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第147話 薄氷

 お姉ちゃんのあの姿が、私にあの日の記憶を呼び覚ます。


 私は昔冒険者に攫われたことがある。相手はパニカムの街で幅を利かせていた二剣のパーティーだった。若い頃に活躍しその地位を得たものの、それ以降は伸び悩み夢に敗れ田舎に落ち延びてきた、そんなパーティーだった。

 横暴に振舞いながら、さりとて致命的な問題を引き起こすほどでもない。でも、元々大望を抱きながら夢に敗れ、田舎に落ち延びてきたような人間だ。いくら田舎で幅を利かせたところで、その胸の内の自尊心は満たされるものではない。まるで砂の上に築かれた城塞の様に、いつ致命的なことが起こってもおかしくない、そんな状態だった。

 そして、そんな状況は次第に町の人達を鬱屈させ、当時のパニカムは非常に居心地が悪かった覚えがある。


 そんな中、お姉ちゃんたちは冒険者になった。元々それなりに経験もあったせいか、お姉ちゃんたちは新人としては群を抜いた存在だった。

 当然、お姉ちゃん達は調子に乗った。ソルト君は、「誰でも一度は通る道だよ」なんて大人っぽいことを言っていたけど、強く止めなかったところを見ると、それなりに浮かれてたんだと思う。そんなお姉ちゃんたちが、件のパーティーに目をつけられるのは当たり前のことだった。


 酒場で絡まれたお姉ちゃんは、あろうことか返り討ちにしてしまったらしい。長いことパニカムで腐っていた彼らの腕は、錆び付いていたのだろう。二剣という威光の上にかろうじて成り立っていた彼らの仮面を、お姉ちゃんは完全に粉砕したのだ。


 パニカムで育った私たちは、それなりに知り合いも多い。そんな知り合いが返り討ちにしたのだ。後ろ盾を得た思いの町の人たちが、彼らへと向ける視線は厳しいものへと変貌する。

 それにより、彼らは鬱憤を募らせていく。そんな彼らの鬱憤が、巡り巡って私のところへやってくるのに、そんなに時間はかからなかった。


 ある日、彼らはお姉ちゃんがいない隙に、私の家へと押し入り、そのまま町外れの森へと連れ出した。それを知ったお姉ちゃんの理性のタガは消し飛んだらしい。森へとやってきたお姉ちゃんは今の様に、人ともつかない状態へと変貌していた。五人いた彼らはお姉ちゃん一人に再起不能へと追いやられた。

 我を忘れたお姉ちゃんは私のことすら頭から抜け落ちており、明け方まで暴れ続けていた。そんな中、私を助けてくれたのはソルト君だ。多分場所が良かったんだと思う。普段から森の糧で食いつないでいたソルト君にとって、その森は目を瞑ってでも歩ける、そんな場所だったのだそうだ。


 彼らはその後逃げる様に町を出て行き、パニカムでその姿を見ることはなくなった。以来、森の痕跡を見た人たちが、お姉ちゃんのことを《(オーガ)》と呼ぶ様になった。


 普通の人間がそんなことになるのはどう考えたっておかしい。他のみんなに聞いても、誰もその理由はわからないと言っていた。

 ただ言えることは、その状態のお姉ちゃんは普段と比較にならないほど強かったんだそうだ。


 そんな当時のままのお姉ちゃんが今私の目の前にいる。


 お姉ちゃんがアリオトに向かって跳びかかった。


「鬼? くだらない。これなら、まだその辺の獣の方が利口だよ」


 そう言って、アリオトはお姉ちゃんに向かってナイフを投げる。それは本来であれば人が避けられない間合いなんだと思う。でも私なら……あの日あの場にいた私たちなら、そんなことないと確信できる。


 結果はすぐに訪れた。お姉ちゃんは、そのナイフを後ろ方向に体を回転して避けて見せた。


「はっ!? 冗談でしょ!?」


 その動きに動揺したのか、アリオトの反応が一瞬遅れ、そこへお姉ちゃんが組み付く。

 そのまま淀みのない動きで、アリオトの首筋めがけ、お姉ちゃんが牙をむいた。


「ちっ!」


 アリオトは迫るお姉ちゃんの頭に頭突きをし、怯ませる。その後すぐさま魔法でお姉ちゃんごと自分の体を加速させ、体勢を崩したお姉ちゃんを引き剥がした。


 あれはソルト君の、どうしてあの人が……ううん、今はそんなことよりアンゼリカさんを!


 私はリユゼルに外傷がないことを確認し、アンゼリカさんの元へと走る。


「よかった、まだ息がある」


 アリオトに切られた腹部から出血し、服を赤く染め上げている。もう少し遅れていれば手遅れになっていたかもしれない。


 一刻も早くここから離れたほうがいい。


 そんな考えに突き動かされ、私はすぐさま治療に取り掛かった。


◆◇


「まさか理性をなくしたほうが強いなんて予想外だよ。普段余計な力が入りすぎなんじゃないの?」


 そんな他人のことを小馬鹿にした様な声が聞こえてきた。それによって私は意識を取り戻し、自分が気を失っていたのだと気づく。


「い……たた。あれからどうなって……」

「気が付いたかね? 立てるかね? どうやらこの場から離れたほうがよさそうだ」


 私に声をかけてきたエドガーさんは、いつの間にかボロボロになり、あちこち焼け焦げた跡があった。抑えている右肩と引きずっている左足は、もしかすると折れているのかもしれない。


「エドガーさん、今どうなって!」


 私が慌てて問いかけると、エドガーさんはそちらへと視線を向け、私に促してくる。そちらを見ると、アリオトと対峙した何やら変貌したフェンネルさんの姿があった。


 え!? どういうこと!? 言ってくれないとわからないんだけど!? この人察しろみたいなことが多すぎじゃないの!?


 ただここから離れた方が良いと言った言葉の意味だけはわかった。今のフェンネルさんはどうみても正気じゃない。


 どう言う訳かはわからないけど、今のフェンネルさんは、私の目にもアリオトに食らいついている様に見える。ただ、周囲への配慮がある様には思えない。フェンネルさんが跳ね除けたアリオトのナイフが、ロウレルの傍をかすめていったのが良い証拠だ。


 私は慌ててミントの姿を探すと、倒れたアンゼリカさんを魔法で治療する姿が見えた。私は少しだけほっとする。


「よくわからないけど、離れろって言うのはわかりました」


 私は自分の体を動かし、確認する。痛みはあるけれど走れないほどではない。うん、大丈夫だ。


「ならばここから離れるとしよう。殿下は私が連れていく。君はミント君と共にアンゼリカを頼む」


 エドガーさんはそう言うが、どうみたって走れる様な状態には見えない。ロウレルの意識はあるようだけど、人を抱えて逃げ出せる様な状態には見えなかった。


「そっちは私が行きます。大丈夫です。ロウレルだって男の子なんだから、少しくらいの痛み我慢して走らせます。だからエドガーさんはミントのことをお願いします」


 エドガーさんが目を見張って私を見た。色々葛藤もあるんだろうけど、それが最善とは言えないことを多分エドガーさんが一番わかっている。


「……君は強いな。わかった。君に任せよう。殿下を頼む」


 知らずに後悔するのはもう嫌だった。

 だからもっと知ろうと思った。

 手が届かないからと諦めてしまったのを悔やんだ。

 だからどこまでも諦めず手を伸ばそうと思った。


 皆んなの言葉を信じるなら、私は少しずつなりたい自分に近づけているらしい。こんな状況だって言うのに、そのことが少し嬉しくなる。


「任せてください」


 私はそう返事をすると、心が折れかけている王子様の元へ向かって走り出した。

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