318話 銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア
「久方ぶりである、とだけツツツツツイートしておこう」
荘厳な漆黒をまとった髑髏、彼が発した冷気は乾いた声となって薄暗い空間に響きわたる。
コノエ君と遊び終えた俺は、リッチー師匠と2人で地下都市ヨールンへと訪れていた。
目的地はもちろん1つ。
崩れかけた石壁にぐるりと囲まれた実験場に陽光は届くはずもなく、ただただ冷たい。
地下神殿の真横に位置する隠された工房、かつてリッチー師匠が管理していたそこには更に地下へと続く隠し通路があったのだ。
「暗いですね」
ぼんやりと白い光を放つ『月光石』で作られた実験室とは異なり、隠し通路は正真正銘の暗闇だった。
「カカカッ、我が愛弟子は夜目の利く魔眼を持っていたであろう?」
「師匠の目には負けますって」
「カカッ、殊勝でアール」
生前は叡智を渇望する目が収まっていたであろう空虚な眼孔に、今灯るのは穏やかな蒼炎。俺は魔眼を使わないまま、師匠の揺らめく眼光を頼りに下へ下へと降りていく。
しばらくすると、通路の石壁の色が変わっているのに気づく。じんわりと赤光を帯び、不思議に思って指先で触れればつるりとしている。天然の石にあるまじき感触故、おそらく丹念に磨かれた魔石か何かだろう。
さらに奥へ進むと、まるで通路を塞ぐようにレイピアが幾本も突き立っていた。しかもそのレイピアの一振りが妙に大きく、柄も含めて2メートルはありそうな長さを誇っているのだ。奥まで数百本のレイピアが無造作に突き立つのは地獄へと続く針の道に見えた。
「彼女は生前、レイピア使いの達人だったものでなッッ」
リッチー師匠が俺をどこへ誘おうとしてるのかはある程度予測できた。
師匠が何かを口ずさむと、魔法陣が空中に浮かびすぐに霧散する。多分、何重にも仕掛けられた防護魔法やトラップを解除してるのだろう。
いくつの解除呪文が師匠の口から放たれただろうか。
気づけば通路は終わり、俺たちは開けた空間に到着していた。
「師匠……ここは……」
リッチー師匠の来訪に呼応する仕掛けだったのか、瞬時にしていくつもの燭台に青い火が灯る。師匠の両目と同色の蒼炎がいくつも出現する光景は、あらゆる場所に師匠の目があるような錯覚を覚える。
その揺らめく光によって姿を現したのは――
「カカッ。彼女と我が、死後も、永遠を誓い合った場でアール!」
そこには古錆びた教会が静かに佇んでいた。神殿と比べれば規模は劣るものの、こちらもれっきとした風情があり長い歴史を感じられる。暗闇の中ですらその存在感は不気味さが際立つ。
師匠が教会の前に立ち右腕をおもむろに振る。すると鉄製の巨大扉はギギギィーと重い音を軋ませながら一人でに開いてゆく。
「オオッ、愛しのマイレディッッ!」
師匠が大手を振って駆け寄るは……巨大な棺を模した青い氷塊。不自然なまでに青い色味を帯びたソレは、まるで海の一部をそのまま切り取って無理やり空の色を塗りたくったような代物だった。
しかもその氷塊を覆うようにして、巨大な骨の手が上から掴んでいるので不気味極まりない。指骨の一本一本が5メートル以上はあり、圧倒的なスケールに感嘆の思いで見上げる。
もちろん氷中には、師匠が愛してやまない巨人との混血種である女性の死体が安置されていた。リッチー師匠の下積み時代を献身的に支え続けてくれた彼女の死体は腐ることなく、この場に厳重に保管されていたのだ。
そんな大切な場を俺に明かす意味は1つしかない。
「我が愛弟子よ! 頼む……!」
万感のこもった声が落ちる。
リッチー師匠はこの愛する女性を蘇生させるためだけに巨人王国を滅ぼし、この巨大な実験場を作った。彼女に巨人の血が流れている以上、巨人を実験素体として活用するためだ。さらに師匠は人間のままでは彼女を蘇生するまでに寿命が足りないと知り、アンデットの王と融合し自らが不滅のリッチーとなった。
死してもなお彼女へ、長い、長い年月愛を注ぎ込み、師匠は研鑽と研究を重ね続けた。
だから、俺がリッチー師匠の望みを、夢を、実現できるのは誇りに思う。
:隠し素材を発見しました:
:【凍久に亡く風穴乙女】と【巨人王の右手骨】を手に入れました:
俺はリッチー師匠より譲渡された2つの素材を眺め、ゴクリと喉を鳴らす。
『鑑定眼』で見定めればすでに2つは【希少素材】であり、即座に【崩位:幻想獣の咆哮】で合成獣化できると判断する。
俺は魔眼を発動し、自らの左手に【欠損値】をつけて部位破壊を施す。俺の左手は手首からポトリと落ち、すぐに人体素材である『白銀姫の担い手』をゲットした。それから十分に自分が回復するまで待つ。
万全の体制を敷き、いよいよリッチー師匠の最愛の人を蘇らすために気合を入れる。
正直なところ、【崩位:幻想獣の咆哮】は扱う素材が多ければ多いほど強力な個体を生み出せるので、2つしか素材を使わないのはもったいないとも感じる。リッチー師匠の場合は5つの素材群を使って【全崩位:全知全能の五皇説】を敢行したわけだし。でも、俺の人体素材と相性が合わなければ即座に失敗し、素材群は失われてしまう。そのため初めから相性のよさそうな2つのみで決行するのが無難だろう。
ちなみに俺が自分の左手を捧げる理由だけど、素材の一つが【巨人王の右手骨】を扱うからだ。
左右両手を意識して揃えた方が、バランスが良いと判断したのだ。
「ふううー」
肩の力を抜く。
なにせ失敗は許されないのだ。
「……時に我が愛弟子よ」
いざ錬金術に取り掛かろうとしたところで、師匠から声がかかる。
失敗はしてくれるなよ、との念押しだろうか?
「は、はい」
おもむろにリッチー師匠の方へと向けば、お決まりの顎開きが目に入る。
「カカカッ。仮に我が愛弟子が失敗しようとも、他の道を示してやるのが師匠というものであろう?」
師匠は失敗してもよい、と優しい言葉をかけてくれる。
きっと俺の緊張を解きほぐすためにそんな風に言ってくれたのだろう。
だから俺も軽口で返してみせる。
「どのみち俺がやるんですか」
「当たり前だ。我が愛弟子に勝る者などいないッ」
師匠が全幅の信頼を寄せてくれるのがたまらなく嬉しい。
だから、師匠の期待に応えてみせるのが弟子の務めであるはずだ!
必ず成功させると意気込み、俺はアクティブワードを発する。
「己が道を指し示す――【崩位:幻想獣の咆哮】」
スキルが発動すると同時に俺の背後には大きな羅針盤が浮かび始める。
方位磁針が示す、崩位をチラリと確認してからアビリティを選択。
「天より頂く王冠は決別、双方愚者の争いを黄昏に落とし、稀人は終戦の時を刻まんとす――」
師匠よりいただいた2つの素材群をセットし、さらに俺自身の左手、人体部位素材を選択。
「――【崩位:二冠を堕とす西暦】」
さあ、師匠に俺の実力を見せる時がきた。
俺は飛び交うひし形のノーツに合わせ、四肢を躍動させては磨きに磨いたダンスの腕前を披露した。
師匠は泰然とした構えで俺を見つめ続ける。本当は内心では不安に思っているはずだ。
俺が失敗すれば素材は失われ、愛する人の復活は非常に遠のく。もう2度と会えなくなるかもしれない。その恐怖心がいかに師匠の心を蝕むかは計り知れない。だが、それでもなお、悠然と佇む姿は俺に全幅の信頼を置いていると主張するのだ。
だから、俺は一心不乱にノーツを追い求め、必死にタイミングを合わせて輝きに触れ続ける。そうして2分ほど、俺にとっては非常に長く感じる時間が過ぎた。
:『凍久に亡く風穴乙女』、『巨人王の右手』:
:人体部位『白銀姫の担い手』:
不意にログが流れ、緊張は全身に走る。
だが、次の瞬間に俺は溢れんばかりの歓喜に心が震える。
:崩位磁針が2つの異界を指し示すのに成功しました:
:『二位界』と結び、合成獣の顕現に成功しました:
:【銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア】を現界させました:
「……師匠ッ!?」
「ッォォォオオオオオ! オオオオオ!」
師匠は骨となった両手を震わしながら、光の中からふわりと浮かびあがった女性へと手を伸ばす。その場のすべてを闇夜に染める勢いで漆黒が吹き荒れ、その光景は師匠の内心を如実に物語っていた。
「ォォォオオオ! 我がッ我がッ、愛しの――ォォォオオオッッ!」
それは幾重にも重なり、響き続けた慟哭の果て。
悲哀、絶望、不可能、あらゆる試練を乗り越えた先に生じた感涙の叫び。
永きに渡り、朽ちぬ想いを抱き続けた師匠の魂の叫びだった。
「ォォオオオオッ――愛しの、愛しのマイ――」
白銀の輝きを左手にまとった彼女は見上げるほどに大きく、さすがは巨人の血が流れるだけにあって身長は3メートルに届きそうだ。しなやかな四肢とくびれた腰つき、ボリュームのあるバストを誇り、モデル級の美しさを放っていた。癖のある茶色の長髪をなびかせ、ニカッと快活な笑みを浮かべる彼女は妖艶だ。
そんな【銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア】に辛抱たまらんといったご様子で、師匠は闇を引き連れて飛びつこうとする。
感動の再会だ。
「我がッッ愛しのマイレ――ッッ」
「あんたぁぁああ!」
「ぶべらッッ!」
えっ?
師匠の口から異音が弾け、俺は一瞬だけ何が起きたのか理解できなかった。
それもそのはずで師匠と彼女が熱い抱擁を交わすかと思いきや、まさかの彼女が全力の平手打ちで師匠の頭をぶち抜いたのだ。
全体重が乗った渾身の不意打ちにより、師匠は遥か後方に吹き飛ばされてしまう。
しかもおそらくだけど、師匠を殴った左手には銀色の光を帯びてるわけで……それは【銀属性】を持ち、魔属性や神属性に強い威力を誇る。
そんな風に頭の中でダメージは計算できるが、どうしていいのかわからず唖然と成り行きを見守るほかない。
「デイモンド! ほんとにあんたはッッ、馬鹿なのおおお!?」
【銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア】はリッチー師匠の生前の名を叫びながら、怒涛の追撃をかます。たった一歩の跳躍で数メートル爆進し、ドゴンッバコンッ、バキリッと地面が揺れるほどの拳をお見舞いしてるではないか。
師匠を殴り飛ばしては電光石火で詰め寄り、はじき飛ばしては地面に沈ませる。
地獄の連続攻撃に師匠は成すすべもない。
ヒッ……。
ヒィィィイイ、師匠の頭蓋骨が陥没しちゃってるううう!?
その容赦ない打撃に内心で震え上がる。
「おおう、これであるッッ、これを待っていたのでアール!」
だけど、当の殴られてる本人は嬉しそうに叫び続ける。
「私が師になかなか認めてもらえず不貞腐れていた時も、『情けない! 頑張りなさいな』って、こうして背中を押して元気づけてくれたね。あの時の平手打ちときたらッ全身がしびれる素晴らしさだったのを思い出したッッ!」
背中を押すレベルを超えて、背骨を砕くじゃないのか……?
「どうやら風穴を開けてもらいたいらしいわね! あんた! あたしのためにッッ、あんなに巨人たちを犠牲にしてッッ、許されると、許されると思ってるわけ!?」
なるほど……。
彼女は、リッチー師匠が行った非道の実験をすべて知ってるわけだ。
だが、師匠は最愛の人に注がれる非難の眼差しすらも堂々と受け止めて笑うのだった。
「カカカッ、私のためならば、君のためならばッッ、何を犠牲にしたって構わないよ、マイレディ」
「あんたはッ、あんたは、いずでも゛そうやっで……グスッ」
彼女は師匠に馬乗りになって、ドカッ、バキッと非常に恐ろしい音を発しながらも次第に泣き始めていた。
「カカッ、泣き顔も、グハッ、惚れ惚れするぐらい愛しいよ、マイ、レディ……」
「そ゛んなになるまでッッ」
改めて師匠がアンデッドの王リッチーと融合し、もはや人間を捨てた存在になったと認識したのだろう。
それが誰のためであるかは容易に把握できたはずだ。
いや、ちょっと待って。そんなになるまで殴らなくてもいいんじゃ……?
「……ばか」
【銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア】はポツリと呟き、師匠のその胸にやさしく手を――――ドゴンッと拳をめり込ませていた。
「カカッ……カハッ……」
そ、そ、そうなんだよなー。
師匠ってなんだかんだ情に厚いっていうか……うっかり巨人たちの誓約を解いちゃったときも、巨人たちに後れを取ると理解しながら、弟子にしたばかりの俺とその仲間を咄嗟にかばってたし。
憎めないというか、なんというか。
だから、そろそろ、ね? やめてあげてもいいんじゃないかなーって?
なんて気持ちは怖くて口に出せなかった。
「ばかッ、ばかばかばかッ! あんだは本当に大馬鹿者のッ――――」
「カッカッ……」
ドンドンドドドンッッ、バキボキバキリって愛情表現という名の何かが鳴り響く。
あ、あれ……?
なんか師匠の様子が、その、あれって身動きしてないんじゃ?
「あんだは、どうじもうな゛くッッ、あだしの大好きな人だよ」
「カッ……――――」
そうして彼女はその長身で師匠を全力で抱きしめ、ボキボキボキィッッと何かがひび割れ粉々に砕ける音を披露してくれた。
彼女は、死の抱擁が何たるかを俺にしっかりと教えてくれた。
って、やばいやばい!
あのままじゃ師匠が本当に消滅しちゃう!
「あ、あのー……」
めちゃくちゃ怖いけど、ここは師匠の弟子として何とか彼女を止めなければと奮い立つ。
「ア゛?」
俺の声に、泣きじゃくりながらも鬼の形相で振り返る美人さん。
あ、お邪魔してすみませんでした。
俺はぎこちない笑みで以ってペコリとお辞儀し、そそくさと後ろ歩きをする。
が、彼女はハッとした顔になって俺を凝視した後、ぼろ雑巾を掴むが如く師匠を引っ張り上げた。そして突風が吹き荒れたと思えば、一瞬にして彼女が俺の目の前に移動していた。
ヒィィィイイイイ!?
な、内心の恐怖を押し殺し、かつてないほどにボコボコの粉々になってる師匠を敢えて視界に入れないように努めながら、ガクブルで彼女を見上げる。
「あら! 貴方様があたしのマスター!? むっちゃ可愛いじゃない!」
朗らかに笑い、彼女はすぐさま膝を突いた。
それでも視点はレディ・ノスタルティアの方が高いです。
「あたしとデイモンドをもう一度めぐり合わせてくれたのは貴方様だってわかるわ。マスター、本当にありがとう」
ふんわりと綺麗な笑みを咲かせ、それは男が見たら一発で惚れかねないまごうことなき美女の微笑みだった。
だがどうしてだろうか。その笑みを見て膝がカクカクと笑ってしまう。
先ほど無抵抗の師匠がボコボコにされてるのを見ているため、生きた心地がしなかった。彼女の笑みからはそう、まるで生きてる限りは決して見ることの叶わぬ、あの世の花のごとき美しさを連想してしまう。
「ォッ、ォオッ、オッ……マ、マイレディよ……」
どうにか師匠が復活したようだ。
あの偉大な師匠がカタカタと壊れた人形みたいな動きで、片言ながらに会話に入り始めた。
「コヤッ、こやつは、ワ、わが、我が、愛弟子の――――」
ちょっと怖いシチュエーションになってしまったけど、ようやく師匠の最愛の人へ紹介に与れるのは弟子冥利に尽きる。
俺は気分を無理やりに切り替えて、誇らしく胸を張ることにした。
だが、師匠の続く言葉は怒号によってかき消される。
「ちょっとあんたあああ!? ぶっ殺すわよ!? マスターを弟子とか呼ぶのは失礼じゃないかしら!?」
稲光と見まがうほどの拳が、師匠の脳天に轟き落ちた。
完膚なきまでに撃沈した師匠を傍目に彼女、【銀月の彼岸花レディ・ノスタルティア】は淑やかに頭を下げる。
「どうかデイモンドのご無礼を許してね、マスター」
「ㇶエッ……いや、あの、その……」
「大丈夫、安心して。例えデイモンドが相手でも、マスターに無礼を働く輩はあたしが全員! 自慢のレイピアで風穴を開けてやるわよ!」
ニコッと元気よく笑う彼女が怖い。
そして自慢のレイピアとやらを全く使わずに、師匠をフルボッコにした彼女が怖い。
「馬鹿どもの胸にぶっ刺してッ、あの世へと誘う真っ赤な花を咲かせてみせるわ」
ぴえん。
この人まじで怖い。




