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冥の花嫁がみる夢は  作者: ゆうひかんな


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六の常日裏話『通り雨③』


 目の前の光景を誰が想像できるだろうか。


 神殿において神官が神ではない見知らぬ男に頭を垂れるという姿を。瞳から光を失ったままに彼は退出する。その従順な姿があまりにも滑稽で、陽の巫女は品のない笑い声を立てた。


「身の程を知らない者が、厚かましくも主導権を握ろうとするからからこうなるのよ!」


 黒い被衣を深く被り直した男は大声で笑った。

 外から、ひときわ強く雨音が響く。喧しいと感じるほどに板戸へ雨粒が激しく打ちつけていた。


「俺は冥府で学んだことを応用しただけなのだがな。罪人の魂に恐怖を与えてから優しく慈悲を垂れると、荒ぶる魂でも素直にこちらの言うことに従うようになるのだよ。人は死してもなお、生に貪欲な生き物。生きているなら、なおさら死にたくはないし、誰でも生きるためなら名誉や誇りすら簡単に捨てることができる。それは欲深い者ほど顕著であり、しかも従えるのは容易い」


 さすがに価値観が異なる冥府の住人には同じやり方は通用しなかったけれど。陽の神と肉体という盾に守られていた現世の人間の魂は存外に脆いものだった。

 男の口元が歪な弧を描く。現世で足りなかった知識を、まさか逃げた先の冥府で知ることになるとは思わなかったな。皮肉なことだ。こういう知識を前もって与えておいてくれたら、陽の神の望みどおりに、現世を掌握できただろうに。


 魂の造り主とはいえ、陽の神は人心の機微に疎いのではないか?


 この容姿だってそうだ。悪目立ちしすぎて、人心を掌握する前に忌み嫌われてしまったではないか。挙げ句、群れを成した人間共に追い立てられ冥府へと逃げ込む羽目になった。数を頼りに、能力的に自身より劣る者共に追い詰められたという屈辱を思い出して怒りに震える。容姿という自身の力では変え難いものだけで忌み嫌われたという事が何よりも彼には耐えがたいものだった。


 ――――それともこれは神が与えた試練ということか?


 そのつもりなら、それでもいい。男が試練を乗り越えた今、陽の神に代わり現世を統べるに相応しい存在となれたわけだ。

 ならば遠慮なく、この世界をいただこう。見た目だけで俺を忌み嫌う醜い世界を、自身と同じ醜い生き物が闊歩するおぞましい世界へと創り変えるのだ。その足がかりとして、利害の一致した人間共に力を貸しつつ、自由に使える駒を手にしようと画策していた。優秀な手駒のひとつである陽の巫女が、優美な仕草で首を垂れる。


「双面様。また一歩、望む世界へと近づかれましたわね。心よりお祝いを申し上げます」


 そして一歩を踏み出すと柔らかい体を彼の胸元に寄せた。陽の巫女の衣から、ふわりと花のような香が薫る。意図して人好きのする笑みを浮かべれば、彼女から熱を孕んだ視線が注がれた。戯れに唇を重ねれば、うっとりとした表情を浮かべ彼女は頬を赤らめる。


「心よりお慕いしております。」


 熱を受け止めながら内心は冷ややかに彼女を観察していた。純粋な好意など、この世には存在しない。好意の根底にあるのは打算だ。彼女にとっても、俺は家を躍進させるための駒の一つに過ぎない。利用する価値があるからこその()()だ。


 第一、彼女は俺の(おもて)しか知らないからな。父親から俺が異形である事は聞いていて知っているだろうが、裏の顔を晒したことはなかった。自分の表の顔しか知らない彼女が、もう一つの顔を知ったとき、どう変わるのか。


 ――――どうせ今までの人間共と同様に忌み嫌うのだろう。


 この娘がそんな態度をとったらどうしてくれよう? ふと()()()()を想像してみる。きっと俺は怒りのあまり彼女の命を奪ってしまうかもしれない。純粋な好意を信じるには、俺は人の抱く悪意に晒され過ぎた。そう、いまさら人間共に心を許すことなどできない。だから彼女に請われたとしても、自身の本当の姿だけは見せるわけにはいかないと思った。


 そういえば、宵宮はどうなのだろうな? 彼女から聞くところによれば特筆するような能力を持たない、平凡を絵にしたような女だという。化粧をし、着飾る姿は美しいとされるが、原石のままでは十人並み程度。そんな女が異形な者ばかりの冥府で最も位の高い主の(つがい)となるとは、冥府の住人の趣味が理解できない。


 冥府の主か。何度か見かけたが人としての容姿は美しく、今一つ読めない男だった。荒振神(あらぶるかみ)とも呼ばれる力を抑えない本当の姿は、恐怖だけで冥府の住人を従えることができる程だという。

 ……未だ一度もそんな姿は見ていないが。そんな彼と比べて、自身との力量の差を感じなかったのは、もしかしたら陽の神によって彼に匹敵するような強大な力を与えられていたからではないだろうか。

 冥府の住人は、主に畏敬の念を抱くよう刷り込まれているために余計な恐怖を感じているだけで、実はたいしたことはないとか。偉そうにしている冥府の主が震え懇願する姿を脳裏に描いて男はクスッと笑った。


 そうか……冥府を奪うという選択肢もあったか。

 たとえば宵宮には異形の姿や力に対する耐性が与えられているのかもしれない。それならば、すんなりと冥府の主を受け入れた態度の説明もつく。

 その資質は便利そうだ。使い勝手のよい手駒として俺が奪ってやろう。彼女自身に魅力はなくとも、彼女に与えられた神宝の力は欲しい。本当かはわからないが彼女の身につけた神宝は本人にしか使えないのだという。それなら彼女ごと力を奪えばいいのだ。


 力こそ、全て。力こそ正義だ。人間共には俺を冥府に追いやった償いをしてもらおう。この世を支配するための手はすでにいくつか打ってある。とはいえ、もっと情報が欲しいところだ。


 宰相が立てた計画では、俺が力で帝の地位を簒奪し、政治の実権は陽の巫女の一族が握ることになっている。それと同時に、この世から陽の神の存在自体を追放するつもりだ。追放といっても人々に信仰自体を禁止すればよいだけだから簡単なことだ。神殿は完全な縦社会だから、神官長が白を黒といえば黒。祀る神が俺に変わろうとも務めは同じだし、揉めるようなら神官長のように大人しくさせればよいだけ。

 元々神など存在しないのだ、俺が成り代わっても大差はないだろう。


 こんなつもりではなかったと慌てふためく陽の神の姿を想像して、思わず笑みが浮かんだ。おお、面白いことになりそうだ。そして陽光に照らされた現世は冥府の主でさえ身を焼かれて手が出せない。

 現世と冥府を繋ぐ道は鍵をかけてしまえば二度と開くことはないと、そう冥府で教えられた。宰相曰く、鍵をかける方法はいくつかあるという。鍵さえかけてしまえば冥府の住人から干渉されることもないだろう。


 あとはどのタイミングで鍵をかけるか、だ。身体を預けていた陽の巫女が、すっと身体を引き、礼の姿勢をとった。血がにじむ程に努力したのだというその姿は、たしかに美しい。


「双面様がこの世を手に入れた暁には、私を正妃にしてくださいませ。巫女などという耳障りの良いだけのお飾りの妻は嫌なのです」

「ならば今上帝の妃となればよいのではないか?」


 彼女のことを今上帝がことのほか気に入っているのは周知の事実だ。だが同時に、実情を知るものとしては意地の悪い質問であることも承知している。


「正妃と側妃の地位は、すでに上位貴族の女性達で占められております。私より器量も才能も劣る、家格が高いだけの娘達が輿入れしておりますの。もし可能性があるとすれば妾の地位くらいでしょうか。そんなこと私が許せません。彼女達を能力に相応しい地位まで引きずり下ろしてやりたいのです。そのためなら、どんな犠牲を払おうとも厭いませんわ」


 嫉妬と羨望、そう彼女の顔に書かれているのが手に取るようにわかる。どれだけ才能豊かであろうとも、地位が低いからと侮られ、本来の器量より低く評価されてしまう。それは容姿が異形だからというだけで、はじめから忌み嫌われた自身の姿を彷彿とさせた。同じ痛みを知る者として、得た利益を分け合うのも悪くはない。だがそれは全てがうまくいってからの話。


「わかった、万事うまく収まったら俺もあなたの働きに見合うだけの地位を約束しよう」

「ありがとうございます。今は、そのお気持ちだけで十分ですわ」

「我らの宿願を叶える日まで励めよ」

「承知しました」


 彼女は透き通る雪のような肌に朱を浮かべ、興奮に瞳を潤ませる。欲と歓喜に塗れたその表情は今まで見てきた生き物の中で最も美しいと思えた。


「そういえば、そろそろ夕餉の時間でございますね。もし差し支えなければ御膳をご用意しても?」

「そうだな、ならば共にいただこうか。」


 彼女が呼び鈴を鳴らせば、心得たように侍女が膳を運んでくる。瞳から光を失った侍女達は恭しく頭を下げるだけで、自身の姿を見ても動じることはなかった。

 館に勤める者は全て掌握済みだからな。言いなりにならぬ者は、すでに巫女が辞めさせている。ここは彼にとっては待遇のよい隠れ家でもあった。止まない雨音を聞きながら、陽の巫女はため息をつく。


「間もなく、神渡りの期間が終わるのですね。こうして堂々と会えなくなることが寂しくてたまりませんわ」

「しばらくの辛抱だ。程なくして全てが終わる」

「とはいえ陽の神が戻られれば、また私のお勤めが始まります。陽の神などいないのに、心ならずも仕えねばならぬのが憂鬱ですわ」

「ああ、それは大丈夫だ。陽の神が戻らねばよいのだろう? 手は打ってある」


 成功すれば政権に大打撃を与えることができる上に、失敗しても次の布石にできる一手だ。冥府に主が不在なのは幸いなことよ。薄く笑ったところで、ふと耳を済ませば雨音は消えていた。


「あら、雨が止みましたわね。」

「どうやら通り雨のようだな。」

「こんなにあっさりと雨が止むなんて、まるで狐に誑かされたようですわね。」

「狐に?」

「現世では、晴れているのに降る雨を()()()()()と呼んでおりますの。」


 俺の何気ない言葉に応じて、陽の巫女が思い出したかのように呟く。狐という言葉に引っ掛かるものがあったけれども、思い出す前に霧散してしまう。この時は必要であれば思い出すだろうと意識の奥から追い出してしまったけれど。


 遠くない未来。無理矢理にでも思い出そうとしなかった、それを後悔する羽目になることを彼はまだ知らない。



ーーーーー



 食事を済ませ、双面を再び冥府へと送り出した後。


 陽の巫女は渡り廊下で足を止めると、深々と礼の姿勢をとった。吹き込んだ雨が巫女の住まう神殿に繋がる渡り廊下の手摺りをしっとりと濡らしている。

 渡り廊下に待機していた客人を誘い、再び静まり返った神殿の自室へと案内する。


「お久しゅうございます、お父様」

「万事滞りなく進めておるか?」

「はい、ほぼ予定どおりに。ただ手の者からお聞き及びとは存じますが、不測の事態が生じておりますの」

「例の伯爵家のことか」

「一部の神官が私に不信感を抱いているようですわ」

「愚かなことよ。神官の処遇については我が一族の者達で対処しておこう」

「恐れ入ります」


 親子でありながら、まるで臣下のようなやり取り。情など出世の役に立たぬとばかりに彼らが排除してきた結果だった。神殿は陽の神と帝、そして神官長しか男性は立ち入ることができない。だが神渡りの闇は人目など容易く欺ける。陽の巫女は、神渡りの弊害と恩恵を存分に活用し暗躍していた。


「して、あの者はどうしている?」

「こちらも予定どおりですわ。冥府と現世を行き来しながら着々と準備を整えております」


 双面様のことであろうと推測し、そう言葉を返した。父は探るような視線でこちらを伺う。


「気づかれてはいまいな?」

「はい」

「力だけが強くて、駆け引きに疎い者というのは操るのも楽で助かる。おまえの手足となるように、術者を神殿に差し向けておいた。あの者が帝を排し我らが権力を手に入れれば、もう用済みよ。上手く誘いをかけて、あの者を冥府に帰せ。術者には冥府に繋がる戸を閉じる力がある。どう追い返し、いつ戸を閉じるかの判断はお前に任せよう」


 戸をこちら側から閉じるということは、双面様を冥府に追い返すことと同じだ。冥府でも色々と画策し、謀っている彼が無事でいられるとは到底思えない。父は利用するだけ利用し、彼を使い捨てる気なのだ。だが私は深々と父に頭を下げる。自身の願いを叶えるために。


「承知いたしました」

「ただし、もしあの者を冥府に帰す前に、こちらの企みに気づくようであれば家に火の粉がかからぬよう、適切に対処せよ。それが我が家に生まれた者の義務である。全てを言わずとも、お前ならわかるだろう?」


 つまり責任を一身に引き受けて、命を絶てということか。すでに痛みなど忘れたはずなのに、小さく胸の奥が軋んだ。


 使い勝手のいい道具、そして使い捨ての道具なのだ、()()。そんなこと散々思い知らされてきたのに、いまさら痛みを覚えるなんて、どうかしている。

 物心がつく頃からずっと、結果だけを求められてきた。結果さえ出せば、少なくとも表向きは大切には扱われるから。だけど、ずっと父に問いたかった。家人を犠牲にし、家を躍進させたとして、誰が幸せになるのかと。


 ふと双面様の射抜くような金の瞳が脳裏に浮かぶ。あの方は陽の神が人々を導くために遣わしたとされる稀有な存在だった。畏怖されてしまうほどに純度の高い戦闘能力を持つ、異形の人。たしかに、力だけに価値を見出し破滅に続くとも知らずに邁進する彼の姿は私にも愚かと思えた。

 だが家が躍進することだけを願い、身内に犠牲を強いるという歪んだ価値観に染まる父の姿を見せつけられれば、己の力だけを頼りに成り上がろうとする彼の姿勢はむしろ好ましい。


 ただ憧れながらも、彼の纏う黒い衣の下を覗くのは怖かった。自分と異なる姿形を見せられて、今までと変わらぬ態度を示す自信がないから。

 私が欲に駆られて彼を愛するという醜態を晒すのは、彼に油断させるため。そこには愛や情などという余計なものは存在しない……そのはずなのに。

 無様な姿を晒して、彼に失望されるのが怖いと思うのはなぜだろう。

 

 失望されるくらいなら、その破滅的な力で全てを壊して欲しい。貴族というだけで、能力の有無に関わらず高い地位を占める理不尽な世界を。人を出世のための道具や踏み台としてしか見ない我が家を。そして地位と名誉にしか価値を見いだせない私自身を……。


 このまま計画通りに進めば確実に彼を失う。

 わかっていながら利用した、そのはずなのに。


 彼を失った後、死ぬまで続くだろう空虚な時間を思うと、なぜか胸が痛んだ。



下書きにずいぶんと溜めてしまいました。

お楽しみいただけますと嬉しいです。

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