あわれ、断罪流刑の顛末
「罪人が生き急ぐから段取りが狂ってしまったな」
主様はうっすらと微笑む。誰もが急かした覚えはないと思ったが、口は災いの元と学習済みの人々は賢明にも口をつぐんだ。主様は神兵に指示を出して取り押さえられている宰相を立たせ、足元まで呼び寄せた。
「おまえは今回の元凶だ。だが自分は悪くないと思っている」
「当然だ! 私はこの国のためを思って手を尽くしただけだからな!」
「まあ、そう答えると思っていたよ」
表情を消し、帝や高位貴族へと視線を投げる。
「証拠の品は渡した。犯行の動機や当日の状況も実行犯の証言があれば、現世での処罰には十分だろう?」
「はい」
「では宰相と娘を除く皆見の一族の者は、国の法に照らし裁きを」
「は、はい……?」
「二人の身柄はこのまま冥府で引き取る」
「は⁉︎ でですが、まだ死んではおらず……」
「それがどうした、冥府は死後しか裁けないという決まりはないぞ?」
「え……」
「あまり前例はないがな、おまえ達は信用できない。余罪をあれこれ掘り返されては面倒と、速やかに死を与えて終わりにする気だろう? 罪の自覚もないままでは裁きの意味がない。それに、自分にとことん甘いおまえ達に任せると申し訳程度の罰を与えて終わらせるなどどいうふざけた選択肢を選ぶ可能性が十分にあるからな」
それを否定できるか?
視線のあった帝や高位貴族はぐっと反論を飲み込んだ。今回の件では、彼らも処罰の対象となっている。宰相を厳しく裁くのならば、自分達の罰も同じように厳しいものとしなければ主様は納得しないだろう。
「はっきり言うと、おまえ達の尻拭いが面倒なんだ」
世界を違えているからバレないだろうと手を抜きかねない。
「で、ですが生きたまま冥府で裁くなど陽の神様との約定に触りましょう!」
「忘れたのか? 先ほども言ったように双面に関わる案件は生きた人間だろうと冥府で裁いてよいと許されている。それに陽の神からは何もしないと言われているからな。おまえ達がいくら望もうとも天罰が冥府に下ることはない」
先ほどまでは冥府の主とて、たいした処罰はできないだろうと人々は甘く見ていた。それは、いざとなれば陽の神様が助けてくださるだろうと思い込んでいたからだ。
「何もしないと……それはいつ言われたのですか?」
「神渡りがはじまるときだ」
主様は、さらっと言い切った。人々は言葉を失う。だってそれでは、まるで……。
神渡りがはじまる前から、陽の神様が全ての罪を承知していたかのようではないか。
それを知っていて放置したのだとすれば……どんな意図があって?
人々が怯えているのを横目に、主様は口を開いた。
「神渡りのために異世界へ渡られる陽の神は心に留めておくべき事柄を事前に冥府で言い置いていかれる」
たとえば穢れの濃い場所はどこか、大規模な災害が起こる場所はどこか。それだけでなく現世に蔓延る不平不満にはどのようなものがあるかまで。不在にするのは七日間ではあるが、どんな問題が起きても速やかに対応できるよう、気にかかる情報を事細かに伝えてから旅立たれる。そして与えられた情報をもとに客人は異変が起こらないかを注視するのだ。
「間違いなく、おまえ達は愛されていたのだよ」
陽の巫女を生み出して穢を祓い、冥の花嫁という対価を払ってまで冥府の守護を求めた。当たり前のように恩恵を受けていた自分達は神を忘れたというのに、神は民草を忘れてはいなかった。
陽の神の慈愛を知らされた人々は、己の罪を悔いて項垂れる。さまざまな表情は浮かぶけれど、一番強い色合いは後悔。表情の変化を見て、主様は満足そうに微笑みを浮かべた。ようやく無意識に犯していた己が罪を自覚したらしい。……だがもう、遅い。
「ところが今回の神渡りのときは様子が違ったのだ。たった一言、残しただけで旅立たれた」
私は何もしないよ。
思いもよらない言葉に誰もが怪訝そうな表情を浮かべた。何もしないといいながら、神渡りが終わったあとも、こうして陽は昇り、常と変わらぬ日常が過ぎようとしている。では何もしないとは、どういうことか。やはり知らぬのかと、主様は表情を変えぬまま深く息を吐いた。
「降り注ぐ陽光は陽の神が何をせずとも体から発する光の残渣に過ぎない。つまり、かの神が望んで下界を照らしているわけではないのだ」
「……そんな、それでは」
「かの神が何もしないというのは、この世界を維持するために自ら進んで何かをすることはないということだ」
しんと静まり返る。ようやく理解できたのだろう、帝や高位の貴族が絶望的な表情を浮かべた。そして陽の神が何もしないと言い置いた、真意とは……。
「陽の巫女を騙った娘はこう言っていたそうだ。神はいない、と。正しくそのとおりになったわけだ」
何があろうとも、陽の神は人々を助けることはしない。だって神はいないのだから。驕り高ぶった人間達のために、この世界は陽の神の恩寵を失ったのだ。
「よかったな、望みが叶って」
「そんなこと、我々は望んでいない!」
「おまえ達がどう思おうが関係ない。神がそうとお決めになった、それだけだ」
冷ややかに言い放った主様は、神兵に宰相を羅刹鬼孤月へ引き渡すよう命じる。とまどう神兵だったが、白き虎に睨まれて顔色を変えつつ手を離した。代わりに白虎によって床に強く押さえつけられながら悔しそうに睨んだ宰相を見下ろし、主様は唇を歪める。
「せっかくなので、おまえには特別な場所を用意した」
「特別な場所?」
「快適だと思うぞ。時間を止めてあるから年もとらないし、食事もいらない。視線を気にすることなく一人で自由に過ごせる」
「それが罰と?」
「死ぬことはできないし、病にかかることもないから人によっては罰とも呼べないかもしれないな」
「は?」
「時空の狭間にある異空間で生きていてかまわぬと申しておるのだ。ちなみに冥府どころか他の世界からも隔離された空間にあるから一度封じられれば、いずことも繋がることはない。逃げることもできない代わりに、外部から侵入者が入ってくることもない仕様だから安心して寛いでくれ」
宰相は疑心暗鬼に陥った。見えないはずの鬼が見えてしまったかのように、字面だけみると甘いと思われる罰がどうにも恐ろしく感じる。人々は呼吸を忘れて聞き入り、主様の言葉だけが薄暗い玉峰の間に響いた。
「おまえはこのまま現世で死んだとしても反省せず、ただ恨みを抱いて生者を呪うだろう。恨みを抱いたまま冥府で責め苦を与えても、結局は恨みを怨念に昇華させるだけで、やがては世界を蝕む怨霊に姿を変えてしまう恐れもある。問題はそれだけではなく、罪を償い転生させるには人の命を奪い過ぎた。かといって魂を砕いてしまえば、そこで全てが終わってしまう。それもまた罪の重さに釣り合わない。おまえのように、どうあっても自分が悪いことをしたと思えない人間の魂だからこその特別措置だ」
終わりのない時間を、何もせずただ生きるだけ。怒りも悲しみもないが、喜びも楽しみもない。棺桶のような大きさの真っ白い空間に閉じ込められ、異空間に生きたまま安置される。救いが欲しくとも、時間が経てば存在したことすら忘れられてしまうだろう。
忘却こそ、最高の罰になる。
「一言でいうなら、無だな。おまえの存在をないものとする。転生もないし恩赦もない、終身刑だ」
「……」
「まあ一応冥府の記録には残しておくが、あっという間に忘れ去られるだろう」
「職務怠慢ではないか!」
「そういう罰だから仕方ない。安心しろ、そのうち自分が誰であったかも忘れる」
永劫誰も助けに来ることのない場所で、果てない虚無の苦しみを。人々は言葉を失った。
死ぬことも許されない、そんな罰があるか?
「羅刹鬼孤月、収容せよ」
「は、離せ、やめろ!」
想像の域を出なくとも、極刑だということは理解できたらしい。逃げようと叫び暴れてもがく宰相を白虎が足を使って器用に抑えつける。そして、どこから取り出したのか、羅刹鬼孤月が白い箱を宰相の頭上で掲げたのだ。
「よかったな、これで白き国の王になれるぞ」
「い、いやだ! やめてくれ!」
「まあ王と称しても、王国には己一人しかいないから当然といえば当然か……収容」
羅刹鬼孤月の言葉に応じて、箱がぼんやりと光った。
次の瞬間……。シュッと音を立て、吸い込まれるようにして宰相の姿だけがかき消えた。今のは、なんだ?突然の出来事に、人々の思考が追いつかない。
「娘はどうされるのです? 同じように収容しますか?」
明日の天気を聞くような気軽さで、羅刹鬼孤月が片手に掴んだ箱を振る。人々は手元の白い箱を凝視した。彼らはこんなこともできるのか⁉︎
これが人ならざる者の力が成せる技。なぜ冥府の住人を自分達の下に見ていたのか、今となっては不思議でならない。
「いや、あの娘は被害者が生きながらにして苦しむことを望んだ。だから同じように生きながら苦痛を味わってもらおうと思う」
……痛めつけて、身も魂も粉々に砕いておきなさい。
……もちろん、死なない程度にね。
宵宮に向けた、この台詞を聞かされたときにそう決めたのだ。
「生きながらにして身も心も砕くような罰は冥府にいくらでもあるからな」
「早速、冥府へ連れて行きますか?」
「いや、後回しでいい。……先にこいつだ」
主様の視線の先には、青褪めた神官長がいた。彼は先ほどまでの偉そうな態度が嘘のように這いつくばって許しを乞うた。
「申し訳ございませんでした! どうか、どうかご慈悲を!」
怒れる神々の苛烈さを神殿で学んだからこそ、神官長は知っている。先ほど宰相の姿がかき消えたあの箱には、言葉にしないだけでもっと残酷な仕掛けが施されているに違いない。命のまえに名誉など些細な問題だ。それに彼にはとっておきの切り札があった。
「私は人の命を奪ったわけではありません!」
そう、宰相や娘とは違い、神官長は人の命を奪ったことはなかった。伯爵家の一件でも後から惨状を聞かされただけで犯行を指示したわけではない。犯したとされる罪だって、虚言と支度金の不正くらいだ。宰相や娘の無慈悲な行いの前では、霞んで見えるほど軽微な罪ではないか!
だが主様は這いつくばる男を冷ややかな眼差しで見下ろした。
「口と態度を飾れば、いくらでもそれらしく思わせることができる。肉体とは、なんとも罪作りなものよ」
「は?」
「反省しているように見えて、おまえは自分の罪を罪と自覚していないということだ」
大小の違いはあれど、罪は罪だ。
無慈悲な行いの前では、小さな罪など許されると思うことが間違いなのだ、と。
「それにおまえは宵宮に必要以上に辛く当たった」
「恐れながら、それは宵宮様が……」
神官長は、わざと語尾を濁した。これで人々の脳裏には宵宮が無能で怠惰だという噂の内容が過ぎったことだろう。私は偽りを述べたわけでないからな。思惑どおりに神官長を擁護する空気が流れる。面倒臭そうに主様は懐から冊子を取り出すと、近くにいる貴族の娘の足元へ投げ渡した。
「そこな者、これを読んでみよ」
「え……」
震えながら冊子を拾い上げた娘と、娘の手元を覗き込んだ家族が驚愕した表情を浮かべた。互いの顔を見合わせて、困惑した様子で黙り込む。
「遠慮はいらない、正直に申してみよ」
「読めません、申し訳……」
「ほう、なぜ読めない?」
「ここに書かれている文字は男文字と呼ぶものです。女性は優美な筆跡の女文字を使うべきという決まりごとがございますので、男文字は学んでいないのです。もちろん、学べば読めるようにはなりますが……女性が男文字を学ぶのははしたない行為と咎められてしまいます」
「なるほど、ではその手元にある教本が神渡りの神事を学ぶようにと宵宮が渡されたものだとしたらどうだ?」
「そ、それは!」
「それだけではもの足りないというのなら、これ以外にもまだあるぞ?」
神官長の目の前に積まれる教本の数々。それを見た人々は青褪め、言葉を失った。無骨な装丁と書かれた表題の文字で、すぐにわかる。それらは、全て男文字で書かれた教本だった。
「さて、これを見た宵宮が『読めない』と答えたとしよう。そこの娘、どう思うか?」
「それは……私もそう答えると思います」
主様は別の娘に声を掛けると、娘はためらいながらもそう答える。……これもまた、冤罪。
帝や高位貴族は皆、言葉を失った。これが怠惰で務めを果たさなかったという報告の真相だったというのか?
「おかしいと思っていたのだ。宵宮は文字も読めるし、流麗な文字で手紙も書ける。礼儀作法も学んでいるようだし、祭事における所作は完璧だ。裕福ではない地方の一領民と聞かされたが、女官になれる程度の教養は備えていると感じた。それに真面目で几帳面な性格であり侍女仕事であろうと熱心にこなしていたというのに、怠惰というのはあり得ないと思っていたが……こういう裏があったとはな」
しかも教本はこれしかないと言われたので、仕方なしに辞書を使いつつ彼女は独学で宵宮の儀式の手順を学んだ。
そんな彼女に神官達はこう言ったという。
「平民の女だけに慎みがなく、常に男を侍らせている、とな」
彼らは男文字を男と言い換えて蔑んだのだ。すると場の空気が一気に不穏なものへと変わった。女性達……特に若い女性から不潔なものを見るような目で見られた神官達は顔色を悪くする。追い討ちをかけるように、主様は口を開いた。
「我が眷属が調べてきたことによると口にするのもおぞましい宵宮の罪とされた最後の一つは、この嫌がらせが出どころだった。だが……もし本当にそういう現場を見た者がいるなら名乗り出よ。ああ、大丈夫だ。相手がどの神官であるかさえ教えてくれれば、教えた本人には何もしないと約束しよう。さて、どうする?」
主様は表情を消した。羅刹鬼孤月も、白虎もだ。彼らは冥の花嫁となった女性の、女としての名誉を穢した人間を許しはしないだろう。
「そうだな、相手の男は魂ごと砕いてやろう。大丈夫だ、一瞬で終わらせてやる」
主様の体からゆらりと殺気が立ち上る。そして当然のように誰も声を上げなかった。主様は神官長に冷ややかな視線を注いだ。
「たしかにおまえは直接人を殺めてはいない。だがおまえの悪意に満ちた虚言のせいで冤罪が生まれ、我が花嫁は命を奪われそうになった。しかも命だけでなく個人の名誉や尊厳まで同時に奪っているのだから、より悪質性が高いと思わぬか? 手は下さず直接的にではなくとも、間接的に人の命を奪ったに等しい行為だ」
「それは……」
「しかも陽の巫女の件では、相手の人間性を見抜けず不用意に伝えてはならない相手へ伝えている。役職に長のつく人間として不適格とは思わぬか?」
「そんな、伯爵家のご令嬢の件は不可抗力です! 身分の低い私が宰相に問われたら、お答えするしかないではないですか⁉︎ いくら冥府の主とはいえ理不尽ですぞ!」
「請われたわけではなく、奏上する前に自ら宰相へと伝えていたのに?」
「そ、それは……どうして、それを……」
「何度もいうが、嘘をつくな。どうせバレるのだし、自らの罪が重くなるだけだなのだから。大方、本人がいないから責任を押し付けるつもりだったのだろうが、そうはいかない。知る方法はいくらでもあるのだ」
神官長の視線が、なぜか白い箱に釘付けとなる。陽の巫女の名前を告げたとき、あの場所にはたしかに宰相と自分の二人しかいなかった。まさか、箱を通じて宰相の記憶を探ったとか? そんなことまでできるのか!
「……なあ、神官長。その地位は飾りか?」
主様は静かな口調で問いかけた。それがまた恐怖をあおる。
「おまえは地位と名声にこだわりがあるようだな……ではふさわしい姿を与えよう」
「は?」
主様が手をかざした。手のひらから白い靄のようなものが生まれて、ひれ伏す神官長へとまとわりつく。白い靄によって神官長の姿が覆われた。やがて甲高く、耳触りのよくない人ならざるものの悲鳴のような声が聞こえる。靄が晴れると……そこには一羽の鳥がひれ伏していた。
「孔雀……し、神官長は何処へ?」
「虚飾の象徴にふさわしい姿だろう? 安心しろ、解けないまじないではない」
「まさか、これが神官長の成れの果てだと! ど、どうすれば元の姿に?」
「あわてるな、何もせずとも死ねば戻る」
つまり死ぬまでこのままの姿、と。孔雀がギャーギャーとけたたましい鳴き声をあげる。横暴だとか、理不尽だとか、そういう抗議の声だろうか?主様は不思議そうな顔で首をかしげた。
「なにが不満だ? 命を奪ったわけではないだろうが」
自身の行いが、我が身に還る。
帝をはじめとした貴族やその家族。神兵や神官、宮廷に仕える侍女や使用人といったこの場に居合わせただけの者。老若男女問わず全員が悟ったのだ。冥府によれば自分達は被害者ではなく、加害者である。
では、次に裁かれるのは……。




