第三章 華都脱出(二)
日はすでに暮れていた。建物も藍色に包まれている。どうやら思っていたよりも長い時間、取り調べられていたらしい。
廊下は堂から、その隣の部屋にかけて吹き飛んでいた。
外に周り、窓から堂に入る。
中にはまだ学生たちがいた。仲興や伯文を皆で取り囲んでいる。
「何をしているんだ」
控えめに学生たちをかき分け、仲興に近づく。
皆が視線を逸らした。
「陸洋、行こう」
仲興が袖を引いた。怒ったように頬を赤くしている。
「喧嘩でもしたのか」
「そうじゃない。俺は詩の暗記しか出来ないばかや、裏切り者とは一緒にいたくないんだ」
「裏切り者?」
訝っていると、伯文が腕をつかんだ。
「行こう。喧嘩みたいなものだ。こいつらは、おまえを疑っている」
慌てて周りを見回す。誰も目を合わせようとしない。
「何だ。殺人犯がまだ、こんなところにいたのか」
振り向くと詩の先生が腰に手を当てて立っていた。
「共犯はどうした。楊淵季とか言ったか」
先生の唇の端が、嘲笑するように引きつっている。
腹の底で羞恥心と怒りが渦巻いた。
深呼吸をし、気持ちを抑えて先生を真正面から見る。
「先生も、鏡に学長が映ったのを見ていらっしゃったはずです」
それなのに私を疑うなど、どうかしている。
私たちの目の前で、学長は確かに首を絞められていた。
何があろうとそれは真実だ。
「見たとも。何もないのに鏡の中の黄徳志が苦しみ始めた」
「そうであれば」
「しかし、よく考えてみればおかしいことだ。実際、鏡に姿を映し、中に向かって手を動かしただけで人を殺す方法があるのか」
詩の先生は軽く上を向き、鼻を鳴らした。
「老人は自分で仙人だと言っていました。私たちでは計り知れないことをするかも知れません」
「我々、儒者が仙人を語るとは教えに背いている。欧陸洋。優秀な学生だと聞いておったが、ものの仕組みは全く理解しておらんらしいな。よいか。人を殺すにはその人に触れねばならん」
じゃあ、毒殺はどうだ、かつては皇帝陛下の食事に毒を盛ろうとした者だっていた。そう言いたかったが、あとから何をされるかと思うと怖くて言えない。
だが、このままでは気分が収まりそうもない。
「出よう」
伯文が私の肩に手を掛け、扉に向かせた。視界から先生が消えると、少しだけ怒りがおさまる。
「待て、欧陸洋」
振り向きたくなかった。詩の先生の顔を見ると、今度こそ怒りが爆発してしまいそうだ。
「この書類に署名したまえ。もう二度と私の授業には出ないという誓約書だ」
私は拳を握りしめる。
我慢しなければならない。怒ったところで、皆の誤解が解けるわけでもない。
それに、父や兄たちに悪い噂がたってもいけない。
そんなことはわかっていた。
わかっていたが。
「こら。書くのだ。二枚書きたまえ。楊淵季をどこかに匿っているのだろう。やつの分もだ」
頭に血が上った。
私は振り返り、詩の先生から書類を二枚ひったくると、破り捨てる。
そして、そのまま一人で堂を去った。




