第156話 バーネット教
あれからタリア殿下は俯いた状態で食事をとっている。時折、顔を上げるものの特に話しかけることはない。エリオの微笑みに頰を赤らめ、再びうつむきながら食事をとる、その繰り返しだ。エリオが気を回して話しかけるものの、如何せん会話が続かない。
先程までの勢いは、どうやら待ち望んでいた相手に会えた、その興奮が手伝ってのことだったらしい。
『微笑ましいですねー。ソルトさん、ここは助け舟を出してあげるべきです』
『そうですわね。このままでは時間の浪費です。ここは介入すべきです』
『ちーがーいーまーすー。私はそういうことを言ってるんじゃありません!』
『すべきことは同じなのですからいいではありませんか』
『……ああうるさい。お前達は一体俺に何を期待してるんだ。俺にそんな芸当ができると思ってんのか』
俺の言葉を聞き、二人が一斉に静かになる。それもそうだと言うことなのだろう。
納得されるのもそれはそれで腹がたつな……とはいえ橋渡しか、確かにこのままじゃ埒があかないしな。何か話題を振るのも悪くない、か。
これもひいては自分や皆のためだと考え直し、俺は適当に話題を振ることにする。
「ところでタリア殿下、こんな話をご存知ですか?」
「どんなお話ですか?」
タリア殿下の方も状況を打破したいのは同じ想いらしく、すぐに俺の話に乗ってくる。
「この世界にはいくつか大陸がありますが、魔素が固定化して魔物へと至るのはこのアルスカリア大陸だけのことらしいですよ」
「えっ……それは……」
俺が振った話にタリア殿下が狼狽える。反応を見るに、どうやらタリア殿下もこの話を知っていたらしい。恐らく俺と同じく、他所からやってきた貿易商などから伝え聞いたのだろう。大陸の外からやってきた人間は誰もがそのことに驚くそうだから、ありえない話ではない。
『へぇ、そうなんですねってなんで今その話なんです!?』
『それはだな、エリオは還俗したとはいえ、バーネット教の敬虔な信徒なんだよ』
『……いえ、あの……意味がわかりません』
『そりゃそうか。簡単に言うと、この話題はバーネット教の教義に触れる。つまりだ』
俺はエリオへと視線を向ける。案の定、微笑んではいるが、わずかに苛立っていた。それなりに付き合いのある者でなければ、気づきはしないだろう。それなりに付き合いが長くなると色々と見えてくるものがある。お互いの勘所もその一つだろう。
エリオは滅多なことで怒ることはないが、唯一バーネット教の教義を否定する様なことを言うと酷く怒る。
「あらあら、ソルトさん、いけませんよ。イルタリア殿下にそんな嘘を教えては。良いですか?」
そう前置きすると、エリオは朗々とバーネット教の成り立ちを語り始める。これまで散々やってきているだけあって、その口調には全く淀みがない。
『ど、どう言うことです!?』
『見ての通りだが? こいつ教義に関しては融通が効かないんだよ』
エリオは出会った頃からこうだ。幸いというか、聖母とまで謳われるエリオに対して真っ向から教義を否定する人間などそうそういない。
『そんなことよりどうしてこんな話題を選ぶんですの!? 空気が悪くなるじゃありませんか!』
『そうか? タリア殿下は結構満足そうだぞ? エリオのやつ教義を説いてるときやたらいい顔するからな』
タリア殿下は食い入るようにエリオの説法に耳を傾けていた。俺が知る限り、エリオは教義を説いてる時が、一番生き生きしている気がする。稀にだが、遠くの街からエリオの説法を聞くためだけに、パニカムまで足を運ぶ人間も居たほどだ。
『ろくに話せないよりだいぶマシだろ?』
『……それでいいんですの?』
少なくともタリア殿下が満足しているなら十分なはずだ。後でエリオから小言を言われそうではあるが……。
『ところで、バーネット教の教義ってどんなものなんですか?』
『いや、気になるなら聴いてやれよ……本人が好きでやってるとはいえ、一生懸命話してんだから』
『あんまり難しい話はちょっと……』
そういって、タイムは声の調子を落とす。
……こいつは……とは言え、話もだいぶ進んでいるようだし今更聞けといっても無駄か。
『まぁその昔邪神が大暴れしていた時、光の大神エレムルスに遣わされた神子たるバーネット様が、その御身と引替に邪神を討滅したって話だよ。魔力の吹き溜まりから魔物が生まれるのは、邪神が死ぬ間際にこの世界に残した呪いなんだそうだよ』
だから魔散石は呪いを払うと言う名目で、教会でも扱っていたりする。大抵のやつは冒険者ギルドで購入してそのまま依頼をこなしてしまう為、あまり売れ行きは良くないらしい。だから貧しい教会では教義と財政の板挟みに陥っているところもあると言うのだから、割と難儀な話である。
『そんなに省略してしまって良いんですの?』
『こんなのは要点さえ押さえてれば十分だろ。でもエリオには言うなよ?』
あいつに直接言えば再燃しかねない。それは流石に面倒になる。
『だから自然に増えるとなると教義に触れるんですね』
『少なくともこの大陸ではそうなってるんだから、他の大陸でどうだろうと教義に大きく反してるとは思わないがな。とは言え、自分で実際に目にしないうちから、おいそれと認められないってのもわかると言えばわかる』
信仰とはそういうものだろう。
エリオの説法が佳境に差し掛かった頃、部屋のドアがノックされた。タリア殿下が許可をすると共に、その向こうから一人の侍従がやってくる。
「イルタリア殿下、そろそろお時間です」
「もうそんな時間ですか」
それを聞き、我に返ったエリオが僅かに頬を染めながら説法を止める。
「残念ですが本日はこれでお開きのようです。またいずれお話をお聞かせください」
「はい、その折にはイルタリア殿下により楽しんで頂けるお話をご用意しておきます」
「楽しみにしています。お二人はこの後、品評会の方へ出向かれるのですよね。あいにく私は同道できませんが、馬車を用意させますので、ぜひ送らせてください」
「殿下のご厚意痛み入ります。有り難く甘えさせて頂きます」
エリオがタリア殿下に対し、恭しく一礼する。
『何をボーッとしてますの!? ご主人さまも続いてくださいまし』
ルミナに促され俺は慌ててエリオに続こうと行動を起こすが、
「良いんですよ。ソルトさんはそのままで居てください。次お会いするときも変わらずに居てくれると嬉しいです」
「イルタリア殿下、あまりソルトさんを甘やかされては」
「構いません。ジルクニフ様の家系は横柄なのが売りですから」
エリオの苦言に対し、タリア殿下が笑いながら答える。
少なくとも俺はそんな物を売りにした覚えはない。
「それでは失礼します。本日はお越し頂きありがとうございました」
そう言ってタリア殿下は部屋を退室した。入れ替わるように別の侍従が部屋へとやってきて、俺達の方へ近づいてくる。
「それではエリオ様、ソルト様、馬車までご案内致します」
「お願い致します」
俺たちは侍従の後をついて歩き始める。その道すがら、
「ソルトさん、馬車の中でお話があります」
「……おう」
エリオのその言葉で、俺は馬車を断りどうやって徒歩で行くか検討を始めた。