七の還日『鬼師と、羅刹鬼』
死してのちに、文に秀でた者の魂は冥府の鬼師となり、武により名を馳せた者は冥府の羅刹鬼となる。
彼らは人であったころの能力と実力そのままに、冥府で新たな力を授かると聞く。二人共に顔を上げれば、額からは長さの異なる黒き角が二本伸びていた。これもまた、かつて冥府の客人が残したとされる言い伝えのとおり。
これが鬼師と、羅刹鬼。
文官の証である衣を身に着けた鬼師は三つ目、鎧を着た羅刹鬼は双眼の片側がひどく潰れている。彼らの体格は成人男性よりもさらに大きいようで、発する威圧感も桁違いに多い。
明らかに人間とは違う存在なのね。言い伝えによると、罪人は裁きの結果次第で彼らによって苛烈に責め立てられるという。
……恐怖を感じて、もっと狼狽えると思っていたのに。
全然こわくないわ。あまりにも呆気なく、すんなりと彼らの存在を受け入れた自分に内心では首を傾げていた。威圧的な容姿の奥に煌めく理性的な瞳の存在に気がつけば、さほど恐ろしいとは思えない。鬼師や羅刹鬼に選ばれる基準は、己を律することができるか否か。
どうやら生前の才が抜き出ていたとしても、誰もが選ばれるというわけではないらしい。
ふと、羅刹鬼と視線が合った。主様の隣に立つ私の姿に気が付いた彼は、それまでの慇懃な態度を崩し、思わずといった風情で叫んだ。
「えっ、主様っ! 隣に立つ可愛いお嬢さんは、もしかして……あーあ、やっちまいましたね。ダメじゃないすか。寂しいからって死ぬ前の花嫁様連れてきちゃ。いくら主様でも約定に触りますよ!」
無骨な顔が慌てたように歪み、狼狽えているのが手に取るようにわかる。どうしましょう、完全に誤解しているわ。彼の取り繕っていたと思われる硬派な雰囲気が台無しだ。緊張感に満ちた場の空気が途端にゆるむ。すると隣で跪いていた鬼師が立ち上がり、冷え切った眼差しで彼を一瞥した。
「主様がそんな愚かなまねをするわけがないでしょう。どう見ても一刻を争う事態を心配された花嫁様が付き添ってこられたとしか思えません。あなたの偏った物差しで他人を測るなと、あれだけ厳しく教えたのに、いつまでたっても頭の中身は筋肉なんですね!」
「おお、なるほど。そういうことか! ついうっかりかと思って焦っちまいましたよ!」
そして悪びれることもなく笑い飛ばした。反省する様子もない彼の姿に鬼師は深々とため息をつくと主様と私に礼の姿勢をとった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした、主様。此度の私共の不手際、言い訳のしようもございません。鬼師一同、お叱りを覚悟しております。また花嫁様、初めてお目に掛かります。私は鬼師であり主様の補佐を務める三白、この脳筋は主様の直属で身辺警護にあたる羅刹鬼の孤月と申します。本来ならば冥府の住人総出で歓迎の宴を催すべきところですが、緊急事態のため、我らで取り急ぎ四つ辻までご案内させていただきたく存じます」
どう返すべきかと悩んでいると、普通でいいと主様が耳元で囁く。
ちなみに呼び方は鬼師三白、羅刹鬼孤月と役の後に名をつけて呼ぶらしい。鬼師と羅刹鬼は彼らの他にも多数いるから呼び分けるためにそうしているのだという。簡単な挨拶の後、主様へ状況を説明した鬼師三白は、優雅さを感じさせる身のこなしで衣の裾を翻した。そして足場の悪い場所にも関わらず颯爽と歩き出す。その後ろを、羅刹鬼孤月が嫌そうな顔でついて行った。
「堅いねぇ、せっかく主様の花嫁様がいらしているんだ、もっと愛想よく振る舞いなよ」
「うるさい、脳筋。角毟るぞ?」
「絶対にやるなよ! できるの知ってるから絶対にやるな!」
「ならばさっさと来なさい。間違っても仲睦まじいお二人の邪魔をするのではないぞ」
「えー、でも俺は主様の護衛だし?」
「そもそも冥府にいる状況で主様に危害を加えようとする愚か者がいるわけないでしょうが。そんなことをすれば一瞬にして魂ごと食われて終了、ですよ。だから文句言わずについて来なさい。いい歳した羅刹鬼がダラダラと歩く姿は見苦しいことこの上ありません。ああ、花影と黒縄もですよ。現世の言い回しによると、愛する者同士の逢瀬を邪魔する罪深い魂は馬に蹴られて冥府行き、ですからね」
「うわっ頭悪っ、ここ冥府だし。邪魔したって蹴られた魂の行き先他にないじゃん。しかも俺様レベルになると馬に蹴られたって余裕でかわせるしって、アダダダダッ、角握るのはナシ! ごめんなさい、ごめんなさいっっああっ! 主様ー、このままだとたぶん殺されます助けてくださいっっーー!」
引きずる鬼師に、引きずられていく羅刹鬼。二人は賑やかに灰と黒色に縁取られた白き道を進んでいく。その後には笑いを噛み殺した眷属の二人が続き、主様と私は取り残されたような状態になる。
ポカンとした表情のまま、途方に暮れる。このまま彼らの後ろを着いていけば良いのかしら?
苦笑いを浮かべた主様に優しく手を引かれた
「二人共、柄にもなく照れているらしいな。宵宮、こちらへ」
そういえば、手を繋いだままだったわ。……もしかして気を遣っていただいたのかしら? 神渡りが終わるまでの主様との短い逢瀬、二人きりになれる最後の機会かも知れない。二人きりにしようとする気遣いはありがたかった。主様と二人、彼らの後を追うために歩き出す。けれど器用に歩を進める主様とは違い、私は履きなれぬ草履と砂利道に時折足が取られる。だけど私が無理やり着いていくと言ったのだから文句は言うまい。必死に足を動かしていると、やがてふわりと身体が浮いた。
「歩きにくい道だ、手を貸そう」
抱き上げた私の耳元でそう囁いて、主様は愉しそうに笑った。彼の端正な顔が急に近付いたことで状況を察し、一瞬、息が止まる。
「あ、主様っ! 歩けます、歩けますから、あのっ!」
「嫌だ、降ろさない。それにしても宵宮はずいぶん軽いのだな。ちゃんと食事は取れているのか?」
背中に手が回され、膝の下に腕がある。ゆらゆらと揺れながら移動する、もしかしてこの格好は……。
「あらまあ、お姫様抱っこね。手を貸すどころか、抱っこなんて甘やかし過ぎではありませんの?」
「いわゆるご褒美だ。何か文句でもあるのか、花影?」
「イヤだわ、そんなものありませんよ! オホホホホ、どうぞ御存分に!」
振り向いた花影のからかうような声に、ポンと顔が赤くなる。子供ではないのだから、女性が好きな男性にこういう事をされることはあるとか話くらいは聞いたことがあった。……あったのだけれど。現実にそれをされると恥ずかしさが桁違いだということは知らなかった。
「首に手を回せ。体が安定しないとうっかり落ちるぞ?」
クスクスと笑う声が降ってくる。意地悪な表情で、甘い声で脅かされて。そっと首筋に手を回せば、くらりとするほどに芳しい香の薫りがした。
どうしよう、こんなに近くにいる――――感情が追いつかず、羞恥心から主様の首筋に顔を埋めれば、彼の小さく笑う声がした。
「二人共にお幸せそうだ、無事に出会えてよかったですね」
距離を置いた先に鬼師三白の姿があった。厳しい表情の目元が和らぐと、ずいぶん優しい顔になるのね。
「彼の番も宵宮だ。今もずっと彼女は彼の側にある」
「ええ。人としての肉の器はとうに失いましたが、今もここに」
主様の言葉を証明するように彼が虚空に手を伸ばすと筆線が虚空に引かれた。黒と灰の線は彼の手が指し示す方へと、輪郭を描く。豊かな毛並みを持った容姿の生き物は影も立体感もあって、墨絵とは思えないほどに精緻に描かれていた。あらまあ、生き物って。
――――猫だ。しかも、とびきり愛らしい黒猫。
黒猫は器用にくるりと一回転すると、美しい女性に姿を変え、鬼師三白の隣へと並ぶ。そして、主様の腕の中で驚いて固まる私に優雅なお辞儀をしてから微笑んだ。
『初めまして花嫁様。お会いできて光栄です。私はあなたから数えて八代前の宵宮を務めましたの。そして今はこの方の番ですわ』
彼女の唇からは鈴の音のような美しい声が聞こえる。そして鬼師三白の頬に唇を寄せ優しく口づけた。
「寧々、君はいつも綺麗だね」
「ふふ、ありがとうございます。失礼のないよう、装いを調えてから参りましたの」
くるり、くるり。
大胆に描かれた草木に花が散る。品よく重ねた衣の裾が軽やかに虚空を踊った。そして彼女は差し出された彼の手に自らの手を重ねる。まるで掛軸に描かれた一対の画を眺めているような美しい景色に、うらやましいと心底で思った。
「花嫁様、現世の一生は長く思いますが冥府では瞬きと同じですわ。ほんの少し離れたら、そこから先はずっと一緒。またお会いする日を心待ちにしております」
そして彼女は優雅な挙措で礼の姿勢をとった。すると輪郭線が虚空に崩れ、再び猫の姿に変わると瞬く間に姿を消した。あとには、何もない真っ白な空間だけが残される。
「なんとも、自由気ままな人だ」
苦笑いを浮かべた主様の的確な表現に、思わずクスッと笑った。本当、性格まで猫のような方だわ。自由気ままに過ごす姿が、人を惹きつけ幸せな気持ちにしてくれる猫のよう。でもあんなふうに愛おしい女性の姿が目の前から儚く消えてしまって寂しくないのだろうか。
女性が消えた虚空を見つめていた鬼師三白の目元が、ふっと緩んだ。彼の視線は眩しそうに彼女の消えた空を眺めている。そして向き直ると、横顔を見つめていた私に幸せそうな笑みを浮かべて見せた。
「寂しくは感じませんよ、花嫁様。とても彼女らしい姿なのですから」
「あ、申し訳ございません。不躾にも表情に出ていたようですね」
距離感は当人同士が決めるもの。他人がとやかく言うことではないわ。あわてて謝罪すると、彼は軽く首を振った。
「いいえ、皆がそう言うので、きっと花嫁様も思われるかと予想したまでですよ」
「はじめて見る者は皆驚くからな、あなただけではないよ」
ずいぶんとさっぱりとした関係だ。主様もあの姿と態度を見たときは驚いたらしい。同意した主様の表情も彼同様に愉しげだった。思い出した様子で鬼師三白が愉しそうに笑った。
「彼女は一箇所に留まることのできない人なのです。だから猫のようなあの姿が相応しいのですよ。それに呼べば必ず来てくれますし、気が滅入る時は呼ばずとも寄り添ってくれる優しい人でもあるのです」
彼女は風のように自由でありながら、今でも彼だけを愛し、深く囚われている。
「隣にいるからではないのです。側にいない時間があるからこそ、愛は深まる」
ああ、愛おしい。言外に彼の声が聞こえたような気がした。
「そういう考え方もあるのですね」
「ええ、そういうことです。さあ、先を急ぎましょう。時間は限られていますから」
視線をあげると羅刹鬼孤月と眷属の二人は先へと進んだようで、影も形も見えない。先導する鬼師三白の後を追い、主様にゆらゆらと運ばれながら彼の言葉に耳を傾ける。
「この冥府で、宵宮の魂がどのような姿をとるかは誰もわからない。なぜなら宵宮本人が望むように魂の形が変わるから。彼女のように墨絵で描かれた姿を選択するのは珍しいが、その他の宵宮も冥府に馴染むよう変化したり、状況に応じて実体の姿形を借りることもある」
小動物や鳥類、そして鬼。本人は、そのほうが冥府で過ごしやすいからという理由で変化するらしい。もちろん本人が望めば人型をとることもできる。やはり生前が人であったために、番の前では人型を常とする方が多いらしい。
「私は、一体どんな姿形をとるのでしょうか?」
どんな姿に変わってしまうのか。穢の姿となった者達の姿を思い出す。顔のない子供。蠢く黒い塊。それしか知らない。そんな私が望むような姿とは、どのようなものか。それを知るのは楽しみだけれど、こわくもあった。
「あなたの魂がどんな姿に変わるのか、楽しみだな。冥の花嫁は番となる相手に相応しく変化するそうだから」
「それは一体……」
「失礼いたします、間もなく例の四つ辻に到着しますので」
鬼師三白の言葉に主様はうなずいた。もっと深く尋ねたかったが、目的地は目の前のようだから口をつぐんだ。足場のよい場所で主様は私を地面に降ろす。今は陽の神様の行方を探すことに集中しなければ。
そのために私はこの世界の外れまで、遥々やってきたのだから。
歩くたびに空気の質が変わっていくのを肌で感じる。そして無言で主様が指し示した先に四つ辻はあった。
誤字報告ありがとうございました。
お楽しみいただけると嬉しいです




