クライマックス
談話室に着くと、梶山部長が不満そうに訴えてきた。
「遅いぞ全く。上司を待たせるとは神山くんも偉くなったな。」
梶山部長の、いつも通りの皮肉をスルーし、俺は役者が揃っていることを確認する。
梶山部長、里田、そして、桜井光輝。
よし。準備はできた。一日俺の手を煩わせたこの事件も、クライマックスだ。俺は深呼吸をして、改めて皆に向き直った。
「皆さんお揃いですね。では、私からこの事件に関する、一つの仮説をお話します。まず最初に、」
俺は、無表情のまま座っている桜井光輝をまっすぐに見据える。
「桜井光輝さん。あなたがお付き合いしている佐野英里奈さんの、趣味は何ですか?」
一瞬、場が凍った。俺を見つめる桜井の目が「は?」と言っている。俺は構わず、
「思い付く限り挙げてください。」
と先を促した。
「えっと…、ショッピングに食べ歩き、あと、ゲームなんかも結構好きですが…、それがなにか?」
桜井も梶山部長も、俺の質問の意味がわからず困惑している。ただ一人、里田だけが、俺の意図するところを汲み取ったようだ。
「すいません、桜井さん。佐野英里奈さんは、写真がお好きだと伺ったのですが…。」
「写真?いえ、特別好きというわけではありません。そりゃ人並みには撮りますけれど、その程度です。」
里田が驚き、俺を振り返る。俺はゆっくりと頷き、桜井光輝にいい放った。
「ありがとうございます。これで、はっきりしました。桜井光輝さん。加藤かおるさんをナイフで刺したのは、あなたですね。」
梶山部長が、小さく「えっ」と声を発した。桜井光輝は、戸惑ったように小さく笑うと、俺に言った。
「待ってください刑事さん。一体なんの証拠があってそんなことを…」
皆まで言わせず、俺は桜井に切り返す。
「証拠は、先程のあなたの発言です。あなたの彼女の佐野英里奈さんは、居酒屋にて撮った一枚の写真によってアリバイを保証されていました。完璧なアリバイです。しかし、友達との飲み会にまでカメラを持っていって写真を撮るなど、よほどの写真好きでないとしないことです。そこが、私はずっと気になっていた。」
桜井はもうこの時点で、自分が犯したミスに気づいたようだ。唇を噛みしめ、俺を睨んでいる。
「最初に違和感を感じたのは、佐野さんの友人の倉橋舞が見せた写真です。おい、里田。」
傍らにいる部下を振り返る。
「お前なら覚えているだろう。倉橋舞が見せた写真は、何で撮影されたものだ。」
里田は少し考え、はっとなった。
「確か、スマートフォンのセルフタイマーです。デジカメではありませんでした。」
「そう。あんなに景色が雄大で綺麗な北海道に行ったのに、写真好きの彼女が正式なカメラを持っていかなかったというのはおかしい。しかし、たまたま忘れた、という可能性もわずかだがあります。そこで先程、あなたに確認をとったのです。」
桜井はうなだれたままだ。
「あなたは私の質問の意図がつかめず、正直に答えてしまいました。あなたが挙げた佐野さんの趣味のなかに、写真撮影はありませんでした。つまり、あの写真は趣味でとられたものではない。わざわざアリバイ工作のために撮られたものです。そのためにはどうしても、撮影した時間がわかるデジカメである必要があった。そして、このようなアリバイを用意したということは、佐野英里奈が取った手段は、誰かに自分に代わって犯行をしてもらう、代理殺人です。」
そこまで話したところで、里田が割って入ってきた。
「課長、佐野英里奈が事件に関わっている、ということはわかりました。代理殺人という説も納得です。しかし、だからと言って桜井さんが犯人だと断定するのは早計ではありませんか?その代理がこの、桜井光輝さんであるとは、断定できないじゃないですか。」
さすが、こういうときは優秀な部下だ。俺は頷き、里田に問いかける。
「里田、倉橋舞がいっていた佐野英里奈の交遊関係を覚えているか。」
「えっと…、確か、自分より背の高い人とは付き合いたがらないから、あまり友人が多くなかったとか…、あ、そうか!」
「そう、彼女の回りには、彼女より身長の低い女性しかいなかったんだ。ましてやこんな事件の依頼だ。信頼できる人にしか頼めなかっただろう。そこにきて桜井光輝という人物は、体格もにていて信頼できる、そして何より男だということが盲点になりうる。うってつけの人物だったんだ。」
なるほど…。納得した様子の里田は、俺に目で先を促した。
「二人の計画はこうです。まずは、桜井さんが佐野英里奈のファッションで加藤かおるを殺害にいく。動機が倉橋舞のいった通り、社長に近づくことによる嫌がらせだとしたら、加藤かおるはいなくならないと意味がない。おそらく、殺害するつもりだったのでしょう。佐野さんは同級生と飲み会をし、しっかりとアリバイを作る。佐野さんに変装した桜井さんを見た人は、おそらく佐野英里奈のような女性を目撃したと証言するでしょう。そこで佐野さんにアリバイがあれば、誰か他の女性が佐野さんに罪を被せようとしたものだと、警察は判断する。それが二人の狙いでした。」
俺はちらりと、桜井光輝の様子をうかがう。さっきから、うなだれたまま動かない。
「しかしその途中で、田中直也に会ってしまい、殺害に至る。今回あなたがこの件に関して自首したのは、人を殺す、ということに耐えられなかったからではないですか。だから、加藤かおるさんは殺しきれなかった。」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。」
そう言ったのは梶山部長だ。
「神山君の言いたいことはわかった。だが、夜道で田中直也に会ったところで、どうして殺す必要がある?変装しているんだから、佐野英里奈のふりをしてうまくやり過ごせばいいじゃないか。それと、桜井光輝はその時覆面をしていたんだろう?いくら夜道とはいえ、覆面をした女性が町を歩いていたら目立ちすぎないか?」
中々部長も鋭い。俺は頷き、説明を続けた。
「部長のおっしゃる通り、覆面をした女性が町を歩いていたらそれは確かに怪しいでしょう。おそらく、この時点では覆面をしていなかったのではないでしょうか。佐野英里奈に変装して歩いていたところで、田中直也に遭遇した。ですが、ただ会った訳ではありません。変装していた桜井光輝の正体が強制的にばれてしまい、抵抗せざるを得ないような遭遇の仕方です。里田、思い当たる節はないか。」
里田は、少し悩んだ様子だったが、やがてパッと明るい表情になった。
「わかりました、課長!婦女暴行ですね!」
俺は笑って頷き、桜井光輝に向き直った。
「あなたを女性だと勘違いした田中直也は、あなたに暴行を加えようとした。しかしそんなことをされれば、あなたの正体がわかってしまう。それを恐れたあなたは田中直也を殺害し、その時彼がつけていた覆面を使うことにした。違いますか。」
桜井光輝は動かない。しばらく一点を見つめていたが、やがて、口を開いた。
「サングラスが割れたんだ。」
その声は、重く、苦しげに響く。
「あいつがいきなり後ろから襲ってきて、俺は慌てて抵抗した。そのうち取っ組み合いになって、あいつの覆面が外れ、俺のサングラスも割れた。お互い正体がわかったときは、終わったと思ったよ。互いに力ずくで相手をねじ伏せようとしたが、そうなれば普段から俳優やってる俺に分がある。無我夢中で取っ組み合って、気付いたら絞め殺していた。顔を隠すものがなかったから、あいつの覆面を使ったんだ。」
誰も口を開かない。桜井光輝は続けた。
「冷たくなったあいつに触れて実感したよ。人が死ぬってのは、こういうことなんだって。だけどあいつは、加藤かおるは俺は許せなかった。殺してやろうと思っていた。けれど、殺せなかった。刺した瞬間、ビビってそこから逃げ出したよ。俺はその程度の男だったんだな。」
桜井はそういって、悲しげに笑った。そして、「ほら」と両手を前に差し出した。俺はあらゆる言葉を飲み込んで、ただ事務的に告げる。
「桜井光輝。殺人及び殺人未遂で、あなたを逮捕します。」
ガチャン、という鈍い音が談話室に響いた。
-「いやー、課長、鮮やかな推理でしたよ!」
俺たちは談話室から出て、休憩スペースでコーヒーを飲んでいた。里田はさも清々しいといった表情だが、ふと、真面目な顔になった。
「でもなんて言うか、愛する人のためには人を殺そうとまで思えるものなんですね。なんか少し、怖いような気がしませんか?」
それはもっともだが、
「それならお前は、全世界の女性の恨み人を殺さなきゃなんないな。せいぜい俺の管轄外でやってくれよ。」
うわぁ、部長手厳しー!里田はそう言って笑った。
「俺たちの務めは、愛について議論することじゃないからな。この市の平和を守るために駆け回ることが、今俺たちにできることだ。」
決まった。我ながらいいこと言った。
と、俺のケータイが振動した。梶山部長だ。
「神山君、2丁目の道路で酔っぱらいが暴れてる。何とかしてくれ。」
なんだそれ。面倒な仕事だな。課長をなんだと思ってるんだ、あのモデルオタクめ。
「あー、すいません部長、ちょっと今体調が…」
「頼んだぞ。じゃ。」
プッ、ツーツー…。電話は一方的に切られた。
冗談じゃない、誰が好き好んで酔っぱらいの相手なんか…。と、目の前にコーヒーをすする部下を発見。これはちょうどいい。
「里田、聞いていたな。頼む。」
「課長、市民の平和を守るんでしょう!いきましょう!」
うっ…。格好つけていた数分前の自分が憎い。
俺は仕方なく、駆け出す里田のあとに続いて外に出た。
吹き付ける風からはいつも通り、潮の香りがした。