339話 揺れる心
「さあ、旦那様の運命を、運に委ねてみるお覚悟はありますかな?」
ラッキー・ルチアーノの誘いに、俺は警戒を重ね質問で返す。
「……賭けというが、何を賭ける? 詳細を伝えてほしい」
「ええ、もちろんです。今から旦那さまと吾輩で、ちょっとしたゲームをします。そこで、旦那さまが勝てば600万エソを無利子でお貸ししますし、【モリガン委員会】での第一優先発言権を付与します」
「ラッキー・ルチアーノ、あなたが勝ったなら?」
「旦那様には1000万エソをお貸しした事になりますな。担保はこの都市の爵位権です……もちろん、期間内に借金返済ができなければ担保をいただきます」
貸した金額の2倍近くを返せと、400万もの利子をつける意味……それは実質的に俺の領主権を奪う算段が透けて見える。
かなり危険すぎるし、これは完全に足元を見られた取り引きである。
絶対に、乗ってはいけない賭け。けれど、けれど――
俺は目の前で、人が無残にも轢かれる姿を見てしまった。あの無慈悲で残酷な光景は、今もなお脳裏に鮮明に焼き付いている。
現実で人が血塗れになって意識を失う地獄。犠牲者の隣人たちが必死の形相で助けを呼び、パニック状態に陥る混沌。
あんな、あんな理不尽な出来事が、故意的に起きていいはずがない。
これ以上、他に、現実を変えられる手段など、俺には思いつかない……。
もしこの提案を……チャンスを逃してしまって、他に轢き逃げ事件を止める方法がなかったら?
発見できなかったら……。
俺は一生後悔してしまうだろう。
ニュースでの知らせを見るたびに、誰かの友達が轢かれたと嘆く声を聞くたびに、耐えられるはずがない。あの時俺がラッキー・ルチアーノの提案に乗っていればと、そう後悔はしたくはない。
「……返済期間はいつまでだ?」
「て、天士さま……! クラン・クランでは1000万エソの負債でも、現実では何十億円って借金になる可能性だってありえます。それに領地の没収だって、現実でどう反映されるか……」
俺の問いにミナが否定的に首を振る。
これ以上、この話は進めてはならないと。
でも、じゃあ、この都市の闘技場イベントをどうにかできる立場にある傭兵が、俺以外の他にどこにいるのか。
……いないから、俺がやるしかない。
「返済日は10日間でございますな」
「【夢と絶望の詰まった王冠】が終了する日か……賭け、ゲームの内容は?」
「お待ちになってタロさん。ここで引いても現実での事件は、誰のせいでもありませんわよ」
リリィさんが抑止の声を投げかけるが、俺の意思は揺らがない。
揺らげない。
「簡単ですよ旦那さま。3番勝負のポーカーゲームですなあ」
「いいだろう。その賭け、乗った」
「タロくん……! 他にいい方法があるかも――」
茜ちゃんまでもが俺を止めようと立ち上がる。
だが俺は反射的に、彼女の言葉が胸に刺さりきる前に大きな声で押し寄せる恐怖を遮ってしまう。
「大丈夫だからッッ!」
自分の口から出た声がひどく荒れていて、それは彼女たちを突き放す意味を持っていたと気付き、ハッとする。
俺のことを心配してくれたみんなに声を荒げてしまった。
一気に罪悪感が押し寄せて来るけれど……でも、そうでもしないと俺の決心が揺らいでしまいそうだったから。
そんな俺を驚いた様子で見つめる彼女たちに『危険なのはわかりきってる。でも今ここで決めなくて、この話にのらなくて、現実改変をどうにかする手段が見つからなかったらどうするの?』と――
そう問いかけそうになってしまう。
でもそんな風に言葉にしてしまったら、きっと彼女たちも重い責任を感じて、苦しんで、悲しんでしまう。
だから……言えない。
俺は目頭が熱くなるのを意思の力で無理やりねじ伏せる。
「ふぅー……」
少しだけ小さく息を吐いて、普段の普通の顔を作る。
冷静になれ、俺。
そして心配してくれたのに怒鳴ってしまったみんなに謝るんだ。
「焦って怒鳴ったりして、ごめんね」
頭を下げたけど、3人は全員が納得してなさそうに顔を伏せる。
ミナは眉を八の字にして、リリィさんは不機嫌そうに、トワさんは悲しそうに……それぞれが表情を歪めている。
特にトワさんの傷ついていそうな様子は堪えるものがあった。
好きな人に嫌な思いをさせてしまった事実が胸を抉る。
怒りっぽい男子だって嫌われちゃったかな……。
でも今は俺一人の気持ちとか恋より、優先しなくちゃいけない大切な事がある。
だから気持ちを切り替えて、しっかりと勝負できる心を作らないと。
「その賭け、のったぞ」
気まずい空気から逃れるように。
みんなの視線から逃げるように、俺はラッキー・ルチアーノへと向き直った。
◇
「ラッキー・ルチアーノ。俺が【モリガン委員会】に入ったなら、【夢と絶望の詰まった王冠】への参加者募集を即刻止めてもらう」
「ほほう。それはそれは……集客に繋がる大切な対戦カードを絞れと」
大金をはたいて【モリガン委員会】に入れても、一般傭兵が犯罪傭兵になるのを止めなければ意味がない。
だから、この提案が通るかどうかは賭けをする前に確認しておく必要がある。
俺の狙いはいたって単純。これ以上の大会募集者を打ち切ると告知できれば、犯罪傭兵になりたいと思う人達も減るだろう。
なにせ周囲の信頼を失っても闘技場への参加権は得られないのだから。
「……宣伝文句を工夫すれば……有象無象を集めるより管理が捗る、いやしかし……」
俺の問いにラッキー・ルチアーノは考えこんでいる。
俺は俺で相手がどう答えるか、その反応によって次に打ち出す言葉を決めなくてはいけない。だからこそ相手が思考してる時間が、俺の思考時間でもあり、いくつかの予測を立ててゆく。
しばらくして彼は考えがまとまったのか、小さく唸りながら結論を述べた。
「いいでしょう。吾輩は旦那さまのご提案に賛同します。もう十分な対戦カードは揃っていますし、旦那様が投資なさる巨額の資金で予定より少なくなった収益損失は賄えるでしょう。ただし、他の委員のお歴々が承諾なさるかは不明ですよ?」
「何を言ってる? あなたが承諾すれば他の連中も首を縦に振るのだろう?」
俺に600万エソをぽんと出せる財力、それは彼が支払ったであろう投資金も含めて【モリガン委員】の3人相当である。そして彼が従える構成員の数は、この都市随一。
誰が彼の意見に反対したいと名乗りあげるのだろうか。
少なくとも、この都市のNPCにはいないように思える。
「まあ、【オルトロス一家】や【夜叉組】だけは、あなたの意向に真っ向から反抗しそうだけど」
「ふふっ。あやつらも警戒すべき輩ですが、この都市にはもう一つ厄介な連中がいましてね。奴らは勢力を急増しつつありまして、これがどう転ぶか困りものでしてね~」
「ふむ? あの2つの一家以外に?」
「ええ。別にシマを荒らしたり、徴収したりしてるわけではないんですが……なんというか、やけにゴミ共の支持率が高くてですね」
「ゴミ共……?」
「【夢と絶望の詰まった王冠】といった灯り目当てで、寄ってきた外の羽虫どもですよ」
「なるほど、戦犯傭兵や犯罪傭兵たちか」
そうか、俺が提案した内容はラッキー・ルチアーノにとってマイナスだけじゃないと。むしろ外部から流入してくる傭兵が勢力を増している懸念を考えれば、得とも捉えられる。
なにせ不穏分子を制限しつつ、俺が持つ領主権すら奪えるかもしれないのだから。
「これが大会参加者の中にも多くの信奉者がいるらしく。これ以上増えて、変に騒ぎを起こされないか心配でしてねえ」
「信奉者……?」
「えぇ。双子の姉妹には気をつけてください、旦那さま」
むむ、姉妹とな……?
ラッキー・ルチアーノがポーカー用のカードを部下に用意させながら放った姉妹の名前に、俺はここにきて一番驚かされる。
それは予想の斜め上をいく2人だったから。




