六の常日『もう一人の陽の巫女』
一部暴力的な表現があります。
お気をつけください。
「……これは、まさか!」
私の後ろから主様の驚いたような声が聞こえた。気になるけれど、彼女が旅立つ前に聞いておかねばならないことがある。今や私の手を彼女の手はゆるく握るだけだった。教えられなくてもわかる。彼女の旅立ちまで、あと少ししか時間が残されていない。
「お嬢様、教えていただきたいことがあるのです」
『なにかしら?』
名は知らぬけれど、彼女はこの地に縁のある方。そしてここは左京、貴族の館が建つ場所だ。館に住まう少女は、住み込みの使用人か、もしくは貴族のお嬢様。彼女の言葉遣いと振る舞いから貴人であろうと判断したのだが、やはり貴族のお嬢様なのだろう。
「神殿に穢が溜まる、その理由をご存知でしょうか?」
『それは私のせいなの。迷惑を掛けていたなら、ごめんなさい』
「大事にはなりませんでしたから、もう大丈夫ですよ?」
そもそもは神殿に浄化されず穢が溜まることのほうがおかしいのだ。あのままであれば悪影響があったかも知れないが、先程まで煙のように神殿に向かっていた呪詛が今はもう跡形もなく消えている。供給が止まれば、あとは神殿の自浄作用と陽の神様の力で自然と浄化されるに違いない。
『あれは穢が私の願いを叶えようとした結果だったの』
「穢が、お嬢様の願いを?」
『ええ。私が神殿に強く怨みを抱いたから彼らに力を与えてしまった』
「詳細をお話いただけませんか?」
『……話したら、私の悲しみが再び穢を呼び寄せてしまわないか心配なの』
「私がお側におります。私自身は非力ですが、山神様の力が守ってくださいますから」
シャラリ。応じるように、髪飾りの白い花が音を鳴らす。ぼんやりとした白い光が二人を包んだ。
『温かい、包み込むような光ね』
「はい。お嬢様は見たことがないかもしれませんが、喜多山に咲いた月見草の放つ光に似ています」
『これなら安心できるわ。でも、できれば手は握っていてくださらない?』
「もちろんです」
彼女の揺れる手に、包み込むようにして自分の手を重ねる。表情は見えなくとも雰囲気が和らぎ、彼女が笑ったような気がした。彼女は私に近づくと、耳元で囁いた。聞き取りやすいようにという配慮かもしれないが、囁かれる話は残酷で、想定もしていない内容であった。
『我が家に押し入ったもののうち、ひとりがこう言ったの。少女を散々穢した挙げ句、家族を一人ずつ目の前で殺すというのはあまりにも残酷じゃないか、と。そうしたら別のひとりがこう答えたのよ。生まれ変わって、再び陽の神に選ばれることのないよう、魂を粉々に砕くような苦しみを与えるようにという神殿からの指示だから、仕方ないとね。』
私は驚きを隠せなかった。呆然として、言葉を失う。……神殿が彼女を殺すよう指示した、ということだろうか。たしかに神官であっても気性が激しい人もいる。だが、さすがに人殺しまでは。そんな危険を冒してまで彼らに何の得があるというのか。だけど命すら失った今、彼女が嘘をつく理由など何もない。
『私が本当に陽の神に巫女として選ばれたかのか知らないけれど、そんな理由で家族諸共殺されるくらいなら躊躇いなく辞退するし、命を失う前に都落ちでも何でもするわ。だってそうでしょう? 家族の命の前に陽の神に選ばれた栄誉など瑣末なことだもの。なのに選択肢も与えず、理由もわからないままに命を奪われるなんて許せない。その行き場のない怒りの矛先が……神殿に向いたのよ』
証拠などない。けれど、彼らの選択を止められなかった。そう答えた彼女は私の手を強く握り返す。そこにはいまだ冷めない怒りの残さがあるように思えた。
『これは私が強盗のひとりに斬り捨てられた後に聞いた会話なの。彼らは私がすでに息絶えたと思っていたから、彼らが話したことは本当のことだと思うわ。彼らの言葉を聞かなければ、こんなにも怨みを抱き、たくさんの救われない魂を引き寄せることもなかったでしょう』
彼女と家族は、陽の神を篤く信仰した敬虔な信者であったという。当然のように、神殿の神官達とも既知の間柄だった。信頼していた存在に裏切られる。それが何より辛かったと、彼女は俯いた。
……だからこの地に縛られ、癒やされぬ悲しみに泣いていたのね。すると彼女は力強く顔を上げた。
『服装から判断して、あそこにいるのは神殿の人間でしょう? お気をつけなさい、さんざん利用された挙げ句、無残にも命を奪われないように自分を守るのです』
そして彼女は強く手を握った。心配しているという意志の現れか。死してなお、他者の行く末に心を砕くとは。私の耳元で囁いたのは、神殿の者に聞かれぬよう配慮したからなのだろう。神殿では身分が低いとの理由で、目も合わせず、話すら聞いてすらもらえない我が身には、高貴な身分でありながら下々を気遣う、その懐の広さが深く心に染みた。
「お心遣いに感謝いたします。そして痛みを思い出させるような、酷なことをして申し訳ありませんでした」
『いいのよ、それが今を生きるあなたの助けとなるなら』
この方を救えたことが誇らしい。私に姉がいたのなら、このような存在かもしれないとふとそう思った。
もっと話したい、ずっと側にいたい。そう思わせる存在が主様の他にもいるなんて思わなかった。
『あなたは、たぶん闇に親しい方なのでしょう?』
「なぜそう思われるのです?」
『神渡りの闇に安寧をもたらすのが客人。そしてそれを包み込むように世界を支えるのが宵宮だと、我が家では教えられるの。あなたの闇すら包み込む優しさは、宵宮のもつ資質そのものだから』
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
『旅立つ前にあなたと会えて良かったわ。今はもう、どんな闇でも怖くない』
闇に包まれたときはきっと、あなたを思い出すわ。そう言って彼女は手を離した。気がつくと私の瞳が、ほろほろと涙を流していた。
寂しい、と。ようやく出会えたのに悲しいと涙を流すのは心だけのはずなのに。身を切られるかのように、引き離される痛みがこんあにも苦しいのはなぜだろう。
もっと早く、違う形で出会えていたらよかったのに。
『ああ、早く行かないと弟が寂しがるわ。私の姿が見えないと、泣いて恋しがるの』
だから真っ先に見せしめとして斬られてしまった。
もう大丈夫と抱きしめてあげたい、そう言って彼女は身を震わせた。
「では待ちかねていらっしゃるでしょうね。さあ、急がなくては」
優しい彼女のことだ、いつまでも私が悲しんでいては、心安らかに愛する家族の元へと旅立つことなどできないだろう。私は涙を拭い、精一杯の笑顔を浮かべる。
「道中お気をつけて、お嬢様」
『…ありがとう。ほんのわずかだけれど、お礼に私の力を残していくわ。とは言っても、あなたと同じ私も力なき者。残せるのは願いだけだけど』
髪飾りの一部を借りると言った彼女は花飾りに唇を寄せた。すると優しい光があふれ出す。
『道に迷う者には、私の光が道しるべとなりますように』
シャラリ、シャラリ。彼女の言葉を受けて音を鳴らす。なんだかとても嬉しそうだわ。
『さようなら、闇に親しい方。次の生があるならあなたに会いたいわ。そしてもし再び出会えた、そのときは……』
彼女の紡いだ最後の言葉は私へと真っ直ぐに届いた。
ああ本当に優しく強い方だ、私は満面の笑みを浮かべうなずいた。
「ええ、私も精進いたします」
身を震わせて、彼女の魂が散らばるように大気へと解けていく。やがて神渡りの薄暗闇を昼の如き眩い光が照らした。あまりの眩しさに目を閉じ、再び目を開くと彼女のいた痕跡は跡形もなく、訪れた時と同じ激しく焼けた建物の跡と闇だけが広がっていた。
私は生まれ変わったかのような、闇の世界に満ちる清浄な空気を胸に一杯吸い込んだ。
成り行きを見守る人々も、あまりにも違う空気の質に感じるところがあったのだろう。ひそひそと囁き、こちらの様子を伺っている。そして神官達は皆、薄暗闇でもわかるくらいに顔色が悪かった。
「都に残る穢の残さを全て連れて逝かれたか」
いつの間にか主様が隣に立っている。彼は穢なき都の闇を慈しむような表情で眺めていた。
「よほど強い適性と意志を持った人だったのだろう。陽の神に、あれだけの力を与えられたのなら、生きておれば間違いなく陽の巫女に選ばれただろう」
「では、あの方は、やはり……」
「あなたの想像のとおりだよ。そうでなければ二人の魂があれほど惹かれ合うことはない」
不敬にあたるかも知れないと、結論を濁したのは確たる証拠がなかったから。お嬢様は陽の巫女となれるほどの適性を与えられ、生まれてきた。もし神託が彼女を示せば、身分も問題ないし、彼女が当代の陽の巫女に選ばれただろう。
だが、現在神殿にいる陽の巫女は神託により選ばれたと聞いている。神託の下される時点で、すでに彼女は亡くなっていたのか?
そして彼女が亡くなったとされるちょうど二年前に、今の陽の巫女様が選ばれている。
なぜ陽の神はお嬢様にあれほどの力を与えながら選ばなかったのか? 前任の陽の巫女様も選定に関わったとされるから彼女の意向なのだろうか? 陽の巫女同士、力の強弱がわかるとされているから、現在、神殿にいる陽の巫女様は彼女よりも力が強いということなのか? 脳裏には神殿で囁いた主様の言葉が蘇る。
『陽の巫女は穢が見えない。見えないものは祓えないからな』
もしかして陽の巫女であれば、見えずとも祈るだけで穢を祓えるのか?
だけど祓えるならば……陽の巫女様の居所に穢が溜まるなどあり得ない。
陽の巫女こそ、神殿の象徴でもある。適性が高いということは、祓いの力が強いというのと同義だ。神殿としては尊敬を集めやすい力の強い巫女ほど手元に欲しいはず。それをなぜわざわざ盗人を装った刺客まで雇い、彼女の命を奪ったのか? さらに残酷なやり方で魂を砕き、消そうとしたのか?
辻褄が、合わない?
前話が長いので半分に切りました。
もう一話あります。




