第2話 精霊タイム
奪われた視界を徐々に取り戻し、周囲を見回すと、サイズが合わず、今にもずり落ちそうな装備を身に着けた、一人の少女の姿がそこにあった。
「まじ……か。姉さん……だよな?」
身につけている装備は、間違いなく姉さんのものだ。
よく見れば面影だって……いやないな。
面影はない。
だってオーガじゃない。
後ろでまとめた艷やかな金色の髪。
透き通るような白い肌。
胸は……やや物足りないが、小柄な体型にはあっているだろう。
整った顔立ちに収まった青い瞳は柔らかい。きつくない。
だってオーガじゃない。
眼の前にいるのは完全に美少女である。
「こりゃ一体どういうことだい!?」
姉さん?は時折ずり落ちそうになる装備を抑えつつ、体を捻ったりしながら自身の姿を確認している。
「変わり過ぎだろ。完全に別人じゃないか」
「あたしゃ若い頃は華奢だったんだよ。その頃はガッシリとした体に憧れてたもんさね」
これが姉さんの若かりし頃だというのならば、多くの男どもは神を呪ったに違いない。
「そのまま成長してりゃ引く手あまただったろうに」
「ぐっ……が、外見になびく男はお呼びじゃないんだよ。そう言うあんただって……若くはなってるようだけど、あんたは大差ないね」
「俺ぁ早熟でね。10歳位には今と大差なかったのさ。最もあの頃はそのまま大きくならないとは思いもしなかったがね」
姉さんの言う通り、俺の体格は大して変わっていない。
多少、装備の締め付けが緩くなっている気もするが、微調整可能な範囲内だ。
小柄な俺としては、何度姉さんに身長を分けて欲しいと思ったことか。
「いや、そんな事より警戒しな! 声の主がいるに違いないよ!」
姉さんは一瞬ためらったものの、動きを阻害しかねない衣服を思い切りよく脱ぎ捨てた。
そしてすぐさま盾と剣を構え、臨戦態勢に入る。
俺の方は対して変わってないこともあり、そのまま周囲の警戒を開始する。
『な、なかなか思い切りが良いですね。恥じらいとかないんです?』
「ソルト、あんたの腕輪だ! こっちに向けな!」
声が俺の身につけている腕輪から発せられたものだと見るや、即座に姉さんはこちらへ剣を向ける。
俺も応じ腕を姉さんの切りやすい位置へ掲げた。
例えまるごと持っていかれようと死ぬよりマシだ。
……いや、やっぱないな。姉さん信じてるぜ。
『待って! 待ってください! ど、どうなっても知りませんよ!?』
姉さんの剣が腕輪に触れる直前で静止する。
「話を、話をしましょう。してください」
その声とともに、俺の腕輪から羽の生えた小人が飛び出した。
世に言う妖精と言うやつだろうか。
今の姉さんにも引けを取らない黒髪の美少女だ。
ただ、いかんせんサイズが足りない。
俺の手の甲に座れそうなくらいだしな。
「良いだろう。話してみな」
姉さんが、剣を突きつけたまま応じる。
「えーっと、これを引いてくれたりは……しませんよね。なんでもないです。チクチクするのでやめてください」
押し当てられた切っ先を押し戻しながら、妖精は空中に停止する。
羽が全く動いていないが、飾りなのだろうか。
「こほん、私はタイム。この洞窟で生まれた洞窟の精……いえ、元洞窟の精霊です」
「……ん? 元? 元ってどういう……!!」
はっとして、左腕の腕輪へと手を伸ばす。
案の定、腕輪は腕に吸い付いたようにピクリとも動かない。
「くそっ! やっぱりか!」
俺はカッとなって掴みかかろうと手を伸ばす。
だが、タイムへと手が届く前に、我に返り、俺はその手を引っ込めた。
昨日今日仕事を始めた新米じゃあるまいし、何をやってんだか。今こいつに手を出したところで、なんのメリットもない。今は話を聞くべきところだ。
俺は頭を振ると、タイムに続きを促す。
「は、はい。え、えっと、それでですね。それで……えっと……何をお話すれば良いんでしょうか」
「……わかった。ならこっちから質問する。それに答えろ。良いな?」
タイムが黙ってこくこくと頷く。
「俺達のこの状況……姉さんもう良いだろう。服着ようぜ。流石に気になってしょうがない」
「気の抜けたこと言ってんじゃないよ、と言いたいところだが、そうだね」
応じる姉さんの頬にはほんのり赤みがさしている。
脱ぎ捨てた衣服を今の体型に合わせ、適当に引き裂き始めた。
やることがいちいちパワフルである。
鉄製だからと、手甲を曲げて調整しようとしていた。
流石にそれには失敗して人間らしさが残っているのを見て少し安心した。
むろん、脛当てに関して成功したのは見なかったことにする。
「あの人ちゃんと人間ですよね? 私騙されてませんよね?」
「お前がちょっかい出してきたんだろうが。俺達が何を騙すっていうんだ」
「そ、そうですけど……」
「それで、この状態は一体何だ? 治るんだろうな」
タイムへと視線を移し、問いかける。
多少もったいない気もするが、元の姿が姉さんの夢のカタチだったというのなら、元に戻る手助けをするのが人の情というものだろう。
「繋がりを洞窟からあなたへと移した際、魔素の不足分をあなた方の時間で補ったんだと思います」
「思います? お前がやったんだろ」
「……それが、頭に靄がかかったみたいに詳しいことが思い出せなくて……てへ」
「……まじかよ」
「待たせたね」
姉さんを見ると、申し訳程度にしか布をまとっていない。
恐らくうまくいかず、途中で諦めたのだろう。
姉さん、細かい作業苦手だしな。
「姉さん、それが」
「別に離れてたわけじゃないんだ。聞こえてたさ。つまり、あんたには戻せないってことかい?」
「……まぁ、そうです」
「何か悪影響はあるのかい?」
「そうですね。身体機能も相応に戻っているはずです」
「そんなわけ無いだろ。姉さんはいつもどおり片手で両手剣使ってたぜ? いや、それどころかさっきお前だって見ただろ」
「それは私の力によるものです。こう見えて私、身体能力を向上させたりできるんです」
「記憶があるのか無いのかどっちだよ」
「ふふん、舐めてもらっては困りますね。今私ができることくらいなら、ちゃんとわかりますよ。今私ができるのは能力向上、そして能力確認の二つです」
「能力確認?」
「お見せしたほうが早いかもしれませんね」
タイムがそう言うと、視界の隅に数字が映し出される。
-----------------
個体名:姉さん
力:6
魔力:2
素早さ:2
体力:3
技量:2
-----------------
これが姉さんの能力なのだろう。ツッコミどころはあるが、ひとまず置いておく。
それにしても、平均は知らないが姉さんでも六というのが意外だ。
世の中にいる一流の人間はもっと高いのだろうか。
「ちなみに一につき、ゴブリン一匹分相当です」
「六だと!? いや、なんで単位がゴブリンなんだよ」
「しょうがないじゃないですか、私まだ生まれたばかりで、ゴブリンしか見たことないんです。もうゴブリンとか嫌なんですよ。この洞窟ゴブリンしかいないし、私じゃ勝てそうにないし……」
タイムはうつむいて何やらぶつぶつと言い始めた。
軽くトラウマになってやがる。
「俺の聞いた話じゃ、だいぶ昔にオークも出たらしいぞ」
「種類が増えればいいって訳じゃありませんよ!?」
「要はあんたが読み取った能力を、あたしらに見せてるだけってことかい?」
「はい、そう言うことですね」
「だからソルトの名前が男Aなんだね」
《個体名:姉さん》より酷かった。
それはそれとして自分の能力と言われると、少し気になる。
「俺の能力はどんな感じなんだ?」
「聞かないほうが良いんじゃないかい?」
「……逆に気になる言い方はやめてくれ」
「仕方ないね。タイム、頼むよ」
「ええ、良いですよ」
-----------------
個体名:ソルト
力:1
魔力:1
素早さ:1
体力:1
技量:1
-----------------
これはもはやゴブリンでは。
「ソルトさんには私の力が働いていませんから、それが原因だと思います。何故だかかからないんですよね」
「……つまるところ、俺はただ昔の自分に戻っただけかよ」
「そうでもありませんよ? 私が取り憑いていますからね。私が強くなればその恩恵をきっとソルトさんも受けることが出来ます」
こいつとうとう取り憑いたって言いやがった。
というか加算されてこれなら、今の俺はゴブリンより弱いことになるんだが。
この先が非常に思いやられる。
「そうそう、解呪には気をつけてくださいね。結びつきが強いせいか色々と保証できません」
「ぼかすなよ! 色々ってなんだ? 何が保証できないんだ!?」
「……命、とか? いえ、実際どうなるかはわかりませんけど」
「……そう言われて試すバカはそういねぇよ。解呪がダメって呪いってことじゃねぇか」
「デメリットばかりじゃありませんよ? 私の力が呪いに打ち勝てば呪われることもありませんから」
「呪われないゴブリンなど、いない!」
なにせあの能力である。呪いのかかったアイテムに抵抗できる力があるとは思えない。
「私の成長にご期待下さい!」
「目をそらしながら言うセリフじゃねぇよ」
「それは私にかかってる能力向上ってやつもそうなのかい?」
「はい。でも姉さんの場合は効果が失われるだけですから安心してください。言ってくだされば、かけ直すことも出来ますから」
「それはそれで致命的だねぇ。気をつけるとするよ。それと、フェンネル・パプキンだ。フェンネルって呼びな」
「姉さんはソルトさんだけですか?」
「昔そう呼ばせたがってた時期があったんだよ。今じゃ俺くらいしかそう呼んじゃいないがね」
多感な時期が終わった頃、戻せと言われたことはある。
ただ、いざ戻してみると、互いになんだか落ち着かなかった。
その後、結局もとの呼び方に戻ってしまった。
「それで、強くなるにはどうすれば良いんだ?」
「そうですね、魔素を貯めていけば良いんですけど……」
「魔力溜まりにでも放り込めば良いのか?」
「あんた死ぬ気かい? タイムの本体が自分の腕に取り憑いてるの忘れてんじゃないだろうね」
「そうだった……」
魔力溜まりは人間にとって毒でしか無い。一度や二度で影響が出ることはないが、幾度となく続ければ汚染され、やがて腐り落ちる。魔力溜まりを散らすのはそのためでもあるのだ。
セインのやつが言うには、過渡の魔力を身に受けると身体の……なんだったか、まぁ、とにかくそうなるらしい。
「大丈夫ですよ、ソルトさんの胸元にあるじゃないですか」
「ん? 胸元?」
俺の胸元には財布しか無い。
財布の中を確認すると、20リジー入っていた。町で一日過ごすならせめて1ジールは欲しい、五分の一はやばい。
「それ、それです。見た所、僅かですが魔素が含まれてますね。日に百枚ほど頂ければ十分です。あっ、でも多くいただける分にはどんとこいです」
タイムが俺の全財産を指さしながらそう言った。
ちなみに今回の仕事の報酬は2ジールである。
「それを用立てられなかった場合はどうなるんだ?」
「私の維持費としての面もありますから、消えてしまいますね。……消えてしまいますよ?」
タイムは不安そうだ。
俺も馬鹿ではない、解呪によりタイムが消えることで、命の保証ができないのならば、タイムが消えることでも同様のはずだ。
「あー、こりゃ詰んだかね」
「まだ詰んでねぇから!」
金を貯める必要がある。
並行して代替方法を探そう。
早急にだ。