第十一章 言帰正伝 (一)
空が白んできた。
空気はまだ冷たい。
通りに気車の音がし、砂埃が舞う。
先程、李三の葬儀を終えた。
飛華洞の地下にある岩を砕き、穴に彼を横たえると、皆で花を手向けた。
再び石で蓋をされる間、彼は包帯で巻かれた頭と、血の気のない白い顔、それに縄のあとがある首を私たちに見せていた。
しかし、穴が塞がれると、ほんの小さな石の山になった。
葬儀の後、何虎敬が道士を集め、三百三十三代天君の打倒を告げた。
私たちは飛華洞の道士数百人とともに龍鳳洞近くの草むらに身を隠し、機会をうかがう。
私たちの隣には洞主がいる。
梅乗が背負ってきたのだ。
龍鳳洞の入り口には篝火があり、門番が二人立っていた。
昼間の男とは交代したようだ。
月はすでに沈んでいた。
光の塔も輝きを失っている。
不意に、あちこちで鶏が鳴き始めた。
空気の藍色が淡くなり、木々や岩に色が戻る。
空を鳥が飛び、光の塔の先端に鋭い光が走ったかと思うと、太陽が昇ってきた。
「行くか」
何虎敬が低く言った。
そばにいた道士が辺りを見回し、顎をしゃくった。
「まず、俺と欧陸洋で行かせてくれませんか」
楊淵季が何虎敬の耳に囁く。
何虎敬はこちらを見なかった。答えもない。
「あの石によれば、私は天君らしいんですが」
楊淵季が下手に出ても、何虎敬は黙ったままだった。
「俺たちに任せていただけないと、とんでもないことを知る羽目になりますよ」
「それを知るために来たのだ」
何虎敬が深い溜息をついた。
「何虎敬殿」
楊淵季は目を逸らし、うつむく。
彼を見遣ると、美しい眉には憂いが浮かんでいた。
白い鼻筋はいよいよ白く、頬は青い。
瞳の灰色は奥に海をたたえたように潤んでいた。
「何だ」
「運命と伝説と、どちらを恨みますか」
弾かれたように何虎敬がこちらを向いた。
「どういうことだ」
楊淵季は答えなかった。
何虎敬は舌打ちすると、周りの道士を見回した。
「行くぞ」
何虎敬が立ち上がると、黒い着物を着た道士たちが、いっせいに通りに飛び出した。
大通りは黒く染まり、響き渡る鐘の音のように押し寄せる。
ふと、上空を虹色の鳥が飛んでいき、旋回して戻ってきた。
鸚鵡だ。
鸚鵡は楊淵季の肩に真っ直ぐ下りてきて、つかまり直すことなくとまる。
そしてちらっと私に目を向け、欧陸洋、と呼んだ。
門に辿り着くと、門番たちが槍を向けた。
「とまれ」
だが、門番たちは数人の道士に押し倒されるようにして視界から消える。
道士たちは階段を駆け上がった。
押し出された道士が、階段の端から洞窟の中に落ちる。
先頭には何虎敬の頭が見えた。
しきりに振り返り、道士たちを励ましている。
最後尾を走っていると、前方から人をかき分け戻って来る男がいた。
梅乗だ。
「楊淵季殿」
洞主のしわがれた声がした。
「おぬしは、この先起こることを知っているのか」
楊淵季は足元を気づかいながら見上げる。
「あの人が、何も考えていないとは思えません。悪い予感はしています」
「それでも、天君を暴くのか」
楊淵季は足をとめた。
慌てて私や梅乗も立ち止まる。
「ただ真実を言うだけです。俺は関わらなくてはいけない。そしてこれが、これまでの天君の行いに対する、一番まっとうな関わりかたです」
その時、前方で大声が響いた。
「開門」
何虎敬が叫んでいる。
他の道士が扉を叩いていた。
扉が開く気配はない。
「あれは、鸚鵡にしか開けられないじゃろう」
洞主が梅乗の頭に手をかけ、首を伸ばす。
「声錠なんですか」
楊淵季が驚いたように洞主を見上げた。
「内側からは誰でも開けられる。が、外からは鸚鵡の声にしか反応しないのでな。行って来なさい」
背中を押され、前にいる道士たちをかき分け始める。
扉に辿り着くと、楊淵季が鸚鵡を手にとまらせ、高く掲げた。
かすれた声で鸚鵡が叫んだ。
「開門」
同時に、扉がこちらに向かって開き、数人がなぎ倒された。
何虎敬が他の道士たちと共になだれ込む。
「偽天君を誅殺する」
鏡の間の方で道士たちの歓声が上がった。
私たちはまだ、扉の外にいた。
楊淵季は固まったように立ち止まっている。
梅乗が怪訝そうにこちらを眺めた。
突然、楊淵季は軽く背を丸め、鸚鵡を覗き込んだ。
「もう行け」
不機嫌そうに、鸚鵡が視線を逸らす。
「俺は、もう大丈夫だ。おまえは、もう行っていい……さよならだ」
鸚鵡は目を閉じ、聞こえないというように首を縮めた。
楊淵季が溜息をつく。
「欧陸洋」
「何だ」
「お願いがある。断ってもいいから聞いてくれるか」
「聞こうか」
一応そう答えはしたが、私は願い事の中身を、もう知っているような気がした。
「おまえがいないと、俺は天君としてやっていけない。この国の形を変えるまで、一緒にいてくれないか」
「私は異形だ。国を滅ぼすという。それでもいいのか」
「どのみち、天君の支配は終わる。古の人と約束した国は、滅びるんだ」
「終わったら、私は華都に帰るぞ」
「わかっているよ」
それから、楊淵季は鸚鵡をもう一度、のぞき込む。
「聞いてくれ。俺はな、この件が終わったら、しばらく天君として過ごすよ。だけど、鸚鵡の力は、もういらない。道術もいらない。天君に支配された暗黒の国はもうごめんだ。形を変える。変えたら……俺は、もう一度、華都に戻ろうと思う。欧陸洋と一緒に受験して、役人になって、帝国の人間として暮らす。それなら、やって行けそうな気がするんだ」
鸚鵡はようやく目を開け、楊淵季を見た。
彼の灰色の瞳に鸚鵡が映る。
一瞬の後。
虹色の羽が、私たちの間に降った。
見上げると、鸚鵡が飛んでいた。
鸚鵡は頭上を旋回しながら、独特のかすれた口調で呼ぶ。
「欧陸洋、欧陸洋、欧陸洋」
突然、羽の動きがとまった。
鸚鵡は急降下し、私たちのすぐ上で叫んだ。
「楊淵季!」
それから、まっすぐ、光の方に飛んだ。
洞窟の出口だった。
楊淵季は鸚鵡の影が光の中に消えるまで見守っていた。
「なあ、陸洋。失敗すると、帰れないかも知れない」
「程適が待っている。孫伯文、周仲興もだ」
すぐに私は言い返す。
「俺のことは待っていないだろう」
「待っているよ。気の弱い私が必死で追いかけたおまえに、あいつらが会いたくないわけないだろ」
「言ってくれるな。俺は知らないぞ」
「ああ、華都中の菓子を賭けてもいい」
私たちは露店で買い食いをする学生のような顔で互いを見る。
それから、揃って中に入った。




