333話 白銀姫の宣戦布告
赤黒い沁みがついた道はやや幅が狭く、その両端に並ぶのは飲食店や雑貨店だ。
どうやらこの通りは商店が立ち並ぶ場所らしいのだが、景気はあまり良くないらしい。ドアや窓が固く閉ざされていたり、割れた窓ガラスが長い間放置されっぱなしの店もある。
そしてこの場で商売を成り立たせるのが難しいと感じさせる一番の原因が、俺たちの眼下にて現在進行形で勃発していた。
「あの、九霧さん。ここはいつもこんな感じなのですか?」
この辺りで一際高い建物の屋上、そこにひっそりと身を潜めながら隣に佇む九霧さんへ質問をする。
「否。『オルトロス一家』がジョー・ザ・ボスをキルするまでは、『フェイト・ノストラード』がここの治安をある程度は制御しておったのじゃ」
「じゃあ、ここが寂れた原因って……」
バリンッと何かが砕ける音が発生し、そちらに目を向ければ殴りあいをしていたNPCの1人が思いっきり店のドアに頭を突っ込み倒れていた。
NPCの怪我もひどいが、お店のドアも半壊状態だ。
『オルトロス一家』と『フェイト・ノストラード』の構成員同士による大規模な戦闘が、街を文字通り削り取っているのだ。
「抗争の激化で商売などできんのぉ。じゃが、一様に『オルトロス一家』を責める気もないのじゃ。そも、『フェイト・ノストラード』は店舗に高い治安維持料金を請求しておってな。払えなければ、店主に様々な方法で代わりとなる物を要求しておった。例えば店主の妻や娘を、歓楽街に強制連行し……夜の街で働かせるとかのう」
「エグいですね……完全に人権を無視してる」
「歓楽街は、この都市で3番目の収入源になっているらしくての。他の都市と比べて、ここの遊郭は幅が利くってな……女子に乱暴しても……無茶を強いても問題にならぬ、とな」
「下衆の集まりじゃないですか……そこを売りにして犯罪者どもがこの都市に集まり、金を落とすってわけですか」
「じゃがオルトロス一家が暴れ続けていても、店主たちの生活は一向に良くならぬ。むしろ悪化しておる」
ここまで話してみて九霧さんは傭兵の中でもけっこう珍しいタイプの人だとわかる。
クラン・クランのNPCは確かにリアルに再現されているけど、所詮はNPCだ。
多少は感情移入する傭兵もいるけれど、大半の人はここまで本気になって街のNPCの現状を憂慮したりしないだろう。
大半の傭兵は激しい勢力争いに身を投じるよりも、気楽にゲームをプレイする方を選ぶはずだ。この【鉄と鎖の腐敗都市ギルディガリオン】を行き来する傭兵だって、アウトローをロールプレイするのが楽しいって人が多く、NPCが苦しい思いをしてようが知ったこっちゃないだろう。
「タロしゃん、あっちを見るのじゃ。オルトロス一家の本丸のご登場じゃ」
争い合っているのは恰好がバラバラのNPCたちだったが、黒一色のスーツ姿で統一されたNPCがゾロゾロと姿を現す。
それぞれが思い思いの武器を手に持ち、殴り合いだけで済む話ではなくなっているようだ。
「あれは……【盗掘王】……」
「あやつまで出張ってくるとは、斬絵にはチャンスじゃのお」
黒スーツの中には剃り込みスキンへッドがいて、何やらNPCたちに指示を出していた。
彼の登場で、さきほどまで拮抗していた勢力図は一気に均衡を崩し始める。
「なるほど、【盗掘王】は市街地における集団戦に慣れている……各個バラバラに動く『フェイト・ノストラード』の構成員を的確な指揮で撃滅か」
俺の場合は『月華の人狼』の身体能力が高いが故に、屋内に姿を隠しておいてもすぐに飛び出しての奇襲などが可能だ。だが、『オルトロス一家』は人間であり、そこまでステータスの高い個体は極わずかに思える。
それでもここで圧倒できるのは、【盗掘王】の手腕があるからだろう。
だが、それで『フェイト・ノストラード』の反撃がなりを潜めるわけではない。むしろより激しくなっている。
なにせ彼らは複数の甲高い発砲音と共に、『オルトロス一家』の黒服を確実に仕留めているのだ。そう、『フェイト・ノストラード』の数名が持つのは銃器だった。どうやら九霧さんが言っていた説明は嘘ではなく、『銃器密造組織』は確実に『フェイト・ノストラード』が取り仕切っているようだ。
『オルトロス一家』が持つ『禁史書』や『古代の石板』も気になるけど、銃器も無視できない懸念事項だ。
「『オルトロス一家』が戦術で相手を凌ぐなら、『フェイト・ノストラード』は銃器でその差を覆す、ね」
「うーむ、そろそろ頃合いかの。【強欲】の首を取るには絶好の機じゃし」
九霧さんは周囲に侍る女性たちに、あの抗争の中へ突っ込むと命令を下そうとしていた。
……ここで【夜叉組】までもが参戦なんてしたら、この商店街は半壊どころじゃ済まないのではないだろうか?
「タロしゃん、大義のためなのじゃ。ぬしらはここで見てるが良い」
九霧さんは俺の心情を機敏に察したのか、そんな風にカラカラと笑った。
果たして俺は――
この惨劇を見過ごしたままでいいのか?
実際に目の前で見る抗争の実態は、惨憺たるものだった。
戦いに巻き込まれた貧民や一般人は次々と怪我を負い、倒れている。誰もが自分に被害を受けぬようにと、震えながらも逃げ惑っている。
自らの財産が、築き上げてきた物が、店が、街が、人が破壊されていくのを懸命に堪え、縮こまることしかできずにいる者までいる。
まさしくこの都市では、ならず者が上位者であると象徴する光景だ。
「俺が――――」
仮にも俺が治める領地で、犯罪が横行し、犯罪組織が市民を傷つけている姿を目にするのは気分が良いものではない。
ましてやそこに、傭兵の干渉が発生しているのだから、なおさら俺にだってどうにかできないかと考えてしまう。
たとえ俺がただのお飾りの支配者であろうとも、この地を統べる者としての責務がある。
領民は心身ともに健康であるべきなのだ。
このくだらない命の削り合いや無駄な流血沙汰がなければ、農業でも何でも生産性が増すだろう。そうなれば人々の生活は今より安定するはずだ。
もちろん治安の悪い都市でなければ、回らない品々や独自の経済発展があるのも理解はしている。
それでも、これは俺が望んだ、人々の在り方じゃない。
故に、俺はこの地の君臨者として、今すぐこのバカげた騒ぎは終息させるべきだと判断する。
こんなのがもし現実でも日常茶飯事になってしまったら大変だし、早めに対処するべきだ。
「俺が治める地で、好き勝手しすぎじゃないですかね」
この場を収めるに最もふさわしく、みんなが納得のいく方法を俺は、俺たちだけが取れるのだから。
「む? 治める地? たろしゃんは、一体どうしたのじゃ?」
「えーっと、俺がこの地を平定します」
「むむ? もう対話でどうこうできるレベルではないのじゃ。それに斬絵たちだって、このチャンスを逃したくはないのじゃ」
抗争に乱入する意思を変えようとしない九霧さんに笑みを向ける。
次に俺が信頼できる仲間たちに目配せをすれば、みんなは無言で頷いてくれた。
ミナはメイスをキュッと握ってから、もう片方の手で俺の手を握ってくれる。
リリィさんは背にあった弓をするりと下し、目にも止まらぬ速さで矢をつがえてくれる。
トワさんはビシッとムチをしならせ、いつでも戦えるとアピールしてくれる。
「【夜叉組】もどうぞ、ご自由に。でも半端な力で介入したら、今よりも泥沼化して荒れそうですよね。だから俺たちは俺たちのやり方で、どうにかします」
現時点で、誰がこの都市の支配者なのか、きっちりと理解してもらおう。
「九霧さん。あなたの考えには賛同できますが、あなたのやり方では時間がかかりすぎる」
「むむ? たろしゃんはこの都市を支配するのに、他に良い方法があると言ってるのじゃ?」
「はい。そもそも、この都市は初めから俺の物ですよ」
この場の全員に俺がこの都市の支配者だと公言する。だから、必死に抗争してやっと大罪スキルを勝ち取っても、俺が認めない限り、俺を倒さない限り、この都市の支配権は奪えないと教えてやればいい。
そうすれば、戦いの矛先は少なくとも俺に向くはずだ。
馬鹿げた抗争よりも優先すべき標的、俺がいるとわからせてあげるのだ。
危険は承知だけど、俺は俺の望みを叶えるためにこの都市の傭兵全ての上をいくと心に決める。
「タロしゃんは何を言っておるのじゃ……?」
「情報を無償で提供してくれた恩がありますから、【夜叉組】は優遇します。ただし、今はあの愚かしい騒ぎを早急に鎮圧します。たとえ【夜叉組】が乱入しようとも、全てをねじ伏せます」
「そんな事、タロしゃん達だけじゃ……できるわけがないのじゃ」
九霧さんに俺の意思を明確に伝えて数瞬後、屋上には10人弱の男たちが姿を現す。
その中でも特に大柄の男性が俺の背後へと歩み寄る。
「なんだ、お前ら!」
「どこから湧いてきたの!?」
【夜叉組】のメンバーが警戒心を露わにするが、俺は彼女たちへ『大丈夫』だと制する。
「お前たち、久々に俺との狩りを楽しめ」
「「「「「うぉぉぉぉォォォオオオオオオオン!」」」」」
男たちの雄たけびは途中から遠吠えと変わり、その声量はこの都市全域に広がりそうな勢いを誇っていた。そう、姿を隠したままの部隊までもが吠え上げれば、これほどの声量を出すのは造作もないだろう。
俺の合図で、彼らは一斉に上半身が筋骨隆々の白毛種の【月華の人狼】へと変化する。
中でもずばぬけて迫力があるのは、俺の背後にいる白銀種の人狼【月姫の王狼】だ。見事に鍛え抜かれた筋肉、総重量は優に500キロは超える巨大な体躯を目の前にして、【夜叉組】の面々は顔をこわばらせる。
ただ一人、カラカラと笑うのは九霧さんのみ。
「さすがじゃの。じゃが、果たして斬絵たち鬼の暗行を止められるかのう」
「鬼はあなた方だけじゃありませんよ?」
「むむ? タロしゃんも鬼なのじゃ?」
「やってみればわかります――おいで、俺の相棒」
「タロん! まかせてなのん♪ 吐息で優しく、ふっふっふっふっーん♪」
俺は即座に【風と緑の絶姫】フゥを召喚し、仲間全員を空中へと吹き飛ばしてもらう。
突如として宙に躍り出ては落下してゆく俺たちを唖然と見送る九霧さんに、置き土産を渡しておくのも忘れない。
「そいつらと遊び終えたら、こっちに来ることを許します――」
屋上から離脱する直前、俺は彼女たちがいる場に2つのアイテムをこぼしておいた。
それは干乾びた黒い手と足、一見して装飾されたミイラの残骸のように見えるもの。
「心を黄泉取り、欺け――。疾風迅礼、人の血肉を喰らいすすれ――」
空中を落下しながら、アクティブキーワードを口ずさむ。
すると【左京:天邪鬼の籠手】と【右京:羅刹天の俊足】の2つは異形を超える修羅の悪鬼となって具現する。
【左京:天邪鬼の籠手】からズリュリと肉と肉が重なり出て、身長2メートルほどの白装束をまとった骨のように細い女人へと変化する。
彼女の長い黒髪は地面に着くほどで、その顔は髪に隠れて伺い知れないが……多分怖いので見ない方がいい気がする。
【右京:羅刹天の俊足】は【月姫の王狼】に迫る体格が受肉し、全身が闇のように黒く、無造作に流された髪の毛だけが爛々と燃えてるような赤だ。
顔面はまさに鬼といった形相で、地獄の炎より生まれたのではと連想してしまうほどの迫力だ。
無論、どちらも【陰謀論者の左手】と【絶望論者の足首】から作れた、鬼を召喚するアイテムに他ならない。
半端な鬼じゃ、本物の鬼には喰われてしまう。
だが九霧さんのあの様子であれば、天邪鬼と羅刹天の2体に後れを取ることはないだろう。
回数制限は2回のみのアイテムだから、キルされたら再度アクティブワードを言って、あの二体を再召喚するか。
よい時間稼ぎになるかな?
そんな期待を込めて、俺は人狼たちや仲間と共に抗争の真っただ中へと着地する。
もちろん、パーティーメンバーのみんなには落下ダメージを無にするためにフゥの風がクッションになってくれた。
「いくぞお前たち。今回は容赦なく、速やかに無力化しろ」
「グルルルルゥゥ、姫の願いどおりに」
【月姫の王狼】の返事を筆頭に、人狼たちは『オルトロス一家』と『フェイト・ノストラード』のNPCのことごとくを喰らい尽くす勢いで、迅速に屠りだす。
「白銀の天使……言ったろーが、お前はこの都市に合わねえって」
この異常事態をいち早く察知したのは、俺と目が合った人物。
【盗掘王】だ。
「余計な首を突っ込んでくるなら、その首、捻り奪ってやるよ」
挑発する彼に対し、俺は涼しい笑顔で答えてやる。
さあ、今度は前回のようにはいかない。




