六の常日裏話『薄暗闇に蠢くもの①』
時は遡る。
宵宮と共に皆見から戻った後のこと。
花影の手籠から黒縄を引き出す。黒と茶、灰色の交じる斑模様。その柄の下で蛇特有のざらりとした質感のある鱗が鈍い光沢を放つ。意識はないようで、鎌首を持ち上げることもせずに手からダラリとぶら下がるのみ。たしかに、こうして力なく垂れ下がる様子は縄のようだな。
念入りに確認するも目立つような大きな傷はない。ただ失った力を補うため、深い眠りに落ちているだけのようだ。
「起きろ、黒縄。少しだけ話をしたい」
力を黒縄の身体に注ぎ、声をかける。ぼんやりと身体が光ったのち黒縄はうっすらと瞳を開けた。
「っと……主様。申し訳ございません、なんだか身体が思うように動かせなくて」
「疲れているところ、すまないな。こちらが聞きたいことだけ話したら、また眠ってしまってかまわんぞ」
「…へい、お気遣い感謝します。で、なんでしょう?」
「誰にやられた?」
「それが、信じていただけないかも知れませんが……」
「この状態のお前が言うことだ、信じるよ」
「双面の旦那なんです」
「彼か」
「……へい。あの方は今や冥府の住人。この世へ干渉するのは御法度のはず。それが度々気配を感じていたので、おかしいと調べ始めた矢先に、見つかって捕らえられ、あの穢の塊に放り込まれました。あとはご存知のとおりです」
「どこから出入りしていたのか、……まさか!」
「ええ、どうやらあの場所かららしいですね」
「なるほど、奴は見つけたのか。冥府から、この世へと繋がる道すじを」
「そのようです」
神殿の奥の間にある戸は、現世から冥府へと繋がる出入り口。神渡りで冥府の客人を招くのはこちらの戸からで、出入り口の主導権は現世の側にある。
だが逆に冥府から現世へ至る戸もまた存在する。そちら側の戸が実は神殿の開かずの間とされる部屋にあることは歴代の帝にしか知らされていない。冥府においても入り組んだ冥道の辻を抜けた先にある戸の存在を知るのは、主たる自身を除けば偶然知り得た者だけ。眷属である花影や黒縄でさえも、存在は知っていても冥府から戸に至る道すじまでは知らない。そして偶然見つけたとしても、冥府の主たる自身の権限で冥府側からは開かないようになっている。その簡単には開かない戸を開ける鍵はひとつ。
こちら側の人間が許可を与えること、だ。
本来、現世でその役目を果たせるのは宵宮だけだ。宵宮は神渡りを通じて帝から在り処を教えられ、死ぬまで神殿に暮らし、この戸を守る。宵宮不在の間は、帝自らが戸の秘密を守るのだ。
「あれは万が一、緊急事態が生じたときに対処するためのものだ。普段は閉じられているべきもので、そうでなくては意味がない。たしかに一度許可を得た者は制限なく出入りは可能としているが、冥府からこの世に出ようとするモノが質の良いモノばかりでないことは明白だ。それをなぜこうも簡単に開けたのか。目先の利益に目が眩んだ馬鹿がいたということか。しかも引き入れたのが、よりにもよってあの双面とはな。愚かとしか思えない」
「さようで。ですが、手引きした理由までは余裕がなくて調べられませんでした」
だが手引きした者はわかった、と。その名を聞き、眉を顰める。
「なるほど。あとはこちらで調べよう」
「ありがとうございます……」
スウっと大きく息を吸って、再び吸い込まれるように黒縄が眠りについた。もう一度、失われたぶんの力を注ぐと花影の手籠に戻した。
「都合の良いことに、神渡りの間、この世は昼日向関係なく闇の力が満ちている。程なくしてまた動けるようになるだろうよ」
「では黒縄が動けるようになるまで私の眷属に調べさせましょう」
「ああ、そうして欲しい。それから黒縄の仲間で動けるものがいれば声を掛けてくれ。秘密裏に、な」
極力、こちらの動きを悟られぬようにしなくては。ひとつうなずくと花影は黒狐に姿を変え、軽々と身を翻し御簾を潜って姿を消した。
神渡りの間は闇に親しい者の力が増し、能力が強化されると聞く。たしかに花影も普段より身のこなしが軽い。
「間もなく神渡りも終わろうというのに、落ち着かないものだな」
冥府で人を裁くのとは別の苦労がある。長椅子に腰掛け、深く息を吸った。そのまま目を閉じると五感を部屋の外へと広げていく。どんどんと広げて、敷地全体を把握したところで不快な気配を感じる。
ーーーーまさか、この気配は。神殿は、どこよりも清浄であらねばならぬ場所にも関わらず、なぜこれだけ淀んでいるのか。御簾を上げ、闇の奥にあるものを睨みつける。
「元凶は、あの場所か」
穢が集まる気配を追っていくと、一箇所だけ、妙に淀んだ空気を感じる箇所があった。記憶をたどって神官達が説明した建物の配置を脳裏に思い浮かべる。神殿の最奥、つまり陽の神に一番近い場所にあるということは恐らく陽の巫女の居所だろう。陽の巫女の居場所について、神殿の者は口が固かった。
表向きは神渡りの間に行う潔斎のため表には出てこないから説明しないという理由だった。だがそれと完全に口を閉ざすのは、少々意味が違うように思う。
「冥府の客人を、穢と同じだとでも思っているのだろうな。」
我らが冥府から穢を持ち込むと思われているのかもしれない。
……もしそうなら不愉快なことよ。穢は、人の負の感情こそが生み出すものである。その誤った認識が穢を身に集めることのできる宵宮を一層追い詰めている原因ではないだろうか?
冥府はあくまでも人の罪を裁くだけの場所、宵宮は穢を冥府に導くだけの存在であるのに。
「その認識の誤りを正さぬ時点で、陽の巫女は違うな」
陽の巫女と宵宮は磁石の両極と同じ。能力は反発し、決して相容れない者同士であっても精神は互いに惹かれ合う。血の繋がりがなくとも、互いを親、姉妹や双子の片割れと思うほどに親しみを感じるものらしい。
現に我が花嫁はお嬢様と呼ぶ相手の魂と手を握っていた。別れが辛いと涙を流し、姉のような親しみを感じるとも言っている。彼女のほうも、他人にあれだけ手酷く扱われたにも関わらず我が花嫁にだけは気を許した様子。
あの二人は再び出会った時、共に戦おうとするほどに互いを求めている。それは冥府の主たる私をも嫉妬させるほどだ。我が花嫁は死ねば魂のまま生まれ変わることもないというのが約定であるのに。
それが此度の陽の巫女が彼女と会ったのは一度だけだと聞く。しかも宵宮の言動から推察するに冥府の人間には気を許さぬようにと教え諭したらしい。それが真実なら、言語道断。宵宮は……冥の花嫁は我らが得られる対価である。気を許すなとはどういうことだ? 陽の神の婚約者たる彼女が、宵宮の役目を知らない訳ではないだろうに。
「それに双面のこともあるしな」
花影が調べてきたことによると現在の陽の巫女は皆見の出身だという。そして黒縄曰く、彼女と同族である皆見を支配する一族の者が戸を開けて双面を引き入れた。
有能と称賛され、彼ら一族の者は帝の覚えもめでたいと聞く。政治に影響を与える人物が裏で双面と結び付いていた。その有能さの影には、双面の助力があるのか。もしかしたら双面は冥府から偶然あの戸までたどり着いたのではなく、そのために呼び寄せられた?
言霊を操り、冥府から人を還すという業、御霊返しとも呼ばれる怪しい呪があるということも情報として耳にしている。実際、今まで成功例はなく実害があるわけでもないからと放置していたが、偶然でも抜け道として使われたとすれば由々しき問題。本来なら冥府に住まう者を呼び寄せるなど、あってはならないことだ。
「秘匿するべき戸の存在を皆の者に教えたのは先代の帝しかいない」
黒縄が捕らえられたのは百年前。先代の宵宮が亡くなった後のことだ。偶然見られて話したのか、もしくは理由あってのことか。どちらにしても、話したのは相手を信用していたからだろう。つまりその当時から双面は冥府と現世の間を行き来していたのかもしれない。
「そのことと、今回の一件に繋がりがあるというのか」
彼女と双面に繋がりがあるとすれば、彼女が陽の巫女に選ばれたこと自体、なんらかの意図があった。陽の巫女は陽の神に仕える者。それが宵宮を差し置いて冥府に近づくとは、愚かな。
「おそらく陽の巫女の役目も正しく伝わっていなかった」
巫女が穢に弱いという認識は間違っていないというのに。ただの飾りとされた存在がここにもあった。たしかに無垢である彼女達の魂は、素直に闇の存在を受け入れて簡単に闇に染まってしまう。
だがそのことと、本来の役目を果たさないことは同意ではない。闇に染まろうとも、陽の巫女は巫女である。対価として祈りを捧げたのであれば、効果の大小はあれど穢が祓われるは当然。
だがもし陽の巫女が、陽の巫女でなければ資質のない者がどれほど祈ろうとも、祈りが届くわけはない。陽の巫女が祈らぬならば神殿にこれだけの穢が溜まる理由も納得がいく。闇の奥、姿の見えない陽の巫女の居所をじっと見つめる。
当代の陽の巫女は、おそらく偽者。もしくは致し方なく代理と定めた者か。意図的に変更されたのかは、今はまだわからない。だが安易に代理を立てるという対応を取るあたり、陽の神への信仰が薄れつつある証拠のように思える。
「神はいない、か。」
冥府で初めて顔を合わせたときの、双面の言葉を思い出す。彼は陽の神からの預かり者、つまり我々冥府の者からすれば客人だった。ちょうど今の自分とは逆の立場になる。
彼は陽の神から与えられた肉体を持ったまま、冥府に住まうという稀有な存在だった。元々、彼は陽の神に抜き出た力を与えられ、人としてこの世に生まれたが、普通の人とは異なり、頭部に表と裏の双面を持っており腕は四本ある。陽の神曰く、抜き出た力を与えるため人とは異なる容姿を与えたのだとか。
人を導くための存在として陽の神から遣わされたのだが、人間離れした強さ故に人に恐れられ、危うく殺されかけたところを、憐れに思った陽の神の導きにより冥府へとたどり着いたのだ。客人として彼を迎え入れた我々は話し合い、冥府から出ないことを条件に留まることを許した。だが冥府の住人からしても、肉体を維持したまま冥府に留まる彼は特別である。我々も彼に歩み寄ろうとしなかった訳ではないが、それを純粋な好意と解して無条件に受け入れるには、彼は悪意に晒され過ぎた。彼は自分以外の者を全て敵と認識したのだろう。自身を生み出し、命を救った神の存在すら否定する。
双面は生い立ちからして人に親しく、口が立つからな。相手の弱みを見抜き、自身だけを味方と信じさせることがとても上手い。
「奴はその力を利用し、戸を開かせたのだろう」
冥府から再びこの世へと戻る手段を得たのは、復讐のためか、それとも。
明け方にも関わらず神渡りの闇が暗さを増した。
連休中ですが、なんとなく慌ただしいです。
お楽しみいただけると嬉しいです。




