82話 問答無用
「大量すぎる……」
突然の海月襲来に呆然と立ち尽くす俺達に、無数の『月に焦がれた偽魂』は機先を制するように行動を起こしてきた。
『巨人の系譜の屍』と一緒にいるときは、あんなに大人しく漂うだけだった人造生命体も『海月』といる場合は違ったのだ。いや、単に『海月』がそうさせているだけかもしれない。
とにかく、俺達を覆い尽くさんばかりの光の粒が、こちら目掛けて一斉に接近してきたのだ。
「やつら、突進してくるぞ!」
晃夜が叫ぶ。
『月に焦がれる偽魂』の攻撃手段はただ一つ。自身の近くに衝撃波を発生させること。敵の動きを機敏に察知した夕輝は、既に盾を三倍に大きくするアビリティ『巨人の盾』を発動させ、その重さを支えるように片膝を突いている。
敵の攻撃全てを受け止めようと、みんなの先頭で身構えていたのだ。
「ここはボクが耐えるから、みんな逃げて!」
だが、夕輝がとった決死の防御陣は――芳しくなかった。
なぜなら不規則に飛び荒れる人魂たちの全てが、夕輝の盾に直撃するはずがなかったのだ。ゆらりと方向を変え、ゆらちーや、晃夜、アンノウンさんへと飛んでいく。
それはまるで、動きが予測できない光の矢のように。
昼間と見紛う程の圧倒的な光量を放ちながら、次々と飛来してくる。
「切って、斬って、きりまくるしかないねっ!」
「やるしかねえな!」
「いざ刀合はさもうぞ」
三人が臨戦態勢に入るも、結果は目に見えていた。
ドドンッ、ドンッパァンッと祭りの花火が連続で打ちあげられるような効果音が鳴り響き、全方位から『月に焦がれる偽魂』による衝撃波が仲間たちを呑みこんでいく。
俺やミナもその余波に巻き込まれ、吹き飛ばされる。テラスから窓ガラスを割って、室内へと強制的に移動させれてしまった。
さっきまで、メイドごっこなんかにうつつを抜かしていた空間が、今では死闘を繰り広げる戦場――いや、一方的な蹂躙が行われる場所へと変貌した。
正直、全てが一瞬の出来事だったため、どう対応していいのかわからない。
ただ、敵の攻撃から立ちあがった時に理解した事は一つ。
逃げるしかない。
なぜなら、夕輝や晃夜、ゆらちーやアンノウンさんのHPがゼロになっていたからだ。
「ミナ! 逃げるよ!」
素早くあたりを見回し、うちの神官様を探せば――
壊れた窓枠のすぐ下に倒れこんでいるミナがいた。
「て、天士さまっ」
だが次の瞬間、俺が目にした光景は。
窓から入り込んできた、一匹の『月に焦がれる偽魂』による追撃を彼女が受け、その小さな身体を宙へと舞わせ、HPをゼロに削られてしまう姿だった。
空中を吹き飛ぶミナの双眸と、ほんのわずかな間だけ俺の目が合う。
「にげてっください!」
キルされる最後の一瞬まで、俺の事を案じてくれた心優しい少女がポリゴンエフェクトを散布し、消失していく。儚く散った仲間の残滓を追い求めるように、思わず手を伸ばしてしまう。
だが、すぐ傍まで迫ってきている人造生命体の存在が、そんな事をしても何もならないと嫌でも気付かせてくれる。
「このっ!」
ギリっと奥歯を噛み締め、俺は『溶ける水』をアイテムストレージから出現させる。
割れた窓から、建物内にどんどん侵入してくる『月に焦がれる偽魂』を睨みつける。
仲間を、よくもやってくれたな。
せめて一撃ぐらいは、やり返さないと気が済まない。
酸の雨を降らせてやる。
そんな思いで右肩にとまっていた『風乙女』のフゥに呼びかけようとした、俺は。
左肩を強く後ろへと引かれた。
「!」
振り向けば、リリィさんだった。
「あの数では無理ですわ。逃げますわよ」
「だけどっ」
反抗しようとする俺に、金髪の少女は酷く冷静な視線を放ってきた。
「みなさんの犠牲を無駄にしてはいけませんわ」
俺の意志など聞いてないといった態度で、部屋から出るための扉へと俺を引っ張るリリィさん。
「足を引っ張らないでくださる? 天使」
だったら、俺を置いていってくれて構わないと言っても、扉へと一心に向かうリリィさんの様子では聞き入れてくれなそうだ。
ここで、俺がダダをこねたらリリィさんまで逃げ切れないかもしれない。
すごく悔しいけど、彼女とここから脱出することに賛同するしかないようだ。
「フゥ!」
背後に迫る『月に焦がれる偽魂』に、フゥを頼って一風浴びせておき、ひるんだところを狙い猛ダッシュで扉へと辿り着く。そして、素早くドアをパタンと閉める。さらに『ケムリ玉』をポトンっと足元に落とし、白煙をまき散らして追跡しずらいようにしておくのも忘れなかった。
あの衝撃波を見たあとじゃ、こんな小さなドアなんて破られるのは時間の問題だろう。
「あら、天使のくせに気が利きますわね」
こうして俺は、リリィさんに引き連れられる形で、屋敷内での闘争劇ならぬ逃走劇を始めたのだった。
――――
――――
「どちらに逃げようかしら……」
幸いにして、この建物は人間の住処にしては立派な造りだったため、逃げる場所は多かった。二階から一階へと下りた俺たちは、そのまま道なりに廊下を突き進みながらも、時折窓から外の様子を観察しておく。
「『月に焦がれる偽魂』に囲まれてる……」
「ですわね」
屋敷の周囲は青白い光を纏う『月に焦がれる偽魂』だらけだった。さっきの『海月』のせいで集まってきたのだろうか。それとも、そうするように指示でも出されているのか?
「この包囲網を突破するのは、決死の突貫作戦でも困難極まるかと」
突然、耳元でユウジの声が発せられた事に俺は思わずビクリと跳ねてしまう。
「わ!? RF4-you! いたの!?」
「はっ。美少女あるところに小官あり、でございます。それとタロ閣下、今は隠密任務ゆえ、お静かにっ」
酷く真面目な表情で注意してくるユウジだが、今のは俺を驚かすように登場したユウジに非があるだろう。
ギギギッと顔だけ奴へと向け、微妙な視線をユウジに送りつけながらも納得だけはしておく。
「まぁ……はい、静かにする」
まさか、ユウジも生存していたとは。
彼の着ている執事服が黒いため、室内の影や闇に溶け込んでいて感知しづらかったのか? 存在の薄さゆえ、あの衝撃波祭りも生き延びる事ができたのかもしれない。
「見つかりましたわ」
焦りの色を帯びたリリィさんの声を聞き、ユウジの生き残る術がどんなものだったのか、という思考をひとまずストップする。彼女が後ろを指さした方向を見れば、二匹の『月に焦がれる偽魂』がこちらの後を追ってきている。
奴らは、何らかの方法でお互いの位置を把握し、今までに何度も『巨人の系譜の屍』を俺たちへと誘導してきた。その性質上……一匹に見つかったら、外で待機している何十匹にも及ぶ『月に焦がれる偽魂』に居場所がばれたに等しい。
「まずいですわね……」
この考えはどうやらリリィさんも同じようで、浮かない表情をしている。
迫る人魂に追いつかれないように、今は走り続けるしかない。
そうやって、やや長い廊下を無言で走っていくと、すぐに大きめのドアへと行き着いた。つまりは行き止まり。
『入るしかない』と互いが口を開かずに頷き、ドアへと手をかけていく。
そうして開いた先にあった部屋は、少しだけ埃臭かった。
「ここは……書斎? 書庫?」
高さ2メートルに及ぶ本棚が幾重にも並んでいる広々とした空間だ。
本棚と本棚の間に身をひそめて、かくれんぼができそうなぐらいに蔵書量が多い。
よくよく棚に収納されている本を見れば、背表紙が1メートル程の大きな本もある。もしかして、あのビックサイズな書籍は巨人たちの本だろうか?
書かれている内容が非常に気になる。
だけど、今は知的好奇心を優先している状況ではない。
これからどうするか。
おそらく、ここでジッとしていても敵が詰め寄せてくるのは間違いない。
かといって、外で待機する大量のホムンクルスを今の戦力だけで相手にするなんて、もっての他だろう。
「これからどうしようか」
俺は二人にそう質問しながら、『翡翠ポーション』を各々に使用していき、全員のHPを満タンにしておく。
「そうですわね……」
リリィさんは一瞬だけ、『月に焦がれる偽魂』がもうすぐ入ってくるであろう扉を見つめて弓を構えた。
そんな彼女の所作を見て、俺はここで徹底抗戦に出るわけかと考える。
「こういうのはいかがかしら?」
:リリィがパーティーを離脱しました:
そんなログが流れたと同時に、リリィさんは矢を引き絞って、放った。
俺に向けて。
「えっ」
咄嗟のことだったので、上手く身体が反応しきれなかった。
だが、不思議な事に矢は目の前で少しだけ軌道を変え、俺の右腕をかすめるだけに終わった。
:バフ『風の守り手』が発動しました:
どうやら、飛翔物や飛来する物体からのダメージを軽減してくれる、スキル『風妖精の友訊』の自動バフのおかげで命拾いしたようだ。今回はリリィさんが射った矢が、発動条件のそれに該当したのか。
「この距離で私が狙いを外す? つくづく、貴方には驚かされますわ……何をしたのかしら」
不可解な現象に納得できないといった様子で、ツインテールを不機嫌に揺らすリリィさん。しかし、不可解に思ったのはこちらも同じだ。
「どうして、俺に攻撃を……?」
この場面で裏切るなんて、その理由が理解できない。
「決まっていますわ。貴方は素晴らしく物珍しいポーションやアイテムを、湯水のように使い続けてますのよ? 当然、貴重な物をたくさんお持ちでしょうに」
にっこりと悪い笑みを口元に広げていく彼女を見て、なるほど、『賊魔リリィ』と言われているのに得心がいった。この状況下で、少しでも自分にプラスになりそうな行動を、彼女は何のためらいもなく実行できるのだ。
「このままでは、どうせあの人魂みたいなモンスターにキルされてしまいます。でしたら、その前に貴方をキルして、めぼしいドロップ品にありつこうというわけですわ」
そして再び、矢をつがえた彼女は勝ち気に裏切り行為を宣言する。
「何もせずに、モンスターキルによる経験値の喪失なんて、許せませんもの!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。今は争ってる場合ではないはずです!」
俺は素早く本棚の裏へと身を隠し、彼女の射線から逃れる。
そして、ビッグ・スライムと一緒に戦った時のように、協力しようと大声で持ちかける。
「また、それですか。バカの一つ覚えもいいところですわ。そんなにいい子ちゃんを演じ続けたいのであれば、どうぞそのまま私に黙ってキルされてくださいな」
声のする位置が途中から変わったと悟った俺は、急いで違う本棚の後ろに移動しておく。
「それが許容できないのでありましたら――」
いつの間にか、リリィさんは同じ本棚の列にいた。つまり、俺と彼女の間を遮る物は何もない。彼女は二本の矢を同時に弓の弦にひっかけながら、邪悪に微笑む。
「その、可愛らしい天使の化けの皮を剥ぎとってあげますわ。必死に、懸命に、全力で、なりふり構わず、戦ってみなさいな」
そうか。
コチラが何を言っても、リリィさんは考えを変える気はないと。
ならば、俺も気持ちを切り替えることにする。
そっちがその気なら、俺だってタダでやられるわけにはいかない。リリィさんの、倒れるとしても何かを得ようとするその精神論は、錬金術士と酷く近しいモノを感じる。
合成失敗で素材を無駄にしようが、その経験を考慮して次の錬金術に繋げる。モンスターにキルされても、持ち帰った情報と素材を何とか錬金術に活かしたい。
そんな思考なればこそ、俺は彼女に向けて言葉を放つ。
「これからリリィさんと戦うのなら、一つだけ条件があります」
「なにかしら?」
「もし、俺が勝ったら――」
弓の照準を俺へと定めたリリィさんから、少しも目を逸らさずに伝える。
「フレンドになってください」
こちらとしても、仲間が犠牲になった後で、仲間割れでキルされましたで終わるつもりは毛頭ない。戦うにしても、今後何かのプラスになるように持っていきたい。そうして考えた結果が、リリィさんとフレンドになる、だ。
正直、リリィさんとPvPをするのは気が進まない。
だけど、勝てばこんな美少女とフレンドになれるという報酬がもらえるのなら、これも一興なのではないだろうか。
今なら、何となく。
ビッグ・スライム戦を共にした、野郎共の気持ちがわかった気がする。
「それは、もちろん……いいです、わよ?」
なぜかハトが豆鉄砲をくらったような顔をしたリリィさんだったけど、なんとか承諾はしてくれた。
「いいのかしら……でも、私たちは敵で、でも、その」
ごにょごにょと呟く彼女に向かって、俺は右手で小太刀を握りしめ、左手で『溶ける水』を掴み、駆け出す。
さっきの不意打ちの仕返しと言わんばかりに。
問答無用で、『風乙女』のフゥへと呼びかけた。
ユウジ「…………」
二人にすっかり存在を忘れ去られています。




