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第四章 郷愁別離(十)

 私たちは、しばらく、張の足音が遠ざかるのを聞いていた。

「信じてもいいだろ」

 仲興が囁いた。私はまだ、扉から入る日光を眺めていた。

「俺たちを閉じこめるなら、扉は閉めていくはずだ」

「閉じこめるって」

 程適が甲高い声を上げた。

 私は慌てて彼の口元を押さえる。

「私たちを書庫に閉じこめておけば、役人に引き渡す時に楽だろう。そういうことだよ」

 驚いたように首をねじり、こちらを見上げている。

 うなずきかけると、程適も小さく首を振った。それを見て、彼から手を放す。

 仲興が心配そうに振り返っていた。

 見ると、伯文がすでに椅子に座っている。

「おまえも、罠だったらどうするつもりだったんだ」

 仲興が伯文の頭を小突いた。

「おぬしらに本が読めるか、そう言われたようなものだ。黙っていられるか」

 伯文が不満そうに顔を上げた。

 そのあたりの性格が、安家の主人に利用されたのだ。

 軽く額を押さえ、伯文に対して思い浮かんだ文句を振り払う。

「ええと、それで、どんな本なんだ」

 私は伯文の手元をのぞき込む。

「表紙には、西(せい)(ほう)()(ぶん)と書いてあった」

 伯文が蝋燭の位置を変え、本をめくった。

 猿の絵が見えた。

 猿の話かと思って読んでいくと、どうやら大猿の形をした妖怪の話らしい。


 安朱から東へ数十里、水路を下っていくと出る。

 人の言葉を話し、旅人に宿を提供すると言って逆に喰らうそうだ。

 近くの村で聞いた話では、すでに百人が犠牲になったという。


 その文章の最後に、徐威建(じょいけん)と情報提供者の名が記されていた。


 内容としては、ある程度文字が読めれば難しいということもない文章だった。

 伯文はしばし考え、文中にあった難字にいくらか注釈を加えた。

 数編、そのような妖怪話が続いた。

 どれもありがちで、きっと山賊などをそう言ったのだろう、という程度のものだ。

 

 私は扉を見遣った。こうしているうちに、閉められたらおしまいだ。

「おい、陸洋。見ろ」

 伯文が呼んだ。

 慌てて視線を戻すと、龍のような形をした煙に山が乗っている絵が見えた。

 伯文が本を私の方に寄せた。山の名があった。


 龍鳳山りゅうほうざん


 思わず懐から本を出す。

「なんだそれは」

 仲興が問うた。

「学長の部屋にあった本だよ。ここに」

 序まで紙をめくって明かりの下に置く。

「何の本だ」

 龍鳳洞の文字を認めると、仲興は怪訝そうに顔をしかめる。

「医学書。早産の子を生き延びさせたりするんだ。体を切り開く手術の図もある」

 めくってみせると、突然手が割り込み、本を押さえた。

 とっさに体を引き横を向くと、程適が目を見開いていた。

 蝋燭の明かりでもはっきりわかるほどに顔色が白い。

「どうした」

「ええ、あの、その、頭を切る図は、一体どういうことなんで」

「説明はこっちだ」

 本をめくって差し出すと、彼は生気のない文字をじっと見つめる。

「なんて、書いてあるんです。難しい字が多すぎて」

 本が押し返された。

 私は読み上げる。

「脳内の血管に亀裂が生じ、血液が溢れ出した時は極端な頭痛を伴う。仙人刀にて迅速に頭を切開し、頭蓋骨を外し、脳を覆う膜を切りて血を取り除き、該当個所をひょうたんを二つ合わせた形の金属でとめる。膜と骨を戻し、頭皮を縫い合わせた後は、ひとつきほど龍鳳洞にて霊気に当たるべし」

「仙人刀だって」

 仲興が甲高い声で言い、手で本の紙を押さえ、顔を近づける。

 程適を見遣ると、頭上の暗闇を見上げていた。

「処罰のあとではねえんだな」

 つぶやき、深いため息をつく。

 それから、気まずそうに上目遣いで見つめ、うつむいた。

「何が、処罰のあとだって?」

「頭の十字傷でさあ。学長先生の頭には、でけえ十字傷があって。怪我だって。嘘だったんだ」

 思わず顔を見合わせる。仲興は小柄な体を震わせるようにして深呼吸をした。

「学長はどうしてそんな怪我をしたって、言ったんだ」

 私の声も、心なしか震えていた。

「灰色の目の者にやられたと。だから、先生にそんな野郎を近づけちゃなんねえと思って。あの新入生の時も私は反対したんで。でも、学長先生はお入れになった」

「でも、老人は」

「腰を曲げていたからわからなかったんでさあ。気にはなりやしたが、何分、ご老人の顔をのぞくのも失礼でしょう。わかっていたら、決して近づけなかった」

 あの老人は腰を屈めていただけではない。

 髪も垂らしていたから、余計に顔が見づらかっただろう。

「やっぱり、仙人だったじゃないか」

 仲興が顎を押さえると考え込むようにうつむいた。

「もう一つ、おまけがついているぞ」

 伯文が私の袖を引いた。

 彼の手元を見ると、情報提供者の名前があった。

 私は息を飲み、目を見張った。

 そこには見たことのある名があった。


 真香淵しんこうえん


 学長の本にあったのと同じ名前だ。

 隣では、程適がまだ、浅はかだった、油断していた、と言って自分を責めている。

「知らないか。高隆志こうりゅうしという男が誰だか。この本に書かれているんだ」

 私は学長の本を片手でかざし、程適の肩をつかんだ。

「え? 聞いたことがありません。その人が、学長先生と関係あるんで」

「わからない」

 叫んで、どうしていいかわからなくなる。

 頭に血が上り、体が急に熱くなったように感じた。

「玄安の西、玄都(げんと)に至り、更に山中に入る。三日、河をさかのぼれば、龍鳳山あり。住人は仙人仙女、道士なり」

 伯文の落ち着いた声がした。

 彼は、龍鳳山の部分を紙に書き写していた。

 それが終わるとその上に別の紙を乗せる。

 乾ききらない墨がにじみ、文字の形に染みを作った。

 私は彼の読み上げた内容を反すうする。


 頭がくらくらする。

 本当に、仙人が、犯人だったというのか? 

 じゃあ、なんで合わせ鏡なんて小細工をしたのだろう。


「一つ、考えなければならないな」

 紙を折り畳み、懐に押し込むと、伯文はゆったりと顔を上げた。

 蝋燭が音を立てて空気を焦がしていた。

「なぜ、このような本が、わざわざここに出してあったか、と言うことだ」

 目が合うと、視線が、罠だな、と言っていた。

 私もうなずき、扉の外を見遣った。

 外に見張りがいる気配はない。

 だが、龍鳳山の記述がある本をわざわざ探し出しておいたからには、役人が来るまで私たちに本の守をさせておくつもりだったのだろう。

「出よう」

お読みいただきありがとうございます! PV見て、読んでくださっている方がいるんだ! と、いつも励まされています。


さて、小説家になろうで書きはじめたばかりのころ、ブックマークや評価をしていただいて、そのお礼を活動報告に書き、感謝の気持ちを伝えたつもりでいました。でも、活動報告って、わざわざ読む方いないかも、と思いました(いまさら気づきました……)。

11日から13日の三日間、この文章を載せさせてください。ご本人に届きますように。


その節はありがとうございました! はじめたばかりで不安な中、ここで書いていてもいいのかな、という気持ちになれました! ありがとうございます!

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