第30話 侯爵令嬢
俺達は一先ず三日ほど逗留することにした。今日中にエドガーの依頼を達成できたなら、折角だ。観光でもすればいい。
夜が明け、準備を終えると俺は酒場へ向かうため、部屋を出る。流石に距離があるため、タイムも一緒だ。酒場へ顔を出すと、そこには宿の主人とリユゼルの姿があった。
「おはようございます」
俺達に気づいたリユゼルが、敬語で挨拶をしてくる。続いて主人も「おはよう」と声をかけてきた。
日中は食堂となっているため、店を開ける準備をしているらしい。テーブルを拭いていたリユゼルが、その手を止め、こちらに近寄ってくる。
「今さら敬語は良いよ、昨日はタメグチだったろ?」
「一応お客様だし? ふふ、冗談」
そう言ってリユゼルは笑顔を見せる。まだまだ空元気だろうが、それでも昨日よりは随分ましだ。
「今日はネリネ様のところへ行くの?」
「そうだ。誰かに聞いたのか?」
「昨日ミントに聞いた」
リユゼルが簡潔に答える。いつの間にか仲良くなっていたらしい。年齢も同じくらいだし、意気投合しただろうか。
「良かったらそのネリネ様について教えてくれないか?」
「私はよく知らないんだ。向こうも多分私をクラリスの妹としか思ってないんじゃないかな?」
「クラリスとはそんなに仲が良かったのか?」
「うん、お姉ちゃんが冒険者になったのもネリネ様のためだからね」
「どういうことだ?」
「ほら、私たちは本当にただの平民だから……」
侯爵家の御令嬢とは身分が釣り合わない。きっと影で色々言われたのだろう。少しでも差を埋めるために、冒険者として上を目指した。
五剣、いやせめて四剣になれば国でも有数の冒険者となる。そうなれば十分釣り合ったはずだ。
まだ二十歳そこそこで一剣だったんだ。けしてそれは届かない夢でもなかった。
「なるほどな。でも向こうはそんなこと気にしてなかっただろうに」
「それは……あげる側の考え方だよ。こんなこと言うと、『ちゃんとそっちからも貰ってるよ』って言うんだろうけど。違うんだ、大好きだからもっと色んな、もっと確かな物をあげたいって思うんじゃないかな」
「……そうか、そうだな。それは少しわかる」
「はは……なんか変な話になっちゃった。そうだ。私仕事しないと」
リユゼルは態とらしく手をパチンとならし、わざわざ離れたテーブルに向かう。
「ああ、頑張れよ」
「そうそう……昨日はごめん、あと……ありがとう」
一度だけ振り返り、照れ臭そうにそう言うと、仕事へ戻っていった。
「おやおや、あんな子供を誑かすなんて、ソルトも隅に置けないね」
いつの間にか起きてきた姉さんが、俺にそんな事を言ってきた。いつの間にやらタイムも姉さんの肩に止まっている。その隣にはミントちゃんの姿もあった。
あいつほんと迷いなく有利な方につこうとするな。
「そんなんじゃねぇよ。ネリネのことを少し聞いてたんだ」
「それなら何故私に聞かない」
起きてきたリナリアが割って入る。
「……間に合ってたからな」
「今聞いたのだろう!?」
「なら聞くがリナリアはどんなことを知っているんだ?」
「そうだな。歳は十九、金髪碧眼の御令嬢だそうだ。一見大人しそうな御仁だが、なかなかに食えぬ人物らしい」
「最後のは本当か? 領主の話じゃないんだな?」
「ああ、そう聞いている」
リユゼルの話を聞くと、優しげな印象を受けたが、リナリアの話では大きく変わる。
貴族としての顔と言うやつか。友人に見せる顔と、他人に見せる顔は違う、考えてみれば当たり前だ。そして、俺達が目にするのは間違いなく後者である。
リナリアが役に立った。なぜだか少し悔しい。
「これで勝ったと思うなよ!」
「はっはっは、負け惜しみが心地良いな」
「……二人は一体何の勝負をしているの?」
ミントちゃんが呆れたように呟いた。
「本当は嫌なんだが、確認しておくぞ。リナリアの爵位、いや、リナリアの父親の爵位はなんだ?」
「なぜそこまで嫌がる。まぁ良い、父の爵位は子爵だ。だから私は子爵令嬢となる」
「なぁ姉さん、子爵家令嬢が侯爵家令嬢を突然訪ねて会って貰えるもんなのか?」
よくよく考えると俺は貴族の関係に詳しくない。どの辺りまで伝手が有効なんだろうか。
「あたしに聞くんじゃないよ。あたしだって貴族のことなんて詳しくないさね。あたしの家なんざ、遥か昔に没落して本当かどうかも怪しいんだからね」
「……だから何故私に聞かないのだ。まぁ、端的に説明すれば、同じ派閥であれば無碍にはされない、と言った程度だな」
「なるほどな。それでリナリアの家とソーワート家は同じ派閥なのか?」
「いや、別の派閥だ」
リナリアが即答する。
「駄目じゃねーか……お前は何なの? 邪魔しに来てるのか?」
「べ、別に敵対しているわけではない。お前達よりはましだろう!?」
「まぁそうだが……」
やはりギルドで貰った紹介状に頼るしかない。万一この紹介状がダメでも、と少し期待したんだがな。
「それじゃあ朝食を済ませて、侯爵の館へ行くとするさね」
「了解だ」
主人に朝食を出してもらい、俺達は手早く朝食を済ませた。
◇◆
俺達は宿を出ると、馬を借りて侯爵の館へ向った。
街の西側へ進むに連れ、人通りは減っていく。その代わりと言うように、見かける衛兵の数が徐々に増えてきていた。
「流石に侯爵様の居城ともなると厳重だね」
「そりゃあね。センティッドでも有数の街の貴族様な訳だしな」
途中、何度か衛兵とやり取りを挟みつつ、俺達は侯爵の屋敷へと到着する。
馬を繋いだあと、館の門番に声をかけた。リナリアが一歩進み出る。
「御令嬢のネリネ・ソーワート様にお目通り願いたい。ビベッジ家のリナリアが訪ねてきたとお伝え頂けるだろうか」
「ネリネ様よりお話は伺っております。そちらの者に案内させますので、その後に従って進んでください」
「すでにですか?」
「ええ、リナリア様、フェンネル様、ミント様、ソルト様の四人が訪ねられたら、通すように伺っております」
途中あった衛兵に全員の名前は伝えていないはずなのだが、すでに全員知られているようだ。ギルドから受け取った紹介状が全くの無駄となり、肩透かしを食らった気分である。
俺達はリナリアを先頭に、衛兵に付き従い屋敷を進む。その途中、
『あれ?』
『どうかしたか?』
『んー、何か感じた気がしたんですけど、多分気のせいだと思います』
『そうか』
気になる物言いだが、貴族の家を勝手に散策するわけにもいかない。ここはタイムの言うことを信じることにしよう。
その後、屋敷の一室へと通される。
「ではこちらで暫くお待ち下さい」
そう言って、衛兵は戻っていった。
案内された部屋はそのへんの民家であればすっぽり収まりそうなほど、広い部屋だった。
窓からは光が差し込み、壁際には高そうな調度品がいくつか並べられている。
ソファーにしたってこれいくらするんだよ……。
「凄い、この絨毯フカフカです」
「タイムちゃん、あんまり飛び回らないほうが良いんじゃないかな?」
衛兵がいなくなるなり、腕輪から飛び出し、部屋の中をあちこち飛び回る。そんなタイムをミントちゃんが注意する。
その声音から何かを感じ取ったのか、何も言わずタイムが俺の元へと戻ってきた。
通された部屋で待っていると、ドアが開き、その向こうから一人の少女が姿を現した。すると、即座にリナリアが立ち上がる。
腰辺りまでまっすぐ伸びた、長い金色の髪と、碧い瞳。背はミントちゃんより少し高く、飾りの乏しい黒いドレスを身に纏った少女。その顔は柔和に見えるが、ここへ通された時のことを考えれば、何を抱えているのかわかったものじゃない。
この子がネリネ・ソーワートか。リナリアから聞いたとおりだな。
リナリアに倣い、立ち上がりながらそんな事を考えていた。




