第109話 天敵
「急いでやってきましたけど、入りたくありませんね」
「まったくだ。リナリアのお蔭で時間も食っちまったしな」
可能な限り急ぎはしたが、リナリアが思うように走れなかったこともあり、かなり時間が経ってしまっていた。なんでドレスなんだよ、と突っ込みたい所だが、そんな者はただの八つ当たりでしか無いためぐっと堪える。
今の所、特にギルド内で騒ぎなど起こってはいないようだ。少なくとも出入りしている人間からは張り詰めたものを感じ取ることはない。
すぐさま中に入ればいいものだが、あの二人が睨み合っているかと思うとつい二の足を踏んでしまう。はっきり言ってこのまま立ち去りたい。
「原形は残っておりますし、もしかするとサリッサ様はこちらへ来ておられないのでは?」
ギルドの様子から希望を抱いたのか、スレイが楽観的な意見を口にした。しかし、それとは裏腹に顔色はすぐれない。きっと楽観視しているのではなく、そうであって欲しいと言う心からの願いなのだろう。
「それはそれで困る。それだと俺達置いてきちまってるからな……」
そうなると婆さんの怒りの対象は俺達ということになる。逃げ切れないという点で、むしろそっちの方がまずいかもしれない。
「その場合であれば私達は強引にでも引き止められているはずですわ。先程のご主人様もそうでしたし」
「どっちに転んでも嫌な未来しか見えてこないんだよな……」
俺は一度大きく息を吐いて気分を落ち着ける。
「あれ、そう言えばリナリアは?」
「リナリア様なら先程ギルドの中へ入っていかれましたよ」
「……どいつもこいつも自由すぎる」
「ご主人様は少々余裕がなさすぎですわ」
「そんな事を言っていられる間はまだ幸せなんだと覚えておけ」
俺を諌めてくるルミナに対し、怨嗟を込めて言い返す。俺の言葉を聞いたスレイが、誰にも気づかれないほど小さく頷いていた。
◆◇
ギルドの中へと入ると、受付の前にギルドに向かった姉さんたちの姿があった。先に入っていったリナリアもそこへ合流している。うっすら聞こえてくる会話から、どうやらリナリアの格好のことで盛り上がっているようだ。
「婆さんもギルマスもいないみたいだな。もしかしてここじゃなかったか?」
「僭越ながらここで間違いないと愚考します。あの方はとても真面目なお方ですから」
第一印象からはギルマスがそんな人間だとは到底思えないが、スレイの言うとおりだとすればあの婆さんどんだけ恨まれてんだ。
「そう言えばアンゼリカさんの姿も見かけませんね」
「そうみたいだな、とりあえず姉さんに聞いてみるか」
俺達が傍に向かうと、向こうもこちらに気づいたようで姉さんたちが先に声をかけてきた。
「ああ、やっと来たね。クロッカス商会の方はどうだったんだい? リナリアに聞いても要領を得なくてねぇ」
「まぁリナリアは商会の中には入ってないしな。謁見に来ていく方は仕上がってたよ。品評会の方はまだみたいだったけどな。それでギルマスはどこへ行ったんだ?」
「ジキスさんなら今……」
姉さんの代わりにミントが視線でギルドの奥を指し示す。つられて俺もそちらへ視線を向ける。ギルドの奥へと続くドアの隙間から、アンゼリカさんに説教を受ける二人の姿が垣間見えた。
我が目を疑い、思わず一度目をこすって見直したが、やはり状況は変わらない。
「前にマスターがお酒の席で零してたんだけど、どうも昔御世話になった人に面差しが似てるそうなのよね。あの子」
「婆さんにとってもってことか。なるほど、昨日婆さんが珍しく強く出なかったのもそれでか」
「……誰にでも天敵って居るんですね」
しみじみ言ったタイムのその言葉に、その場の誰もが頷くのだった。