第142話 足りない力
「覚えて……ない……お姉ちゃんを……お姉ちゃんを殺しておいて!」
「ああ、そう言うことか。いちいち殺した人間なんて覚えてるわけないでしょ。何言ってるのさ」
こいつはいったい何を言ってるんだろう。
お姉ちゃんがいなくなったのに。
もうお姉ちゃんはいないのに。
私からお姉ちゃんを奪ったこいつがそれを知らないって言う。
お姉ちゃんの人生はそんなに価値のないものだったの?
憤った私やネリネ様の想いは取るに足らないもの?
そんなことはない!
そんなことは言わせない!
胸の首飾りを握りしめ、目の前にいる仇を睨みつけた。ソルトから訓練用に渡されたダガーを抜き、習った通りに身構える。
「お? なかなか挑戦的な目をするじゃん。でも素人かぁ。僕アルカイドと違ってあんたみたいなの痛ぶっても楽しくないんだよねぇ。まぁ仕事だし仕方ないからやるんだけど……せいぜい悲鳴でもあげてもらって他の連中を呼び寄せてもらおうかな。不意打ち上等ってね。それなら少しは楽しめるだろうし」
私の腕はあっさりと看破される。当たり前だ。私は実戦経験はおろか、一月だって訓練は積んでいないのだ。
構えたダガーは小刻みに震えているのがわかる。絶対に許せない相手だって言うのにダガーを振るうのが怖い。そんな自分をとても惨めに感じる。
戦えば間違いなく私は死ぬんだ。そう思うと今にも動けなくなりそう。そんな不安に潰されそうになっていると、
素人が戦っても邪魔にしかならないから、まずは逃げることを覚えるべきだ。
ソルトが言っていた言葉が頭をよぎった。
そうだ、逃げるべきだ。それがきっと今私にできる一番の抵抗だ。
ロウレルのいる場所へは届かない。ううん、届いたって私じゃロウレルを担いでいけない。ならせめて他の誰かを呼んで、
「おっと、逃がさないよ。ついこの間それをやったやつがいて、とても面倒だったからね」
本の僅かに体を動かした瞬間、私はアリオトに組み伏せられる。力を込めてもピクリとも動かない。
「悲鳴……悲鳴かぁ。こうすればいいのかな?」
「――――――――っ!」
何か固い物が折れたような音が耳から、体の奥から響いてくる。その音とともにダガーを握っていた手に力を込めていられなくなり、私はダガーを取り落とした。
右腕に激痛が走り、少しでも動かそうとすると痛みは激しさを増し、涙が溢れた。
「あー、失敗かぁ。限界超えると声が出ないんだねぇ。結構難しいなぁ」
私は痛みを堪え、涙を流しながらアリオトを睨みつける。
「おお、すごいすごい。普通素人の、しかも女がここまでやられれば心が折れそうなものだけど睨み返してくるなんて、うん、本当にすごいじゃん。なるほど、さすがはアルカイド。こう言うことの見立てに狂いはないね」
「はな……せぇ!」
「そう言う感じでもいいけど、もっと声を張り上げてくれない? それじゃあ他の連中気づかないじゃん」
「そうでもありませんよ?」
アリオトがつまらなさそうにそう言った時、別の声が聞こえ、地面に魔法陣が浮かび上がる。それを目にしたアリオトは即座に私から飛び退いた。浮かび上がった魔法陣から私を避けるようにして光弾が打ち上がり、上空で強く瞬いた。
「……アンゼリカ……さん」
「リユゼルさんご無事ですか? 殿下はご一緒ですか?」
アリオトが離れた隙に、アンゼリカさんが私に駆け寄ってくる。私は右腕を庇いながらなんとか体を起こすと、瓦礫の上に横たわるロウレルに視線を送る。
「良かった。生きてはおられるようですね。ここは私に任せて殿下を連れて逃げてください、と言いたいところですが難しそうです。私から離れないでください」
痛みを我慢しつつ、やっとの思いで立ち上がった私は、小さくうなづいた。
「あなたがアリオトですか」
「そっちはアカンサスのサブマスターだね。不意打ちの一つでもしてくればいいのに、つまんないなぁ」
「あなたには聞きたいことがありますから」
「なに? 挑発のつもり? ほんと、つまんないね」
応じるアリオトの声が一段低いものへと変わる
「まさかあなた方が宰相と繋がっているとは思いませんでした。なるほど、あなた方と繋がっているのならマスターと分断されたのも一応の納得はできますね」
「あー、まぁそう言えなくもないのか……いや、止め止め。余計なことをしゃべりすぎると、またアルカイドのやつに小言言われちゃうよ。ほら、さっさとやろうよ。前衛居なくてもそこそこやれるんでしょ?」
アリオトが先ほどまで抜くことのなかった剣を抜き放つ。
「洗いざらい話して頂きます」
そう言ってアンゼリカさんも、虚空から杖を取り出し身構えた。