第九章 飛華秘話(五)
船は西に向かって進み、突き当たりまで行くと、北に上がる。
橋を三本くぐったところで少年は船をとめ、縄ばしごをかける。
私たちを先に上らせると、最後に舳先にはしごをくくりつけ、道に上がってきた。
辺りには木と藁で作った小屋がいくつも並んでいた。
廃屋が多いのか、扉が外れ、道に横倒しになっているものもある。
少年はその中でも一際そまつな家の木戸を引き、中に入った。
すぐに、広い土間がある。
その奥にまた木戸があり、そこを入ると板を敷いた部屋になっていた。
部屋には寝台が五つ。
机と椅子はない。
「鸚鵡、放してあげたら」
後ろで扉が閉まる音がした。
振り向くと、笠を外した少年が額の汗を拭っていた。
「何老師が言っていたよ。楊淵季って人は鸚鵡を連れているって」
「鸚鵡を連れているというのが、どういうことかわかっているのか」
楊淵季が低い声で言った。
「どうって」少年は目を丸くし、大きく瞬きをする。「鸚鵡を飼っているってことだろ。おれ、鸚鵡を見るのは初めてだ。貧しい者には飼えない鳥だろ。偉い人なんだよね。もしかして、お金がある人?」
「……李三、と言ったな。今、いくつだ」
口調は穏やかだが、楊淵季の視線は鋭かった。
「学校が終わったばかりの十四」
少年は全く動じない。
「学校?」
私がつぶやくと、少年は腰に手を当て、大人びた顔でうなずいた。
「あんた、迂峨過都の人じゃないだろ。おれたち、六歳になったら東二路にある学校に行くんだ。お金はいらない。そこで、文字と計算と道具の使い方を教えてもらう。それで、やりたいことを決める。医者とか、船頭とか。おれは初めて船に乗った時から、上手く操れた」
部屋を見回す。
寝台が五つもある割には着物がない。
収納する家具もない。
「お父様は」
楊淵季が問う。
少年の表情から笑顔が消えた。
ふてくされた顔で床に視線を落とす。
「おれが学校に上がる前に死んだ。母さんも、兄ちゃん二人もな。おれ一人になった」
不意に羽音がした。
天井を見ると、鮮やかな虹色が飛んでいる。
鸚鵡だ。
「気車の事故か」
楊淵季が手早く布をたたみ、懐に押し込んだ。
「さっき、気車が暴走していると門番に言っていただろ。あれは、おまえの声だった」
記憶を探り、門番が李三と呼んでいたのを、おぼろげに思い出す。
「よく覚えているな、淵季」
思わずつぶやくと、涼しい声が返ってきた。
「おまえほど受験勉強で脳細胞を潰していないからな」
「ひどいことを言う」
私は肩をすくめる。
少年が笑った。
「ああ、ごめん」
私と目が合うと、少年は目尻の涙を拭いながら謝る。
どいつもひどいと思いながら楊淵季に視線を戻すと、涼しい顔で無視された。
「気車の暴走は、いつも門番に告げるのか」
「門番がそこにいたからさ。それに、家族は事故じゃない。父さんは飛華洞の道士で鵬って名前の飛車を作ったんだ。父さんの鵬は一人乗りじゃないんだ。十人は大丈夫。父さんはおれたちをみんな乗せて、迂峨過都を出ようとしたんだ」
「え」
楊淵季が、鋭く叫んだ。
見ると、吹雪の中でものを見る時のように前屈みになり、目を細めている。
「なぜ、そんなことをしたんだ。知らなかったのか。二十七年前まで、迂峨過都から脱出できたものは一人もいない。それ以後、苦労して逃げ出したものが二人いるだけだ」
少年の表情が一瞬険しくなった。
だが、すぐに視線を逸らし、うなずく。
「父さんは知っていたと思う。でも、行ってみたかった。だって、遠くまで飛べる鵬を作ったんだぜ。迂峨過都の上をぐるぐる回っているだけなんて耐えられないじゃないか。龍鳳洞に許可を求めたけれど、蹴られた。だから、みんなを乗せて鵬を飛ばしたんだ。もう戻らないつもりで。鵬は火薬をくらって吹き飛んだ。おれは、馬虎飯店にぶつかる寸前で龍鳳洞の鵬に拾い上げられた。あとのみんなは迂峨過都の島の外に落ちた」
胸が軋んだように息が苦しくなった。
あの崖の高さでは、とても生きてはいられないだろう。
「父さんは反逆罪だって。ただ、迂峨過都の外に行ってみたかっただけなのにさ。だから、天君なんて大嫌いだ」
まるで、心が割れる音が聞えるような口調だった。
「おれは学校に上がったけど、みんな、おれを罪人みたいに言った。早く出たかったよ。初めて船をもらった時は、もうこんなの終わりだと思った。嬉しかった」
部屋を鸚鵡が飛び回っていた。
楊淵季が腕を伸ばし、とまらせる。
鸚鵡は首をねじり、少年を確かめるように眺める。
少年は、自嘲気味に笑って顔を上げた。
「もうすぐ夕食だ。なんか買ってくるよ。船も港に戻して来なきゃならないから。明日は飛華洞に行こう。あんたらが馬虎飯店にいる時に、どこでも行きたいところに案内してやれって頼まれていたんだ」
少年は木戸を鳴らして出ていった。
「信用していいのかな」
つぶやくと、楊淵季がため息をついた。
「明日、無事に飛華洞から出てくることができたらな」
それはひどく難しいことのように思えた。




