86話 失われた日常
女性教職員用の着替え室にシスター・レアンと一緒に入って、まず思ったのは『少しだけ眩しいな』って事だ。先生たちのロッカーが陽の光に照らされ、反射しているのだ。
俺は宙空で細かい埃の煌めきを眺めながら、シスターに先んじて遮光カーテンを引いていく。
「これを、どうぞ」
外から室内が見えなくなったのを確認したシスター・レアンは、おもむろに白い衣を手渡してくる。
「あの、サイズの寸法は計らないのですか?」
「いいのです。これはきっと貴方にピッタリですから」
平然とそう答えるシスター。
そうか。いつも着させてもらっている修道服で、サイズはだいたい合わせてあったのか。
じゃあ、なぜわざわざ採寸をするなんて言ったのか、少しだけ疑問が残ったものの、俺は従順に与えられた服を受け取る。
「これは誰にでも与えられるモノではありません」
そう言って、シスター・レアンは俺の両手に乗った純白の法衣を指す。
「この服は女神様の祝福を受ける権利がある人にのみ、教会から贈られる修道服です」
なんだか凄い価値のある服っぽい感じがする。
まだ入信すらしてないのに、なんだか緊張してきた。
「そんな、俺なんかに……」
「私は貴方の行いを見ていました。真に親身になって、教会へ訪れる人々の声に耳を傾け、ひたむきな思いで答えを導きだす」
にこりと微笑むシスター・レアン。
「それは『虹色の女神』さまの在り方と一緒です。さぁ、さっそく着てみてください」
「は、はい」
修道服の着方は以前にも、シスターの真似事をする際にシスター・レアンから指導してもらっていたので、すんなりと身に着けることができた。
ただ、前に付けていた修道服とはいくつか違う点があった。
まずは生地が白と金のみだということ。教会で着ていた物は黒い部分が多く、白色なんて縁に少しだけしか施されていなかったのに。
「その服は基本的に、公式の儀式の場で着る祭服に近いものです。先程も貴方に伝えたように、女神様の祝福を受けるであろう者にのみ、教会側から与えられる修道服です」
「は、はい」
そして、頭に付けるベールの部分も違った。
前に着用していたのは、髪があまり出ないように頭をスッポリと覆うタイプのモノだった。だが、この法衣は薄い白金のレースが編み込まれたベールを垂らすのみだ。
「貴方の髪色は……神々ですら作り出せなかった色です。その銀糸を隠すなんて、もっての他です。畏敬と感謝、親しみをもって帽の部分はなくさせていただきました」
よくわからないけど、少しだけありがたいと思った。
若干、髪をまとめる帽子は窮屈だと感じていたりしたのだ。
「そして、これが貴方の位階を示すモノです」
シスターは銀色の丸い円環を象ったロザリオを見せてくれた。
細い鎖に繋がっており、よく観察すれば蒼い小さな宝石のようなモノが、一個だけ金属部分に埋め込まれていた。
「貴方が、『虹色の女神』教会の一員になることが決定すれば、まずは『読師』としての位階が与えられます。ですが、貴方の法衣が示すものは最低でも『助祭』にあります。場合によっては、貴方の位階は『助祭』扱いになることもあります」
えっと……教会内の階級の話かな?
見た目は『助祭』とやらに相当するけど、実際は『読師』ってことでいいんだよな?
「シスター・レアン。『読師』とは何でしょうか?」
「虹色の女神さまの教えを、読み聞かせる者です」
「な、なるほど。それで、えっと……教義の方ですが、どんなものがあるのでしょうか? 決まりや戒律など、詳しく聞いておきたいのですが……」
「戒律などはありません」
「へ?」
宗教なのに?
「教義はただ一つ、『人をより良い方向に導く』。ただ、それだけです」
「……」
「訊太郎さんは、既に理解しているはずですよ?」
……懺悔を聞くようになって。
確かに、花好き少年、ゆらちーやシズクちゃん、姉の話に耳を傾け、自分なりにいい方向に行けばいいなと思いながら意見を発した。
それと同時に、自分の中で燻っている悩みの種と、向き合うきっかけも作れた。
相乗効果があったのだ。多分。
つまり、そういう事でいいのだろうか。
人の悩み相談を受けて、役に立つ。
それだけのようだ。
となると、俺は『読師』として一体何を読み聞かせすればいいんだ?
「えと、『読師』としての義務などはありますか?」
「特にありませんが、あるとしたら『虹色の女神』さまにまつわる昔話を、聞かせてあげる事でしょうか。それも、相手が興味を持っていたら話す程度です。必ず、語り聞かせる必要はありません」
あの、ゲームに出てくるような色にまつわる神々のお話か。
なんだっけ。
初めてシスター・レアンに会った時に説明してもらったけど、あまり覚えていない。えっと、最初に白と黒の神様がいて、朝と夜の神様だっけか? その二人が結婚して、灰色の神様が生まれて……。その後に青とか赤とか、いろんな色の神様を集めて――――虹色の女神様が発生したんだっけ。
それで虹色の女神さまと灰色の神さまの間で、十色の色を受け継ぐ存在、人間の大元が生まれた?
曖昧な記憶を紐解き、やはりうろ覚えだったのでシスターに質問しておく。
「神話を読み聞かせる……わかりました。その神話が記されている教本みたいな物は、いただけるのですか?」
「もちろんです」
なら安心だ。
後で読んでおこう。
「それでは、訊太郎さん。ここは空調が利いていますので、実際に外気温に触れて体感温度を調べてみましょう」
「えと、はい?」
「その修道服を着ても暑くないか、ですよ」
また、出会った時のように熱中症で倒れられては困ります、とシスター・レアンは優しく呟いてくれる。
「それと、動きづらかったり、服の丈やサイズに違和感を覚えたりしたら報告してください」
「は、はい」
俺はシスターに促されるままに、廊下へと出る。
「大丈夫そうですか?」
「はい。涼しいぐらいです」
なぜだろう。けっこうしっかりとした生地で縫われているはずなのに、不思議と夏の暑さは感じられない。クールビズ的な、ひんやり素材なのだろうか。それとも熱を発散しやすい素材を使っているとか?
「やはり、女神さまの加護を受けた『女王の卵』ですか……。それでは実際にその辺を散策してみて、何か服に違和感がありましたら、後ほど報告してくださいね」
彼女は俺に背を向けて、そのまま廊下を歩き出した。
「え、あ……はい。シスター・レアンはどこに?」
別行動を取ると暗に言ってきた彼女へ、問い掛ける。
彼女は俺の質問に足を止め、くるりと向き直って再び俺へと近寄って来る。
「私は、現在この学校で建設中の礼拝堂を見に行きます。テニスコートの横にあるのですが、進捗状況をこの眼で確認しておかないといけませんので」
「えっと……この学校に教会が建つのですか?」
「教会のような立派な物ではありませんが、この学校の理事長が信心深く敬虔な信徒でしたので。どうやら、『虹色の女神』教会への帰属を申請したようです」
「はぁ……」
まぁ宗教の精神を、教育の一環に組み込んだ高校とかは珍しくないしな。
それこそ、キリスト教や仏教の観念を取り入れた学校もたくさんあるわけだし。
「それぐらい普通か」
自分の通う高校が、そういう方向に進んでいるのは意外だけど、別段嫌な気持ちもしない。なにしろ、そのおかげで身体が変化しても同じ学校に通える事になりそうなのだから。
「貴方は、この学び舎に思い入れがありそうですね。今からは別行動で構いませんので修道服の具合を後日、報告してくださいね」
「はい」
好きに散策しておいで、と言わんばかりだ。
『虹色の女神』教会は、全体的に自由というか、放任主義な部分が多い気がする。なかなか、俺にとっては都合の良い宗派に思えてきた。
「あぁ、それと……」
シスター・レアンは黄色い石コロを取り出してこう言った。
「万が一の時はこれを使いなさい」
「……ほあ?」
俺が間抜けな声を出してしまったのには理由がある。
というのは何の脈絡もなく、シスターが取りだした何の変哲もない石が――
確かに見覚えのあるモノだったからだ。
しかも、つい最近。
見間違えようもない物体を、シスターは指でつまみ、俺によく見えるように掲げてくる。
「これを硬いものに激しく打ち付けるのです。さすれば、目を焼き尽くさんばかりの光量が、女神さまの御使いに手をあげようとした不逞の輩を照らし出し、その視力を奪います」
シスター・レアンが熱心に語るその石の正体は。
クラン・クランの中で、俺が錬金術で造り出した『閃光石』そのものだった。
『太陽にたなびく黄色』と『硬石』を合成してできた『閃光石』は、巨人の隠された地下都市ヨールンを発見する時にとても役に立った。使用すると発生する光は『巨人の系譜の屍』の動きを一瞬だけ鈍らし、幾度となく窮地を救ってくれた。
そんな物を、今……シスター・レアンが手にしている?
「これって……3秒間、視界を真っ白に染めるっていうアイテムじゃ……?」
「そんな生易しいモノではありませんよ。文字通り、人間の視力に異常をきたす程の光を発生させます。使用する時はくれぐれも目をつぶってから、こすりつけるのですよ?」
「えっと……」
「一時間はまともに物が見れなくなるでしょう。その後、視覚に障害が残る人間も、個人差はありますがいるでしょう」
おいおい、そんな物騒なものを俺なんかに……というか、どうなってる?
なぜ『閃光石』があるんだ?
酷似しているというか、形状も見た目もそのままだ。
も、もしかして……クラン・クランのアイテムは、実在する物をモチーフにしてゲーム内のアイテムとして活用しているのだろうか?
「シスター・レアン……この、石のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「はい、訊太郎さん。女神様の母の力が込められた、この石は――」
彼女がゆっくりと口を開け、石の名称を発する。
シスターの形の良い唇が動くのが、やけにスローモーションに思えた。
「名を、『閃光石』と言います」
誇らしげに語る彼女の顔を、俺はまじまじと見つめた。
「女神さまのご加護が貴方にありますように」
「あ、いや……シスター・レアン、これって……」
「何を驚いているのです? ただの防犯グッズですよ。ここ、平和な日本ではマイナーかもしれませんが、治安の良くない区域では信徒達が自衛のために用いるスタンダードな鉱石です」
「は、はぁ」
こんな防犯グッズがあるのだろうか。
クラン・クランのモノが現実にある?
いや、そんな考え方はおかしい。順当に考えて、現実にあるものをクラン・クランが起用しているに過ぎない。
よくゲームで既存の宗教をモチーフに、物語や設定背景を組み込むのと同じように、クラン・クランも同様な手法をとっているのだろう。
いい例として、前にシズクちゃんが説明してくれたように、マイナー宗教の『虹色の女神』信仰をゲーム内に取り入れた実績がクラン・クランにはあるじゃないか。
そうだ、そのはずだ。
「貴方もいずれ、女神さまの祝福に目覚めるでしょう」
祝福……?
にっこりと深い笑みを携えたシスターは、そのまま踵を返して俺から離れて行った。
礼拝堂へと……向かうのだろう。
「…………」
建築中の礼拝堂は確かに気にはなる。シスター・レアンと一緒に見に行くという選択肢もあったけど、今はそんな気分にはなれなかった。それに、テニスコートの近くといえば、校舎外に出るわけで、それは人目につくということだ。
そういう事なら、今は遠慮したい。
妙な違和感を胸に抱きつつ、俺は長く続く廊下を眺める。
「少し、歩くか……」
手の内で妙に馴染んだ『閃光石』を転がし、俺は何となく自分の教室へと足を向けた。
――――
――――
いろいろと、気持ちを落ちつけたかった。
だからだろうか。
自然と通い慣れた1年2組の教室に、俺はいつの間にかいた。
「姉には連絡を入れておかないとか」
ラインで『自分の教室にいるから、何かあったらすぐに言って』と姉に伝えたところ、『こっちはもう少し時間がかかりそう。太郎、わかってるとは思うけど、あまりウロチョロしないように。何も用がなかったら、戻っておいで』と、すぐに返信がきた。
『しばらくしたら、戻るよ』と送信し、スマホを修道服のポケットへとしまう。
「ふぅ……」
教室を静かに見つめる。
俺の日常が。
危うく、失われかけた。
そう思うと、この空間にいられることがひどく嬉しい。
ここで、クラスメイト達と他愛もない会話を交わせ、晃夜や夕輝とじゃれあう日々。
大好きな茜ちゃんを遠くから眺め、チャンスを見計らって話しかけにいってはドキドキとした高揚感を味わう。この教室に咲く、彼女のひまわりのように明るい笑顔。
宮ノ内茜ちゃん。
彼女には、ウン告白をかましてしまった。
苦みは残っているけど、やっぱりもう一度、できるならば彼女に会いたい。
こんな身体になってから、こうも学校で過ごす毎日が、どんなに大切だったのかなんて気付くとは。
外からかすかに聞こえてくる、部活動に励む生徒達の声を聞いて、そんな事を思う。
「あの時も、こんな感じだったっけ……」
ウン告白をしてしまう直前の、茜ちゃんを待っていた時を思い出す。
「少しだけ」
なんとなく、風に当たりたくなって俺はベランダへと出た。
真夏の太陽が俺へと降り注ぐ。けれど、クール素材な修道服のおかげか蒸し暑さに浸食される事はなかった。
清涼感たっぷりの法衣に満足して、俺は眼下の光景を見渡す。
そして、目を閉じた。
野球部やサッカー部の叫び声に、水泳部のスタートを切る笛の音。
吹奏楽部のさまざまな楽器が奏でる曲に耳を澄ます。
「……姉からOKが出たら、『虹色の女神』教会に所属しよう」
ここに来て分かった事は、どうしてもここで学生を続けたいという強い願望。
「こうやって一つずつ、知って行けばいい」
まだまだ俺には知らないことだらけだ。
自分の気持ちも、これからどうなるかも。
教会の事も、この病気のことも、友人たちとの付き合い方も。
現実でもゲームでも。
右手で握っている、ざらつく石でさえそうだ。
「閃光石か……こんなものが、現実にあったなんてな」
手の中にある黄色い石を見つめ、小さく呟く。
そんな時、ガラガラっと背後の窓が開く音がした。
急いで振り向けば、そこには一人の男子生徒がいた。
それはゲーム内では小柄な青髪の美少年でも、現実ではぽってり体型であり、しかし肩周りは筋肉質の――美少女大好き人間の、ユウジだった。
「閣下……?」
水泳帽とゴーグルをかけ、滴る水が頬や首、胸や突き出た腹に流れている。それは汗なのか、プールの水なのかは判別できない。
だが、一つだけ言えることはある。
食い込みの激しい海パン一丁で、俺を見つめる奴の姿は――。
『閃光石』を使用するに値する、ヘンタイな存在だと。
ちょうど、使いたい奴が現れてしまったのは……果たして偶然だろうか。それとも神のみぞ知る……いや、女神のみぞ知る運命なのだろうか。
俺はそんなクラスメイトのユウジから、視線を逸らす。
他人のフリだ。
「プールサイドから、ベランダでお姿がお見えになって、すぐに駆けつけてみれば……やはり、タロ閣下でありますね? 仏、訊太郎……閣下」
しかし、ユウジからの問いからは逃げられない。
俺は首だけギギギッと動かし、ぎこちない笑みを彼へと向ける。
「あははは……」
これは、やらかしてしまったようだ。
どうすればいい。
本当に分からない事だらけだ。




