第八章 清玄真人(十一)
完全に集中力が奪われていた。
楊淵季も同じらしく、頬杖をついてぼんやりしている。
講義が終わり、部屋に戻るまで私たちは互いの顔も見なかった。
部屋の寝台に腰掛けると、二人同時に溜息をついた。
彼は不思議そうに私を眺め、どうした、と尋ねる。
黙っていると、彼は窓に手をかけ開け放った。
風が吹き込み、着物の襟から中に入る。
肌に当たった風は、長く咳をした後のように胸に痛かった。
「淵季……どうするんだ、天君になるって話」
「……我ながら、余計なことを言ったと思ってるよ」
珍しく、反省などしている。
私も、石に手をかざしてみたことを言おうかと思った。
だが、もし、淵季が天君になるのなら、私はその国を滅ぼす男だということになる。
それは、ひどく陰惨な友人関係のような気がして、口には出せなかった。
「私は、淵季の側付きの道士になるのかなあ」
「させない。華都に帰ってもらうさ」
「じゃあ、おまえはどうなる」
答えはなかった。
代わりに、淵季は窓の外を指さす。
「見ろよ」
窓辺に寄ると、指さした先に白い行列が見えた。大通りを西へと歩いている。
ここの人にしては珍しく、肌が焼けて黒かった。
行列の先頭には気車があった。白い布の袋を二つ乗せ、ゆっくり走っている。
気車は西の端にある広場に入り、とまった。
突然、後ろをついて歩いていた白い着物の道士たちが袋を担ぎ上げ、口を縛っていた紐を解くと、広場の先にある崖から中身を放り出した。
小さなかたまりがいくつも空に散った。
「罪人の葬式だ」
気車のそばで一際激しく泣く女性が見えた。
馬虎飯店のおかみらしい。
日焼けした肌の男たちが、おかみをなぐさめている。
「あれは飛華洞の道士だな。ものを作っていると油や火でああなるそうだ」
男たちは最後に白い袋を崖から投げた。
「一つは武偉長、一つは何虎敬だ」
二人ともばらばらだったからな、とつぶやき、彼は項垂れた。
うなずこうとして、ふと違和感を覚える。
武偉長の遺体は、あれだけ綺麗につなぎ合わせられていたのに、なぜ、あんなことになっているのだろう。
「淵季。武偉長って」
見上げると、楊淵季が灰色の目を丸く開いて顎を突き出していた。
思わずこちらも目を見開く。
私たちは顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「ここを出よう」
だが、すぐに正気に返る。
外は道士が夜も眠らず見張っている。
窓から飛び降りるには高さがある。
見回すと、この前と同じように淹れたての茶が机に乗っていた。
「火はすぐにおこせるか」
「ああ、瞬火を持っている」
「じゃあ、階段で湯を沸かそう」
怪訝そうな顔で、階段、とつぶやく。
「階段で湯を沸かし、湯気を扇いで扉の方に送るんだ。そうすると、外の道士は何かあったと思うだろう。彼らが扉を開けたところで飛び出す。湯気で私たちの姿はよく見えないはずだ。戸惑っている隙に逃げる」
彼は灰色の目を一杯に開いた。
「何だ」
「いや、おまえでも、頭が働くんだな」
「ああ、ちょっといろんなことがあって。龍陽の真似だってできるよ」
楊淵季が驚いたように、体を引いた。
私たちは床の石を外して階段にかまどを作った。
その上に茶を入れた壺を置く。
窓枠を壊して薪にし、瞬火を取り出す。
瞬火で火をつけ、着物の端を破ってかまどに投げ込む。
しばらくして、湯気が立ち始めた。
騒ぎ始めた鸚鵡を窓から放し、髪を包んでいた布を外して湯気を扇ぐ。
「どうしました!」
道士が外で扉を叩いた。
楊淵季と目配せし、身構える。
扉の向こうで鍵を外す音が聞こえた。
同時に岩の透き間から、廊下の光が細く入ってきた。
扉が完全に開ききる前に外に飛び出し、湯気を手で払っている道士たちを押しのける。
細い廊下を走り、途中にあった扉を押し開けた。
中はまた、廊下になっていた。
真っ直ぐ下に伸びている。背後で足音がした。
考える間もなく扉をくぐり、廊下を走る。
廊下は次第に広くなり、天井にも明かりが点くようになった。
少し気を緩めた時だった。
角を曲がると、行き止まりだった。
「引き返そう」
来た道を振り返った。途端、動けなくなる。
目の前には、天君と真翠淵が立っていた。
注として
瞬火……マッチ。
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今日はこのあと、10時に 第九章 を、11時に 第九章(一) を更新します。
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