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四の常日 『鶴と狐②』


「それでは、ひとまずはこちらへ」


 報告するにしても、立った状態で話を続けるのはどうかとも思い別室に案内する。主様に面会を求める賓客のために用意された部屋なのだが、まだ一度も使われたことはない。ここなら常に白湯が用意され、日持ちのする甘いお菓子も用意されている。

 湯を使ってお茶をいれ、卓上の器にお菓子を並べる。主様が座られたところで話を始めた。要約して話し、許可が下りなかった理由を『神々に祓っていただく約束がされていないため』ということにした。費用の面にしてもそうだが、一部神殿側に非があるとは思っていてもそれを口には出せない。

 ……怒りをかうわけにはいかないから。


「なら各地に座す土地神の力をお借りしよう」


 主様はこともなげにそう言った。神の力を借りる……、壮大すぎて思わず絶句した。

 主様の提案する内容によると、要領は前回と同じだという。私が集めてきた穢れを、その他の穢れと共に主様が水盆に集める。集めた穢れは水に封じ込められるので、その穢れを土地神様にお願いして浄化してもらうのだ。

 もしくは事前に挨拶を済ませておけば、土地神様の目の前に穢れを集めて、直接祓ってもらうことも可能だと。


「そんなふうに簡単に主様のお力をお借りしてよいのですか?」


 この世界の安寧を保つために客人として招かれた主様の力を、こんな私事でお借りするなど申し訳ない。そう恐縮する私に主様は驚きの表情を浮かべる。


「そのことも聞いていないのか?」

「申し訳ございません……何か失念していたでしょうか?」

「いや、いい。何となく君達を取り巻く状況がわかったから」


 そう言うと主様は私に隣の空いた席へ座るように促す。無礼だからとお断りするも強引に座らされた。しかもずいぶんと距離が近いのではないかしら?

 顔が赤らんで、心拍数が上がる。表情を読まれないようにと、逸らした視線の先で主様は私の両手を包み込むように握る。弾かれたように顔を上げると主様と目があった。


 本当に、美しい人だわ。


 陽の下に出ることのない肌は抜けるような白さと艶を保ち、笑みを浮かべると頬にほんのり赤みが指す。整った顔立ちはもちろんのこと、伸ばした指先まで一点の曇りもなく美しい。


 ……このくらい美しければ神殿(ここ)でも、もっと大切に扱ってもらえただろうか。


 醜い感情が渦巻く。人の価値は容姿ではないとわかっているのに。ずば抜けた美しさの前で、人とはこんなにも無力なのか。卑屈になりそうな自分を恥じて、面を下げる私の顎先を主様が捉える。


 仕方なしに顔を上げたところで主様は再び目を合わせた。先程までとは異なる見極めるような眼差し。無言のまま、しばし見つめ合う。


「その視線こそ、冥の花嫁に相応しい」

「あ、主様?」


 柔らかな微笑みを浮かべて、私の頬を指先が何度もなでる。慰撫するようなその仕草が心地よくて、そっと瞳を閉じた。


「宵宮は、ただ賢く強いだけでも足りないし、美しいだけならもっと足りない。人は表の仮面に裏の弱さや醜さを隠す生き物だ。その振り幅が大きいほどに感情を宿す瞳は輝きを増すとされている。普段のあなたは凪いだ海のように穏やかで優しいが自身の弱さや醜さを隠す貴女の瞳には……炎燃え盛る、冥府の煉獄が見える。冥の花嫁は純粋でありながら、誰よりも深い闇を隠し持つ者こそが相応しい。稀有な資質の前には、身分や美醜など全く関係がないのだよ。そして冥の花嫁が抱く純粋な闇こそ我々の愛し求めるもの」


 主様が両手で私の手を握り直す。彼の穏やかな表情が一転、より真剣なものへと変わる。


「あなたの望みを叶えよう、冥の花嫁。そしてそれこそが陽の神の望みでもある」

「陽の神の、望みですか?」

「陽の神は冥府を通られ、異界へと渡られる際に必ず言い置いていかれる言葉があるのだ」


 宵宮を手伝って欲しい、と。

 主様曰く、陽の神との約定は対価の代わりに、()しきものから国を守ること。そのために陽の神と冥府の客人を取り持つのが宵宮の務めなのだという。不在となる陽の神の代理である宵宮と共にこの国を守るのが本来の役目。


「それがここ二回ほど、冥府から派遣した者が怪訝そうな表情で戻ってきてな」


 どんな務めを果たしてきたのかと問えば、ただ何もしなかったとだけ答えが返ってくる。


「一度目はまあ、そういう事もあるだろうと思っていた。この国に暮らす眷属からも特に問題となる相談事も上がってこなかったしな。だが二度目となると、さすがに約定に差し障る。何もせずに対価だけ受け取っている事になるからな」


 それで今回は何が起こっているのか確認するために主様が自ら客人として招かれたのだという。


 どこで、どうしてこうなったのか。宵宮の立場で、掛け違った理由に一つ心当たりがあった。今から六百年前、平民が宵宮が選ばれたものの彼女は低い身分を理由に外されたという一件があったからではないか。

 代わりに選ばれたのは見目麗しい高貴な女性だが、()()。そう、かつて問題とされた一件が、ここに尾を引いていたのだ。そのときの客人がとった荒れ狂うような態度から、神殿は神渡りの期間を無難にやり過ごす方針に切り替えたに違いない。

 客人に頼み事をするなどもっての外。とにかく彼らには気分よく過ごしてもらい、つつがなく神渡りの期間を終えるように、と。

 その目的を達成するために失礼のないよう時間割や日々の行事を事前に練り、前回から引き継がれた覚書に沿って予定どおりに過ごしていただく。そのために本来の目的から外された宵宮はただの飾りに成り果てたのだ。


「それで対価とはなんですの?」


 客人が面倒事と引き換えにしてまで得ようとする何か。それは余程魅力あるものに違いない。ところが主様は驚いた表情を浮かべて、次の瞬間、深くため息をついたのだ。


「道理で手応えがないと思ったら、本当に驚かされてばかりだな」


 そう言うと主様は私の指先に唇を寄せる。指先に熱が集まって、小さな火が灯ったような気がした。


「宵宮は神渡りのときに呼ばれる仮称だ。それと同じように我々はあなたを冥の()()と呼ぶ。あなただって、花嫁の意味はわかるだろう?」


 その瞬間、ようやく気がついた。もしも、もしも都合のよい勘違いでなければ。


「対価とは、あなた自身のことだ」


 頬が赤みを帯び、心臓の鼓動が騒がしい。これ以上踏み込んでは駄目だとわかっていても、止められるものではなくなっていた。途方もなくて、でもそうであったらと思うと……うれしくて。


「た、戯れにそのようなことを申されるのならお止めいただけますか?」


 精一杯の反論は、一瞬にして封じ込められた。頬へとわずかに触れる温もり。それが何かを確かめる前に、耳元で主様の優しい声が囁く。


「あなたが対価でなければ、誰がこんな面倒なことを引き受けようか。さすが陽の神が対価としてあなたを選んだだけある。私にとって、あなたには手を尽くすだけの価値があるというものだ」


 甘くとろけるような言葉が、深く心を揺さぶる。


「対価とは釣り合わなければならない。だから私が力を貸す時点で、あなたの今後は決まる。今ならまだ私の理性が働くから逃げてもかまわないよ。その代わり、今後一切私は何も手伝わぬ。冥府で再び合間見えるまで、()()()()だ」


 理知的な瞳の奥に、今まで見せたことのない熱がちらついた。強引な態度と同じだけの熱量を生む瞳。ちらつくのは紅蓮の炎なのか、漆黒の闇なのか。混じりあった複雑な色合いに、たちまち魅入られて吸い寄せられる。


「望みを叶えよう、冥の花嫁。そのために力を欲するのなら、その瞬間からあなたは私のものだ」


 まるで蜘蛛の糸に絡め取られるかのように、逃げようとすればするほど絡み付く。なのに不安など一欠片もなかった。喜びのあまり口元が弧を描いた。この方の底が見えない深い欲を、うれしいと思うほどに。


 私はすでにあなたのものーーーー。


「穢れを祓っていただきたいのです。ですから主様の力をお借しくださいますか?」

「その望み、必ず叶えてみせよう。さあ、共にあるための契約を」


 うれしそうに主様は答えると、私の手を掬って甲に軽く唇を寄せる。唇が離れると肌の上には白い花が咲いていた。痛みもなく、押された判のようにも見えるけれど内側から鈍い輝きを放つ。柄は山神様に捧げた白い花と同じ。

 だがよく見ると、花の影に黒いものが隠れている。見えている部分……これは尻尾?


「その花に眷属を一体隠しておいた。普段はそこに隠れているけれど、呼べば姿を現してあなたを助けてくれるだろう。試しに呼び掛けてごらん? 花影(はなかげ)と」

「はい。……花影、さん?」


 その瞬間、手の甲から黒い尻尾が消えた。そして私の足元に、柔らかな何かがするりと触れる感触がある。

ハッとして視線を下げると、足元には豊かな毛をなびかせた一匹の黒狐が足を揃え、お行儀良く座っていた。


「……き、狐? 本物?」


 驚きすぎて子供っぽい口調になったところが面白かったのか、主様が声をあげて笑う。どうしよう、つい普段のように話してしまったわ。狼狽える私に、主様はいっそう笑みを深める。

 すると足元の黒狐がその姿を変えた。私の隣に立つのは黒い袿を身に付けた艶やかな品のある女性。私に優雅な礼をすると主様を軽くにらんだ。


「主様、女性を困らせて喜ぶなんて趣味が悪いですわよ?」

「ちょうどよかった。花影、君に頼みがある。彼女に似合う衣装を何着か用意してくれ。彼女への贈り物としたい。それから化粧道具も一式揃えて欲しい」

「かしこまりました。そのようなお願いなら大歓迎ですわ。花嫁となる方に贈られる品を私に選ばせてくださるなど光栄です。それに女性を美しく着飾らせるのは楽しいですもの」


 お任せくださいと微笑んで、煙のように姿を消した。


「彼女は趣味が良い。任せておいて大丈夫だよ」

「主様、あの……」

「ああ、すまない。少し説明をしようか」


 展開の早さについていけない。とまどう私の様子を察してか、主様がゆっくりと話し出した。

 土地神である山神様が許してくださり、主様を受け入れた私は正式に冥の花嫁となった。それもあって私を主要地の神様方に紹介してくださるという。これにより私の願いを叶えることが容易くなるらしい。なぜなら私の願いは主様の意思と解釈されるから。


「衣装はあなたの身分を示すのに必要というのもあるけれど、それよりも私が贈りたいという気持ちがあるからかな?」


 そして照れたように笑ったのだ。申し訳ない気持ちで胸が痛む。ずっと彼の怒りを買うことがないように、一線を引くように接していたのに、このように心を尽くしてくださるなんて。


「間もなく、花影が準備を終えて戻ってくるだろう。そうしたら早速出掛けようか。」


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。それで、まずはどちらへ向かわれるのですか?」

「ずっと気になっていたのだよ。奇妙なまでに淀み、穢れを集める地がある。」


 あの方角と指差す先には、たしか帝都と並ぶほど繁栄を極めた領地があると聞く。


 ふと不安がよぎった。巫女様はかの地のご出身ではなかっただろうか?

 数多の思い出が残る故郷が穢れていくのを、なぜ放っておかれるのだろうか?




次のお話は神殿サイドです。


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