六の常日『嘆き』
まよいこ ろくよう さしものや むすめ とし いつつ
まよいこ まんじょ かみゆいところ むすこ とし よつ
迷い子、六曜通り、指物屋の娘。五歳。
迷い子、万定通り、髪結い処の息子。四歳
探せば、きっと他の子供達の願い札もあるだろう。
もしかして、そうではないかと思ったのは偶然だ。流行り歌に忍ばされたのは失せものを探すための呪。器量良し、そしておいしいものがまっているぞと誘うのは、褒めることで失せものに出てきてほしいから。
怒ってはいないよ、だから早く帰っておいで。
もし穢の中に取り込まれていたのが彼らならば、その願いは叶わぬだろう。親の嘆く姿を思うと心が痛む。神渡りの薄闇を見つめ、深くため息をついた。
「少しは休めたのか、我が花嫁」
「はい、主様。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
長椅子に腰を下ろした主様が私の首元にかかる後れ毛をすくい上げる。あのあと神官長への説明が短時間で終わることができたのは、主様が立ち会ってくださったからだろう。あれがなければ夜明けまでかけて尋問され、仮眠をとる時間すらなかったかも知れない。感謝の気持ちを込めて少しだけ微笑んでみせると、主様が眉根を寄せる。もしかして、何か不快に思われたのかしら?
「神官長の言葉で改めて感じたのだが、あなたの価値は我々には一目瞭然であっても、彼らには全く感じられぬものなのだな」
「価値観の違いと、そう思っていただけると助かります」
夜遅くまで寝ずに待ち、不機嫌であったせいもあるだろうが、神官長はいつもの調子で私を詰った。
『本来は自身よりも尊い存在であらせられる陽の巫女様に祓いの力を授けていただくのが筋であろう。それを下賤の身で厚かましくも力を授かるとは、身の程を弁えず、目立ちたいという邪な考えで神の力を神殿から横取りしているのではないか?』
隣に立つ主様の存在を失念していた訳ではないだろうが何事かあったようで、ずいぶんと気が大きくなっていたらしい。不機嫌そうな主様にたしなめられ、やっと失言に気がついたようだ。焦って言い訳をする気持ちは理解できるが、その内容が更に私を貶める言葉となったのには慌ててしまう。
そもそも、私が冥の花嫁に選ばれたのは神託によるもので、神官長が私を貶める言葉は、私を選んだ陽の神や主様を貶めることと同じなのに。神官長のそんな姿に怒り、主様が冥府へ帰られてしまったらどうしようと内心で焦っていた。仕方なしに、しどろもどろになりながらも私が取りなせば主様は苦笑いを浮かべる。
『陽の神と、我が花嫁との約定を果たすまでは帰らないから安心しなさい』
その言葉を聞いて、なぜか神官長が表情に出るほど安堵したのは言うまでもない。神官長はその後、さらに失言をしてはいけないと早々に話を切り上げた。私は主様に促され部屋に戻ると仮眠をとった。そして、いつもの時間に主様をお迎えに上がったところで、こう聞かれたというわけだ。
「昨日の今日だ、疲れただろう。私に寄りかかって休みなさい」
「い、いえ。そのような事はっ! 畏れ多くて、とてもできません!」
すると主様の表情がわずかばかり曇る。経験のない反応に慌ててしまった。ここは素直に甘えておくべきなのかしら?
「主様、甘やかしたいお気持ちはわかりますけれど大概になさいませ? 花嫁様を困らせて嫌われても知りませんわよ?」
花影が主様と私の前にお茶を満たした茶器を置いた。芳しい花の香りが漂う。何の花の香りかしら?
ああ、そういえば。
「花影、その、色々ありがとうございます」
「は、いきなりなんですの?」
「先日袿を着せるとき、私に気を使ってくださったでしょう? あのときのことを後で思い出したら、なんだかお礼が言いたくなったの」
今日も綺麗な袿が用意されていた。侍女服から着替えるときも、主様が言わなくても手伝ってくれる。意地悪を言うときもあるけれど、皆見では私の身に負担がかからないよう気遣ってくれた。つまり彼女が言葉どおり、主様の意思を汲む存在ならば私に害を与える気は決してないということだ。
「だから、ありがとうと言いたかったの」
「それは……だから私達を簡単に信じてはいけませんと申し上げたつもりですのに」
「でも嬉しかったから、お礼を言ったまでです」
ふふっと笑えば、花影は深々とため息をついた。主様は心底から面白そうだという表情を浮かべる。
「人を騙すのが仕事である花影を振り回すとは、なかなか興味深いな」
「もう、主様っ。私は心配しただけですのに!」
納得いかないと不貞腐れる花影と主様とのやり取りを眺めながら安堵する。少し前は嫉妬に駆られ、真っ直ぐに二人を見ていることかできなかった。こうして話す合間に主様と視線が合うことも怖かった。
黒く濁った感情を暴かれてしまうような、そんな気がして。
不思議なものね。穢に触れてから嫉妬は人らしい感情と客観的に思えるようになった。どす黒い感情が違う何かに昇華した、とでもいうべきか。新たに自分を上から眺めているような感覚を得たような気がする。
「大丈夫じゃねぇか、花影。お前さんが気にするほど、か弱いお嬢さんじゃなさそうだ」
突然、後ろから声がした。か細い悲鳴をあげて振り向くと壁に寄りかかるようにして立つ男性の姿があった。いつの間に、いつからそこに立っていたのか。
「あら、黒縄。目が覚めたの?」
「おうよ。すまねぇな、手を掛けさせて」
「調子はどうだ?」
「お気遣いありがとうございます。万全ではありませんが、お力のおかげで、日常生活には支障ない程度には回復しましたよ」
そう言って男性はニコリと笑う。
この方は、一体誰かしら。髪は黒く、瞳も黒い。肌はよく日に焼けた褐色だった。黒い色が冥府にある者の証ということであれば、主様の眷属かしら?
「おっと、こりゃ失礼しました。私は黒縄と申します。本体は、とかく女性にウケの悪い容姿ですので、この仮の姿で失礼しますね。以降お見知りおきを」
すいと私の手を掬い上げて、軽く腰を曲げて掲げるように額に私の手を添えた。それは時折神殿内でも目にしたことのある、男性が淑女を敬う仕草だ。主様にも引けを取らないほどの洗練された仕草に思わず目を見張った。すると、頭上から主様の不機嫌そうな声が降ってくる。
「黒縄、喰うなよ」
「もちろんわかっていますって。まあたしかに花嫁様は魅力的な闇をお持ちだが、主様のものに手を出すほど愚かではありませんよ。それじゃ命がいくつあっても足りない」
黒縄は、慌てて私の手の甲を掲げて見せた。そこには主様の印である白く輝く月見草の花が咲いている。
「私は誑かすことが得意ですが、受けた恩を仇で返すほど腐ってはおりませんぜ。」
「受けた恩?」
私は首をかしげた。会った記憶がないのに恩とはなんだろうか?
「ああ、花嫁様は気がつかれなかったでしょうがね。皆見で育ったバカでかい穢の塊、アレの核にされていたのが、あっしでして。いやあ、面目ねぇ」
「あの中にいたの?!」
「不本意ながら取り込まれた上に、力を吸い取られて逃げるに逃げられなくて。いや、困ったな…と思っていたところで花嫁様が現れたのですよ!!おかげで穢の力が弱まり、無事に逃げられたという訳ですな。本当にありがとうございました」
「どのくらい閉じ込められていたの?」
「あとで花影に聞いてみたら、どうやら百年くらいのようですね。」
「百年も!」
あんなに暗い場所に百年もいたら気が滅入ってしまうのではないかしら。だが黒縄は、からりと笑う。
「暗闇は得意ですからな。むしろだんだん居心地がよくなってきて自我を保つのに苦労しましたよ」
そんなものなのかしら。驚く私の手を主様が横から奪い取った。
「黒縄、いつまで我が花嫁の手を握っているつもりだ」
「おっと、失礼しやした」
黒縄がひょいと私と距離をとる。それから主様に視線を向け、面白そうに笑った。
「主様、花嫁様にベタ惚れですな。いや、めでたいことで。」
「うるさい。これなら力など分けてやらねば良かった。」
「へへ、これとそれは別でさぁ。それにしても、主様はとんだ場所に居なさるもんですね。渦巻く憎悪と怨嗟の念、それに嫉妬と。ここはまあ神殿とは名ばかりの、とんでもない伏魔殿だ。美味そうな闇を抱えた侍女や姫さんがウロウロしているんですが、ちょっとばかり味見しても……」
ぺろりと舌なめずりをした黒縄を主様は軽く睨んだ。
「だめに決まってるだろう、陽の神との約定に障る」
「ですよねぇ、残念だ」
「本当にしょうもないひとね。主様、私は用事を済ませますから御前を失礼しますよ」
花影は黒縄に冷めた視線を向けると、さっさと扉から外へと出ていった。その後ろ姿を見送った主様と共に見送る。やがて彼は私の視線に気がついたようで、窓から見える神殿の一角を指差した。
「アレが気になってな。花影に調べさせている」
「アレ、ですか?」
指差す先にあるのは陽の巫女様がおわす居所だった。穢を嫌うとされる陽の巫女様を守るために、神殿でも特に清浄でなければならぬとされる一角。そこは選ばれた侍女のみが勤めることのできる神聖な場所と聞いていた。
ところがだ。よく見るればその周辺は黒く濁った空気が充満し、不気味に蠢いている。見覚えのある色と姿、まさか……アレって。
「そんな、アレは穢ではないですか!」
「しかも都の内部から神殿を目指して伸びている穢の筋までがある」
神渡りの、薄暗い空の下でもはっきりと見える黒い筋。神殿に渦巻く穢の渦に繋がっている黒い筋を主様の指先がたどった。
「あちらには何があるかわかるか?」
「はい、あちらの方角には左京という貴族の住まう地域があります」
「その一区画に神殿へと穢を飛ばすモノがいる。このままでは其奴が怨霊と化すかも知れない」
「どうなってしまうのでしょう?」
「この神殿が呪われた場所になってしまう。そうなってしまっては簡単には祓えぬ」
なんてこと。神聖なる陽の神様の神殿が呪われた場所になってしまうなんて。
「……だが、これではっきりとしたな」
「え?」
「陽の巫女は穢が見えないようだ。見えないから、祓えない」
「そんな、まさか!」
陽の巫女は強い祓いの力を持つとされる。日々祈ることで穢を祓い、迷う穢に冥府への道すじを示すとされていた。脳裏に神の花嫁として私に心得を説いた、かの方の神々しいまでの美貌が浮かんだ。手を握り、視線を合わせながら噛んで含めるように話す姿は清廉たる巫女そのものであったというのに……。
穢が見えないというのなら彼女は、どうやって陽の巫女となったのか。だが今はそんなことよりも、陽の巫女様をお守りしなくてはならない。
「一刻も早く、巫女様にお知らせしなければ! 御身に危険が迫っていると……」
「なあ、我が花嫁。」
主様が私の肩を軽く掴むと向かい合わせに立って、視線を合わせながら静かに問うた。
「あえて厳しいことを問う。その者に話したとして、あなたの言葉は信じてもらえるのか?」
「……そ、それは」
「あなたは真面目な質だからな、伝わらないのは自分の伝え方が悪いと反省していそうだが。私は相手にも話を聞く姿勢というものがあって当然だと思うのだよ」
「話を聞く姿勢……」
「間違っていても、この人のことは聞く。正しくとも、この人の言葉は信用しない。相手にそういう線引きができてしまった後では、どんなに正しいことでも、言葉を尽くしたとしても相手には響かない。率直に聞こう、あなたの目から見て、神官長はどうだろうか? あなたが陽の巫女に申し立てたとしても、実際差配する権限を持つのは神官長だ。彼はあなたの言葉を信用して動いてくれるだろうか?」
そうじゃない、そんな人ではないと言い返したかった。だがどうしても擁護する言葉が出てこないのだ。
「覚えておくといい。人は見えるものしか信じない。真実が見えるものだけとは限らないし、見えていないものに真実が隠されていたとしても、見えるものだけを信じる。まこと、生ける人の考えは不思議なものよ」
「では、そのようにお話をすれば、わかっていただけるのではないでしょうか?」
「線引きがされていたら、もう無理だ。自身が今までどのように扱われてきたか思い返してみよ。噂のとおりに身分の低い者にも分け隔てなく慈悲深い人物だというのなら、あなたが下女のように扱き使われ、神殿で孤立しているのはなぜなのだろうな? 判断基準はそれだけではない。もし陽の巫女があなたの信じるとおりに穢を祓う力を持つ人物であれば、自身の故郷である皆見の土地や暮らす民を穢に侵食されたままで放置するわけがないではないか」
「……」
「宵宮よ、彼女を信じたい気持ちはわかる。だが現実を見なさい。あなたはこの神殿で意図的に差別され、孤立させられている。宵宮という役目に関係なく、ただ身分が平民だというだけで」
線引きはすでに終わっていたのだ。
主様の瞳が、ひたと私を見据えた。偽りを許さない強い眼差しが目をそらしていた現実を突きつける。たぶん主様の感じるとおりなのだろう。侍女は付けられず、練り歩きもずいぶんと規模が小さかった。それは私が平民であり、家からの寄付がないから仕方のないことだと言われた。だが、通常行われているという宵宮を帝へお目通しする行事が省かれたのはどういうことなのだろう。神官長からは着ていく衣装がないからと説明されていた。
だが神殿内で着るためにと侍女服が支給されているではないか。その姿でなら高貴な身分の方と会ってもかまわないと判断したからだろう。宮殿に勤める侍女達も色味は違うが同じ素材とデザインだと聞いている。衣装がないというならば、神殿から与えられた侍女服を着て会いに行けばよいではないか。それすら許さないというのなら、彼らが気にしているのは、たぶんもっと別のこと。私の努力だけでは越えられない壁があるということだ。
神殿の者は身分に能力が付随すると考えている。神官に平民がほとんどいないというのが良い例だ。だから私のような平民でありながら宵宮に選ばれるという事態は受け入れ難い。
だが私からすれば、私という存在そのものが受け入れ難い現実の証だった。私は、自分の存在を否定できない。嫌でも受け入れてもらうしかないというのに、彼らは私に、これ以上どうしろというのだ。
ふつり、と糸が切れた。
「我が花嫁よ、あなたの思うことは正しい。だが正しさを他者にまで強いてはいけないよ? 正しさを押し付けるのは、ときに傲慢でもあるからだ。そして自身が正しいからと他者へ向ける怒りは、憤怒という罪に繋がる。本来であれば、わかり合うための対話は必要だ。だがこのような事態になってしまえば、話し合い、わかり合う時間すら惜しい。線引きがあるために神殿や国の邪魔が入るというのなら、余計に悪手だ」
「では、どうするのが最善でしょう?」
「単純なことだ。私の力を使えばいい。知名度、権力、神々との伝手、なんでも望むように与えよう」
ああやはり、主様は冥府にある方なのね。陽の神が与える無償の慈悲でなく、主様が与える力は、私という対価と引き換えにした権利だった。
「対価と権利は等しくないといけない。神渡りの間、私もあなたと同じように国を守るために存在する。あなたは誰に頼らずとも、すでに私という協力者を得ているのだ。私の花嫁となったあなたの願いは、今では私の願いでもある。さあ、願いを言って?」
冥の花嫁は、我に何を望むか。
伸ばされた手は甘美な誘惑と共にあった。主様の協力を得るためには、自身の魂を差し出さねばならないというのに。それを理解しながらも、私は笑みを浮かべた。
私は異端なのかもしれないわ。陽の神を祀る神殿において、主様へ自身を対価として捧げることに、いささかの疑念も抱くことはない。
誰にもこの方を奪われたくない。奪われまいと、伸ばされた手を掴む。
「私を穢を集めるものの元へ連れて行っていただけますか? もしその場に迷う魂があるのなら、安寧の闇が広がる冥府へと導いて差し上げたいのです」
私はこの方のお役に立ちたいのだ、それこそが私の願い。このときはっきりと認識した。
私は陽の神ではなく、冥府の主を選んだのだ、と。
「やはり貴女は我が花嫁だ。私だけのもの、私だけの魂。」
微笑んで、主様が手を握り返した。そのまま手を引かれ、胸元に引き寄せられる。温度のないはずの主様の身体が温かいと感じるのはなぜだろう。身を預け、そっと衣の端を握った。
「ええと、主様。とっても満足そうで何よりなんですが、時間ないんですよね?」
「なんだ黒縄、まだいたのか。空気読め」
「まだいたのかって、ひでぇなぁ」
げんなりとした表情で黒縄はため息をついた。彼の存在を忘れていた訳ではないが意識の外にあったのはたしかだ。つまり、今の恥ずかしいやり取りもしっかりと見られていたのね。
「穢を生み出すモノのいる場所は花影が調べている。黒縄、お前は神殿内部で情報を集めてこい」
「へい、承知しやした」
「いいか、つまみ喰いはするなよ?」
「へいへい、わかってますよ」
そう答えると、黒縄は音もなく扉から出ていく。気配を消し、するりと滑らかに体を動かしながら出て行く様子に驚いた。まるで蛇の動きみたい。あれなら先程のように後ろへ立たれても気がつかないだろう。
「あの、彼はどういう方なのです?」
「今は教えたくない」
「は、ええと?」
「それはまたの別の機会に話そう。冥府では限りなく時間があるからな」
普通の恋人同士が契る来世の約束とはずいぶんと趣きが違うけれど私達には相応しいと思った。私は笑みを浮かべる。
「では楽しみにしていますね!」
「そうだ、先にあちらを片付けようか」
主様の指差す先には、さらに勢いを増した穢が渦巻いていた。その渦からは、亡者の嘆きが聞こえる。
私は、私の信じる道を進むの。
たとえそれが破滅に向かおうとも。
筆が進んだので先に投稿します。
お楽しみいただけると嬉しいです。




