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五の常日裏話『変化』

主人公に対する悪意のある表現があります。

不愉快に思われる方は読み飛ばしてください。


「はい、主様」


 あの美しい娘は誰だ? 

 主様に誘われ、娘は優雅な物腰で渡り廊下を通り過ぎていく。濃い紫の外出用と思われる肩掛けをまとい、裾からは品よく重ねた袿の裾がのぞく。首筋からこぼれる後れ毛が揺れ、結い上げた髪が軽やかに跳ねる。理性的で芯の強そうな切れ長の瞳は真っ直ぐに冥府の主を見つめ、彼の言葉に時折頬を赤らめ恥じらう姿は楚々とした雰囲気とは対象的に艶めかしい。神官長である自分の慌てた声に驚き、飛び出してきた神官達も呆然としながら彼女を見つめている。


『主様が予定を変更し、外出したいと申し出ておられます。このまま行かせてよろしいのですか?』


 若干、怯えながら伝えた侍女の言葉に深くため息をついた。此度の神渡りの客人が冥府の主であると知られるようになって、宴に参加したいという貴族が列をなしているというのに、当の主役が不在では格好がつかない。


 また延期か!

 ここまでくると嫌がらせのようにも思えて、ふつふつと怒りが沸いてくる。冥府の主がこの世界へ招かれた当初に参加した宴で見せた、おおらかな雰囲気と理知的な態度がそう思わせるらしいのだが、顔見知りとなれば冥府の裁きで甘くしてもらえるなどと思っている者がいるらしい。誰もが皆、罪は犯さずとも欲望をかき立てられた記憶や、欲を満たした罪悪感はあるもの。だからこそ、過去の恥を晒すような死後の裁きは怖い。


ーーーーその重荷が少しでも軽くなるやもしれぬ。そんな絶好の機会を潰すような予定変更を責められるのは我々、神殿の者達だというのに。


 何もかも、あの無知で無能な宵宮のせいだ。こちらの意向を汲みもせず、ただ主様の言うなりになっている。それとも我儘を言って逆に振り回しているのか。

 役立たずめ、だから平民出身者は思慮が足りなくて困るのだ。不器用で、愚直で。機微というものがわからない。平等を謳う神殿でも平民の神官が一握りなのはそのためだ。しかも役が付くような者は大抵が貴族の出自だった。こういうときこそ、多額の寄付を納める貴族には便宜を図らねばならぬというのに。ああ、忌々しいことだ!

 苛立つ気持ちを抑えきれず、荒々しく部屋の戸を開けた視線の先を艶然と微笑む美女が通り過ぎた。見惚れたのも束の間、彼女の髪に見覚えのある白い花の簪が揺れているのに気がついた。


 まさか、あの野暮ったく垢抜けない宵宮か? 蛹が蝶になるような変貌ぶりに誰も彼女があの宵宮だと気がついていない。それどころかあの気品はさぞ高家の生まれに違いないなどと、勝手なことをほざいている。その事が余計に彼を苛立たせた。


「宵宮、どちらに向かうつもりだ?」


 冷え切った私の声に神官達が再び彼女を見つめる。皆、やっと誰なのか気がついたようで、視線を泳がせながら、そそくさと部屋へと戻っていく。宵宮は無言のまま、すいと冥府の主へ視線を向ける。

 ……無礼な! 一瞬にして頭に血が上った。身分の低い者が聞かれた事に答えぬなど馬鹿にされているのと同じ事。実際、彼女はどう答えてよいがわからず、主様に伺いをたてるつもりであったのだが、彼女を嫌っている神官長にはそんな機微は通じない。またひとつ、彼女を処断するための罪状が加わっただけだった。

 ふと、冥府の主が深淵のような眼差しで神官長を見つめ返した。こちらの思惑など何もかも見透かすような目、一瞬背筋がぞくりとした。


「そうだ、神官長殿、ひとつお聞きしたいのだが」

「は、はい、何なりと!」

「あちらの方角には何がある?」

「あの先にはいくつかの(やしろ)と、それを中心として栄える門前町がございます」

「いや、そうではなく。そのさらに先にある土地よ」

 

 彼が指す方角にあるのは、城下の一角にある栄えた区画だった。昼夜問わず賑やかだから、てっきりそちらに興味を持たれたのかと思ったのだが。どうやらそこからさらに先、なだらかな台地を越えた場所にある土地の名を問われたらしい。


「我が国で最も栄えた地である皆見(みなみ)にございます。」

 都を中心として東に位置する土地を比嘉(ひが)、西に位置する仁志野(にしの)、北に位置するは霊峰、喜多山(きたやま)。皆見は南方に位置し、現在の帝の政を支える宰相であり、信頼も厚いとされる当主を中心とした一族が支配する土地でもあった。交通の便がよく、商業が盛んであり、都に届く品は大抵この土地を経由している。

 都に住む者からすれば地方の一都市なのだが、都の衣食を支える侮れない土地であるのも事実。また財政も豊かであり、街道の安全も確保されていることから、特別に許されて帝に連なる姫が降嫁されたこともあるほど。

 代々当主は野心家な人物が多く領地からもたらされる莫大な利益を使い、根回しをしてきた結果、当代で念願の宰相位を得て深く政治に関わるようになったのだ。そしてこの皆見こそ、現在の陽の巫女の故郷でもある。


 所詮は地方の田舎者、成り上がり者よ、そう揶揄する者を黙らせたのが帝の血筋を受け継ぐ巫女の美貌と教養ある振る舞いであったという。当主が地方の一領主にも関わらず、宰相位を獲得するに至ったのは、彼女の存在が後押ししたことは言うまでもない。


「なるほど。して、この場所からはどれほど離れた場所にあるか?」

「はい、領地の中心部までであれば、一週間程あれば到着できるかと」

「そうか。それで一応聞いておきたいのだが、かの土地は我が宵宮の披露は行われたのかな?」

「……いえ。これには海よりも深い諸般の事情がございまして」


 まさか陽の巫女が嫌がり、当主からも拒絶されたからとは言えないので濁すにとどめた。面を下げている故に主様の表情はわからないが、じっとこちらを観察する視線を感じる。身体の奥底にあるはずの、心の内まで見透かされそうな強い眼力に、訳もなく不安が過って、じっとりとした不快な汗が脇を伝う。


 宴のたびに彼の美しさに魅了され、感嘆のため息を零す令嬢達に教えてやりたいものよ。 優しげな容姿をしていても、この方は冥府の主。この方の前で容易に嘘などつけるわけがない。全ての真実が晒されるという主様の前に立つためには、どれほどの恐怖に打ち勝たねばならぬか。


 低頭したままの私を、主様はただ無言で見下ろしていた。しばし、沈黙が場を支配する。居心地の悪い沈黙は、主様の若干呆れを含んだような次の一言で霧散した。


「……そうか、あなたにはアレが見えないのか」


 主様は、どこか納得したような表情で頷く。


「はい、何がでしょうか?」

「見えたとすれば放っておけるはずはないからな。委細承知した。我は宵宮と二人きりで外出するから、ご理解いただきたい」

「ど、どちらに?」

 

 何を納得したかは不明だが、行き先は知らねばならぬと思い、慌ててそう尋ねる。すると男の身でありながら、見惚れてしまうほどに美しい笑みを浮かべた主様が耳元で囁いた。


「男女の逢瀬の行き先を詮索するのは無粋とは思われませんかな、神官長殿?」


 主様は何が面白いのか唇を歪め、ニヤリと笑う。っ、馬鹿か……こちらは冗談ではすまないというのに。怒りに震えて立ち尽くす私を残し、冥府の主は神殿の奥へ奥へと踏み込まれる。出入口は進む先とは正反対にあるというのに、躊躇いなく歩む背中に声を掛けるか迷った。そして目の前を導かれるように歩む宵宮と、二人の背後を、さも当然の如く付き従う鮮烈な印象の美女がひとり通り過ぎた。


 宵宮のために主様が雇い入れた侍女か? あの美しさと物腰であれば宮中で働く侍女にも勝るとは劣らない器量ではないか。自身を値踏みする視線を感じたのか、侍女と思われる女性がチラリとこちらを見た。

 だがそれだけで、彼女は微笑みもしなければ会釈もせず興味なさそうに視線を前に戻した。一瞬にして沸点を越えた。……主が主ならば、侍女もなんと生意気な!

 宵宮が主人として侍女の躾をせねばならないのに、怠るから増長する。管理能力の欠如、つまり怠慢。こうして胸の内に宵宮を断罪する罪状が新たに加わる事となった。


 怒りを抑えながら主様のあとを追うと、今まさに冥府へと繫がる入り口の戸を開ける主様の姿があった。


 今度は一瞬にして、血の気が失せる。まさか陽の神との約定を反故にして冥府へお戻りになる気か⁈

 そうなれば接待の仕方が悪いからであると叱責される自身の姿が眼前にちらつく。出世のため、たくさんの金を撒き、積み上げてきた努力が水の泡だ。なりふりかまわず、大声で彼らを呼び止めた。


「お待ちください、どちらへ、冥府へ戻られるのですか⁈」


 すると主様は振り向いて軽い口調でこう答えた。


「問題ない、夜には戻る」


 昼なお暗い神渡りの期間でも、時の流れは存在する。忘れがちになるが今はまだ朝だった。丸一日どこぞへと出かけて再び戻ろうというのか。主様はその仕事柄、決して嘘をつかぬ。戻るというからには、たしかに戻るつもりだろう。そう安堵するも、夜の宴にはまた出ないつもりであろうか。


「それでは、そこから一体どこへ」


 主様に促され、侍女と一瞬遅れて宵宮が戸の内側へ姿を消した。答えはなく、仕方なしに後を追って近付くと、戸の内側の様子が見えた。戸の内は、黒と、灰と白によって雅やかな景色を織りなしていた。黒き輪郭を持つ鳥は白と灰の羽を持つ尾を震わせ美しき声で歌う。足元を流れる川には淡い色合いをした花びらが淡雪のように降り注ぎ、耳をすませば、遠くからは物悲しいような舟の櫂を漕ぐ音が響く。

 水と墨のみを使い描かれた仙境を思わせる鄙びた景色に主様は足を踏み入れた。


「まさか壺中の天、と」


 異国に伝わるという故事を思わせるがごとき夢幻の世界。驚きのあまり口からこぼれ落ちた言葉を拾った主様がふっと笑った。


「そういう流行りの言葉は知らぬ。古来、この世界には名がないのだよ。我々冥府の住人には馴染みの場所ゆえ、あえて名付けようとも思わぬ。あなたが普段過ごす自身の部屋に名をつけぬのと同じようにな」


 あって当たり前のものであるがために、名がない。あの場所、という言葉だけで示すに足りる。呆然としたままの私を残して主様は戸を閉めようとしたが、思い出したように再びこちらを向いた。


「あなたがこの場所のことをご存知であれば察していただけよう。ここにはいつでも美味い酒があり、珍しい料理が揃っている。ここに集まるだけで、我ら冥府の住人はいつでも宴を開くことができるのよ」

「それは、それでは……」

「宴で場を繋ぐのではなく、我には陽の神の治める美しき世界を堪能する機会を与えていただきたい」


 暗く、どこまでも深い闇色の瞳が、ひたと自身を見据える。やはり宴は不要と申されるのか。今度こそ主様が戸を閉めようとした。ふと脇に控える宵宮の姿が視界に入る。私から視線をそらしたまま、彼女の口元が弧を描いた。


 含み笑い、彼女のそれはまるで私の混乱を嘲笑うかのようにだった。


 ぴしゃりと目の前で戸が閉まった。私の心を支配するのは、真っ黒な怒り。善良な神官を混乱に陥れ、冥府の主を惑わす宵宮には厳格な処罰を。それこそが成すべき正義だ。


「許さぬ、絶対に許さぬぞ」



いかがでしたでしょうか。

ずいぶん更新間隔が空いていたので、こちらから投稿しました。

よろしくお願いします。

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