何時の話だよ?」
武が突然つぶやくように聞いてきた。
「おー!! 武、やっと生き返ったか! さあ、食え!」と、皿を武の方に押しやったが、皿は空だった。
「あ、俺全部食っちゃった。……ケン、武の飯持って来い」
「いらねぇよ! 食欲ねぇし! それよりも、リカが『狸寝入り像』の前で目撃されたのは何時の話だ?」
「確か……先週の水曜日、だったかなぁ……」早苗は自信無さそうに言う。
「ありえねぇ。それ、リカじゃねぇよ」武はきっぱりと言った。
「え?」
「おれ、その日はリカと一緒に飯を食ったんだ。早苗、その『リカモドキ』が駅前にいたのは何時だかわかるか?」
「いやぁ、そこまでは知らないけどぉ……」
「リカじゃないかもしれないけど、リカかもしれない」と静香。
「はっきりしないね」と、私はため息をつくように言った。
18、孤独な猫
リカは教室の中でも大人しい。必要なこと以外はしゃべらないし、同級生と積極的に打ち解ける態度もない。休息時間はいつも一人で読書をしていた。しかし、存在感だけはある。誰かが陰でリカの悪口を言っていても、そこへリカが登場すると、おしゃべりはピタッと止む。リカの存在を恐れているかのように……。
私は、リカが数日後にはこの学校を辞めてしまうのではないかと思った。
中学生の時、編入して三日で辞めてしまった女の子がいた。
編入一日目、その子は皆と一緒に行動した。食事も皆と一緒だった。自習室で楽しく話した。
二日目、教室には来たが、食事のときは一緒にいなかった。自習室にも来なかった。
三日目、教室にも来なかった。夜になっても寝室に帰ってこなかった。皆で探したら、裏庭の物置小屋の中で、一人で泣いていた。
私ははっきりと断定できるが、「いじめ」と見なされる様な事は一切なかった。ただ、その子は全寮制のこの学校に合わなかっただけ。
リカは今、教室には来る。しかし、既に自習室には寄り付かなくなっている。静香によれば、寝室に帰ってくるのも消灯後。もしかしたら、今日の夜、リカは帰って来ないかもしれない……。
消灯後、宿題を済ませて、自習室を出る。寝室に戻る途中、暗い廊下でリカを発見した。リカはトイレに駆け込んだ。しばらくして水の音が流れると、おもむろにトイレの扉が開く。そっと音を立てないように気をつけているみたいだ。扉の影に身を潜め、廊下に人気が無いのを確認すると、足音をたてずに走り出した。渡り廊下に行くようだ。私は静かに後をつけた。
渡り廊下に出てみると、廊下の隅にリカがしゃがみこんでいた。ペンライトで照らしながら、本を読んでいるようだ。リカの白い肌にペンライトの黄色がかかった安っぽい光がかかる。髪は黄色い光を弾き飛ばす。
私はわざと足音を大きくたてて近寄った。
「何してるの?」
「……本を読んでいるの」
リカは立ち上がり、読みかけの文庫本を私の方に見せた。
「そうじゃなくて……」
何と言って良いのかわからなくなった。何で、自習室に来ないの? 何で、食堂に来ないの? と聞いてみても、答えは知れている。人に会いたくないから避けているのだ。
「自習室で読んだら? 今は誰もいないよ。ここ、寒いし……」
前にリカと話をした時よりも、グッと気温が冷え込んでいる。
リカは本を閉じてうなずいた。私は寝室へ、リカは自習室へ向かう。
別れ際、リカは「おやすみ」と言った。私も「おやすみ」と言った。
廊下の闇に、リカの髪が溶け込んで見えなくなった。
私は、リカが落ち込んでも悲しんでいるようにも見えないことにショックを受けた。
武を一方的に振ってしまった今、リカの味方になってくれる人はこの学校に一人もいないのだ。どうして冷静でいられるのだろう? どうして身近な学友、つまりは私達スタディメイト達ともっと積極的に仲良くしようとしないのだろうか。
私の目にはリカが得体の知れない新しい動物のように見えた。彼女はまるで、集うのが好きな犬の群れにやってきた一匹の黒猫だ。
群れない。媚びない。飼い慣らされない。
犬の群れの中で育った私は、リカという「猫」と、どうつきあったら良いのかわからなかった。