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冥の花嫁がみる夢は  作者: ゆうひかんな


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六の常日『泣く女』

一部暴力的な表現があります。

どれだけ恨みがあったのかを表現するには必要でした。

不快に思われる方や、苦手な方は読まないように、お気をつけください。


 帝都は職種や階級といった身分により住み分けられていた。

 神殿と帝の住まう居所を中心に、居所から見て左側を左京、右側を右京と呼んだ。右京は庶民や職人が暮らす区画であり、昼夜構わず賑やかで人通りも多い。

 そしてもう一方の左京は貴族階級や裕福な商人が住む区画となっているため、平素は静かで通りも閑散としていた。裕福な者や貴族階級は静かだが環境の整っている左京に館を構える。特段法で強制されたり、双方の往来を禁じている訳ではないが、暗黙の了解に基づいて住み分けていた。貴族階級からすれば平民の住む右京は雑然としていて煩わしいというのもあるのだろう。貴族階級の者は極力右京や住民に関わり合うことないよう暮らしていた。そして平民も用事もないのに貴族の館の近くをウロウロして警備の人間に怪しまれないよう心掛けている。

 この住み分けは、無用な諍いを避けるための工夫でもあるのね。地方から出てきた宵宮にすれば、ここまできれいに分かれているのだから意図があるのかと思ったくらいだ。


「さあさ、主様。こちらが左京で最も由緒ある館の多い地域です」


 案内役を申し出た神官長が、誇らしげに町並みを指差す。そして道の両側には、館の持ち主だろう高位貴族と着飾った娘達がずらりと並ぶ。

 神官達が先触れとして遣わされたのは、こうして出迎える為ためか。彼らの積極的な様子から、常々話し掛ける機会を狙っていたということだろう。主様が外出を申し出、行き先が左京とわかると神官長はあからさまに喜んだ。彼の生まれが左京とのことなので、生まれ育った場所を案内できるのが誇らしいのかもしれない。今までとは違い、先頭に立って積極的に準備を整えていた。

 手始めとして先触れを左京に遣わし、その後立て続けに残った神官達へと指示を出すと、牛車やその他細かい準備を瞬く間に済ませる。あまりの手際のよさに、今まで一人で苦心しながら準備をこなしていたのが虚しく思えるほどだ。そして最後の仕上げとばかりに、私の方を向いて言った。


「宵宮は左京を知らぬから役に立たぬ。神殿で待機するように」


 主様の目的は私の願いを叶えるためなのに、留守番しているように指示されてしまった。立場的には従わねばならないが、どうしよう。困惑していると、主様が私の顔を見てうなずいた。

 任せておけ、ということらしい。


「それは困るな、神官長殿。左京へは彼女との約束を果たしに行くのだから」

「約束、ですと?」

「左京の一画に、不自然にも穢の溜まる場所がある。それを祓わねばならない」

「それはありがたいですが、宵宮を連れて行かなくても……」

「彼女に力を貸すという約束をしているからな」


 さらりと伝えて、主様は私を手招きすると車の中へと導いた。


「ほほう宵宮が、祓うと……」


 神官長と目があったものの、今までのように睨まれることはなかった。それどころか、むしろ裏のありそうな含み笑いを浮かべている。何か、私の同行を利用した別の思惑があるのではないか。一抹の不安は過るものの、何が起こるのか全く見当がつかない。

 主様の隣に座ると程なくして牛車は動き出し、私の不安を載せたまま目的地の左京へとたどり着く。先に牛車から降りた主様に手を引かれ、御簾の奥から地上へと降り立った。


「宵宮、今日の唐衣もよく似合うな。」

「素敵なものを贈っていただいて、ありがとうございます。」


 視線が合うと、主様は柔らかい笑みを浮かべた。唐衣の下に重ねた袿の色合いは地味であるものの、襟元には金糸と銀糸で蝶の刺繍が施されていた。布地も高価なものであり、神渡りの薄暗闇の中でも、しっとりとした輝きを放つ。そして髪を飾るのは土地神様から賜った装飾品。放つ輝きが暗闇を明るく照らし、複雑に編み上げた髪に飾られた飾りがシャラリと音を立てた。そのたびに人々の視線が痛い程に突き刺さる。神殿の指示に従い、左京を練り歩くことはなかったから私という存在が珍しいのかもしれない。が、好意的なものではないのは容易に察せられる。

 煌びやかでどこか重苦しい空気に、ひとつため息をついた。私を気遣い、体を寄せた主様がさり気なく視線を遮る。


「扇子は持ってきたかな?」

「はい、こちらに。」


 花影が帯の間に差してくれた扇子を軽く押さえた。ひとつ頷いた主様が群衆に視線を投げると、話し掛ける機会を待っていた人々が、わっと沸く。人々に取り囲まれながら、主様は微笑みを浮かべる。美しい女性が花を捧げると、受け取りながら一層笑みを深めた。

 純粋に祝福されるなんて、うらやましい。そう思うと胸の奥が、ツキっと痛む。折り合いをつけたつもりなのに、まだくすぶるものが残っていたらしい。彼は人並みに弾かれそうになる私を庇いながら歩みを進めた。

 やがて、目的の人物を見つけると軽く手を上げ合図した。人混みが割れ、私の隣に並ぶように姿を現したのは花影だった。彼女の容姿の美しさと洗練された仕草に人々の視線が釘付けとなる。

 それからひそひそと噂を始めた。彼女を宮中か神殿に勤める侍女と思ったのだろう。どこの誰の娘かと噂話に花が咲く。


「それで、例の場所はわかったか?」

「はい、ご案内いたします」


 主様の問いに答えた花影は、先に立って軽やかに歩いていく。彼は先程女性から捧げられた花を、花影の持つ手籠へと無造作に放り込む。そして顔を寄せ、私の鼻先で甘やかに微笑んだ。


「花には罪がないからね。これで許してくれないか?」


 何でもお見通し、なのかしら。羞恥にかあっと頬を赤らめれば、彼に耳元で可愛いと囁かれて、繋いだ指先に口付けが落とされる。若い女性達のため息と、その他大勢によって空気がザワリと揺れる。

 主様と、主様に手を引かれた私が花影の後ろに続き、その後を神官長と神官達がついて歩く。その後を住人連なって歩くという、前代未聞の道中は見れば異様であるが誰も何も言わない。


 程なくして、一つの空き地へとたどり着いた。ひどく焼け落ちた建物の痕跡の残るこの場所は、どことなく不気味な雰囲気に包まれている。だが、それよりも気になるものに私の視線が釘付けになった。

 視線の先には、見慣れた黒い塊が蠢いている。大きな穢の塊が、こんなところにも。穢の塊から吐き出される黒い靄は、煙のように立ち昇り、神殿の建物がある方角へと続いていた。陽の巫女様の住まわれる居所に渦巻いていた穢は、ここで吐き出されたものに違いない。


「この黒い靄は、一体……」

「この禍々しさは……呪詛だな」

「呪詛?」

「この場にいた誰かが、靄の先にあるモノを呪いながら死んだらしい」


 これほど成長するなど、どれほど深い恨みを残したのか。主様は振り向くと、神官長に尋ねる。神官長は居心地の悪い様子で、そわそわとしていた。


「この場所には一体何があった?」

「……」

「神官長?」

「……ああ、はい。伯爵家の屋敷があった敷地にございます。二年ほど前に強盗に襲われ、住人は殺されました。その後、火を着けられ、遺体は屋敷ごと全て焼けたとされています」

「状況が随分と詳しく判明したようだが、それは誰から聞いたのか?」

「ただひとり、運良く逃げ延びた使用人がおりました。その証言から判明したことです」


 深く腰を折り、主様にそう申し上げる神官長の表情は見えない。だが周囲に立つ神官や住人達は空き地を見て、皆一様に痛ましそうな視線を向けていた。この辺りでは由緒ある家柄だったようで、それが狙われた理由ではないかと噂する声が聞こえる。さらに神官長は、『気になることがあるのですが』と声を潜めた。


「この地域の住人は、夜な夜な、この辺りから泣き声が聞こえると避けて通るとか」

「泣き声とは?」

「女の泣き声だそうです」


 ふと、背後に何者かの気配を感じた。そしてそのまま背中を突き飛ばされ、堪えきれずに二、三歩前に進み出る。かろうじて踏みとどまった場所は、穢の塊からほど近い場所であった。

 誰の仕業かわからない。偶然であったとしても、なんと間の悪いことか。


「おお、宵宮様。自ら進んで穢を払っていただけるのか! さすが平民でありながら、宵宮に選ばれるだけあろうというもの。さあ、遠慮なくお力を奮ってくださいませ!」


 神官長が周りにも聞こえるように大きな声で叫ぶ。その言葉を聞いて、住人達は面白そうにこちらを眺め、ひそひそと会話を交わした。穢が溜まり、呪詛を振りまくようになるまで放置した挙げ句、それを余興のように扱うとは。なんと心無いことをと、思わずため息をついた。おそらく穢の実態を知らぬからこその、余興の扱いなのだろう。


「おや、まさか祓えぬとは言えますまい。のう、宵宮様?」


 神官長は鋭い視線のまま、口元には歪んだ笑みを浮かべる。この場で試そうというのか。普段は付けない敬称をつけてまで私の役の名を呼ぶのは、責任を負わせる相手として逃さぬため。


 こんなに悲しみが渦巻いているのに。そう思うと怒りすら覚えた。


「…なんなら今からでもあの男に取り憑いて、痛い目に遭わせましょうか?」


 私の隣に並んだ花影の物騒な台詞に思わず苦笑いが浮かぶ。……主様、同じように苦笑いしてないで止めてやってください。


「大丈夫よ、穢と話してみるわ。」

「え、話す?」

「うっすら若い女性の姿が見えるのよ。」


 私には穢の塊が、顔を手で覆いながら、啜り泣く女性に見えた。許しを得るために主様へ視線を向けるとうなずいてくださる。


「危険と判断したら介入するぞ?」

「はい、よろしくお願いいたします」


 笑みを浮かべそのまま穢の元へと歩み寄る。膝を付き、穢の塊と目線を合わせた。簪の白い花が、シャラリと音を立てる。すると視線が合った、そんな気がした。


「何が、そんなに悲しいの?」

『アナタは、だアレ…?』


 くぐもった、ぼんやりとした答えが返ってくる。輪郭がより一層人間らしいものに変化した。長い髪を垂らした、大人とも、子供とも思われる曖昧な年頃の少女だ。輪郭から推測するに、すっきりとした容姿の美しい方であったに違いない。


「あなたの泣き声が聞こえたから、どうしたのかなと思って」

『だって、悲しいのですもの。なぜ私が、私の家族がこんな目に合わせられるのかと』

「どんな目に、あったの?」

『言えないわ…!!あんなに辛く悲しいことを、話せる訳はないでしょう!!』


ゴウ、と強く風が吹く。

だが私の体に触れる前に風は力を失う。


シャラリ。

土地神様の恩恵が私を守ってくれたようだ。


「あなたの苦しみに触れてごめんなさい。この場所に縛られるその理由が知りたくて。あなたの苦しみは、この場所で起きた出来事に繋がっているのでしょう?」

『そうよ。だってあんな酷いことをされて、許せるはずがないわ!』


 憎い、何もかもが。嘆き、悲しむ声が辺りを包む。その声に呼ばれるようにして、どこからともなく穢が集まってきた。それを受け止める彼女の身体の一部に、ゴボリと穴が空いた。そこから人の魂を侵す瘴気が吐き出される。穢を集めるたびに彼女の悲しみは深まるようだ。そして再び面を上げたとき彼女の表情は一変する。


『家族が全員揃ったチョウドそのとき、強盗が押し入ったそうだヨ』


 突然、彼女の口から男性の声が聞こえた。第三者の言葉を借りて彼女の受けた仕打ちが語られる。押し入った強盗は家族を縛り上げ、彼女目の前で痛めつけ、殺害した。彼女は無傷のまま、長い時間それを見せつけられたのだという。


「それで、最終的には彼女も命を奪われたのね」

『そんな生優しいモンじゃないみたいだヨ』


 穢の塊となった彼女の体の一部が身をよじる。その仕草は彼女が痛みを再び味わっているかのようだった。


『なんでも強盗ハ、最初、彼女が抵抗しなかっタラ家族の命を助けると言ったそうだ。ところが散々彼女を穢した挙げ句、目の前で家族を皆殺しにした。そして家に火を放ったそうだヨ』


 一際、声高く彼女が泣き叫ぶ。思わず、息を呑んだ。

 なんてことを……! 穢が、彼女の口を借りて私に問いかける。


『アナタに、この痛みがわかるのかナ?それでも許せと、語るのカ?』


 愚か者め、偽善者め。彼女の身に巣食う穢が私を嘲笑う。のうのうと生きてきた私に、この痛みがわかるわけがない、と。私は深くため息をついた。

 ああ、たしかに。豊かでないながらも、大きな不幸を経験することなく育った私には計り知れない痛みだ。でもだからこそ、理解できるものもあった。


「彼女の痛みは()()理解できないでしょう。だからいつまで経とうと救われない」

『わかったヨウな口をきくのね、しかも小娘ノクセに。』


 老婆の嗄れた声が、さらに私を責める。

 何も知らない小娘のくせに。毎度のように神殿で神官長が私の無知を詰る言葉だ。私にとってこの言葉は呪詛のようなもの。だからこそ私は嘲るように唇を歪めた。

 初めてのこと、初めての経験。知らないのだから、慣れないのは当然のこと。

 学ぶことすら許さないというならば、そちらの方が余程罪深い。


「ここまでして彼女の魂ひとつ救えない、あなた達は何ができたというの?」

『我々は、同胞。傷付けられたものとして寄り添うことができる』

「なら、なぜ彼女は今でもこんなにも泣いているのかしら?」


 寄り添うことも救いのひとつ。だが今も、彼女はこれほど深い悲しみに満ちている。彼女にとって深く傷付けられ、穢となった彼らの存在は絶望を深めるだけ。若い女の嗚咽が、風に乗り数多の人々の耳に届いた。


『ハハ、偉そうなことを』


 吐き捨てるような男の声に笑みを浮かべる。未熟だと揶揄されても仕方がない。だが無知で未熟であっても、今は隣に主様がいるもの。いざとなったとき、彼ならきっと私を助けてくれる。


 私は躊躇いもなく穢の塊に手を差し伸べた。この手は彼女への救いであり、主様への信頼の証でもある。

 あまりの潔さに、誰かが息を呑む音がした。


「あなたはこれ以上ないほどに苦しんだのでしょう? だったらもう、苦しむ必要はありません」


 だから、この手を掴んで。唐突に若い女の嗚咽が、止んだ。


『なにをする気だっ! 騙されないぞ、もうこれ以上我らから奪わせない!』


 彼女の体の一部が、ゴボリと口を開いた。そこから心を蝕む瘴気が吐き出される。だがやはり、私の体に触れる前に霧散した。シャラリと一際、髪飾りが白く輝く。穢の塊がグズグズと溶け、力が徐々に弱まるのを感じた。


「あなた達が人から奪うのは、欲しいから。でも安心して。私があなた達から奪うべきものはありません」


 彼らは命と肉体という器を失っている。その彼らから私が得るものはない。だが逆に全てを失った彼らにこそ、私から与えられるものがある。


「闇こそは、魂の安息の地。私なら主様の傍らにあなた達を送り届けることができます」


 そこで新たな生を受け、今度こそは幸せに。そう祈ることなら無知で未熟と呼ばれる私にもできるから。


『痛くは、ないのかしら。』


 弱々しく響いたのは少女の声。私は微笑みながらうなずいた。


「皆見の神様が力を貸してくださいます。かの神のように、朗らかに笑いながら送り出すことができると思いますよ?」


 私は帯の間から扇子を取り出して開いた。反対側の私の手に、彼女の手が重なる。


「宵宮!」


 慌てたような主様の声がしたけれど、一層強く彼女の手を握った。引きずり込まれそうになるけれど、決して離さない。だって、この手は彼女の信頼の証だもの。ここで手を離せば、二度と私を信じてはくれないだろう。

 だから、絶対に離せないの。


 シャラリ。簪の光が届き、再び穢が力を失う。なんとなくわかるけれど、たぶん今が頃合いだ。


「さあ、もうよいでしょう?皆、良い子だ、良い子だから、ね?」


 扇子を左右に振るうと柔らかい風が吹き、風に擽られた穢が気持ち良さそうに身を捩った。


 うふふ、くすぐったい。

 はは、気持ちがいいなあ。


 目の前で穢の塊から蛍火のように光の粒子が空中を舞い、散っていく。なんと美しい景色だろう、居並ぶ人々の口から感嘆の声が漏れる。


 はぁ…、もういいか。


 最後まで拒んでいた魂が去り、後には彼女だけが残された。今や澱みは拭い去られ、剥き出しの白い魂が私の手に包まれている。神渡りの薄闇を白く明るく照らすような、神々しい光。その眩さに視線を奪われる。


「なんと、美しい光よ」


 こぼれ落ちた声に周りを見渡せば、居並ぶ者の視線が皆、光に釘付けになっている。そして視線をずらせば神官長や神官達は呆然とした表情で、その輝きを見つめていた。


「なぜ()()()()()()()が、ここに……!」


 まるであってはならないものを見てしまったような、そんな表情だった。




筆が進んだので投稿します。

やっと佳境にはいりました。

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