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四の常日 『鶴と狐①』


 朝早く、神官長に呼び出された。用向きは昨日の件で詳細を聞きたいとのことだった。こちらもお願い事があるから都合がいいと早々にお伺いすることにした。急いで女官服に着替える。主様のお側に仕えるのは、もう少し時間が経ってからだ。

 とはいえ念のため、お部屋に手紙を差し入れておくことにした。小さな白い紙へ不在にする旨を記す。それから紙を折った。

 できあがったのは、小さな鶴。子供みたいだとおかしくなって、クスッと笑う。そして主様が気付いてくださるように願いながら戸の隙間に差し込んだ。それから神官長の部屋に向かう。


「入れ」


 戸の外から声を掛けると、すぐさま返事が返ってきた。お待たせしていたようだとあわてて戸を開ける。机で書き物をしていた様子の神官長が、振り向くこともなく唐突に尋ねた。


「どうやって籠絡した?」

「はい?」


 謎かけのような問いにしばし唖然とするも、内容が理解できると同時に怒りがわきあがった。まるで私が主様を謀ったかのような言い方ではないか。それでも相手は高貴な方、平静であるよう努める。


「何もしておりませんが?」

「何もしていないのに、おまえ程度の者へ主様が執着される訳があるまい」


 聞けば主様は宴に参加されるも、私がいないとわかった途端に楽しまれる様子を見せることもなく、着飾って一際美しさを増したご令嬢方に話しかけられても、ぞんざいに扱うばかりだったという。

 当然じゃないの、とそう思った。冥府の主として己を律しているあの方に着飾った女性を侍らせて、()()()()()()()()()()()()のか。この方は神官長という立場でありながら、その行為が不敬なのだとどうして気づかない?

 

「そして昨晩、もう宴には参加しないと申されたそうだ」


 宴席がお開きになったあと、神官の一人にそう申し入れたとか。それもそうだ、いくらこの世の贅沢を詰め込んだような宴とはいえ、三日も続けば普通に飽きるだろう。主様は宴を好まない質のようだから余計にそう思われるはずだ。なぜそんな簡単なことに思い至らないのか、不思議でならない。


「客人である主様が望むのであれば、そのようにされてはいかがでしょう?」

「おまえは本当にわかっていないのだな。一度決まった物事を変えることは、そう簡単ではない」


 困ったことよと首を振る神官長が、厳しい眼差しでひたと私を見据えた。


「宴に参加できる身分ではないおまえが、美しいご令嬢方に嫉妬して唆したのではないか?」

「そのようなことはございません」

「ではなぜ気持ちよく宴に参加できるよう尽くしていないのだ!」


 理不尽な、これ以上私にどうしろっていうのよ。


 宴に限らず、客人から請われれば間を繋ぐのも宵宮の務めだとされている。だけど私は神殿から宴に参加するよう指示されたことも、主様から参加するよう請われたこともなかった。だから単に参加していないだけなのだが、彼らからすれば、それを面白くないと思う私が主様に言いつけたから参加を拒んだと思っているのだろう。

 どうしてこう、悪い方向にばかり捉えるのかしら。彼らの指示なく宴に参加すれば厚かましいと謗られるだろうし、こうして手を出さなければ怠慢だと叱られる。


「賤しい平民であり、怠惰で気の利かないおまえに宵宮の立場は務まらん」

「ではお役目を解かれるということですね」

「そうなれば最良で最善なのだがな。頑なに拒絶されたらしい」


 彼の口ぶりでは言外に私が最悪と言っているようなものだ。現に、主様の申し入れは私に問題があるせいだと思った神官が主様に宵宮の交代を申し入れたそうだ。それどころか、そちらが約定を違えるなら宵宮を連れて冥府に戻るとまで脅されたようだ。なるほど、それが冒頭の籠絡という言葉に繋がるのか。


「おまえのせいで心正しき神官が神の不興を買ったのだ、かわいそうだとは思わぬか?」


 宴から戻る主様をお部屋までご案内するのは神官達の役目である。その一人が宵宮のために不興を買ってしまった。だから私の様子を探ろうと呼んだということか。


「これでわかっただろう、おまえは宵宮に相応しくない。今からでも遅くはないから役目を返上せよ」


 そうすれば神殿が咎められることもなく、自分達が選んだふさわしい宵宮を選ぶことができると。私は深く息を吐いた。彼らは大きく勘違いしている。神官長や神殿の意向など関係ない、配役を選ぶのは陽の神様なのだ。


「では六百年前と同様に、神託を違えるということなのですね」

「ばっ、でかい声で申すな! おまえが役目を返上すれば丸く収まるのだ」

「失礼ながら収まりません、責任の所在が変わっただけです。対価を受け取る立場の主様からすれば、約定を違えたことに変わりはないのですから」

「偉そうに……おまえに主様の何がわかる!」


 睨みつけられても決して視線は逸らさない。この件に限れば間違ったことは言っていないもの。


「全ては把握できなくとも、何を望んでいないかくらいはわかります」


 難しいことなど何もない。自分がされたら嫌なことは、いくら立場が冥府の主であったとしても嫌だろう。


「この愚か者が……死にたいのか?」

「なぜ死なねばならないのです? 人の命はそんなに軽いものではありません」


 冥府の闇が守る神渡りで、人の命が軽く扱われては主様の名誉に関わる。体の動きに合わせて髪に飾られた櫛が小さな音をたてる。何気なく視線を向けた神官長が不愉快そうに眉を顰めた。


「その櫛もそうだ、今のように傲慢な態度で主様にしつこくねだって横取りしたものだろう」

「そうではないと、いかに申し上げれば信じていただけるのです?」


 この方は、はじめて会ったときからそうであった。私の行動を全て否定する。そして最後に必ずこう言うのだ。


「全く、身分の低いものは礼儀がなっていないから困る」


 それはもう、うれしそうな表情でこう申される。今までは、聞く耳を持たないこの方に何を言っても無駄と黙っていたが、今日はそういう訳にはいかない。疎まれて、蔑まれても言わねばならないことがある。


「私は身分の高い方々は、名もなき下々のために務めを果たし、果たされた義務に応じて身分を与えられると教えられてきました」


 突然、何を言い出すのか。呆気にとられた神官長は、軽く目を見張ったが、内容を聞いて満足そうにうなずいた。自身の高い身分は義務を果たしたからだと解釈したからだろう。


「身分に義務が伴うというのは私程度の者でも知っていること。ですから神官長としての権限をもって、私に宵宮の義務を果たすよう命じてください」

「宵宮の義務?」


 そこで神官長に主様と山神様が教えてくださったことを報告する。もちろん各地にはまだ穢れが残っていて、それが再び悪さをする懸念があることを含めて、だ。


「無理だな、今から回るとすれば予算がない」

「それでしたら私が一人で各地を巡ります」


 たしかに人数が増えればその分お金が掛かる。だが私の分だけであればたいした額にはならないだろう。実際、宿泊先の宿では一番低い価格設定の部屋であったし、夜も潔斎のためと食事は質素で外出も禁じられていたから、旅費と一日の生活費を合算しても神殿で暮らす一日分の生活費と変わらない額で済むのではないかと思うのだ。


 今思えば私が巡った場所は近場で人の多い栄えた場所ばかり。近場でも、それ以外の場所で穢れのありそうな箇所は神渡りの期間でも充分に巡ることができる。主様のお世話をして、その合間に山神様にお詣りをすれば祓っていただけるのではないだろうか? そんな甘い考えを神官長は笑い飛ばした。


「山神様は、おまえが参拝すれば必ず払ってくださるとお約束してくださったのか?」

「それは……」

「嘆かわしい、宵宮ともあろうものが神を顎で使うような不遜な態度をとるとは。祭り上げられて思い上がっているのではないか? これはすぐにでも帝に報告せねばなるまい!」


 神官長は心底呆れたという顔で軽く首を振った。私はひっそりと下を向いて唇を噛む。たしかに明確な約束はしていない。でもあの口ぶりでは全く祓っていただけないということもないと思うのだ。実際、神渡りの時期ではなくとも年に何度か祓いの儀式は執り行われる。そこには穢れを落とすためにたくさんの者が集う。

 それこそ、身分に関係なくだ。そう申し上げると冷ややかな視線が突き刺さる。


「儀式のことを何も知らない小娘が知ったような口をきくでない。あれは事前に準備を重ね、その場に浄化の力を持つ神々にお出まし願うからこそ成り立つもの。祈るだけで穢れが祓われるなら我々も苦労はいらない。それができるのは限られた者……たとえば祓いの力を持つ巫女様のみである。」

「では巫女様にお願いして祓っていただくことは叶いませんか?」


 巫女様は下々の者にもお優しい方と言われている。もし穢れが祓われないならば一番に彼らへと被害が及ぶ。きっとお心を痛め、力を貸して下さるはずだ。その瞬間に、神官長の表情が一変した。


「しゃべらせておけば余計なことばかり。おまえごときの都合のために巫女様の貴重なお力を使わせようと言うのか! 身分を弁えぬ愚か者が、不愉快だ。今すぐに出ていけ!」


 神官長は強く手首を掴むと、私を部屋の外へ放り出した。 目の前で派手な音をたて、扉が閉まる。ああ、不甲斐ない。目的を達成できないどころか怒らせてしまった。仕方なしに、自分の部屋へと戻ろうと廊下を歩き出す。

 気が重く、足取りもまた同じく重い。


 どうすれば最良なのか。結局、そんな簡単なことすらわからなかった。 ただとぼとぼと廊下を歩く。


「宵宮?」


 主様の部屋の前を通り過ぎると内側から声が掛かる。まだお迎えの時間前のことで一瞬とまどった。

 ……お返事をすべきかしら? 朝、主様をお迎えに伺う時間は厳密に決められていた。まだその時間まで半刻ほどある。しかしこの状況で返事をしないわけにはいかないだろう。


「おはようございます、主様。朝早くに騒がしくして申し訳ございません」

 

 ゆっくりと扉が開く。お召し物を着替えた主様がするりと部屋から出てきた。


「話し合いは済んだのか?」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「首尾は?」

「申し訳ありません、色よい回答はいただけませんでした」


 さすがに取り付く島もなく部屋を追い出されたとは言えなかった。主様は私の様子から察してくださったようで、そこことにはそれ以上のことは言わなかった。ただ、手首のあたりに目をやって視線を鋭くする。


「その赤みを帯びた部分はどうした?」

「っと、はい、軽く戸にぶつけたのです。見苦しいものをお見せいたしました」


 これは神官長が部屋を追い出すときに握った部分だ。よほど強く握られていたようで、時間がたっても赤みがとれない。苦笑いを浮かべ、袖の下にそっと隠す。主様は私の表情を伺って、小さくため息をついた。


「何を話してきたのだ。全部話してごらん?」


 その声は労りに満ちてとても優しかった。いっそ先程の出来事を全てお話しするかとも思ったが相手は異界から招かれた客人。どのようなことがこの方の怒りを招くかわからないし、下手をするとその怒りの矛先に関係のない人までも巻き込んでしまうかもしれない。私の不用意に発した言葉で無関係の人々が傷つくのは心苦しい。


 だからかいつまんであたりさわりのないことだけを報告することにした。




もう二話続きます。

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