320話 再会の騎士
父さんに『今後、この2人との接触を禁ずる』と言い渡された日のことを思い出す。
いつの間にかうちに呼ばれていた晃夜と夕輝は、父さんの言葉を聞いて苦しそうに笑っていた。
俺が『また、一緒に会ってくれるよな?』と問えば、2人は確かにこう言った。
『あぁ、必ずお前の傍にいてみせる』
『ゲームなんかじゃなくて、現実で訊太郎に会いにいくよ』
俺たち3人は泣きながら、悔しさを押し殺して約束を交わした。
今はまだ、俺たちじゃどうしようもない。
でも、いつか必ず。
そう誓って、約束を果たすためならゲームが現実に侵食する事象を利用したっていいとさえ思えた。
いつか必ず、また会えるように。
「……いつかって、いつだ?」
2人はめっきりゲームにログインしなくなっていた。
そして忙しいからなのか、連絡すらも途絶えている。
見捨てられてしまったのかと、そんな惨めな感情がむくりと這い寄ってくる。
晃夜、夕輝、お前たちは一体どこで何をしてるんだろう。
「具申、足元にご注意を」
「索敵、人間が誠に多き闇」
なあ、俺は今……大して面識のない人たちに囲まれてるよ。
鬼流家の方々に先導してもらい、暗闇の中を歩いているよ。
彼ら彼女らは俺の安全確保をするためなのか、取り巻きのごとく良くしてくれる。そしてすぐ両脇には金色に輝く髪を揺らす美少女たち、リリィさんと琴ちゃんが俺の行く先を導くように手を取ってくれている。
この2人がいなかったら、俺はきっと不安や寂しさに押しつぶされていただろう。
転校して環境が物凄く変わり、たった1人で鬼流家の接触と向き合わなければいけない自分を想像してゾッとする。
リリィさんと琴ちゃんがいて本当に良かった。
でも、それでも1番の安心感と心強さをくれるのは、あいつらだった。
現実が次々とアップデートするこの状況で、もう俺のそばに晃夜や夕輝はいない。
はは。
なんだよ、こんな弱音……これじゃまるで遠距離恋愛で悩む女子そのものじゃないか。
思い返せば、俺は転校生ってのを迎える側ばかりだったけど、いざ自分がなってみると精神的負担がすごい。そうだ、こんな気分に陥るのはきっと環境が変わりすぎた反動なのだと、不安の理由を押し付けながら歩を進める。
「ここで入学式会、か……」
これから軍閥科の一般編入生による入学式会が行われる体育館は、窓から差し込む光を遮るためにカーテンがひかれている。照明も必要最低限、足元がギリギリ見えるぐらいの暗闇に包まれている。
「なにやら演劇をされる様子ですわね。よい雰囲気ですわ」
「訊太郎くんと、リリィ殿下のために、ですね」
「楽しみですわ」
「あっ、訊太郎くん。そこに段差があります」
「あっ、ありがとう」
名目上とはいえ俺とリリィさんのために準備された空間を見渡し、小さなため息をつく。
俺たちが体育館に入れば、周囲の空気が少しだけ変化したのを敏感に察知して、笑顔を張り付けるのを忘れない。
軍閥科の一般編入生たちがせっかく用意してくれたのに、不満げな顔をしては失礼になってしまうし……俺の挙動で編入生たちの評価を落としたくはない。
主賓である俺が退屈そうにしていた、なんて噂がたてば一番の被害を被るのは『退屈な催しをした編入生』たちになってしまうからだ。
俺たちは演劇が行われるであろう檀上を、斜め上から見下ろせる二階の特等席に到着する。
リリィさん、俺、琴ちゃんの順で最前列に腰を落ち着ける。ちらりと周囲を窺えば、家格の高い人たちばかりがいた。
近衛神宮彩閣くんや、俺に難癖をつけてきた九城神宮九重ご令嬢もいる。ちなみに俺たちのすぐ横には皇太子殿下もいて、鬼流家の方々は同じ列に並ぶことを遠慮して、後ろに下がって着席している。
「ふ、仏さん、こんにちは」
「近衛くんも見に来てたんだ。こんにちは」
「ま、まあね。仏さんやリリィ殿下のための催しって聞いたら、見ずにはいられないかなって」
幼き天才、近衛くんの言う通り体育館には多くの在学生たちが着席していた。
他の学科でも時間をずらして入学式会は行われるけれど、おそらく軍閥科が一番人気なのは間違いないだろう。
「近衛は、仏さんと仲が良いね」
ふと、俺たちの会話に入ってきたのはイグナル皇太子殿下だ。
てっきりいつも通り、ちょっと離れて俺を見詰めながら微笑むだけかと思っていたのに……完全に誤算だった。そう、皇太子殿下は俺が入学してから今まで、必要最低限以外の会話を絶対にしてこなかったのだ。俺にとっては執拗に絡まれるよりは断然マシだし、転校するきっかけを作った元凶とも呼べる彼をさりげなく避けていた。皇太子殿下はそれを充分に察していて、そのため滅多に話しかけてこなかった。
他愛のない会話など皆無であったはずなのに、ここに来てどういう風の吹き回しなのだろうか。
内心での動揺をおくびにも出さず、相手の腹の内を探るべく炎髪の貴公子へ笑顔で以って返す。
「皇太子殿下、ご機嫌麗しゅう存じます。近衛くんとは、偶然にも同じ趣味を持つと発覚しまして。それからは日本の将来を支える者同士、親交を深めております」
「ほう、それは面白そうなお話ですね。近衛、仏さんとはどういった共通の趣味を嗜むんだい?」
くっ……。
この皇太子は俺との距離をしっかりと把握してる。俺に質問をすれば上手くはぐらかされると察知したのか、敢えて近衛くんに質問を投げかけている。
「は、はいっ。仏さんは……ね、猫がお好きなようで、僕も以前から猫を好いておりまして……」
近衛くんは若干硬い声で皇太子へ返事をした。
緊張しているのだろう。
「なるほど、猫か。それにしても君たちがよく教室内で会話してるのを見かける。この前は君たちの口から『攻撃力』や『スキル』なんて単語を耳にしたよ。あれも猫好きの趣味と関係してるのかい?」
まずい。
俺たちが同じゲームをしてる、なんて知られて皇太子殿下も一緒にやる~! とか言い出したら面倒極まりない。まあそんな愉快な皇太子がどこにいるのかってお話だし、そもそも多忙すぎてネトゲなんてプレイしてる暇がなさそうだけど……王位継承権が低いとはいえリリィさんもやってるぐらいだし、この皇太子のことだから無理にでも時間を作ってインしてきそうだ。
……親友たちと違って。
いや、俺は何を卑屈になってるんだ。攻める相手を間違ってるし、こんな感情に振り回されてる場合じゃない。
俺は近衛くんと皇太子殿下の会話に割って入る。
「皇太子殿下、お戯れを。崇高なる殿下が耳にするほどの趣味ではございません」
「あら? それは、崇高なる皇太子殿下には相応しくない内容、であると仰りたいのですか? まさか未来の皇后であらせられる仏さんからそんな下賤で、はしたない台詞が出るなんて驚きですわ」
ここぞとばかりに聞き耳を立てていたであろう九城令嬢が咎めてきた。
まあぶっちゃけ彼女の言う通りで、俺の発言は良くない趣味を殿下に隠したいと言ってるようなものだった。
この調子で殿下にはチクチクと俺に対する好感度を下げてほしいものである。
「フフフ。そうか、僕には相応しくないか。しかし民を知るには時に城下へと赴き、市井の声に耳を傾けよと陛下は言う……高貴な身であるがゆえに私たちにとっては見えづらい何かを、仏さんはその目にするためにやっている事なのかもしれない」
皇太子殿下が市民の様子を見るために、敢えてお忍びで城下にくりだす王族的ご趣味であるのかもしれない、といった意味不明なフォローをしてくる。
殿下にそうまで言われてしまえば、九城さんは口をつむぐしかない。なぜなら、これ以上の追求は殿下の言を否定する内容になりかねないから。
「ですがやはり残念なのは、そのご趣味を僕には言ってくれなかった点です」
哀愁漂う儚い笑みで俺を捉える殿下。
その美貌たるはすさまじい破壊力で、あまたの令嬢を虜にしてきたと容易に想像できる。
まあ俺にとっては嫉妬の対象でしかないがな!
イケメン王子を地でいくこの野郎は、そのまま語り掛けるのをやめない。
「まあいいんだ。仏さんに尋ねる機会はたくさんある。なにせこれでようやく、今日からキミへ堂々と喋りかけられる」
ゆっくりと艶めきを帯びた声が不穏な台詞を紡ぐ。
皇太子は妙に万感のこもった様子でさらに微笑を深める。
「何を――」
「僕だけがキミと触れ合えるなんて、フェアじゃないでしょう」
何を言ってるのか、そんな俺の疑問は演劇が始まる合図によってかき消されてしまう。
押し寄せる暗い不安を処理する間もなく、壇上の幕が上がれば照明の眩さに顔をしかめてしまう。
『その遥か昔――姫を守る2人の騎士がいた――』
朗々たるナレーション、それはまるで何かを予兆するかのようにして体育館に響き渡った。
◇
『おお! なんという悲劇! 我らが姫君は悪辣非道の魔導士に囚われてしまった!』
『ならば、我らにとって唯一の光である姫殿下をお救いするのが!』
『我らの運命にして――』
『宿命!』
演劇の内容は至ってシンプル。さらわれた姫君を2人の騎士が取り戻すといったお話だ。
リリィさんに配慮したのか英国の伝統を重んじた、王道の騎士物語。
ただしこの演劇は、普通の演劇とはかけ離れた代物だ。なにせ登場人物の全てが『才能持ち』としての身体能力を充分に生かし、激しすぎるアクロバティックスタントアクションの連続なのだ。
特にすごいのは、主人公たちである2人の騎士役の演者だ。
立ちはだかる敵をバッタバッタと切り伏せ、殴り倒し、その快進撃は手に汗握る迫真のスタントなのだ。
一体どう練習すればあそこまでクオリティの高いバトルシーンを再現できるのか。
しかも彼らは常に目深なフードを被っており、その素顔は見れない。そんな状態で四方八方から迫り来る敵役の攻撃をさばき切るのだから驚嘆に値する。
あの運動量であれば、息切れが激しく舞台での台詞を喋るのは不可能だろう。だからなのか、演者と声優は分けられており、舞台裏の担当者が声を当てればスピーカーを通して明瞭に台詞が流れる。
『ああ――またしても邪な心を持つ者を石に変えてしまった』
『ああ――またしても虚偽を語る者を灰に変えてしまった』
武力で訴える者には武力で応戦し、言葉たくみに近づく輩には石化と燃焼で対処してゆく主人公たち。
その声にはわずかな悔恨の色がうかがえる。
騎士2人がフードを被る理由、それは生まれつき持つ魔眼の効力を不用意に発動させないため。
1人は悪意持つ者と目が合えば即座に石にしてしまい、1人は嘘を語る者を見るだけで燃やし尽くしてしまう。その効果は絶大で彼ら2人は多くの人々から恐怖視されていた。
恐れはやがて敵視と変わり、侮蔑となる。
化け物と蔑まれた彼らだけど、姫君だけは違ったようだ。
『人とはどうしてこうも、心の隅に悪が芽吹くのだろうか』
ほんのわずかな嘘、悪意。
人間にとって切っても切れない感情の渦。
『だが我らが姫君だけは違う。真の尊き御方』
2人にとって唯一の絶対的存在、汚い世界を照らす希望となるのは――
『純粋可憐なる我らが姫君。あの御方の御心は綺麗すぎるが故に、人の悪意に疎すぎる。ならば我が剣と盾で守りぬくのみ』
『清廉潔白なる我らが主君。姫君を汚そうとする輩は全て、我が拳で沈めてみせよう』
彼らにとって自分達が唯一、普通の人間でいられる相手。
石にしたり燃やしたりせず、本心から語り合える、お仕えできる存在が姫君なのだろう。
俺にとっても……やっぱり一番心を開けるのは親友たちで……。
なぜだか舞台で勇敢に戦い続ける騎士2人が、晃夜と夕輝の姿と被ってしまう。
『騎士風情がよくぞここまでたどり着いたな! 褒美に私がじきじきに相手してやろう!』
そうして物語はついにクライマックスのラスボス戦となる。
悪役の魔導士に、騎士たちが持つ魔眼の効果は発揮されず激しい攻防が繰り広げられる。
軍閥科の編入生たちが行う演劇なだけあって、『才能持ち』としての能力を発揮してるのか稲妻や炎が壇上に激しく飛び交う。
そのことごとくを1人の騎士が盾や剣ではじき、もう1人が疾風となって魔導士に肉薄する。それでもなお魔導士は肉弾戦にて応じながら、次々と魔法を放ってゆく。
臨場感が抜群すぎて、観覧席にいる生徒全員がこの戦いに見入ってるだろう。もちろん俺もそのうちの1人だ。
『クッ……おのれ、ここまで、か……』
そしてついに2人の騎士は多くの障害を乗り越え、悪の魔導士を倒す。
『魔導士よ。貴様には、我らが魔眼の呪いが発動しなかった……か』
『それでも我らが姫君の意思をないがしろにするのは許されない』
悪の魔導士に魔眼が通用しなかった理由。
それは彼に一切の悪意も嘘もなく、ただただ純粋に姫君を愛し、一緒にいたいと願う想いだけだったからなのだ。
まあだからといって姫君の気持ちを無視して拉致するのはどうかと思うけど……。
そんな感想を抱きつつ、そろそろ出てくるであろう姫君にワクワクしながら舞台を眺める。
騎士2人がまるでそこに姫君がいるように上を見上げる。すると何かの能力を舞台裏の編入生たちが使っているのか、きらきらと白く輝く羽毛が舞い散り始めた。
まるでこれから天上におわしめす天使が降臨するかのような演出だ。神々しい舞台にその場の誰もが息をのみ、姫君の登場を今か今かと待つ。
幾多の苦難を屠り、巨大な壁を壊し、ようやく念願の姫君へと語りかける彼ら騎士の姿はとってもかっこよく思えた。
「我らが姫君よ! 遅れてしまい申し訳ございません!」
「我らが姫君よ! ご無事でしょうか!」
そして彼らは、なぜか――――
俺のいる特等席の方へと顔を向け、今まで決して外さなかったフードを勢い良くひらめかす。
するともちろん、彼らの素顔が露わになる。
1人はその眼鏡越しからですら、触れれば裂けてしまいそうなほどの鋭い眼光を持つ。黒髪マッシュが汗によってキラキラと輝けば、冷徹な印象と静かな美貌で以って他を圧倒する。
1人は温和な笑顔と優しい目つきが印象的で、その堂々とした佇まいは否応がなく人目を惹きつける。整った顔立ちに加え、やわらかな茶がかった髪が揺らめけば汗が煌びやかに散る。
そんな2人の顔を――――
俺が見間違えるはずがない――――
「晃夜、夕輝……ッ!」
気づけば、親友たちの名を口にしていた。
2人は俺の呼びかけに応じてマントをバッと翻し、何よりも力強く言った。
「お誓いした通りに」
「お迎えに上がりました」
約束を果たしにきたのだと――
俺はいても経ってもいられずに駆け出す。
いや、二階の特等席から飛び出していた。
だって、だって、だって――
あいつらは来てくれた!
あの日、父さんは確かにこう言った。
『訊太郎の傍に置く理由が用意できない。誰もが一目で納得できるほどの正当性を持つ理由が、今はないのだ。わかってくれ、訊太郎』
でも、今は違う。
演劇でも一目瞭然だった、2人の見事な立ち回りは軍閥科の編入生の中でもトップクラスだろう。
だから、今なら俺が親友たちと一緒にいても咎められる理由はなくて……俺たち3人が友人であってもいい立場を、手に入れようと……!
親友たちは、あれからずっと……ずっと俺の傍にいる権利をつかみ取るために、努力し続けてくれていたんだ。変わりきってしまった環境に対応すべく、俺だけが1人で頑張っていたのではなかった。
この日本皇立学園に編入するための試験勉強に取りくむだけじゃない。『才能持ち』としての鍛錬もやっていたのだろう。さらに言えば入学費等もタダじゃないわけで……。
ようやく親友たちが言っていた『忙しい』『バイトを始めた』『勉強をしてる』のワードが結び付く。
ああ、俺はなんて馬鹿なんだ。
寂しさにかまけて、一瞬でも親友たちに不満を抱いていたなんて。
あいつらは俺の見えないところで、全力を尽くしてくれていたのだ。
だから、2人の誇らしげな笑みを見れば、悔しいけれど、止められなかった。
とめどなく両目から、大粒の涙がこぼれてしまう。
それらが頬を伝う感触は温かくて、その熱は全身にめぐっていく。
『どうだ? 驚いたろ?』
『けっこう無理したんだから』
2人の目はたしかにそう語っている。
そしてあふれ出る感情を止められなければ、動き出した身体も止められなかった。
ここは二階席だけど、親友たちに両手を伸ばすように飛んでしまっている。
言うまでもなく危ない。
重力に従い、親友たちの方へと落下する。
このままではケガをするのは当たり前だろう。
だから何か錬金術で、『才能持ち』としての力を発揮しようとして――――
リッチー師匠の言葉が脳裏をかすめ、能力の発動をやめる。
ここは、信じて委ねてみようかな。
周囲の観客が騒然となって俺の落下を見守るなか、まずは晃夜が見事に俺をお姫様だっこでキャッチする。しかも落下の力を利用してくるりと優雅に回転し、テンポよく勢いを殺してはおろしてくれた。
そのまま抱き着いててやろうかと思ったけれど、夕輝が俺の手と肩を取り、貴族紳士が華麗なダンスを舞うようにリードしてくれる。
全てをしっかりと受け止めてくれた2人は、数瞬後にそろって恭しく跪いた。
「俺たちのサプライズはどうだ?」
「お気に召しましたか? 姫君」
なんて小声で、本当にいつも通りの調子で悪戯に成功した悪友面をチラリと見せてくる。
だから、とてつもなく恥ずかしいのに、堪えようとしても涙はこぼれてしまう。
「ば、ばかやろー……」
なんとか悔し紛れに出せたのは、照れ隠しの言葉だけ。
親友たちの顔も、降り注ぐ照明の光も、すべてがぼやけ――
まばゆく輝いていた。
ブクマ、評価★★★★★よろしくお願いいたします。




