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お題50『ヒューマンドラマ』 タイトル『プロフェッショナル』

 プロフェッショナル。

 この言葉には専門職という意味があり、一つの分野に秀でた者の総称をさす。アマチュアの対義語でもあるのだが、俺にはまだ二つの境界線がどこにあるのかわからない。

 プロと呼べるのは給料を貰えるようになってから? 一人前に仕事をこなせるようになってから? 他人に認めて貰えるようになってから? 

 俺はまだその答えを知らない。花屋として働き始めて5年経つが、まだプロとアマの違いがはっきりとわかっていないのだ。

 それでも俺はこの業界に入る時、『プロ』になりたいと思いながら店の戸を叩いた。決してアマでいいという中途半端な覚悟ではない。やるからには一流になりたかったのだ。

 だから俺は自分自身が向いていないと思いながらも、毎日店に行く。今日も慌しい毎日を乗り切るだけで手一杯だが、いつか自分自身が胸を張ってプロだといえるようになるため、今できることを頑張り続ける。

 ゴールはわからない。元々ないのかもしれない。

 それでも俺は自分の決めた道を、自分の意思で、進み続けたい。まだ見ぬ丘の向こうに、自分を満たす答えがあることを願って――。



「全然できていないな、練習が足りん」

 自分が挿した花達が抜かれていく。全て抜かれた花を、俺は黙って受け取ることしかできない。

「一人デビューして調子に乗っていたんじゃないか? このレベルならまた一からだな」

「はい、すいません」

 頭を下げて花を持ったまま手を震わせる。初めての一人デビューで意気揚々と来たが、師匠の眼には敵わなかった。

 彼によって俺の挿した花は全て抜かれ、祭壇には遺影写真しか残っていない。

「よく見とけよ」

 反田はんださんはそういいながら、ピンポン菊を次々と挿していく。丁寧に花の面の向きを見ながら、まっすぐに美しく、花を生かし繋げていく。彼の手に掛かれば、丸いピンポン菊が滑らかな曲線に変わっていく。

「どうだ? わかるか」

「目で綺麗だというのはわかりますが、正直、まだ自分では挿せません」

 俺は正直に思ったことをいった。

 彼のラインは世界の終わり(ワールド・エンド)を見ているような錯覚を受ける。荒野の中に一筋の光が照らされ、花が故人を纏うように柔らかな曲線を作っていく。その姿には神さえ宿るような聖域に見え、眺めるだけで心を奪われていくのだ。

 やればできると思っていた自分が歯がゆくて、ここから逃げ出したい。

「当たり前だ」反田さんはにやりと笑いながらいう。「お前みたいなまだ五年しか働いていない奴ができるわけがない。一からもっと練習しろ」

「はいっ」

 ……絶対に逃げない。いや、逃げられない。

 俺は反田さんの背中を見て思った。ここで逃げる訳にはいかない。きちんと教えてくれる人を見つけたのだ、ここで逃げてチャンスはない。

 目の前にある白木で出来た祭壇に菊のラインが引かれていく。反田さんのラインは豪快で迫力があり、亡くなった方を弔おうという厳かな気持ちにさせてくれる。もちろんそれだけでなく製作に携わっている俺の魂まで洗われるような繊細さまで含まれているのだ。

「おい、木原きはら」反田さんが俺を厳しく睨みながらいう。「あそこのポイントに洋花を挿してみろ。向日葵ひまわりを10本使っていい」

「はい、ありがとうございます。頑張ります」

 ……今度はミスをしないようにしなければ。

 10本の花の重みを知る。片手で持つことができるが、先輩のプレッシャーが上に載り両手でも震えてしまう。

「頑張らなくていい、きちんと仕上げろ」

「はいっ」

 震える手を無理やり奮い立たせて向日葵を眺める。大丈夫、今日の花は自分で準備している。茎の感触も手にちゃんと残っている。

 ここで失敗するわけにはいかない。

 プロになるためには、ここで挫けるわけにはいかないのだ。



「今日の葬儀は二件ね。一つは祭壇、一つは水盤のみで終わりみたい」

 中野社長が社内の掲示板を見ていった。

「祭壇は80万。これは反田さんと木原に行って貰うから。残りの者はスタンド花を作り次第、搬入ね。じゃあ皆、暑いけど頑張っていこう」

 ……よしっ。

 俺は心の中でガッツポーズした。今日の頑張りで反田さんに認められれば、一人で祭壇デビューできるかもしれない。

「木原、ちょっとおいで」中野なかの社長が俺に手をこまねく。「反田さんは一時間後に来るといってたから、準備が終わり次第斎場に向かいなさい」

「はい、ありがとうございます」

 中野社長に頭を下げて礼をいう。身内でもない俺に親身になってくれる彼女の期待に応えるために今日も頑張らなければならない。

「めったにないチャンスだからね。頑張っておいで。わかってると思うけど、反田さんは有名だから、そんなに都合はつけれないよ」

「はいっ、ありがとうございます。頑張ります」

 心の中でも彼女に頭を下げる。俺は一度、この店を自分の都合で止めているのだが、社長は快く再び受け入れてくれた。だからこそ彼女に恩返しをしたいという気持ちが人一倍強い。

 それに生花祭壇のプロを外注で呼んでくれる彼女の期待に応えたい。

 ……ともかく全力でやるだけだ。

 俺は手に力を込めて花材を準備した。80万の祭壇の中に入れられる花は12万だ。担当者の好みを見極めて花を準備しなければならない。

 準備を終えて斎場に辿り着くと、反田さんはすでに来ていた。



「遅いぞ、木原。早く準備に掛かるぞ」

「はい、すいません。急ぎます」

 頭を下げながら軽自動車に積んだ荷物を台車に載せる。台車のタイヤを軋ませながらエレベーター前に辿り着くと、反田さんはすでに担当者と打ち合わせを終えておりドアを開けてくれていた。

 台車を転がし祭壇前に辿り着くと、すでに遺影写真が入っていた。どうやら準備は完了しているようだ。今日の祭壇は二間にけん半の長さ(約4,5m)で、少しだけ幅が広い。きっと担当者の意向だろう。

 花を挿すオアシスを並べていると、反田さんは俺を見ずにいった。

「今日は対称だ。お前が半分挿せ」

「あ、ありがとうございます。頑張ります」

 手が震え緊張していく。反田さんが左を描き、それを真似して右を描く。場所が決まっているのだから簡単そうに見えるが、これが相当難しい。1cmの誤差ではなく、数mmの誤差で全く別のラインに見えるからだ。花自体も同じ形のものはないし、首の角度、花びらの数、大きさも違う。すべては自分の目が基準となり、その審査は彼の目となる。

 下準備を終えると、反田さんはダンボールの切れ端に油性ペンでデザインを描き始めた。俺はその滑らかな曲線に圧倒される。角がない線を描くことがメインなのだが、ペンで描くものでも美しい。

「おい、できるな?」反田さんは俺の不安そうな顔を見て、やや強めにいう。「できないのなら、先にいえ。時間が惜しい」

「できます、やらせて下さい」

「よし、ついてこい。遅れるなよ」

 


「お、いいね、反田さん」

 全ての花を挿し終えた後、担当者の伊川さんが祭壇を眺めながらいった。

「これなら問題ないよ。今日は彼が半分挿したんでしょ?」

「ええ。ですが、まだまだです」反田さんは少しだけ口元を緩めて答える。「やる気だけはあるんですが、なんせスピードが遅い。頭が固いんですよ、こいつは」

「す、すいません」

 俺は頭を下げながらも心の中で喜びを噛み締めた。葬儀担当者の中で一番目が肥えている伊川さんにオッケーが出れば、一人デビューも近い。

 もちろんスピードが遅いことは自分でもわかっているが、こればかりは経験しなければ得られないとも思う。師匠のOKサインが得られなければ、俺は次の段階に進めないのだ。彼の目指しているラインを描こうと思えば、自然と手が縮こまってしまう。

「いいんじゃない? そろそろ一人デビューしても」

「そうですかね?」反田さんが俺を侵略してきた異生物のように睨む。「おい、伊川さんがいいっていってるぞ。今度、一人で行ってみるか?」

「はい、行かせて下さい」

「即答かよ」反田さんは呆れ返りながら俺の頭をごつく。「どんだけ自信があるんだよ。でもまあ、やらんと伸びんからな。社長には俺からいっとくよ、伊川さんが了承していたとな」

「あ、ありがとうございますっ」俺はいつもより角度をつけて何度も礼をした。「自信はないですけど、一生懸命やります。やらせて下さい、お願いします」

「ああ、わかったわかった。空回りするなよ。もちろん挿し終えたら、俺が後からチェックしにいってやるからな」

「はいっ、ありがとうございます」

 ……ついに一人デビューできる。

 手を強く握り、歯を噛み締める。この時が来るのを5年も待っていたのだ。ようやくだ、ようやく一人で祭壇にラインが引ける。

 いつも謝ることしかできなかった自分がようやく一人立ちできるのだ。一人で祭壇を完成させれば、自分をプロだと思えるのではないか、そんな期待が心の奥底でうごめいていた。



 その日から俺はいつもより練習に熱を込めた。

 自分でラインを決めなければならないが商品として提供するため、反田さんのものを真似ることは必須だ。それでも、それだけでも自然と胸が高鳴っていく。

 あの静寂の空間に一人で自由にラインが描けるとなると、心を抑え付けることはできない。


 全ては一つの点を線に持っていく、イメージ。


 裏にした滑らかな菊で角度をつけ、緩やかに上げて落とし、最後は表を向けて川のように流す。

 この一連の流れが基本であり、究極の形だ。反田さんのラインをノートに何度も書き写し、ペンで模写する。始点と終点を決め、直線にならないよう角を削るように何度も見直す。車のワイパーのように往復を繰り返し曲線を作ることを心がける。

 

 全ては川の水が流れるように、止まらないイメージ。

 

 練習しながら今までの道のりを回想していく。

 きっかけは花屋に勤めていたモトカノだった。彼女の心が知りたくて深みに嵌った俺は、プロになりたい一心で近くの花屋に入った。もちろん葬儀業界の花屋だと知らずにだ。

 自分の店を持つことを夢にしていた俺にとっては寝耳に水のような体験だった。来る日も来る日も、葬式に使う花ばかり扱い、花束を作ることも敵わず、一度ブライダル業界の花屋に入り直した。

 それでもここに戻ってきたのは生花祭壇が挿したいと思い直したからだ。普通の花屋では体験できないこの世界で、プロになりたいと思った。故人を花で埋め尽くす美しさに俺は虜になってしまったのだ。

 そんな右往左往した俺に、ついにデビューの日が来る。

 そこで一人で花を挿すことができれば、プロになれるだろうか。

 反田さんのように、自分の世界が見えるだろうか――。



「全然できていないな、練習が足りん」

 自分が挿した花達が抜かれていく。ほぼ完成していた祭壇の花が無造作に抜かれ、心の中に絶望感が押し寄せる。

 俺は抜かれていく花を黙って受け取ることしかできない。

「一人で来ていて調子に乗っていたんじゃないか? このレベルならまた一からだな」

「はい、すいません」

 頭を下げて花を持ったまま手を震わせる。自分なりに一生懸命やった。何度も祭壇から離れて写真を撮りながら確認した。気になる所は全てチェックした。それでも反田さんの一言で俺の生花祭壇は一瞬にして瓦解していく。

「よく見てろよ」

 反田さんは全て抜き終わった後、一度使ったピンポン菊達を掴んでラインを書き始めた。いつものように線を繋げず間隔を空けていく。それでもその空いている間隔に見えない線を感じていく。

「ラインっていうのはな、全て同じ間隔であれば繋がるんだ。一から十まで繋げなくてもいい。一から四、九と離れていても同じ間隔なら繋がる」

 確かにその感覚は俺にもわかる。数学の二次関数のように公式にあてはまるものであれば、曲線は作れる。

 だが手の感覚は数字で計ることができない。頭で理解できても、体が不器用なためついていけない。

「音楽も一緒だ。音楽を聴いていて、全てが音で繋がっているわけじゃないだろう? メロディにある隙間と一緒だ、一定のリズムであればそれはラインとなって繋がる。菊の声を聴け」

 彼のいう通り、菊のラインを両目でなぞっていく。確かに空いている間隔が繋がるのは一定にあるリズムであり、全て同じ菊の表情だ。同じ花でも角度をつけるからこそ流れが見える。そこには花の声を聞かなければならない。

「始めは難しいかもしれない。それでも菊に眼ではなく耳を傾けろ。手の感覚だけじゃなくて五感を集めろ」

 彼の真剣な表情に体が震える。今まで以上に厳しい口調に、彼の本音が垣間見える。

「はい、ありがとうございます」

「一人デビューしても調子に乗るなよ、お前一人じゃ何もできない。花があるから俺達は祭壇が作れるんだ。体だけでなく心でも覚えておけ」



 結局、いつもの施工時間の倍以上掛かり、俺の一人デビューは叶わず反田さんがほとんど挿して終わった。

「ありがとうございました」

「帰ったら練習しろ。まだデビューは早いな」

 反田さんに頭を下げたまま、零れそうな涙を抑えた。悔しくて、それでもどうすることもできなくて、感情が溢れてしまっている。ここが斎場じゃなければ思いっきり、水を被って泣きたいくらいだ。

 かつてないほど練習し、全力を持って打ち込んだ祭壇に駄目だしをくらい、俺は途方にくれていた。もちろん彼の方が技術は上だ。それでも自分なりにできている、という確信はあった。大きなミスをしたとも思えない。彼が来た時にドヤ顔で迎え入れたくらいには満足していた。

 それでも届かなかった、それがとても悔しい――。

「お疲れさん」

 担当者の伊川さんが俺の分のアイス珈琲を手渡してくれる。

「大分絞られたみたいだね」

「大分なんてもんじゃないですよ」俺は身を縮ませていった。「まさか全部抜かれるとは思っていませんでした。正直ショックです」

 そういって俺は体を震わせた。取引先の担当者に愚痴をいうなんてどうかしている。こんな気持ちを吐露するくらいに参っているようだ。

「……そうだろうね」伊川さんは口元を緩めて続けた。「いわない方がいいかもしれないけど、一つだけ、君にいっておこう」

「なんですか?」俺は涙を拭いながら彼を見る。

「最初から反田さん、事務所のカメラで監視していたからね」

「え?」

「君のやり方を全部下から見ていたのさ」伊川さんはアイス珈琲を一気に呷った。「その上で一からやり直すって愛情だと思うけどね。オレだったらそんなことしないし、できないな」

 ……途中から入ってきたように見えたのだが。

 オレは肩の力を抜いて笑った。一人デビューと俺を焚き付けておいて、一階で監視していたなんてコントだとしか思えない。だが一度作った上で、壊し、一からやり直してくれるなんて彼にしかできないとも思った。

 花を挿すオアシスはもちろんやり直しがきかない。そのため、穴が空いていない箇所を厳選して挿さなければならないのだ。そこには応用テクニックと数々の修羅場を潜った経験が必要となる。ましていつもと同じように綺麗な生花祭壇を作るとなれば、お手上げだ。

 ……反田さんには敵わない。

 彼はきっと苛立ちながらも俺をちゃんと観察してくれていたのだろう。スピードの遅い俺の仕草を、挙動を、全て受け入れて完成したものを敢えて壊しにきたのだ。

 その労力を思うと、泣いている場合ではない。

「一応オレはオッケーを出したんだけどね」伊川さんは紙コップを潰しながらいう。「もちろん反田さんに比べたらまだまだだと思うよ。それでも合格ラインだと思った、お客さんに安心して出せるレベルだよ。だけど、やり直させてくれってね」

「そうだったんですか……」

「期待してるんだよ、君に」彼は俺の肩をポンと叩く。「あの人が眼をつけるってことは相当だよ。負けるなよ」

「はい、ありがとうございます」

「もちろんわかってると思うけど……」

「いいませんよ。自分のためにも、伊川さんのためにも」

 俺は手を振って答えた。背中で語る師匠のことだ。きっと自分で考えて乗り越えろということだろう。

 ……またプロになる道が遠のいたな。

 肩を竦ませながら店に謝りの連絡を入れる。一人デビューできる日がさらに遠くなり見えない距離にある。それでも心の中はなぜかエネルギーで満ち溢れている。


 反田さんを納得させる生花祭壇が挿せたら、どんな世界が見えるのだろう。


 それこそ限りなくプロに近い世界だろう。プロに認められるようになって、初めてプロになれるのだと自覚する。

 プロと呼べるのは給料を貰えるようになってから? 一人前に仕事をこなせるようになってから? 他人に認めて貰えるようになってから?

 もちろんどれかを、全てを、満たしてもプロと呼べるだろう。

 それよりも俺は師匠に認められたい。俺が認める彼に、認めて欲しい。

 

 それが俺のプロになるための条件だ。


 俺はまだその世界に辿り着いていない。故人はもちろん、彼を満足させる祭壇を挿すまでは自分をプロと認めることはできない。

 その答えに辿り着くために、今日から一本の菊に集中しよう。彼の聖域に踏み込むために、滑らかな曲線を描き続けることを誓って――。

 


お読み頂いてありがとうございました。

また会えることを願って。

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[一言] 遅ればせながら、折り返し地点に到達、おめでとうございます 頑張らなくていい、きちんと仕上げろという言葉がずっしりきました 自己満足ではなくお客に対する仕事であると 愛情を持って見守り、育…
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