運動日記
自分の死に際を考える中で、私はこう思った。自分の骸を周りが見て、何と思うかと。腹が出ていたら、故人が立派であったと思われるのか?思われないのか?黄昏時を生きる私にとって、それは切実な問題であった。筋肉がつき、スラっとした質実剛健な体で亡くなり、骸になれば、立派な日本男児が玉のように潔く散っていったと思われると思う。
思えば、切腹をする武士はみな立派な体つきを見せつけて果てる。鍛え上げられた上半身に満面の筋肉を張り付けながら覚悟を果たしていった。三島由紀夫もそうだ。あの肉体美を輝かせながら彗星のごとく生きたあの生き様は、今でも我々の記憶に深く刻み込まれている。
私は足元にも及ばないが、死に際を最高のものにするために努力をすることで、恥多い私の人生がマシなものになると考え、今日も運動をするのである。
思えば、切腹をする武士はみな立派な体つきを見せつけて果てる。鍛え上げられた上半身に満面の筋肉を張り付けながら覚悟を果たしていった。三島由紀夫もそうだ。あの肉体美を輝かせながら彗星のごとく生きたあの生き様は、今でも我々の記憶に深く刻み込まれている。
私は足元にも及ばないが、死に際を最高のものにするために努力をすることで、恥多い私の人生がマシなものになると考え、今日も運動をするのである。