第八章 清玄真人(一)
私たちは馬虎飯店を飛び出すと、通りを北に走った。
朝の道は混雑していて、何度か人にぶつかりそうになる。
気車とすれ違うと耳が風で塞がれたような気分がした。
大河に沈む時のように鼓膜が軋む。
耳を押さえ力を抜くと、楊淵季に遅れた。
私は上体を傾け、足に力を入れて速度を上げた。
道は芙蓉棚の前で東西を貫く大通りに突き当たっていた。
そのまま大通りを横切り、芙蓉棚の周りを回って、龍鳳洞の近くに出る。
辺りは塀で囲まれた屋敷が建ち並んでいた。
左手に目を遣ると、立ち並ぶ松林の向こうにやぐらと光の塔が見えていた。一昨日、龍鳳洞から脱出した時は、あちら側に出たらしい。
楊淵季がようやく立ち止まり、飛んでいた鸚鵡が彼の肩にとまった。
そこからは体を屈めて草陰を進む。
龍鳳洞に近づくと、楊淵季は岩を触りながら小さく言葉を唱えた。
開かない。
開く岩がないか確かめながら、龍鳳洞の周囲を移動する。
楊淵季が立ち止まった。
すぐに岩に体を寄せ、行く手をうかがう。
覗いてみると門番のような男が三人、槍を持って立っているのが見えた。
あそこに入り口があるに違いない。
楊淵季がこちらを見た。
私も視線を合わせた。
私たちは後ろに下がり、草の陰にしゃがみ込んだ。
「牢は地下にあるが、見張りが厳しい。入り口の扉の前に三人、中に二人、それから、内側にもう一つ扉があるが、そこに三人。牢は鉄柵がはまっていて、鍵で開くようになっている。牢は一つだけだ。たいてい謀反を企てた者がつかまり、牢の中で殺される。もちろん、天君が鏡の間にいながら行う、鏡の殺人だがな。殺人の最中は二つの扉には鍵が掛けられる。中には誰も入れない。今、どこまで進んでいるのかわからないが、馬虎飯店が大騒ぎになっているところを見ると、まだ見物人が呼ばれていないのだろう」
「見物人?」
「天君が鏡で人を殺す時には、まず先に触書を出し、見物人を鏡の間に入れ、彼らの前で牢にいる者を殺す。見物人がまだ呼ばれていないということは、まだ殺されるまでに時間があるのだろう。まず、何虎敬は牢で白骨洞の道士、宇帝国で言う判官のような役人に事情を聞かれる。たいてい、形式的なものだ。次に、鏡の間に引き出され、天君に事情を聞かれる。これも、一方的に責められるだけのものだろう。その後、牢に連れ戻され、やっと触書が出るようになっている」
「武偉長の時とずいぶん違うな」
すると、彼は考えるように顎に指をあてた。
「おまえを脅すために殺したのかも知れない。半刻で慌てて準備したから、武偉長を捕らえる時間がなかった」
「……そう言われると胸が痛いよ」
「気に病むな。ともかく、牢の見張りを突破するのは難しいから、廊下の陰に潜んで、何虎敬が鏡の間に引き出される時を狙おう」
「わかった」
「俺について来られるか」
立ち上がって見張りの様子をうかがいながら、つぶやくようにそう言うのが聞こえた。
「そんなに足は遅くないよ」
彼はちらっとこちらを見遣り、肩の鸚鵡を腕に乗せる。
「こいつを向こうに回して、飛び立たせる。見張りが気を取られた隙に入るぞ」
私と鸚鵡は同時にうなずき、私は岩陰に、鸚鵡は草の間を見張りの方へと歩き始めた。
鸚鵡はおぼつかない足取りで進んでいく。
見守っていると次第に鼓動が速くなってきた。
岩に当てた背中から心臓の音が脳の中に響いてくる。
鸚鵡の姿が見えなくなったころ、離れた草むらで羽音が聞えた。
見張りの一人が鸚鵡だ、と指さした。
「真人が戻られたぞ」
その言葉に聞き覚えがあった。
偉い道士か、仙人が名乗る称号――であったような気がする。
そう思って楊淵季を見ると、ひどく丁寧な仏頂面を下げていた。
「清玄真人はどちらにおいでか!」
草を掻き分けて、別の道士が駆けつけた。
槍を持っている。
声を聞きつけた道士たちが、瞬く間に集まった。
「鸚鵡がいたんだ」
見張りの男が空を指さすと、道士たちが揃って鸚鵡の姿を探し始めた。
「あちらか!」
飛んでいく鸚鵡を見つけると、それを追って龍鳳洞の北へ走っていく。
あたりに道士がいなくなると、私たちは岩に駆け寄った。
「万事如意」
楊淵季が手をかざし、声を掛けてみる。
しかし、岩は動かない。
背後で、戻れ、と言うのが聞こえた。
見張りが気づいたらしい。
楊淵季は舌打ちをし、声を張り上げる。
「天君万歳」
岩が動き、穴が開いた。
まだ開ききらないうちに、私たちは身体をねじ込むようにして中に入った。
「玄関観幻」
楊淵季が振り返り、すかさず叫ぶ。
背筋に響くような音がした。
岩は互いを擦りながら動き、光も漏れないほどに閉じる。
辺りは真っ暗になり、冷たい空気が顔を撫でた。
「こっちだ」
声を頼りに体の向きを変え、歩き始めた。
道は岩をけずったように固い。
床には岩が飛び出した箇所があった。
つまずきそうになりながら奥まで歩いていくと、岩で突き当たった。
楊淵季が小声で「天君万歳」と言うと、岩に穴が開いた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
次回事件シーンです。グロい場面があるので、苦手な方はとばしていただけると嬉しいです。
次々回に、次回のさらっとしたあらすじをつけます。
よろしくお願いいたします。




