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冥の花嫁がみる夢は  作者: ゆうひかんな


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六の常日『憧れ』


「彼女の事件については、詳細を花影に調べるよう命じたから、その報告を聞いてから考えればよい。それよりも先に涙を拭いなさい」


 主様が手拭いを差し出す。頬に触れるとたしかに、わずかばかり涙の跡が残っていた。


「心遣いをいただいて、ありがとうございます。」

「……なんというか、直接手が出せないというのは歯がゆいものなのだな」

「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに、お心を煩わせてしまって」

「いや、そういうわけではない」


 皆見では騙されて穢に捉えられたし、今は不用意に手を出して引き込まれそうになった。未熟さを叱られたのだと思い、うなだれると、主様が慌てたような仕草を見せる。


「違いますよ、花嫁様。主様は花嫁様が自分以外の人物に心を奪われるのが許せないだけです」


 大人げないですよねぇ。主様の背後から、ひょこりと黒縄が顔を出す。

 えっ、そうなの? 驚いて、主様を見つめた。


 それって、その……もしかして。しばし無言のまま見つめ合い、私は頬を赤らめた。

 まさか、嫉妬かしら?

 冥府の主様が嫉妬、なんてあり得ない。違っても、もしそうだったら嬉しい。


  主様は決まりの悪そうな表情を浮かべ、私から視線を外すと黒縄を軽く睨みつける。黒縄は慣れたものと主様の視線を受け流し、ニヤリと笑った。


「いやなんともこう、初々しいことで」

「仕事はどうした? サボるなら、力を返してもらおうか」

「仕事してますよ! 今は報告がてら花影と交代しただけでさぁ」

「ならば戻って報告を聞こう。……それと口の端に紅の跡が残ってるぞ?」

「おっと、失礼しやした。」


 黒縄はバツの悪い表情を見せながら、指先で口元を拭った。野性味あふれる仕草に、そこはかとなく色気が漂う。主様はため息をついた。


「あれだけ喰うなと釘を刺したのに、言い訳なら聞かんぞ?」

「いや口が固くてつい、ね。その代わり面白そうなネタはありましたよ」

「ここは人が多い。用も済んだことだし、部屋で聞こうか」


 一瞬とはいえ陽光とも思える眩しい光が差したことを訝しみ、近隣から人々が集まってきていた。そしてなぜか神官長や神官達は居心地悪そうに身じろぎしている。黒縄が主様の近くに寄り、そっと囁いた。


「神官長は自身の支援者に()()、主様が左京に来ることを伝えたのですよ。」

「なるほど、それはさぞかし居心地が悪いだろうな」


 つまり今になって集まってきている貴族は主様が左京にいらしていることを知らされていなかった、と。すると黒い笑みを浮かべた悪い顔で黒縄がこう言った。


「憂さ晴らしに、しばらくこの場で時間を潰しましょうか! 面白い展開になるかもしれませんよ」

「騒ぎになるのも面倒だ、帰ろう」

 

 主様が苦笑いを浮かべながら神殿に戻ると伝えると、神官長は安堵したような表情をみせた。導かれ、行きと同じように牛車に乗る。揺れる車の中、主様に寄り添いながら無言のまま神渡りの薄闇を見つめていた。


「彼女のことを思い出しているのか?」

「はい。とても素敵な方だった、と」


この感情には覚えがある。(あこが)れと呼ばれるもの、だ。


 今思えば、花影に抱いたものとは違う。花影に対して抱いたのは、たぶん羨望と呼ばれるもの。あの人の得るものが羨ましい、だからあの人のようになりたい。それはときに思わぬ底力を生むものであるし、一歩間違えれば浅ましい執着ともなる。そういう負の面も持つ感情だ。


 でも憧れるのは、その人のように()()()()ことを知っているから。憧れる対象が相反するもので、自身とは相容れないものであることに気がついているから。


「私が憧れるのは、なぜこの世界にいない方ばかりなのでしょう」


 お嬢様はこの世にいたけれど、今はもう冥府へと旅立った。そして冥府の住人である主様は、生を全うして世界を違えなければ掴めない。

 主様の手をそっと自身の頬に当てて、瞳を閉じた。凹凸すら感じさせない滑らかな肌が人ならざるものの証。それに気がつくほど、そばにいたというのに。


「それでもあなたは、私の手が届かない場所へ帰ってしまわれるのですね」


 引き合わせたのに、引き離すなんて。今だけは陽の神を恨んでしまいそうだった。


 神渡りの期間は間もなく終わる。環日(かんのひ)、夜明けとともに陽の神がお戻りになり、入れ違いに客人は冥府へと戻られる。初日に客人が姿を現したあの戸が閉まれば、二百年後の神渡りまで再び開くことはない。

 そして次に会えるのは命数が尽きたあとに冥府で、だ。いつ命が尽きるかもわからない以上、長い長い時間を私は一人きりで孤独に過ごさねばならない。

 宵宮の務めが終われば、私は平民として喜多山の麓にある家に帰るつもりだ。歴代の宵宮は生涯独身を貫くため神殿に残ると聞いたが、私にその話はこない。神殿にある戸が唯一、冥府と、この世をつなぐものだ。きっと歴代の宵宮は戸を()()()として寂しさを紛らわせてきたのだろう。

 そこにいられなければ、どこにいようと同じだもの。それならば生まれ育った故郷で過ごすほうがありがたかった。


 必死に涙を堪えて瞳を揺らす私を主様は表情を変えることなく見つめている。ただ冷静に、私の心の奥にある感情の変化を余すところなく受け止めようとしているように感じた。

 主様にとって、やはり私は仮染めの婚約者に過ぎないのではないか。だから私ほど相手に対する執着はないのかもしれない。一方通行なこの思いは、やはり憧れだけで終わるのかと視線を下げて俯いた。


「……離れがたいのは私も同じだ」


 堪えかねたように、こぼれ落ちた言葉を耳が拾って俯いた顔が跳ね上がる。すると思いのほか近い位置に主様の顔があって驚いた。視線が絡めば、いつものような割れ物を扱うかのような繊細さはなく、荒々しく抱き寄せられた。


「我々、冥府の住人はたしかに理性的に振る舞うこともできる。だが、その本質はもっと直情的なものだ」


 華奢にも思える容姿からは想像できないほど、体に食い込む指先の力は強い。心地よくも感じる痛みに思わず吐息がこぼれた。


「肉体という枷はなんとも重いものなのだな。これさえなければあなたの魂を連れて帰れるのに」


 いっそ肉の殻など食い破ってしまおうか。主様の、そんな激情に駆られた言葉が心底嬉しかった。


「叶うことなら、このまま連れ去ってください。」


 置いていかないで。過ぎた願いと知りながらも口にしたのは忘れて欲しくないから。醜くも追いすがる女がいたことを覚えていて欲しいから。揺れる牛車の中、片時も離れたくないと強く抱き締める。


「主様の魂に手が届くなら私の名を刻み込んでしまいたい」


 追い詰められて、思わずこぼれ落ちた私の言葉を主様はふっと笑った。そして名残惜しそうに体を引き剥がした。


「冥の花嫁は、魂の片割れだ。忘れるわけはないだろう。だが、そうだな。今のうちに真名を聞いておきたい。再び相見えるときはあなたの名を呼べるように」

「はい、主様」


 神渡りが終われば、もう宵宮ではないもの。差し出された手のひらに自分の名を綴る。指先に触れる肌の体温が上がったような気がした。


「愛らしい名だ」

「ありがとうございます」


 そして、もう一度深く抱き寄せた。主様の表情から察するに、彼は私を残して帰ると決めたのだろう。一時の感情だけで、全てを失うような愚かなことをしない方だから。それならば私は彼に会える日をただ静かに待つしかない。


 肉体はその場所から離れられない。けれど、想いだけは望むところへ飛んで行く――――。憧れとは、そういうものを指すらしい。この世で側にあることができないなら、せめて憧れるくらいは許して欲しいわ。

 寂しそうに微笑む私を気遣うように、主様は私の頭をひとつ撫でて頬に手を添えた。


「ひとつだけ、約束して欲しい」

「なんでしょうか?」

「何があろうとも、自ら命を断つことだけは許さない。それは私との約定を破棄したものと見なされるからだ。命を粗末にすれば、せっかく私と繋がれた縁が切れてしまう」

「わかりました。それだけは絶対にいたしません」


 冥府に行けば愛した方と会える。もしかすると、過去に安直な道を選んだ冥の花嫁がいたのかも知れない。いけないと思いながらも、安易に死を選んでしまったその気持ちが今はとてもわかる気がした。客人はそれだけの魅力を持つ方だと今なら理解できてしまう。


 程なくして、牛車の揺れが止まった。無事に神殿へと戻ったらしい。幕を上げ、外から陽の巫女様の居所を見れば、溜まっていた穢はすっかり姿を消していた。


 喜多山、皆見そして都。まだ比嘉と仁志野は完全に穢を祓ってはいないが、折をみて、かの地を守護する神々に参れば、私についてきた穢は祓っていただけるだろう。そして広大な都の穢が祓われた今、日々溜まる穢を少しずつ陽の神の力で浄化すれば、穢の塊ができることもない。


これであと二百年は大丈夫。


「本当に、お嬢様の力はすごいですね」

「そういえば彼女が旅立つ直前、あなたに言い残したことがあっただろう?」


 なんと言っていたのか、主様は首を傾げた。子供のような無邪気な仕草に思わず声を立てて笑ってしまった。主様が不思議そうな顔をするけれど、理由は言わない。主様を愛らしいと思ったことは私だけの秘密だ。


「とてもあの方らしい台詞でしたよ」

「わずかな時間しか会っていないけれど、そんなことまで分かるのかい?」

「ええ、私達はどうやら同じように同じことを考えるらしいですね」


 確証はなくとも、たぶんそう。もし逆の立場になり私が先に朽ち果てるときも、同じ言葉を残すに違いない。


『次に会ったそのときは、あなたの同志として共に戦いましょう。』


 主様は、驚いた表情を浮かべる。そして弾けるような笑い声を上げた。


「なんとも勇ましいものだね」

「人ならざる存在の隣に並ぶためですもの、自然とそうなりますわ」

「だがあなたと彼女が再び出会えるかはわからないだろう?」


 そう、再び出会えるかは未知数。そんなことはわかっているのに。


「なんででしょうか。遠くない未来に、もう一度会えそうな予感がします」





そろそろ終わりが見えてきそうで、ホッとしました。

お楽しみいただけると嬉しいです。

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