真逆な片想い
隣を歩く、柴の影。
長く長く、ぐにゃりと曲がっているし、間延びしてて変な形だ。
海沿いの防潮堤。快晴な青空。学校は午前中だけで、今日は早帰り。
一緒に歩いていて、一見すると彼氏彼女に見えるのかもだけれど、いつも手は繋がないし、肩さえ触れ合わない。
それは学校帰りにコンビニで買った私のアイスを、横から柴に食べられるのもやだし、柴のソーダバーが私の制服につくのもやだだから、ってことだけではない。
理由はただ、幼なじみってだけ。
幼いころからずっと一緒。
繰り返されるさざ波の音に、いつものソーダバー。
その波の合間に女子マネ仲間の友達が、柴のことを「柴くんやっぱカッコいいー好きだわー」と軽く言う、ちょっと興奮した声が蘇ってきて。
ちらと柴の横顔を盗み見る。
確かに鼻は高い。けれど、野球部なので仕方がないけど、坊主頭だよ? こんなんの、どこがいいの?
柴を好きだという人を部活で二人、クラスで三人、知っているのもあって。
私の胸の中はいつも、ユニフォームを洗う洗濯機のように、ぐるぐると回っている。
私はもちろん、柴とは幼なじみだと思っているし、告白なんてしないし……できるわけがない。
「……ねえ柴ってさあ、」
「んー、なにー?」
思い切って訊こうとして横を向く。すると柴の半分しかないソーダバーから、柴の指を伝って、ポタリポタリと液体が流れ落ちていくのが見えた。
「あ、ちょっと、アイス垂れてる」
「うわ、やべえ」
カバンから慌ててウェットティッシュを出し、一枚引き抜いて柴の手に巻きつけた。
「手がベトベトで気持ちわりい」
「のんびり食べてるからだよ」
「うんにゃ、俺は普通。お前が早すぎるんだ」
私の腕には空のスティックが入ったビニール袋。海風に揺れてガサガサと鳴る。
「ありがとな。それより、さっきのなに?」
溶けたソーダバーからまた垂れるんじゃないか。そんなことに気を取られ、今日こそ意を決して訊こうと思っていたことが何だったかを一瞬、忘れてしまって。
「え? っとぉ、うん、……」
言いかけていたことをようやく思い出して、再度ざわざわとしてきた気持ちを、浅い深呼吸をして落ち着ける。
「あのさ、柴はさ、……す、好きな人っているの?」
「んー? なんで?」
「いやあ、柴はさあ、女子マネの中でも意外と人気があるっていうか……」
「え、そうなの?」
柴の少し嬉しそうな声に、さっきまでソーダバー色に染められていた私の心に、灰色の雲がすうっとかかった。
「だ、誰がなにってことでもないんだけど。まあ、柴はさあ。黙ってればカッコいいっていうか……それに野球部って得だよね。キャッチボールとかだけでも、二割り増しで見えるから」
「はああ⁉︎ お前はなんでいつもそうやって俺をディスるんだよ。ムカつくなあ」
最後の一口をぱくっと食べると、ん! ハズレだった!と言って空になったスティックを差し出してくる。私が持っていたビニール袋の口を開けると、その中へポイッと放り込んだ。
「いるよ」
「え、」
「好きなやつ」
がつんときた。そりゃいるだろうよ、とは思って覚悟はしていたけれど。動揺で、胸が一気に苦しくなって、目の前がグラグラと揺れる。
現実とはこんなにも恐ろしいものだ。
「そ、そうなんだ」
「……誰なのかは、訊かねえの?」
「…………」
柴が誰を好きだろうが関係ない。
「別にいい」
心を覆っていたグレーな雲のようなものは、がつんとなった時に爆発でもあったかのように、一瞬でどこかに吹き飛んでいってしまった。
空っぽになった心に、ざざあっと波の音が入り込んでくる。
「……別にいい」
関係ない。
自分じゃないのなら。
柴が誰を好きだとしても関係ない。
「柚は?」
俺はそろりと、けれど丁寧に訊いた。この流れはチャンスだと思った。
家が隣同士で幼なじみの柚が、俺に好きなやつがいるのかなどと訊いてきて、それがあまりに唐突すぎて、最初俺は驚いた。
けれど、クラスの友達や野球部の男子の中では、この手の話題はよく出るし、この流れなら俺が柚に訊き返したって、なんらおかしくない。
柚は昔からちょっと抜けたとこがあるから、このタイミングなら不審にも思われないだろう。
「柚はいるの?」
けれど、柚からは。案の定、んー? と気の抜けた声。
「……なにが?」
「なにが……って……お前は好きなやつ、いるのかってこと」
不自然じゃないってわかっていても、なんとなく心臓がバクバクしてくるのは、多分その返答いかんによっては、もしかしてこのまま告白できるかも、なんて思ってしまったからだろう。
さっきまでうるさいほど聞こえていた波の音も、いつのまにか耳に入ってこなくなった。俺の耳は、柚の声だけを拾おうと敏感になる。
それなのに柚は、黙りこくってしまった。
俺はもらったウェットティッシュで手を拭きながら、ちらと柚を盗み見た。抜けるような青空のもと、柚の頬が、ほわりと茜色に染まっている。どうしたんだろう、好きな人を訊かれて答えるだけなのに緊張でもしているのかな、などと思う。
幼い頃から、いつか両想いになれればなあ、なんて思っていた俺からしてみれば、柚の視線が誰に注がれているのかなんて、否が応でもわかってしまう。
自信は、多少だけれど、あった。 チャンスがあれば、いつだって告白するつもりだった。それが今日なら、今日でいい。
「……なあ。好きなやついるの?」
痺れを切らした今度は、少し強めの口調になった。声が出しにくいのは、ソーダバーの甘さが喉にねっとりと絡まっているからかもしれない。やたらと喉が渇く。やっぱ潮風のせいなのかもしれない。
「……いない」
ぽつんと。柚の口から転がり落ちた言葉。
え?
『いない』
え? うそ。俺じゃないのか?
「……そ、そっか。いない、のか」
好きだと思う範囲は、人によって狭かったり、広かったりするんだろうか? 俺は柚の『好き』の範疇に入っていないということなのか?
そう思うと脈うっていた心臓が、キンっと冷えた。
「……わりい、これ」
使ったウェットティッシュを差し出す。
「ん、」
柚が持っていたビニール袋を開けてくれる。中には一緒に食べたアイスのゴミ。ウェットティッシュを袋の中に入れるのと同時に、何度も柚の言葉を噛みしめた。
『いない』
けれど、柚に好きな人がいないなら、こんな俺にもまだチャンスはあるはずだ。
きっといつか。
告白できる日が来るはずだと思う。
いつか。
「なあ柚、コンビニ戻ってソーダバーもう一本食わねえ?」
「いいけど、おなか壊しちゃわないかな。柴はおなか弱いでしょ?」
「ばーか。俺の腹はソーダバー100本でもイケる腹なんだよ。当たりが出るまで食うぞ」
「っはは。コンビニにトイレあるから大丈夫か」
「トイレなんか必要ねえ」
「水に流せるティッシュ持ってるよ」
「お、さすが柚だな。俺には柚が必要だ」
「え、あ、え? あ、っと、はいティッシュ? どうぞ」
「サンキューな」
「……ねえ、柴」
「んー?」
「ソ、ソーダバーさ。半分こしない?」
「おう、いいぞ」
「おごってよ」
「なんだと、半分こだろ? でもまあいい。おごってやる」
fin