後幕『神に見捨てられた地』
残酷な場面が出てきます。できるだけぼかしましたが、血とか首とか出てくるので、苦手な方は読まないようにご注意ください。
眩い光の粒は、きらきらと空を舞う。それはとても美しい光景だった。
間近で見た神官達の反応は二つに分かれる。新参者は顔色を悪くして言葉を失い、古参の者はうれし泣きで滂沱の涙を流したのだ。
「言っただろう、陽の巫女は浄化の光を放つのだと! 何度も本当だと言ったではないか!」
そのうち一人の叫んだ言葉が、古参の神官達を取り巻く状況の厳しさを物語っていた。
神官長によって嘘で人心を惑わせたという罪に問われ、神官の地位を剥奪されそうになった彼らの言葉が嘘ではないと、他ならぬ神官長自身によって証明されたのだ。宰相は真っ青な顔で陽の巫女を見つめている。
「……まさか、本当にこの場には陽の神様がおられるのか?」
冥府の主と先代の陽の巫女の間にある、人一人分不自然にあいた空間を指さす。本人を前にして本当に、とはなんたる不敬。陽の神様の顔からも微笑みが消え、両脇に立つ二人からは同時にため息がこぼれた。
目に見えないという理由だけで、存在すら否定する。短絡的であり、なんと愚かだと冥府の主は思った。この男は優秀との自負があるようだが、実のところは凡庸だ。
この程度の器しかない男を宰相として重用しているあたりで、帝自身の器も知れようというもの。帝にちらりと視線を向ければ、視線が合っただけだというのに身を震わせて御簾の奥に隠れた。強者に弱く、弱者に強気なだけの腰抜けか。口車に乗せられて宵宮に剣を向けた行為は決して許せるものではない。そのことは、しっかりと冥府の記録にも残してある。
冥府の主は天から凡庸とは程遠い才を与えられたために、不遇の人生を送ってきた冥府の住人達を思い出した。冥府で羅刹鬼や鬼師と呼ばれる者は皆、命あるうちは才能が世間に認められず、人の営みから弾かれてしまったという者が多い。たしかに彼らは一筋縄ではいかない曲者揃いだけれど、主としては頼りにできる者ばかりだ。
「……主様? もしかして、この状況が耐え難いのではないでしょうか?」
「ん、ああ違うよ。考えごとをしていただけだ」
「それならよいのですが……私のせいで不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
顔に出したつもりはないが察するものがあったのだろう。抱き上げていた宵宮が、しょげたような表情で謝罪する。その瞬間、脳内に稲妻が落ちた。
なんと愛らしい……まるでずっと昔にいた冥府に迷い込んだ子猫みたいだった。生きながらでは地上に戻せないからと寿命を迎えるまで冥府で預かっていたのだが、住人達がその愛くるしさに熱狂したものだ。嫌がられても、引っ掻かれても、一縷の望みを持って近づいていく彼らの姿が脳裏に浮かぶ。これは絶対に危険だと体内で警鐘が鳴り響いた。
「羅刹鬼孤月、冥府のどこかに住人の目に触れないよう隔離できる草庵はあっただろうか? できれば執務室から近くて、景色の良い静かな場所がいいのだが?」
「あのね、主様。言いたいことと、何したいかは理解できます。が、時と場合と相手によっては嫌われますぜ?」
冷静な切り返しに、一瞬言葉が詰まった。どうやら彼女の愛らしさに色々なことがふっ飛んでいたらしい。いかん、今はまだ勤務中だ。目の前にいる愛らしい彼女の姿を必死で視界の端へと追いやった。
視線を戻すと幽鬼のような白い衣の女の視線を、先代の陽の巫女が堂々と受けて立っている。
本物と偽者の対決か。本当は早々に裁きを言い渡して冥府に戻ろうと思っていたが、これはこれで面白い。それでは断罪劇に新たな一石を。
「宰相、ここに陽の神がいると何か不都合でもあるのか?」
彼はハッとして激しく首を振った。
「いいえ、いいえ! 私には後ろ暗いことなど何もございません!」
「ほう、ではこれをどう陽の神に言い訳する気だ?」
羅刹鬼孤月に合図を送ると、彼があるものを懐から取り出した。それを受け取って、宰相の足元に転がす。あるものを視界に収めた宰相と女が声にならない悲鳴をあげた。彼らの足元に転がされたもの。それは、両面に別々の顔を持つ、人のような何かの成れの果てだった。
「かなり昔から、これと繋がりがあるそうだな? おまえの野心を叶えるために冥府から此奴を引き戻したそうだから、天罰は間違いなくおまえ自身に下るだろう。その程度ですめばいいほうだな」
「は、それがいいほうだって?」
「場合によっては、恩恵を受けた皆見の土地や血縁にまで天罰は及ぶだろうな」
おそらく血縁なのだろう、宰相の近くに侍る者から悲鳴が上がる。
「い、いやだ! もう絶縁する、私と皆見とは無関係だ!」
「わ、わしもだ!」
「……、お、おまえ達、裏切る気か!」
親族からの絶縁宣言、そのほかにも取り乱し逃げ出そうとする者、耐え切れずその場に倒れる者が続出した。あまりにも見苦しい狂乱に呆れ叫んだ。
「うるさい、静まれっ!」
若干圧力を強めて声を発すれば、人々の群れがピタリと動きを止めた。だが激しい人の動きに巻き込まれてけっこうな数の怪我人が出たようだ。
「介抱するなら端に寄れ。その上で、怪我をしている者は申し出るように。氷雨、治療してやれ。ここで寿命を迎えた者の魂は羅刹鬼孤月が冥府まで案内してやるように」
浮かんだ表情はさまざまだけれど、人々は秩序を取り戻し、動き始めた。一人と一匹は揃って頭を下げると、役目を果たすためにその場から離れた。それを見届けて、ただ呆然と立ち尽くす人間達を睨み付ける。
「勘違いするなよ? 治療するのはこの程度で許されると思わないようにだ。おまえ達はこの場で宵宮が処刑されることを知りながら、あえて残ったのだろう? 無実の人間が無惨に殺されることを知っていた者が、こんな首一つで取り乱すなど自覚がないにも程がある。各々が思い知るがいい、己が罪の深さを」
怪我程度で逃してやる気はさらさらない。治療の意図を知った者は皆、真っ青な顔で震えていた。まさか自分にまで罰が及ぶとは思ってもいなかったのだ。己の罪が何か、それを知るために裁きの場はある。
「宵宮は地方から連れて来られた平民。帝都に生活の基盤があるわけでもなく、土地勘もない、発言力も地位も低い平凡な女性だ。そんな知識も度胸もない彼女が支度金の横領や神宝をはじめとした装飾品の窃盗、違法薬物や人身の売買を行うことができると本気で信じているのか?」
全くのでっち上げか、誰かの罪を被せられたのだろうということくらい容易に想像がつくものを。
「さらに腹立たしいのが、私の手助けがあればこのような犯行が可能だとする論拠の杜撰さと、横暴さ。不敬どころか、一族郎党、末代まで祟られても文句など言えぬぞ! そこまで愚弄するのなら、私がどのように手助けしたのか証言した者は申してみよっ!」
ビリビリと、空気が震える。……しまった、また何人か倒れたらしい。
氷雨が恨めしそうな表情でこちらを睨んでいた。
すまない、怒りが抑えられなくて手加減を忘れた。だが罪なき者が裁かれるというだけでも腹立たしいのに、理由の一端が自分だというのがさらに業腹だ。宰相は震えながらも、慌てて言い訳を始めた。
「こ、根拠は……その女が……いえ、宵宮が」
「先に言っておくが双面がおまえ達に授けた他人に罪を擦りつける秘儀とやらは、全くのデタラメだからな。裁きの場で冥府の主に嘘をつけば、ただ己が罪を上塗りするだけだぞ?」
口には出さなくとも、双面の魂の記憶は雄弁に語ってくれた。人の命を対価にしたとしても、己が罪を免れることなどできるわけはないだろう。そんなことは冥府の主である自分が許さない。宰相は一瞬言葉に詰まり、次の瞬間、一気に顔色が変わる。
「ば、馬鹿なっ! そ、それでは!」
「おまえ達は奴を手玉にとって騙していたつもりだろうが、実はまんまと騙されていたんだよ。おまえや手下が犯した罪は、ちゃんと魂に刻まれて証拠として残されている。冥府の裁きには、なんの支障もないな」
「それでは、今まで行った儀式の数々は……」
「皆見の地に、普通では祓えないほどの穢を生み、撒き散らすためだけに行われたことだ」
「な、何のために?」
「陽の神への単なる嫌がらせだそうだ」
「そ、そんなことのためにあれだけ大量の領民の命を……!」
宰相はうっかり滑らせた口を、あわてて閉じる。
「おまえ達が双面の口車に乗せられて行った秘儀とやらのために、守るべき領民を生贄として捧げていたことは調べがついている。それも老若男女問わず子供も含めて大勢の人間を誘拐し、儀式のため生贄に捧げる者と権力の維持のために売る者とで分けていたとは……しかも彼らを使って違法とされる薬物を隠れて生産し、秘密裏に売り捌いていたこともわかっている。一応、我が眷属が帳簿やら誓約書やら集めてきたから、必要ならば証拠として提出しても良いぞ? 冥府の裁きには不要のものだからな」
ひょいと掲げた書類には、しっかりと領主の印が押されている。宰相の顔色が変わった。
「ば、馬鹿なっ、あの書類は絶対にわからぬ場所へと隠したはず!」
「それは残念だったな」
まことしやかに流れる噂で、皆見では人が消えると言われていたが、まさか領主自ら手を下していたとは。周囲の貴族の中には嫌悪感を剥き出しにする者もいる。帝を筆頭とした上位貴族は、証拠をどうするかでひそひそと会話を交わしていた。
「まあこれだけ規模の大きい悪事に手を染めて、いくら人の往来が激しい皆見とて人目につかぬわけがない。それを誤魔化すため、拐かされたのは土地神が宴に呼んだからなどと嘘の噂を流し偽装した。それこそ神をも恐れぬ悪行。領主自ら人さらいの濡れ衣を着せたと知って、温厚な皆見の土地神様が大変なお怒りだったぞ? 『おまえ達が領主を務める皆見の守護はしない』と申されて、私の前で荷を纏めて出て行かれた」
「……は、そんな!」
「それだけのことをしたのだ、当たり前だろう。今頃、眷属を連れて船に乗ったところだろうな。元々、かの方は異国より渡られた神だ。旅慣れていらっしゃるから立つ鳥跡を濁さずとばかりに、社すら跡形もないだろう」
「なっ、ででも、他の神々は残られて……」
「生魂神の社に本体があるのはあの方のみ、他の神は勧請されたということを忘れたか?」
「まさか…。」
「事情を聞いた他の神々はすでに本体のある社へ戻られているから、もぬけの殻だろうな。再度、勧請したとしても……かつてのように力ある神が応じてくださるだろうか?」
土地を守ってきた神に人さらいの汚名を被せたのだ。応じる者はいないだろう。
「今や皆見は、神に見捨てられた地と成り果てた」
守護の力を失った地に蔓延るとされるとされるのは、災害に疫病。そして土地神による祓いの力を失った地には穢れが溜まる。そんな呪われた地に住み着くのは、貧乏神か、疫神か、それとも……。皆見の地は、早晩、人の住める土地ではなくなるだろう。それほど土地に守り神がいるということは重要なのだ。
目に見えないから、いないと信じていた。そしていないならば、存在を軽んじても良いと思ってしまった。
「我が花嫁の罪とされた人身と違法薬物の売買。自分達の悪行を彼女に罪として負わせた。容易には償えぬから覚悟しろよ?」
冥府の主がニヤリと笑った。人々は怒りの滲む微笑みから、ただ視線を逸らす。また一つ、彼らの罪が浮き彫りになった。それと同時に、宵宮の冤罪が明らかになる。
突然、それまで黙り込んでいた女が叫んだ。
「……あああああっ、双面様! なんという御姿にっ……どうして、どうしてこんな酷いことを!」
女は双面の変わり果てた姿に我を失っていたらしい。ようやく意識を取り戻したが、髪を振り乱し、白い衣を赤く染めて掻き抱く姿は鬼気迫るものがある。誰もが恐ろしいものを見る目で彼女を見つめている。血濡れた彼女を、もう誰も陽の巫女とは呼ばないだろう。
「おまえのっ、おまえのせいで……!」
憎らしげに表情を歪めた女は、血で赤く染まった手を宵宮へと突き出した。宵宮が主の耳に何事か囁くと、彼の手を借りつつ彼女の前に降り立った。
思えば彼女と自分は、いつも対局の存在だったわ。
神渡りの前は高貴な陽の巫女と、身分の低い宵宮。そして今は白き衣を穢した女と、黒き衣に守られた女。もう二度と交わることはないだろうとしても、言っておきたいことがある。
宵宮は血濡れた手を叩き落とした。
「!」
「ふざけるな、いつまで他人のせいにしているのよ!」
彼女はなんでも持っていた。抜き出た美貌や知性、そして貴族としての地位も。他人からすれば十分に足りているのに、まだ足りていないと思っているのは本人だけ。自分を磨き上げる石とするなら、まだいい。だけど持って生まれた資質を羨み恨まれるのは、ただ迷惑なだけだ。
「あなたは上昇志向を向上心と偽っているだけ。自分が持っているものを他人が羨むのは許せても、自分が他人を羨む気持ちは許せない。だから自分が持っていないものを、他人から奪うのでしょう? そういう考え方が欲深いというの。それなのに、わざわざ全てを奪われる気持ちはどうかなんて聞いてきて、気持ち悪い。嫌に決まってるじゃないの、馬鹿じゃない?」
「なんですって!」
「まあ、正論だな」
主様が真面目な顔でうなずいた。それでも彼女は納得しない。
「おまえに何がわかる! 生まれたときから家の役に立たねば命さえ危うい環境に置かれてきた私が、少しでも自分が生き残れるように上を目指して何が悪い⁉︎ 私は努力しただけだ、生き残るために!」
「それはあなたの事情、私には関係ありませんよね?」
「なっ!」
「私からすれば権力闘争に巻き込まれただけで、何もしていないのに命まで奪われるのは迷惑だって言いたいのですよ!」
彼女は自分の罪を罪と自覚していなかった。罪を犯した自覚なしにお嬢様だけでなく私の家族の命までも奪ったのだ。こうしてみると、彼女は命を奪わなければ生きていけない病を罹っているのではないか。
「地位も名誉も、知性も美しいと称賛される容姿まで持っていて、何が足りないというのですか?」
「そんなもの皆が大なり小なり持っている。なのに私が欲しいと願った唯一のものだけは、全部おまえだけが持っているんだ! おまえが、私から奪ったんだ! 神の花嫁としての資質も、神宝も、そして双面様の心までも……」
私は、想定外の言葉に目を見開く。最後の双面様というのは、牢へ会いにきた人のことか?ただ一方的に喋って、勝手に納得して、最後は不躾な口付けまで……嫌なものを思い出したと顔を顰める。彼女の隣に立つ宰相が、蔑むような眼差しで娘を見つめた。
「おまえは……心などと不確かなものに囚われおって、愚かな。」
「たしかに力だけに価値を求め、破滅に続くとも知らずに邁進する彼の姿は私にも愚かと思えました。ですが家長の躍進のために身内へ犠牲を強いていたあなたよりも、己の力だけを頼りに成り上がろうとする彼の姿勢はむしろ好ましいと思ましたの。だってそうでしょう?今回の計画で私が家のために命を捨てたとしても、栄華を謳歌するのはお父様だけではないですか!」
彼女はカッとなって、父である宰相へと言い返す。
「何をわがままを言っている。貴族が家のために命を捧げるのは当然だろう!」
「そうではなくて家のために死ねと娘に命じるのがおかしいと、そう言っているのです!」
「家の存続のために、一族が命を掛けるなど当然だろう!!そんな子供でもわかる初歩的なこと、おまえには言わずとも理解していると思っていたが?」
「家の存続のために命を捧げるのであれば本望ですわ。ですが、ただあなたの地位を高めるためだけに身内へ死を命じているのです。そんなことを繰り返せば、いつかは家名を継ぐものが絶えてしまうでしょう。お父様に子供は私しかおりませんのよ? その私が死ねば、誰が跡を継ぐのですか?」
家名は人を守るもの。いくら家を富ませても継ぐ人がいなくては、家名などただの飾りだ。そう言った彼女の唇が怒りに震えている。それについてはもっともな言い分だと、誰もが思った。だが父親である宰相には通じなかったらしい。彼は深くため息をつくと、礼の姿勢をとった。
「申し訳ございません。哀れな娘は神官長と同様に、冥府からもたらされた穢に触れたせいで錯乱したようです。一旦、下がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「違います、私は正常です!」
女は顔色を悪くして強く首を振った。娘の反論を無視した宰相は、目だけで神兵へと合図を送った。瞬く間に、娘は取り囲まれる。状況の変化にとまどう帝は、不安そうな顔をした。
「下がらせて、どうする?」
「このまま意味のわからないことを言い続けるようであれば、治癒の見込みがないということです。生涯幽閉することになるでしょう。可哀想に……神渡りの穢のせいで、愛おしい我が娘を失うとは思いませんでした」
「なぜ、私が幽閉などと……っ触るな! 神兵ごときが陽の巫女に触れるのは不敬であるぞ!」
もはや陽の巫女と呼ばれていたとは思えないほどの狂乱ぶりだった。神兵によって担ぎ出される娘の姿を視線で追いながら、宰相は泣き崩れる。それまで疑いの眼差しを向けてきた人々の視線が宰相に対して同情的なものへと変化した。逆に責めるような視線が主様や羅刹鬼孤月へと向けられる。神官長は畳み掛けるように迫った。
「これも全て、冥府の住人が悪さをした結果です。冥府の主よ、この男に対する自身の監督不行届きにどのような責任を取ってくださるのですか?」
タイトル、やっぱり変更しました。
計画性のなさが浮き彫りに…申し訳ありません。
お楽しみいただけたら幸いです。




