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冥の花嫁がみる夢は  作者: ゆうひかんな


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七の環日『残された願い』


 絞り出した声の裏側にあるのは怒り、人間の無知に翻弄された者の恨みだ。


 六百年前、まだ生まれてもいない私にとっては全く関わりのない因縁。だけど一方で、同じ人という種族である私に向けられて当然とも思える恨みにも思える。納得はいかずとも、理解はできる怒りだった。これにはどう向かい合うのが正解なのか。私が逡巡したところで、鬼師三白が彼を厳しい声で彼を咎めた。


「羅刹鬼孤月、この方は主様の花嫁様である。汝を謀った悪人共はすでに冥府にて裁かれ、今も償い続けておる。汝とて冥府の羅刹鬼を率いる将軍位にある者。冥府において罪なき者を責め裁くは()()という罪なき罪を生む根源となる、そんな初歩的なことくらいわかっているだろう?」


 羅刹鬼孤月はハッとした表情を見せた後、私の前に跪いた。


「申し訳ございません、花嫁様! 一瞬でも罪なきあなたをお恨みいたしました。心より謝罪申し上げます。主様、未熟な私に対する怒りはごもっともにございます。今回の件を含め罰はいかようにも!」


 彼にとっては、思わず漏れた本音ということだろう。私からすれば、陰に籠もり、悪意ある噂をばら撒かれるような神殿で過ごしていた時に比べれば、彼の偽らざる本音は悪くないもののように思えた。


 だが、この方のお考えは違うらしい。振り向かずとも私の背後に立つ主様の圧力が増すのがわかる。気がつけば、眷属二人どころかその場にいる鬼師三白、発言した当人である羅刹鬼孤月も絶望的な何かに耐えるように下を向いていて、皆一様に顔色が悪い。

 いつの間にか、主様の優美な容姿は獰猛で荒々しいものに変化していた。体が大きくなり赤黒き肌に炯々と光る金色の瞳、吐く息は荒々しく空気を焦がした。ああ、これがお怒りになられた時の御姿なのね。


 蹂躙すれば草木ひとつ残らず、生物に慈悲なき死をもたらす者。

 家族は彼のことを、そう教えてくれた。


 怒気を受け止めるだけで、肉体を持たないはずの冥府の住人ですら今にも息絶えそうになっている。この状況で皆に倒れられるのは、まずいのでは?

 思わず主様の衣の袖を引いた。ハッとした主様が、たちまち見慣れた姿を取り戻し、それから困ったような表情で私の顔を覗き込んだ。


「怖いか?」


 そんな子供みたいに不安そうな顔で。

 冥府の主様ともあろう方が、なんて可愛らしいことを。


 思わず、目を丸くする。予想外の言葉に吹き出して、軽く首を振った。


「いえ、怖くはありません。私を心配してくださったゆえの御姿ですもの。お心遣いが嬉しくて、その……むしろ好きですわ」


 場に沈黙が落ちる。

 ……こんな人前で、好きだなんて。勢いに飲まれて大胆なことを言ってしまったわ。


 だけど主様からは、こそとも音がしない。羞恥心に耐え切れず、伏せていた顔を恐る恐るあげれば、隣に立っていた主様が、なぜか膝から崩れ落ちている。口元は抑えているものの、隙間から途切れ途切れに何かを耐えるような呻き声が聞こえた。今の変化で、力を使い過ぎたのだろうか?


「あ、あの主様。力の使い過ぎではありませんか、それとも体調が優れません?」

「無自覚ですか。しかも強烈な一撃ですね、これは。さすがの主様も瞬殺のようで」

「こりゃ、かなりの重症だな」


 鬼師三白の言葉を受けて、羅刹鬼孤月が首を縦に振る。怒れる主様を遠巻にしていたはずの冥府の住人達も真剣な表情を崩さずうなずいていた。重症という言葉に驚いた私は主様の傍らに膝をつき、急いで顔を覗き込んだ。


「主様っ、やはりどこかお悪いのですか⁉︎」

「いや、大丈夫。むしろ絶好調だ。今なら不可能すら可能にできそうな気がする」


 おおっと、観衆から声が上がる。え、なんで? 主様はかすかに頬を朱に染めながら、すくっと立ち上がった。そして私の肩を抱くと、表情を改める。


「羅刹鬼孤月。先ほど鬼師三白が言ったとおり、冥府にて重要な地位にある汝が規律を乱すとは罪は重い。よって罰を与える」


 羅刹鬼孤月は深々と頭を垂れる。私の顔をのぞき込んで、主様は瞳を真っ直ぐに見つめた。


「我が花嫁、よい機会だからあなたが罰を決めなさい」

「私が、ですか?」

「いきなりは難しいだろうし、今は陽の神を探すことが最優先。だから、あなたには冥府にいる間に羅刹鬼孤月の罰を決めてもらう」

「本当に私が決めるのですか?」

「ああ。我が権限において、あなたの望むままに彼に罰を与えてよいぞ?」


 これは困った。なぜそんなことを? 職権乱用という言葉が脳裏を過ぎったけれど、私の疑問に答える声はどこからもあがらなかった。主様は私に微笑むと、少し離れた場所で眷属や鬼に指示を出しはじめた。

 捜索の手をもっと奥へと踏み込ませるらしい。今度こそ、見つかるだろうか。期待と不安に揺れる私の隣に鬼師三白が立った。


「これで冥府と異界との境界線ギリギリまで探すことになります。」


 そして私の足元にひざまずいたままであった羅刹鬼孤月に声をかける。


「むさ苦しい巨体が足元に転がっていては鬱陶しいですよ。警護の任に戻りなさい」

「でもよ……」

「あなたがいつまでもそこにいては花嫁様も余計に悩まれるでしょう。今は主様の側で指示に従いなさい」


 ハッとした表情を浮かべて一礼すると羅刹鬼孤月は主様の元へと移動した。あれだけの怒りを露わにした主様が受け入れて下さるのだろうか。私の心配をよそに、二言三言会話を交わした羅刹鬼孤月は無事に主様の傍らに留まることができたようだ。


「よかった、戻れたようですわね」

「ご安心下さい、彼が叱られるのはいつものことですから。それよりも身内がみっともない姿をお見せいたしまして申し訳ございません。私からも謝罪いたします」

「いいえ、私こそ配慮が足りませんでしたわ。あの方が六百年前の客人でしたのね……」

「はい。そして彼は番となるはずの魂と出会うことなく冥府に戻り、いまだに探し続けております。職務に忠実で気の良い者なのですが、あのころは必要以上に荒れることもありました。ずいぶんと時間が経ち、我々だけでなく本人も傷は癒えたと思っていたのですが……」


 やはり深い傷はふさがることなく、怒りは彼の胸にくすぶっていたということか。

 六百年……人からすれば途方もない時間が過ぎてもなお、彼は苦しんでいる。私には身分という人間側の都合だけで彼から番を奪った罪が、どれほど深いものなのか想像もつかなかった。


「それから花嫁様には、もうひとつお伝えしたいことがございます」

「なんでしょうか?」

「さきほど私が最悪の事態も想定せねばという話をさせていただきましたが、あの話には続きがあるのです」


 その話には、まさにこの場所、冥府にある四つ辻が関係するのだという。


「冥府がなぜ異世界に繋がっているか。それは死後、世界に関係なく全ての魂がこの冥府にたどり着くことができるようにです」


 世界が変われば冥府の呼び方も変わる。けれども、どの世界でも魂が裁きを受けるという仕組みは同じだ。その理由はただひとつ。死後、魂の行先は同じだから。


「各世界の創造主により新たな人の魂が生み出されても、死後、向かう先は冥府となるように造られるのです。原始、世界というものが造られ、果てしなく長い時間を経た今も冥府の仕組みだけは変わりません」


 罪を償い、異なる世界にも馴染めるよう魂を真っ白に洗い流す場所。それがこの冥府であり、未来永劫変わらぬ役割なのだという。


「異なる世界へ魂を送り出すのは、同じ過ちを繰り返すのを防ぐため。あえて同じ世界へと送り返すのは、生前に課せられた役割を果たすため。我らが調べた彼らの過去と課せられた役割を照らし、行く先を決めるのが冥府の主たる者の務めです。ですが名実ともに主様の代わりを務められる力量と器量を持つ人物は、異世界にも、現世にも、そして冥府にもおりません。突然主様を失えば冥府は混乱し、新たな主が定まるまで務めを全うすることはできないでしょう。世界を維持する柱としてだけでなく、冥府の秩序を維持するためにも、我々冥府の住人は決して主様を失うことはできないのです」


 なんとなく彼の言わんとすることがわかってしまった。

 心臓が激しく音を立てて少しずつ血の気が引いていく。


「主様がいるからこその冥府なのです。もしこの世界が主様の力を損なう恐れがあるのなら、最悪の場合、我々冥府の住人は()()()()()()()()捨てるでしょう」


 そして異世界に移動して、新たな冥府を置くのだ。それが可能なのは四つ辻で数多の異世界に繋がっているから。異世界には、力は劣るけれど陽の神のような管理者が、つつがなく世界を維持している。異世界の存在を受け入れ、果たすべき役割を知る冥府の住人であれば、迷うことなく主様と共に異世界を目指して渡るだろう。だが、それは四つ辻の存在と冥道を詳しく知る冥府の住人であるからこそ可能なことだ。

 では一方で、残された現世の住人達はどうしたらよいのだろう。帝都の住人は、喜多山の麓に住む民は? 現世はどうなってしまうのだろう。


「主様という力ある存在を受け入れた世界には、さまざまな恩恵が与えられます。たとえば神渡りの安寧を守護する客人はこの世界だけにある仕組みです。主様が与える恩恵にあずかってきた世界が、見捨てられたら……これ以上は申し上げなくともご理解いただけましょう」


 砂上の楼閣は、ゆるやかに崩れ去るのみ。


 不吉な予言を口にして、鬼師三白は視線を逸らすことなく私を見つめ返した。柱とは、その名のとおりに建屋を支える要だ。柱を失った建屋が崩れるように、この世界は滅びるだろう。

 そして……今はまだ人の身である私には滅びる道しか残らない。鬼師三白は語らないけれど、おそらく主様と私を繋ぐ縁は世界を違えることはできないのだろう。自分の身だけでなく、主様との縁まで失ってしまう。今のまま時間が過ぎれば過ぎるだけ、状況が悪い方へと転がるような気がした。

 しばし場を沈黙が支配する。やがて彼は深々とため息をついた。


「本来ならばこんな機密事項を現世の住人であるあなたに教えることではありません。ですが状況は変わりました。なぜなら主様があなたに出会ってしまったからです。あの方の冥の花嫁はあなたひとり、陽の神が造った魂の片割れは唯一無二のもの。それを知る方であるからこそ、あなたを簡単に手放せません。主様のあのご様子ではあなたを残して新たな世界に旅立つことはできないでしょう。我々を逃し、間違いなくあなたと共に滅ぶことを選ばれる。私だって寧々を失うくらいなら共に朽ちることを迷うことなく選ぶでしょう。羅刹鬼孤月のように相手を知らぬならばともかく、その肉体に触れ、魂に触れた片割れを失うなど想像するだけでも気がおかしくなる」


 鬼師三白の言葉が、私の心に刃を突きつけた。この痛みは、私の覚悟を問うものだ。いつの間にか、彼の隣には心配そうな表情をした寧々様が寄り添っていた。


「今回の神渡りを経て、あなたも冥府が存続するためには失うことのできない存在となったのです」


 彼の瞳は揺らぐことなく私だけを見つめている。この真摯な瞳の前では嘘偽りなど欠片でも許されないだろう。


「もしこの世界を捨てるとなったとき、あなたにだけ使いを出します。失礼とは思いましたが、さきほどから拝見する限りでは闇に親しいのは魂だけでなくあなたの肉体も冥府に馴染みやすいように造られているらしい。多少影響は受けるかも知れませんが、冥道を移動するには問題はないかと思われます。ですが世界を渡る際にはどんな困難が伴うかはわかりません。そして肉体を維持しながらも、もう二度地上には戻れないかもしれない。それでもあなたは主様と共に生きることを選びますか?」

「もちろんです、一緒に参ります」


 何を、今更。客人にとっても冥の花嫁が唯一無二であるように、私達の側からしても同様。それ以外の回答など想定すらしていないだろうに。だが真剣な表情を崩さぬままに、鬼師三白は重ねて問うた。


「もうひとつ、お聞かせください。花嫁様は現世に住まう数多の人間を見捨てることになります。その罪を主様と共に背負っていただけますでしょうか?」


 私は同族と同胞を捨てることとなる。ときに自責の念に駆られるだろうし、終わりのない贖罪の日々が続くのだ。それでも幸せになる覚悟はあるのか。彼が最も懸念しているのは、そのことだろう。


 だが、私の心はすでに決まっていた。神殿や国民には、薄情だ人でなしだと謗られるかも知れない。それでも私が身を滅ぼしてまで人々を救わねばならないという使命を見出すことはできなかった。主様の言葉が脳裏によみがえる。


『話したとして、その言葉は信じてもらえるのか?』

『……それは』

『人は見えるものしか信じない。真実が見えるものだけとは限らないし、見えていないものに真実が隠されていたとしても、見えるものだけを信じる。まこと、生ける人は不思議な存在よ』


 もし私が現世に戻り、窮状を神殿に伝えたとしても誰も信じてくれないのだろう。それどころか、民を嘘偽りで煽ったと罰せられる可能性すらあった。神を祀る場所であるはずの神殿の人々ですら、今はもう陽の神の存在を信じていない。この神渡りの期間に、それを嫌というほど学んだから。

 そして私は人々が見えないものを……冥府の主様を信じると決めていたのだ。私は覚悟を決めて微笑んだ。


「私はすでに主様のもの。己が願いを叶えるためならば私が背負うのは当然」


 主様は言ったではないか。私の奥に炎が見える、と。

 誰よりも深い闇を隠し持つ者こそが相応しいとも。私は主様にだけ罪を背負わせない、私と共にあろうと望んだ結果ならば私だって背負うべきものだ。冥の花嫁という存在の重さを知る彼だからこそ、共に罪を背負って欲しいと私に望んだのだろう。


「もちろん共にある覚悟はありますが、一つだけお願いがあります」

「私が叶えられることであれば、なんなりと」

「もし私の存在が冥府のためにならず、主様の足枷となるくらいなら、この世界ごと私を捨て置かれませ。主様の魂が消滅する前に……彼が深く信頼を寄せるあなたに、その判断を委ねます」


 それが長く続く別離になろうとも、主様の魂を失うくらいなら私の身など惜しくはない。主様という存在がなければ世界だけでなく全てが無に還る、それだけは何となく察することができたから。だが鬼師三白は切なそうな眼差しで首を降った。


「しかし、そのお言葉だけでは主様が納得されますまい」

「ではそれを許した証として、これをあなたに託しましょう」

「これは……折鶴?」


 懐から取り出した手拭いに包まれているのは、色鮮やかな紙で折られた鶴。主様が手紙としてお渡しした紙切れの折鶴を大切に仕舞われているのを見て、きちんとしたものをお渡ししたいと思って折ったものだ。


「重なり合うように二匹の鶴が折られていますね。なんとも繊細で、美しいものだ。」

「川を挟んで向かい合う山を夫婦に擬えた、そんな由来を持つ折り方です。夫婦末永く共にあることを願うものですわ。」


 本当は離れている間の慰めにと主様へ渡すつもりで折ったものだけれど、丁度いいわ。これなら主様は私のものだと気がついてくださるに違いない。


「たとえ一度はお側を離れようとも、必ず主様を見つけ出します。万の砂粒に埋もれたとしても必ずや主様の元へとたどり着くことをお約束しますと、そうお伝え下さい」

「そんなことができるのですか?」

「いかなる理を曲げようとも、必ず。少なくとも私は諦めませんわ」


 鬼師三白と寧々様は揃って頭を垂れた。


「さすが主様の魂の片割れとなられたお方。その覚悟に見合うよう、私共も最善を尽くしましょう」


 私は主様の揺らぐことない背中を見つめる。


 あの背中に憧れたのだ――――彼を残すという私の願いは、とても自分勝手だと思う。残される主様の嘆きはどれほど深くどれほど激しいものか、逆の立場で想像すれば手に取るようにわかる。

 彼を、私に縛りつけるものだから。わかっているけれど彼が滅びるような道を選んでほしくない。


 きっと大丈夫。何があっても、必ずおそばに参ります。


 今の私に残せるのは、そうありたいという願いだけだ。けれど私の自分勝手な願いが彼を生かす希望となるならば、自分勝手でも自己満足と呼ばれようともかまわない。そのとき、ふとお嬢様の言葉がよみがえった。


『あなたと同じ私も力なき者。残せるのは願いだけだけど……』


 その瞬間、私は目を見開いた。


「あっ!」

「どうされました、花嫁様?」


 鬼師三白が怪訝そうな顔で問う。ああ、私はなんと愚かなのだろう。お嬢様はちゃんと私に教えてくれていたではないか。彼女も私と同じ力なき者だと。でも願うことならば私にもできる、と。

 主様もおっしゃっていた。私の願いを叶える対価として、私の魂をもらうと。私達力なき者は……神の巫女は、願うことで神の力をお借りする存在であると。


 最後にお会いしたとき、お嬢様は何を願ったか?


()()()()()には、私の光が道しるべとなりますように』




こちらを先に投稿します。

お楽しみいただけると嬉しいです。

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