第29話 酒場の労働
俺達が宿に戻ると、そこでは皆が飛び出したリユゼルの代わりに、給仕用の服へと着替え、店を手伝っていた。
黒を基調とし、至るところにフリルが取り付けられた、可愛らしい衣装である。ミントちゃんにはサイズが合っているようだが、姉さんの方は少し大きく、要所要所絞って無理やり身に纏っているようだ。
ミントちゃんは、働いた経験は無いはずなのに、まるで長年勤め揚げたベテランの様に、丁寧に、そして淀みなく応対している。時折、酔った客が絡んでいるようだが、言葉巧みにそれをかわしている。
一方、姉さんは顔を朱に染め、恥ずかしそうに接客していた。普段ならミントちゃんが絡まれていれば即座に反応するのだが、今はその余裕すらないらしい。そんな余裕のない、あたふたする姿が客には受けているようで、中にはわざわざ姉さんを選んで呼んでいる者までいる。
そんな中、リユゼルがおずおずと宿の主人の所へ歩みでる。宿の主人はどうやら理由を知っているらしく、怒った様子はない。それどころかとても優しい目を向けていた。この二人の関係は知らないが、非常に良い関係を築いているようだ。
「あの……すみませんでした」
「良いんだよ。今日はもう帰るかい?」
「いえ、大丈夫です」
リユゼルは首を横に振り、奥へと引っ込んで行った。おそらく荷物を置きに行ったのだろう。
俺はそれを見届けると、改めて店内を見回す。
「一人足りませんね」
「あいつに接客は無理だろう」
俺とタイムがそんな会話をしていると、俺達に気づいたミントちゃんが駆け寄ってきた。
「ソルト君、お帰りなさい。リユゼルちゃんと無事に会えたみたいだね」
「ああ、おかげさまでね。それで――」
リナリアがどこへ行ったのか尋ねようとしたが、ミントちゃんが何かを期待するように、じっとこちらを見つめているのに気づき、口をつぐむ。
『ソルトさん、褒めて欲しいのでは?』
『……なるほど』
「その服良く似合ってるな。可愛いと思うよ」
俺は、タイムに勧められるまま、ミントちゃんを褒める。ミントちゃんはその場でくるりと回って見せ、満足気に微笑んだ。
「だよね! 可愛い服も着れて、おまけに働けるなんて、私この街に来てよかった」
普段から姉さんに家にいることを強要されているせいで、働きに出ることに憧れを持っていた。その為、今は本当に嬉しそうだ。
「そりゃ良かった。でもあんまり無理しないようにな?」
「うん、大丈夫。ちゃんとわかってるから」
体が弱いせいで、少しでも無理をすれば、体調を崩し数日寝込んでしまう。ここまでの旅程もあったのだ、そろそろ疲労が溜まって体調を崩してもおかしくない。出来ればおとなしく休んでいて欲しいところだ。
「ならいい。ところでリナリアの奴は?」
「フェンネルさんには可愛いって言ってあげないんですか?」
姉さんに可愛い?
俺は改めて姉さんを見る。客にからかわれたのか、顔が真っ赤だ。その後、お盆で自分の姿を隠しながら、奥へと引っ込んで行った。なるほど、確かに普段との落差もあり可愛いかもしれない。
でもあれ、客は殴れないから、ぎりぎり堪えてるだけじゃねーかな。
「ちゃんと可愛いって言ってあげた方が良いと思います」
「じゃあ俺の代わりに行ってくれば良いだろ」
「しょうがないですね! じゃあちょっと行ってきますからね」
「あっ、待って!」
ミントちゃんがタイムを引き止めるものの、タイムはそれを聞くことなく飛んでいった。
その少し後、「いったーーーーー」という悲鳴が店内に響き渡る。客は一瞬静まり返ったが、すぐにまた騒がしくなった。
「やっぱりな」
「……あはは」
その声を聞き、ミントちゃんが困ったように笑う。
「そうだ、リナリアさんだね。リナリアさんなら厨房にいるよ」
「リナリアが? 厨房に?」
「私もびっくりしたんだけど、リナリアさんってすっごく料理が上手なの」
「……なるほど、そう言う事にして接客から追い出したのか」
それなら納得できる。
「ち、違うよ? どうしてリナリアさんの事になると、二人とも信じないの?」
どうやらその場にいたはずの姉さんまでも、似たような反応をしたらしい。
「リナリアはどうもやらかしてる印象が強いんだよ……」
「うーん、信じられないなら何か作って貰えば良いんじゃないかな?」
「それもそうだ」
俺は主人に断りをいれ、厨房のリナリアヘ話しかける。
「なんだ? 貴様もなにか作ってほしいのか? 仕方ないな、少し待っていろ」
しばらく後に出された料理は本当に美味かった。
何とはなしに、リユゼルへ目を向けると、先程までは身に付けていなかった首飾りをつけていた。
それは、触れればジャラっと音がしそうな、シンプルな金属の首飾りだった。




