第15話 ゴブリンの母
「なんだ……あれは……」
視線の先には、二メートルは優に超えた巨大な怪物が、地面を揺らしながら彷徨っている。
それだけではない、周囲にはゴブリンが数匹、立ち上がろうともがいていた。
あれはオークか? そう言えば以前、この洞窟に出たという話を聞いたことがある。
だが何故こんなにもゴブリンがいるのだ。
オークと思しきそれを遠くから見ていた時、巨躯から何かが零れ落ちる。
その零れ落ちた何かは、泡立つような音とともに、次第に変貌を遂げていく。
やがて、それはゴブリンへと変容し、他のゴブリンと同様、立ち上がろうともがき始めた。
「――っ!?」
驚愕のあまり、リナリアはその場で後退った。重鎧の金属をこする音が、洞窟内へ反響する。
「しまっ」
異形とリナリアの視線が交差する。
一瞬の空白の後、異形はリナリアへ目掛けて駆け出す。
リナリアが剣を構えようとした時、身を低くして迫ったゴブリンが足にしがみついた。
それに気を取られたリナリアは、異形が繰り出す拳を避けられない。
拳をまともに受けたリナリアは、後背の壁へと叩きつけられる。
苦悶の声とともに、肺の中の酸素が吐き出され、そのまま壁にもたれ掛かるように崩れ落ちた。
続けざまに異形の拳が迫る。
……こんなにも呆気なく私は死ぬのか。
リナリアは朦朧とする意識の中で、眼前に迫る死をじっと見つめていた。
死を覚悟したリナリアが瞳を閉じようとした、その時、肉を引き裂く嫌な音とともに、異形の腕が両断される。
その次の瞬間には、轟音とともに異形が吹き飛ばされた。
◇◆
洞窟の最奥へと向かう道中で、俺達はまだ倒されて間もないゴブリンを発見した。
すぐさま駆け出したギルマスの後を追い、俺達が最奥へとたどり着いた時、異形の怪物がリナリアを追い詰めていた所だった。
「遠いかっ」
歯噛みするギルマスの隣を抜け、俺は《大気加速》で飛び出す。
『タイム! 銅を好きな形で出せるって言ったな? 一回持てばいい、あの腕を切り飛ばせる何かを出せ!』
『ふぁ、ふぁい!』
腕輪を起点とし、まるで弓のような形をした半月状の刃が生み出される。
刃は異形の手を捉え、その腕を切り飛ばした。
『と、止まりませんよ!?』
『わかってるよ!』
全力で飛んだために勢いが止まらず、俺はそのまま地面を滑る。生み出された刃は刃が欠け、もう使えそうにない。俺はすぐさまそれを捨て、自前のダガーへと持ち替えた。
腕を切断されたことでその場で呻いているものの、異形はまだリナリアの目の前におり、救えたとは言い難い。
俺が飛び出したのを受け、魔法を備えていたギルマスが、その異形を追撃する。
異形は炎に包まれながら、後方へと吹き飛ばされた。
「特殊な現象が起きていた場合の保険も兼ねて連れてきたが、これは嬉しい誤算だね」
「……ま……まだです」
かろうじて意識は保っているようだが、リナリアはまだ立ち上がれそうにない。
切り飛ばされ、地面に落ちた腕が、そんなリナリアの傍でゴブリンへと変貌を始める。
「はぁ!? おい、何の冗談だ」
「ちぃっ!」
リナリアの傍まで詰めていた姉さんが、そのゴブリンを蹴り飛ばした。
ゴブリンは、それにより頭蓋が砕け絶命する。
『ソルトさん、周囲に他にも人の影があります』
『……知ってるよ』
影は四つ。薄暗く、顔までは見えないが、恐らく二剣の四人で間違いないだろう。
それらはいずれもこの状況でさえ、微動だにしていない。生存している可能性は限りなく低い。
だが、僅かにでも可能性が残っているならば、急がなければいけない。
「お前は行けそうか?」
「馬鹿に……するな、このくらい……なんともない」
そう言うと、リナリアはふらつきながらも立ち上がった。
「そうかい、まぁ調子が戻るまでの間、四人の生存確認を頼む」
リナリアが悔しそうに顔を歪ませる。
そんなリナリアを、駆け寄ってきたギルマスが睨みつける。
それにより、不承不承ながら首を縦に振った。
「結構。では他の諸君は目の前のあれに専念して貰おう」
「初めて見るが、あれはなんなんだい?」
「あいにく私もあんな魔物は記憶にない。そうだね、呼称するならゴブリンマザーと言ったところだろうか? 再生力はトロール以上か。これは少々厄介だね」
腕が再び生えてきたのを見て、淡々と口にする。
あまりに淡々と話すせいで、こっちには微塵も厄介そうに聞こえない。
ゴブリンマザーの赤い瞳が、怒りに燃えるように揺らめきながら、まっすぐこちらを見据えていた。




