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冥の花嫁がみる夢は  作者: ゆうひかんな


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幕間 醜い世界③『我が世の春』

残酷な描写があります。ご注意ください。


 玉峰の間。


 帝の住まう居所の一区画にそれはあった。重要な事案を話し合う場所でもあり、また宮殿では随一の広さを誇る。普段は数多の宝物に囲まれた煌びやかな部屋が、今は用途にふさわしく、装飾はすべて剥ぎ取られている。剥き出しの大理石が醸し出す無機質な冷ややかさだけがそこにはあった。


 そして煌びやかな装飾に代わり、並ぶのは高価な装飾品で身を飾った人々だった。彼らは本日の()()のために集められた貴族階級の者達だ。一段高いところには玉座があり、先程、貴族達の最上級の礼を受けた帝が、護衛と宰相を伴い、着座した。


 それを合図として宰相から本日集められた趣旨が語られると、場に主役が引き出される。


 昨日までの神渡りでは宵宮と呼ばれ、神殿で神官達にかしずかれていただろう女。それが神渡りの終わった今は、ただの罪人になりさがっていた。頭髪は短く無惨に切り刻まれ纏う衣は赤黒く変色してぼろ雑巾のよう。剥き出しの顔や肌の至る所には、火傷や切り傷など目を覆うばかりの醜い傷があって、腫れ上がった瞼のせいで目も開いていのか潰されてしまっているのかも定かではない。ただわずかに上下する胸が、辛うじて呼吸しているといるのがわかるという状態。どんな大罪を犯せば、ここまで執拗に痛めつけられるのか。誰もが彼女のむごい状況と、それを普通に受け止めている帝を筆頭とした上層部の非情に恐れを抱いて、こそりとも音を立てない。


「罪状を読み上げる」


 宰相を務める皆見の地を治める一族の主が、書状を手に淡々と読み進める。罪は大小さまざまあれど、一括りにするなら国家に対する反逆行為。敏感な貴族達は、たちまち理解した。


 これは見せしめなのだ、と。


 国に仇なすことがどれだけの不利益を自身にもたらすかを知らしめる、見せ物。裏を返せば、国に反旗を翻さない限り自身に影響はない。多くの貴族は、現状をそう解釈していた。

 ならば、この滅多にない余興を楽しむだけ。ただごく一部の良識ある者は、罪人とされた人物が今回の神渡りで宵宮を務めた娘だと知った瞬間、顔面蒼白となり、体調不良などの理由をつけて場をひっそりと後にしていた。この差がのちに命運を分けることになるとは、この場にいた誰もが想像すらしていなかっただろう。


「……罪状は以上である。罪人よ、汝には帝の慈悲により、御前で異議を申し立てる権利が与えられている。ゆえに冤罪であるという場合には、己が口で異議を申し立てよ。ただし、無言の場合には、読み上げた罪をすべて認めたとして速やかに判決を申し渡す」


 場を支配する、沈黙。罪人の、ひゅーひゅーという浅い呼吸音だけが辺りに響く。


「異議はないということでよいな。ならば判決を言い渡す。なお、此度は罪人が稀にみる重罪を犯したため、帝自らが判決を言い渡されるそうだ」


 帝は若さゆえに潔癖と義憤に駆られ、冷めた視線をぼろ布のような塊に向ける。そして威厳に満ちた声で判決を言い渡した。


「汝には死罪を申しつける。また世間へ与えた影響の大きさを鑑み、三親等内の親族にも同じく死を与えることとする」


 その瞬間、微動だにしなかった罪人がぴくりと体を揺らし、のろのろと頭を持ち上げる。まるで嫌々をするように首を振るも、力尽きて再び崩れ落ちた。


「いまさら己が罪の重さに気付いて後悔しても遅い! 家族はすでに神兵によって捕らえられ、己より先に死を賜っている。毒を使って苦しまぬようにしたのは我らのせめてもの慈悲、感謝するがよい」


 神官長は淡々とした声で家族の死を告げる。罪人の肩が徐々に揺れ始めた。


 ……まさか泣いているのか?


「多くの無辜な民を苦しめておきながら、己が家族の死だけを嘆くとは……! 自己中心的で、愚かな者だ。同じ様に家族を奪われ、殺された苦しみをどうして想像できなかったのか」

「泣いて後悔するくらいなら身の丈に合わせて慎めばよいものを。これだから権力を持ち慣れぬ平民に力を持たせると、驕り昂って、こういう罪を容易に犯す。自分が偉いと勘違いして、簡単に道を踏み外すのだ!」

「やはり我々のように高貴なる使命を与えられた存在が無知な民を導いてやらねばならぬ。高貴な我々に導かれる民には感謝してもらいたいくらいだな」


 女の罪を知らされた人々には、その打ちひしがれた姿が白々しく自分勝手なものと思えた。そこかしこで声高に自身の持論を展開する貴族達。それを遮るように、宰相は声を上げた。


「静かに。それでは続いてこの者の刑を執り行う。なお、床が穢れるのを防ぐため専用の場をしつらえた。動かずとも、その場で座ったままご覧いただけよう」


 視線の先には、玉砂利の敷かれた優美な庭があった。御簾が引き上げられると、その庭の一角に藺草(いぐさ)の敷物がしかれた簡易な処刑場が調えられている。そこへ引きずられるようにして罪人が引き出される。どさりと乱暴に放り投げられても、ぴくりとも動かない。死んでいるのではと騒然となる観衆に宰相が応じた。


「大丈夫だ、死なぬように手加減はしている。無辜な民を騙し、国に徒なした罪人をそう簡単に殺しはしない。死んだ方がましという思いをさせなければ、皆が浮かばれないだろう?」


 口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。貴族達を笑みを浮かべたまま一瞥して宰相は、御簾の傍らへ控える侍女に目線で合図を送る。侍女によって御簾が引き上げられ、内側から白い唐衣を身につけた少女が姿を現した。

 日差しのもと、輝くばかりの美貌。軽やかな足取りで玉砂利の側まで足を進めると、優美な仕草で帝に礼の姿勢をとった。


「まさか、あれは陽の巫女様!」

「なんと神々しい美しさよ」


 陽の巫女は信者に評判のよい、慈愛に満ちた美しい微笑みを向ける。賞賛する感嘆のため息がいたるところから漏れた。その穏やかな空気が宰相の一言で霧散する。


「神殿との申し合わせにより此度の罪人の処刑は陽の巫女様自らが執り行うこととなった」


 異例の対応に場が騒然となる。それもそうだろう、陽の神は死の穢を嫌うという神殿の教えに反するからだ。当然のように神の花嫁である陽の巫女も、穢れをもたらすとされる罪人には触れてはならぬとされていた。

 それを罪人に触れるというだけでなく、人の死に直結するような処刑を執り行うとは……。だが陽の巫女は騒然とする場をものともせず、凛と声を張り上げた。


「私は、この者に神の花嫁である宵宮の心得を教えました。ですが彼女は偽者ゆえに適性がなかったのでしょう、いくら心を尽くして説明しても真面目に理解しようとは務めてくださいませんでした。それでも……私はこの者の導き手なのです。導き手として私は彼女に対する責任を果たさねばなりません。なぜなら ()()()()()よく言い聞かせてきた言葉がございます。『()()()()()()()()()』、と。導き手である私が彼女に教えてきたことが嘘であってなりません。しいては陽の神様の御心にも背くこととなりましょう。前例がないことは承知しております。ですが私に最後の義務を果たす機会を与えてはいただけませんでしょうか?」


 切々と、苦悩に満ちた表情で懸命に思いを伝える彼女の姿に人々は心を打たれた。見目麗しいだけでなく、なんと清らかで信心深い女性であろうと。

 そして若き帝も彼女の真摯な言葉には、いたく心を動かされた。正妃と側妃は由緒ある高位貴族の娘で占められているが、彼女達が自分のことを爵位を盤石にする道具としてしか見ていないことに内心では不満を持っていたのだ。

だから今上帝は、ずっと心から愛せる女性を待ち望んでいた。政治的な繋がりだけでなく、心から愛し、尊敬できる()()()()()を。神渡りを経て、彼女の美しさにはますます磨きが掛かり今では艶やかな色気さえ漂っている。

 もっと早く、彼女に出会っていれば。陽の巫女である彼女は神の花嫁であるため、必然的に候補から外されていたのだろう。


 このまま神に捧げてしまうのは、惜しい。彼は正直にそう思った。そして一目見て、帝が陽の巫女に心を奪われている様子に貴族達も気がついた。古参の貴族は成り上がり者と心中で見下していたけれど、もし彼女が妾となれば勢力図が変わる。今のうちに家との関係を深めておいても損はないのではないか。貴族達の間に、先ほどまでとは違う熱気が広まっていた。宰相は満足げな様子で何度もうなずく。


「皆の賛同も得られた。陽の巫女様、どうぞお心のままに」


 娘であるけど、公の場では立場が上である。宰相の言葉を受けた陽の巫女は、人々に感謝し、礼の姿勢をとった。その態度が謙虚であると人々は口々に誉め讃える。

 彼女は白い唐衣を翻して玉砂利の上を軽やかに歩くと、罪人の頭のあたりに膝をついた。見下されても仕方のない者にそこまでするのかと観客は皆驚きを隠せない。だが彼女の罪深い者にも隔てなく慈悲を垂れるような仕草に、神の花嫁となる者はこのようでなくてはならないのかと、誰もが深く感じ入った様子で非難するような声は全く上がらなかった。陽の巫女は、罪人によく聞こえるようにという配慮か、近くにいる神兵の制止をやんわりと退けて、わずかばかり耳元に顔を寄せた。


 内容は聞こえずとも、心安らかに逝くよう導き手として最後に教え諭しているのだろう。その姿は神の花嫁に相応しく、陽の神の伴侶である月の女神もかくやと思われるような神々しい輝きに満ちている。たまらず帝が傍らに立つ宰相の耳元で囁いた。


「汝が娘は心も清く美しい。務めが終わった暁には、我が妾として所望したい」

「もちろんです。帝がそう望まれるのであれば臣下として従うのは当然のこと」

「うむ、次に会うときが楽しみだ」


 帝の瞳に、ほの暗い欲情が滲む。宰相は最高の状況で娘の嫁ぎ先も決まったと内心でほくそ笑んだ。陽の巫女は代替わりが早い。十年以上務める者が稀で、ほとんどが五年程度で神託や先代巫女の選定により後任者が選ばれていた。陽の巫女は例外なく貴族の娘から選ばれていたので、代替わりの後は、本人の意思には関係なく伴侶にと望まれて高位貴族との婚姻を結ぶことが多かった。

 先代の陽の巫女のようにそれが嫌で俗世を捨てるという選択をする方が珍しいのだ。嫁ぎ先となる家も陽の巫女を務めた娘を娶ることは名誉であると喜ぶし、戒律の厳しい神殿にいた巫女であれば純潔は保証されている。

 それでも帝の目に留まるとは、さすが我が娘。この話が公になれば、今まで馬鹿にした者達がこぞって我ら一族にへりくだるだろう。


 なんと喜ばしいことよ。

 宰相はあらゆる邪魔者を排除して、ようやく帝位のすぐ近くまでたどり着いたのだ。長らく続いた厳しい冬の季節が終わり、迎えたのは春。芽吹きを祝い、やがて実る幸せに心躍らせる季節だ。本来の筋書きは帝を排して己が帝位につくことだったが、裏から操る方が面倒事に巻き込まれず旨味も多い。都合が良いと宰相は頭の中の筋書きを、さっさと書き換える。


 まあ、()()()との約定は破ることになるが仕方あるまい。そう思うと同時に、脳裏には一人の男の姿が浮かび上がる。


 双面(ふたおもて)と名乗った、二つの顔に四本の腕を持つ化け物。誇り高く傲岸不遜、思慮とか機微というものに疎い粗野な男だ。数代前の当主の時から接触があったそうだが、実際に手を出したのは今回が初めてらしい。おだてればよく踊ってくれて、荒事に手を貸すだけでなく、冥府の住人に関する情報や裁きの仕組みなど未知の情報を惜しみなく与えてくれた。ずいぶんと役に立ったし、惜しいといえば惜しいか。

 だが冥府の住人に画策していることがバレては面倒だからな。娘からも昨日宵宮と接触し冥府に舞い戻ったと聞いて、不測の事態に備えて、急ぎ術者を遣わしてある。扉をいつ閉じるかの裁量は娘に権限を与えていた。しかし上昇志向の塊である娘が帝からの申し入れを断るわけもない。

 ならばこのまま自身の判断で封じてしまえばよい。聞けば彼は陽の神様にまで手を出しているというのだ、無事では済まないだろう。そうすれば戻れなくなったあの者を冥府の住人が始末してくれるし、好都合だ。


 それにしても、と宰相は首をかしげた。これだけ派手に動き回れば奴に神罰が下るかとも思っていたが、そんなことはなかった。太陽は燦然と輝き、いつもと変わらず下界を照らしている。


 陽の神など、本当に存在するのか?


 こうなってくると陽の神の神託に従い客人をもてなすという仕組み自体が必要ないのでは、と思える。神渡りの時期になると空に浮かぶ日輪が黒く陰り、冥府の住人が客人として扉の奥から姿を現すのはたしかだ。

 だが、我々の目に見えて判別できる現象は()()()()。いくら目を凝らしても、穢の塊だの、土地神の祓いの力だの、証拠は一切見えてこない。……実際は冥府の住人に上手いこと騙されているのではないか?


 異形の化け物が夜毎娘をさらっていくという昔話のように。化け物というのが冥府の住人のことで、さらわれた娘というのが宵宮だと仮定すればどうだろう? 

 神渡りという仰々しい呼び名に誤魔化されて、実は冥府の住人が人の娘を拐かしていたということになる。


「冥府の住人共め、もしやすると陽の神様の名を騙って悪事を働いていたというのか……?」


 神を神とも思わぬ所業。視線の先にぼろぼろになった罪人の姿が映る。


 ちょうど良い機会だ。今回の件を機会に神渡りという儀式そのものをなくそう。神託によって選ばれたはずの宵宮が凶悪な犯罪を犯したのだ、同様の犯罪が起こる可能性を示唆すれば誰もが神渡りの儀式自体に消極的になるだろう。人は未知の脅威よりも、身近な犯罪の方に怖れを抱くものだ。罪を犯したのは娘が偽者だからだと神官長は言い張るが、宰相にとっては本物か偽物であるかなどたいして重要ではない。


 だってそうだろう、彼女達宵宮は冥府の住人に対する供物だ。供物の役目さえ果たせればいいし、それだけの価値さえあれば問題ない。

 ……現に冥府の主は、あんなつまらない容姿の娘でも満足していたというではないか!それは陽の巫女の偽者である娘の価値を知っているからこその台詞でもある。ふと冥府の主の腹の底が読めない瞳が脳裏によみがえった。あのときは単純に彼の端正な顔立ちと、報告にあるような不可思議な力を操るとされる能力を賞賛していたが……こうなると冥府の主とやらも、存外、大したことはない存在と思える。

 自分の手腕があれば、容易に丸め込めるだろう。最悪、揉めるのならば供物となる娘だけ扉から差し入れて帰らせればいい。余計な干渉が減るだけで、こちらも色々やりやすくなるからな。神渡りの闇を利用して画策した覚えのある宰相は小さく唇を歪めた。


 それとも神渡りの儀式を行う必要はないと、神託が下りたことにするか。陽の巫女の時も何も起きなかったのだ、一つ二つ、虚偽の神託が増えたところで今更だろう。


 陽の神には畏れ多いが、我が一族の悲願を果たす踏み台になっていただくのだ。


 ひとりの罪人が今まさに命を奪われようとする傍らで。

 宰相まで昇りつめた男は、我が世の春を謳歌する未来を思い描いていた。




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