40話 少年少女達は駆け抜けて性春
それは薄ぼんやりとした俺の意識を叩く。
まるで急かすように。
『ピンポロパンポン♪ ピンポロパンポン♪』
それは耳慣れた音。
安眠を妨げる原因になった音源を手探りで追う。
『ピンポロパンポン♪ ピンポロパンポン♪』
俺の手は、忌まわしい音を鳴らし続けるスマホを見出す事ができない。
「う……うぅん……」
仕方なく重い瞼を持ち上げて、ラインの着信音を奏でるスマホを見つける。
画面を確認すると、それは旧友からの着信を知らせるものだった。
「夕輝……こんな時間に通話とかかけてくるなよ」
スマホに表示されている時刻は午前の11時を回っていたので、別段、電話をかけて非難を受けるような時間ではない。
だが、深夜までゲームをしていた者の眠りを覚ました罪は重い。
旧友に向かってブツクサと毒を吐きながら、俺はスマホの呼びかけに応じるため通話ボタンをタップ。
『どしたー?』
今日はこれから市役所に行って、自分の身体の変化について相談しに行かなければならない。遊びの誘いならば早めに断りをいれておかなければ。
『おーい?』
あれ?
夕輝から何の反応も返ってこない。
スマホの画面に目を向けても、依然通話中という表示がされているので、通話が切れているということはない。
『もしもーし』
あちらから通話をかけておいて無言はないだろう。
どうしたのだろうか?
そうして、しばらく疑問に思う事20秒。
互いが沈黙を守っているなか、ようやく夕輝の声がスマホから発せられた。
『す、すみません? 間違えてかけてしまったようです』
『え?』
え?
っと言った自分の高く幼い声を聞いて冷静になる。
『いや、えっと間違えて通話をかけてしまったようです……ってラインで間違え電話なんてあるのかな……というか、その声どこかで聞いた事があるような……』
俺は夕輝の謝罪のような、独り言のような台詞を耳にして事態を完全に飲み込む。
そして、四日前に比べたらずいぶんとちっこくなった指で通話終了ボタンを速攻でタップ。
「ふぅ……俺とした事が危なかったぜ」
ただでさえ、今日は市役所に行くという心身ともに負担が物凄くかかりそうなイベントがあるんだ。寝起きから、心労を増やしたくはない。
『ピンポロパンポン♪ ピンポロパンポン♪』
っと再び夕輝からの着信が鳴る。
俺は問答無用でポチっと通話終了ボタンをタップ。
そして即座にラインで文章を入力していく。
『ごめん、今、通話むり』
『どうしたの? ちょっと話したいことがあるんだけど』
『今、そばに人がいて、通話は無理っぽい』
苦しい言い訳だがコレしかない。
『あ、そっか。さっき訊太郎に通話をかけたんだけど、女の子の声で話しかけられたからさ。ちょっとビックリしたよ』
『ああ、驚かせてわるいな』
『ミシェルちゃん達が帰ってきたの?』
ミシェルとは俺の両親と海外を転々としている義理の妹だ。
夕輝が勝手に勘違いしてくれたので、ここはソレを活用しない手はない。
『あいつ、勝手に俺のスマホに出たみたいだな。あとで注意しておく!』
『あはは(笑) お手柔らかにねー』
『それで、話っていうのは?』
『あ、そうそう。八月六日の花火大会、晃夜たちと一緒に行かない?』
花火大会か……。
正直、行きたい。
俺は祭りというイベントが割と好きだったりする。
暑いし、人口密度高いし、うるさいし、何より疲れる。
だけど祭りにいる人達って、楽しそうな顔をしている人がほとんどなんだよな。かったるい点もあるけど、屋台で美味しいモノを買って食べ歩きをするアレが良いのだ。
冷やしパインとかわたあめとか、かき氷とか。
たこ焼きもいいし、やきそばとか串唐揚げ、じゃがバタなんかもいい。
あとは喉にシュワっと弾けた刺激をもたらす、ひんやりラムネ。
そして、締めは夜空に咲き誇る花火たちを眺め、何かに思いを馳せる。
「行きたいな」
うん。
たとえ、自分の送る毎日が、人生が、満足するものじゃなくても。
その場にいるだけで、自分も『楽しい』空間の一部になっているような感覚がして、どことなく幸せな気分になるというものだ。
それが級友たちと行くとなったら、やはり格別なものになる。
毎年、彼らと一緒に行っていたとしても、同じ1年なんて1回もなかった。
語らう内容はその年その年で全然違う。
花火を見て思うことも、考えることも、感想も。
だから、正直、夕輝たちと花火に行きたい。
行きたいのだが。この姿でそれはマズイ。
そもそも服はどうしよう。浴衣とかないし、スウェット姿というのも味気ない。いや、それ以前の問題で、この変わり果てた見た目をなんて説明すればいいんだ。
『すこし、考えさせてくれ』
『どしたの訊太郎。毎年行ってるんだし、行くよね?』
この状態を……。
級友達にちゃんと説明できるように、やっぱり市役所に行く必要があるんだよな。
『もちろん、行きたいけど……少しだけ、予定が入るかもしれないから、考えさせてくれ』
『そかそか。了解だよ。あ、あと今年は晃夜以外に誰か誘うかも』
『お? マジかー。そこらへんのメンツは任せる』
夕輝や晃夜が誘うのであれば、俺は誰でもいい。
多分、クラスメイトのマサノリ君かユウジあたりだろうな。
『晃夜も楽しみにしてるから、訊太郎きてよねー』
『おーう』
夕輝とのやり取りを終えた俺は、手早くカップ麺で朝食を済ませ、市役所に行く準備をする。
仏訊太郎、本人だと証明するモノを持参しないと相手にしてもらえないだろうから、きっちりと身分証明書関係はチェックしていかないと。
まずは保険証。そして学生証。
そのほかに……特になにもないな。
「よし、準備おっけー」
あとは……。
俺は立ち鏡の前に立つ。
灰色のドンキで買ったスウェットは今やゆるゆるで、ダボダボっとした服装の銀髪美少女が辛気臭い顔でこちらを見ている。
「服装が問題だな……」
さすがにスウェットや、学校の体操着で市役所に行くわけにはいかないだろう。
女性用の服なら、姉が置いていったモノや妹の部屋で見繕えるかもしれない。
だが、しかし。
しかしだ。
男であるこの俺が、そんな女性用の服などリアルで着ていいのだろうか。
着てしまったが最後……何か自分の中で大事な防波堤が崩れるような気がしてならない。
だが、しかし。
しかしだ。
じゃあ、このダボっとした服装で人の多い市役所に行くとなるのも、恥ずかしい。
「ちょっとだけだ。ちょっとだけだからな」
そう何度も呟きながら、俺は義理の妹であるミシェルの部屋へと入っていった。
――――
――――
「熱いよぉぉおぉぉ……ほんとに熱いですよぉぉ」
照りつける太陽が容赦なく俺へと降り注ぐ。
セミ共のミンミンと呑気な声が、腹立たしくなるほど夏々しさを感じさせてくる。クーラーのガンガン効いた部屋にこもって、クラン・クランの世界を冒険していると、つい忘れがちになってしまうが、今は夏だ。
「あっついよーー」
着なれた学校の体操着であるTシャツで顔を拭う。
前髪がおでこにちょこっと貼り着いて気持ち悪い。
首筋にも長い銀髪がぺとっとくっついてきて、蒸し焼き状態。
結局、俺は妹のモノである数々の女物の服よりも、学校で着ているジャージを装備に選んだ。
サイズが大きいとはいえ、Tシャツは丈の部分をキュっと結んで、あまりだらしなさを感じさせないようにしている。ずり下がるハーフパンツは腰ひもを限界まで引き絞り、ギュギュッとウエストのラインにとどめている。
パッと見、バスケでもしてそうな外国の美少女って感じだろう。
「今日は暑いわねぇ……」
不意に隣にいたお婆さんが俺に話しかけてきた。
「そうですよね。あついです。あ、でもバスが来ましたよ!」
そう、俺は今、近所の市役所行きのバスに乗るために、バス停で待機していたのだ。
「お嬢ちゃん、熱中症には気を付けるんだよ? お嬢ちゃんみたいなべっぴんさんが、倒れてしまったら大騒ぎになっちゃうからねぇ」
お婆さんは優しい口調で笑いかけてくれ、バスへと乗った。
「は、はい……ありがとうございます」
お婆さんの後に続いて、俺はバスの昇降口を昇る。
お嬢ちゃんか……。
「ふひぃー、涼しいー」
生き返る。
クーラー万歳。
いよいよ、市役所行きのバスに乗った。
これからどんな扱いを受けるのか、少々不安ではあるが乗ったのだ。
手足が震えるのはきっと、外気温とバス内の気温差のせいだ。
きっと、ちょっと寒いだけなんだ。
――――
――――
市役所に着いた俺は、まず総合窓口となる市民課へと歩を進めた。
ここは主に、住民票や所得証明書を発行したりする場所でもあるが、国民保険や社会保険に関する相談窓口もあったはずだ。
今、ニュースで話題の性転化に対応している部署がどこなのかここで聞き、またそれを証明する必要があると思う。
待ち合い番号カードを発行し、自分の順番が来るのを待つ。
チラリ、チラリと周囲の大人達がこちらに視線を寄越してくる。
なんだか非常に居心地が悪い。
子供が一人で、こんな空間にいるのが珍しいのだろうか。
さらに、今の俺は外国人っぽい見た目だし。
「はぁ……」
思わず、小さな溜息が出てしまう。
「やっぱり、帰ろうかな……」
23番と書かれた待ち合いカードを握りしめる。
あと23人も待つのか。
やだな。
でも、教会の花好き少年の声が蘇る。
ジョージやアンノウンさん、ミナの笑顔が浮かぶ。
姉の心配そうにこちらを見つめる瞳。
そして、晃夜と夕輝の遠慮のない俺への態度。
最後に、俺がウン○をもらしながら告白してしまった時、宮ノ内茜さんが見せた驚愕に満ちた顔。
彼女は何を思って、何を感じたのか。
まだ何も聞いていない。
ショックで何も聞けなかった。
そして今のままじゃ、何も聞けない。
あんなことを好きな子の前でしでかして、顔を合わせるだけでも苦痛だ。
でも、このまま逃げ続けて、二度と茜ちゃんと会えない方がもっと辛い。
「23番の待ち札をお持ちの方、受付までどうぞ」
職員さんの呼び声に応じて、俺は受付口にゆっくりと向かい、椅子に座った。
震えは少しだけ、収まっていた。
――――
――――
性転化の報告と手続きは俺が思っていたものよりも、あっさりとしていた。
詳しく聞くと、ニュースで報じられている人数よりも公表を拒否した性転化者が他にも何人かいるらしく、実際は世間が把握しているよりも、この現象は多発しているようだった。とは言っても、かなり稀有な事象であることには変わりはない。
ただ、市役所職員の末端にも性転化に関する対応のマニュアルが広まる程に、俺の身に起きた事は、前例が十分にあるということが窺えた。
性転化に関する簡易的な対応課も設置されていたので、安心もできた。
「病院で精密検査かぁ……」
一通りの手続きを終えた俺は、職員さんに渡された書類を眺める。
医師への紹介状は未成年ということで、両親に託される訳だが、現在トルコにいる両親はいつ帰国するかわからない。
役所から親に連絡を入れてもらったのだが、電話に出なかったので、早急に郵送で性転化に関する書類を送るそうだ。
職員さんのキビキビとした対応から、明日か明後日にはあの能天気な親も電話で俺の状態を知るだろう。
「自分でするべきなんだろうけど……やだなぁ」
重い息を吐き、帰りのバスを待っていたところで、ポケットに入れておいたスマホが振動する。
もう親に知れたのか?
そう疑問に思ってディスプレイを覗くと、姉からのラインだった。
『タロ、どうやらクラン・クランでは元気でやってるそうね』
『おかげさまで。姉こそ元気そうだ』
ちなみに、役所の職員に日本在中の肉親は他にいないのかと尋ねられ、姉がいると正直に答えておいた。別居中であり俺の現状を全く知らないという事は伏せておき、保護してくれていると、とっさにウソを吐いてしまった。
姉には……自分の口から言わなければならない。
そんな気がする。
あの姉に今の現状を知れたら、それこそ四六時中べったり監視されそうで非常に気は進まないけど。人一倍、心配性な姉が他人から俺の状態を耳に入れたら何をしでかすかわからない。
だから、俺の口から言わないといけない。
わかってはいるのだけれど……。
『タロはもうすぐ始まるイベント【妖精の舞踏会】、どこの都市で開催されるのに行く気?』
そういえば、【妖精の舞踏会】は各都市の支配者が管理する施設で行われるって告知だったな。
姉は最先端を行く古参傭兵らしいから、きっと新しく発見された都市で開かれる【妖精の舞踏会】に出席するのだろうか。
『先駆都市ミケランジェロだよ』
俺は迷わず、初心者ばかりが集まる初期街の名前を出す。
『へぇ。私もミケランジェロに出席するから、久しぶりにタロに会えるかもね』
む。
姉もミケランジェロに?
だが、どうして。
まさか、俺が出席するからなのか?
『あ、勘違いしないで。タロがミケランジェロの舞踏会に出席するしないに関係なく、わたしの傭兵団はミケランジェロの舞踏会に参加するって決まってるから』
『ふーん』
なぜ、上級プレイヤーである姉がわざわざ初期街の舞踏会に出るのか質問しようとすると。
『ところで、タロ。キャラクリのバグはなおったの? 今はちゃんと男性キャラを使っているの?』
逆に姉から質問を浴びた。
俺の返信をタップしようとする、小さくて真っ白な指は硬直した。
知人や家族に、この姿を見られるのを想像する。
もし、もしも。
俺と認知してくれなかったら。
ゲームの中では、『ゲーム』だから受け入れてくれている彼ら彼女らも。
現実で、この銀髪美幼女の姿を目の当たりにしたら、きっと今まで通りの仏訊太郎への対応ではなくなるのではないのだろうか。
その周囲の反応が、否応がなく自分は変わってしまったのだと認識させられる。
その恐怖に。
言わなければならないのに、指が動いてくれない。
俺は、今は姿が変わってしまっているが、れっきと十六年間を男として生きてきた仏訊太郎だ。
自分の容姿を見るたびに、そう強く思うようにしている。
保っている。
でも。
夕輝や晃夜が。
姉が。
俺の姿を見て。
自分が自分でなくなってしまったと、そう思われるのが酷く怖い。
『まだ、キャラバグは、なおってないよ』
言えなかった。
――――
――――
『夕輝、訊太郎に花火大会の連絡は入れたか?』
晃夜からのラインに返事をする。
『あぁ、入れておいたよ。気のせいかもしれないけど、ちょっと気ノリしてないような感じがしたんだよね』
率直にボクは訊太郎の様子を伝えておく。
『早い話が、勘付いたってことか?』
『晃夜、それはさすがにないと思うよ。なんだか、予定が入るかもしれないとか、少し歯切れが悪かったからさ』
『そうか。しっかり他のメンバーも誘うかもって事は伝えたのか?』
『もちろん』
それは最低限、訊太郎に伝えておかないといけない。
あとで怒られちゃうかもしれないからね。
でもこれは、他のメンバーも誘うとは言ったけど、誰をとは伝えてないのが肝なのだ。
『喜ぶといいな、あいつ』
晃夜がスマホを見ながら、ニンマリと涼しい笑みを浮かべているのが、容易に想像できる。
なぜなら、ボクも今同じような顔をしているだろうから。
『気まずいだろうけど、告白された本人が気にしてないのだから、訊太郎も気にする必要がないって気付くだろうしね』
『俺から見ても、訊太郎とアイツは脈があったと思うしな』
『確かにね。ボクもそう感じるよ。だからこそ、告白の失敗を気にして距離を置こうとしてる訊太郎を見ていると……なんとかしたくなるよね』
『つくづく、俺達は訊太郎のいい友達だな?』
まったくもって、その通りだね。
『あはは。でも、誘った相手が誰なのかは花火大会の前日にしっかり言おうね。さすがに当日、伝えるのは訊太郎に悪いから』
『俺は当日でもいいくらいだと思ってるけどな。ここまでお膳立てしてやったんだ。少しは楽しむ権利があってもいいだろう?』
晃夜の言い分は確かに、分からなくもない。
『うんうん。少しぐらい訊太郎の反応を見て楽しんでもいいとは思うけれど、それはダメだよ晃夜』
『はいはい。早い話が、つくづく夕輝は助けたがり屋だってことだな』
『うるさいなぁ。宮ノ内さんに、訊太郎が告白した時の件について、どう思ってるか詮索して、花火のセッティングまでしようって言いだしたのは晃夜じゃないか』
『早い話が、俺がしなくても夕輝がどうにかしてたろ』
『あはは』
宮ノ内茜さんと訊太郎が上手くいくことを願う。
「ふぅ」
夏休みの宿題を終えたボクはシャープペンを置き、クラン・クランにインすべくコンタクトをつけた。
『晃夜、そろそろインするね。タロの事も大事だけど、ボクたちの傭兵団【百騎夜行】をもっと強くすることも大切だ』
『誰かを助けられるように?』
『自分をだよ』
晃夜のからかいに、ボクは本音で返す。
自分の大切な誰かが苦しんでいるのを放っておけないのは、それを知って放置すると、ボクの心がざわつくから。
助けたがり屋のボクの原動力は、そう、偽善とも言える自己満足。
ボクが守りたいし、助けたいから、行動に移す。
誰のためでもない。
自分の気持ちに従っているだけ。
自分の為にしている事なのだ。
晃夜だって、僕とたいして変わらない激情メガネのくせに。
お読みいただき、ありがとうございます。




