第5話 ミント・パプキン
ギルドを出ると、すでに日は沈んでおり、辺りは暗くなっていた。
月も空に浮かんでおり、家々からは明かりが零れている。日が沈んだからと言って、町中ならば特に困ることもない。
『フェンネルさんの家ってどの辺りなんですか?』
『町の西側にある大きな屋敷の近くだよ。この辺りは中心から少し西寄りだから、歩いて大体15分程度だな』
『意外に狭いですね』
『みんな町って言ってるだけで、ほぼ村だぞ? 国の端っこにあるような、辺境の田舎町なんてこんなもんだ』
そんなやり取りをしながら、道を歩いていると、町を流れる川の畔でうずくまっている、少女の姿があった。
見慣れてはいないが、あまりに印象が強く、見間違えることはない。
「……何やってんだ姉さん」
「……ああソルトか。いやなに、入れて貰えなかっただけさね」
酷く寂しそうな声で返事が来た。
その可能性を危惧していたものの、いざとなると咄嗟に慰めの言葉が浮かんでこない。
『おい、フォロー、ほら、フォローだ』
『無茶振りはやめてください! どう考えても私が声かけたら火に油じゃないですか!』
『注いでこいよ。体張って燃やしてこい。灰になる直前くらいには回収してやる』
『それ手遅れじゃないですか!? 絶対に嫌です!』
無理か。まぁそうだな。元凶だし。
「あー、とりあえず色々説明したいこともあるんで、姉さんの家に行きましょうか」
「そうだな、ソルトが一緒なら大丈夫だろう」
そう言って、尻についた土埃を叩き、姉さんが立ち上がる。
見るからに覇気が感じられない。
『フェンネルさんどうしたんですか? ショックなのは判りますけど、あれはいくらなんでも落ち込み過ぎじゃないですか?』
『いいや、お前は判ってない。ミントちゃん、姉さんの妹だが、姉さんはその妹を溺愛してるんだよ。そう、万一拒絶されようもんなら、まぁ……ああなるわけだ』
姉さんの足取りが思った以上に重い。このままでは姉さんの家につくのに、30分近くかかるかもしれない。
『でも妹さんの反応は当然ですよね。ドアを開けた先に半裸の美少女が、盾と剣で武装して立ってるんですよ? ソルトさんならどう思いますか?』
『連れ込んで良いのか、こっちも武装して追い返すべきか悩むだろうな』
『……最低ですね』
『そうだな。連れ込むと断言できないところが、俺もまだまだだって思うよ』
『違いますよ!?』
『まぁ確かに美少女ってのはな。もう少し成長した方が』
『もう良いです。それでどうするんですか? このままだとかなり掛かりそうですよ?』
『いや、あれはあれでちょろいんだよ』
俺は、とぼとぼと後を付いて歩く姉さんの方へと振り返る。
「ほら姉さん、さっさと帰らないとミントちゃんが心配してるぜ? もしかしたら夜道を探しに出ちまうかもな」
「そうだな! ほらソルト、急ぐぞ!」
「へいへい」
たったそれだけで、姉さんは元気を取り戻し、走り始める。
俺もその後を追いかけ走り始めた。
「わぁ……ちょろーい……」
◇◆
「……追いつけないとか……笑えねぇ」
『すぐ見えなくなりましたもんね……』
あれから1分もせず、姉さんの姿が見えなくなった。洞窟で見た能力は一しか違わなかったはずなのだが、雲泥の差である。
ようやく姉さんの家が見えてきた頃には、息も切れ、いかに自分の能力が落ちているか思い知らされた。
『あれがフェンネルさんの家ですか?』
「そうだ」
よくわかったな、とは言わない。
姉さんが家の前で、先程と同じ様に膝を抱えて座ってるのだ。わからないはずがない。
「……俺を撒くからだよ」
「……すまない」
俺が姉さんに近づき、声を掛けると、姉さんは申し訳なさそうに謝ってきた。
「まずは俺が声をかけるから姉さんはそこにいてくれよ?」
「ああ、わか――」
「……ソルト君ですか?」
姉さんの言葉を遮り、扉の向こうから声が聞こえてくる。
聞こえてくる声は震え、涙混じりの物に聞こえた。
『これはフェンネルさん、もう一回ありますね……』
『……言うな』
「ああ、そうだ」
俺がそう答えると、すぐさまドアが開き、俺の胸に軽く衝撃が走った。
すぐに、ミントちゃんが飛びついてきたのだと分かる。
「怖かった……怖かったの。ドアを開けると知らない武装した女の子がいて……」
「あー、そのことなんだが、落ち着いて聞いてくれるか?」
ミントちゃんが俺に抱きついたまま、顔を上げる。
瞳はやはり潤んでいる。
「ソルト君……だよね?」
俺の顔を見て、疑問を口にしてきた。
若返っているせいか肌の質が違う。この反応は無理からぬ事だろう。
「ああ、そうだ。そしてこっちが君の姉さんだ」
「そういう冗談は嫌いです」
ミントちゃんは姉さんの方へと目を向けるが、それが先程の相手だと判ると、再び俺の胸に顔を埋めた。
姉さんが殺気を帯び始めてる。困る。
俺はミントちゃんの肩に手を置くと、気を使いつつ引き剥がす。
「冗談なら良かったんだが……それが冗談じゃないんだ。少し中で話をさせて貰ってもいいかい?」
「……はい。判りました」
まだ納得いかないと言った様子だが、ミントちゃんは俺達を中へ招き入れてくれた。
◆◇
家に入れてもらった後、俺は今日のことを一通り説明する。
無論、タイムの維持費のことなどは伏せている。
変に気を使わせても仕方がないからだ。
第一、装備を新調しなければならない姉さんに、そんな余裕はない。
『装備と維持費、どちらをおざなりにしても、明るい未来は待っていないから困る』
『ソルトさん、なんだか困ってばっかりですね?』
『お前のせいでな! こんなに困ったのはガキの頃、家財道具を一切合切盗まれて以来だよ!』
『前世でどんな悪行を積めばそんな悲惨な目に合うんですか……』
『現在の元凶が言ってくれる。だいたい、何だ前世って』
身寄りを亡くした直後だったから本当に死ぬかと思った。
食べられる野草を知らなかったら、今俺はここにいなかっただろう。
「それじゃあ本当に? 本当にお姉ちゃんなの?」
「ああ、そうだ、お姉ちゃんだよ」
二人の身長差は完全に逆転してしまっている。これまではミントちゃんが、姉さんの胸の高さくらいまでだったが、今では姉さんの方が頭半分くらい低い。
これまではあまり似ていないと思っていた二人だったが、今ではよく似ている。違いと言えば姉さんが金髪で、ミントちゃんの髪は栗色な事くらいだ。
いや、顔立ちはミントちゃんの方がやや大人びた感じだろうか。
「ごめんね、私判ってあげられなくて」
「良いんだ。油断してしまった私が悪いんだ」
姉さんは抱きつかれることを期待したのか、大きく手を広げるものの、ミントちゃんは動かない。
一瞬の沈黙の後、姉さんはゆっくりと腕を下ろす。
やめて欲しい、さっきからいたたまれなくなる。
『お二人は仲が悪いんですか?』
『いや、いたって良好だよ。ただご覧の通り姉さんがやたら可愛がろうとするだろう? そういうのがミントちゃんは嫌みたいなんだよ』
『なるほど』
ミントちゃんも今年で十五だ、多感な時期なのだろう。
姉さんは姉さんで十八の時に出来た妹だ。可愛くて仕方がないのも分かる。
それにミントちゃんは身体が弱い。普段は元気なのだが突然体調を崩したりする。
姉さんが必要以上に構うのは、そのせいでもある。
「それでお姉ちゃん、ちゃんと元に戻れるの?」
「それなんだが、ちょっと簡単にはいかないかもしれないね。まぁでもタイムの維持費さえどうにかできれば、これまで通り支障はないさね」
ミントちゃんが無言で視線をこちらに移す。
その瞳は言外にどう言うことかと問いただしていた。
『あの、フェンネルさん、言っちゃいましたよ』
『……あの人、妹が絡むとポンコツ過ぎじゃないか? 仕方ないな。タイム』
「はいはーい。ソルトさんの使い精霊タイムちゃん、只今参上です」
タイムが妙な決めポーズとともに腕輪から飛び出す。
「あなたがさっきの話にあったタイムちゃん?」
「あ、無反応なんですね。はい、そうです」
「話、聞かせて貰えますか?」
「あれ、ソルトさん? 思ってた人柄と違うんですけど! ソルトさん!?」
馬鹿め、姉さん含め、俺達四人全員を正座させて説教する子だぞ。状況を見ないお前が悪い。
まぁ、教えなかったけどな。
◇◆
タイムが正座させられ、質問をぶつけられている隣で、俺は姉さんにギルドであったことを説明する。
「なるほどね、ギルドはその魔道士の復活を疑ってるわけだね」
「そういうことだね。あれを見れば見当違いだろうけど」
正座させられて、涙目になっているタイムを見る。
時折助けを求めているようだが、俺の安全のための生贄になって貰おう。
こちらが真面目な話をしている間は飛び火しないはずだ。
「あんたは詳しいことは話さなかったんだろう? ギルドと事を構えるつもりかい?」
「まさか、誘導しようとしたけど出来なかったんだよ。それに僅かでも可能性があるなら対策は必要だってのは、まったくもって正論だしな」
「一番の問題は、明日から暫く町にいろってことだね」
「そういうことだ。どの道姉さんは防具の新調が必要だろう? 俺はセインのところへでも行ってみるよ。魔道士なら分かることもあるだろうからな」
「わかった。そうそう、それから今回の報酬はあんたが全部とっときな。タイムが必要なのはあんただけじゃないからね」
「ダメです!」
そこへミントちゃんが話に加わってきた。
「お姉ちゃん記憶が無いみたいだけど昨日飲んだお金払ってないでしょ? お姉ちゃんがあんなになるくらいだし、5ジールはかかったんだよね?」
惜しい、4ジールと83リジーだ。
姉の状態でそこまで把握するとか、この子はこの子で自分の姉を把握しすぎだと思う。
「と言うわけでソルト君。ここに3ジールあります。これも持っていって」
「あー、聞いてたかもしれないけど、姉さんだって装備の新調しないといけないからな。それはそっちに使ってくれ」
「ダメだよ」
「あのな――」
「……ダメだよ」
ミントちゃんは今にも泣きそうだった。
足がしびれたのか、うつ伏せになって寝転がるタイムが目に入る。
このバカはどこまで話たのだろう。ちゃんと聞いておくべきだったと今更ながらに後悔する。
子供にこんな顔をさせるなんて、全く駄目な大人だ。
「わかった。ありがたく受け取っておくよ」
「ソルト、悪いけど」
「ああ、今日はもう帰るとするよ。タイム、行くぞ」
「ふぁーい……」
ふらつくタイムを引き連れて、俺は姉さんの家を後にした。