290話 名家の坊ちゃんとご令嬢
夕焼けの紅が世界に広がり、大きな影を伸ばす。
それは豪奢な一室も例外ではなく、夜の訪れを示唆する暗がりが増える。
照明もつけず、ただ暮れなずむ夕日を見つめる少年は、その美貌に笑みをたたえていた。
「殿下、いよいよ明日ですね」
殿下と声をかけられた少年は――
世界の覇権国家、日本の皇族。
次期、炎皇家の当主にして未来の炎皇である、イグナル・トールン・フィア・イグニスだ。
「司。以前のような強硬手段は許さないよ?」
皇太子殿下に司と、親しげに呼ばれた少年。
彼は将来の天皇イグナル、その右腕になりえると名高い三条神宮家の直系である。
「もちろんです。仏神宮家は我ら三条神宮家と同じく、日の丸の支柱となる一柱。なぜあのような愚行を犯したかと……未だに自分の行いでありながら理解し難くもあります」
「どうせ陛下や叔父上の圧力あっての行いだったのだろう? 庇い立てしなくてもいい」
「いえっ、そのような事は……」
ふっと笑みを広げる殿下に三条はかしこまる。
「まぁいいさ。『虹色の女神』教会で大きな権威を持つ仏訊太郎。天使級であり、『白銀の天使』と呼ばれ、『女王の卵』認定までされている、あの子が……いよいよ我が学び舎で共に勉学に励む……」
そんな子と炎皇家が縁を結ぶのを実現できれば、日本の権威は更に飛躍するだろう。
政治的にも家柄的にも申し分ない。いや、これ以上の逸材はないと、皇太子殿下の満足そうな双眸が雄弁に語っている。
「そして純粋に――」
ほぅと息を吐き、皇太子殿下はそっとささやく。
「――彼女には、途方もなく心が惹かれてしまう」
崖の上に咲く、どんなに気高い一輪の花よりも。
暗闇に呑まれる夜空を、静かに照らす月よりも。
彼女は美しく、愛おしい。
彼女への感情が、自分の遺伝子に組み込まれたものだと言われても不思議じゃない程に、皇太子殿下は仏訊太郎を想ってしまう。
「明日は……ボクの未来の花嫁が、この『日本皇立学園』に転校してくるのだから。これほど嬉しいことはない」
数百万の女性の憧れの的、イケメン皇太子殿下は真剣な面持ちで語る。
「1人の男として、必ず彼女の心を奪ってみせる」
◇
「おい近衛、明日に噂の子が転入してくるらしいな?」
近衛彩閣。
日本名家の一柱、近衛神宮家の嫡子にして神童と名高い少年は、友人の煽りに簡素に返す。
「別に、眼中にない」
「へぇ。でもお前と同じで飛び級なんだろ?」
近衛彩閣は齢10歳でありながら、既に中学2年のクラスへと進級を果たしていた。世界トップクラスの学校で飛び級を実現させるが故に、彼は天才と囁かれている。
通常の学校であれば、飛び級4年なんて珍しいがいないという程の事でもない。しかし、ここ『日本皇立学園』で4年の飛び級を実現させた生徒は歴代でも極稀である。2~3年の飛び級者はいても、4年となると激減。それだけに4年というのは壁が高いのだ。
「その子、どうせ実力じゃない」
「なんだ? 実家の力でどうにかしてもらったっていうのか?」
「仏神宮家……最近は特に力をつけてきてる。皇家のお気に入りだし」
「だけどよ、件の子はゾンビパンデミックと狂犬病のワクチンを開発したって聞いたぜ? お前と同じ天才なんじゃないか?」
「それも仏神宮家の現当主が流布したデマでしょ」
「そうなのか? まー近衛がそう思うなら、それでいいや。でもさぁ、皇太子殿下も羨ましいよなぁ。あんな可愛い子を嫁にもらえるなんてさ」
すっかり噂の転校生にのぼせあがっている友人に対し、近衛彩閣は冷徹な声音で言い放つ。
「あんなのテレビ局に依頼した加工ものでしょ。どうせ仏神宮家が金を積んで、マスコミに働きかけたに違いない。ただのブスでしょ」
かなりの辛辣な言葉に、友人は首を傾げる。
この近衛彩閣という少年は常日頃から他人の悪口を率先して言う人物ではない。他者に興味を抱かず、淡々と勉学をこなし、ひたすら結果を求める機械のような人間だ。
そんな彼がやけに噂の転校生に関してはよく喋る。
「最近は特に加工アプリとかもたくさんあるし、自分の顔に嘘を塗りたくる女子は嫌いだ」
いくら天才ともてはやされても、10歳児の少年。
自分が全く以って理不尽な発言をしているか理解できていない。
それ程までに……彼の何かを変えつつあるのかもと、友人は心の中で思い至る。
ようやく彼と対等の存在が現れ、意識し、初めて何かしらの感情が芽生えたのかもしれない、と。
◇
のどかな温室。
色とりどりの緑彩に囲まれた箱庭。
西日に反射して植物たちは紅に染まる。花々が優雅に咲き誇る中、そこにいる女性陣たちもまた優雅に紅茶をたしなんでいた。
真っ白なテーブルを椅子で囲い、複数の女生徒たちはかしましくお喋りに興じている。
ここは『日本皇立学園』中等部の【花園】と呼ばれるサロンの一つ。
「そういえば九城様、明日は仏家のお子様が来るそうです」
九城九重。
医療業界のトップに君臨する名家中の名家、九城神宮家の長女。
1人の令嬢が落とした話題は、その場に波紋を呼ぶ。
九城の取り巻きたちは『まぁ』と大袈裟に驚き、その顔を嫌悪の色に染める。
そしてそれは、九城九重にも広がるかに見えたが――
「あら! すっかり忘れていましてよ」
九城九重はさも、今気付いたといった様子で驚く。
しかしこれは真っ赤な嘘である。
仏神宮家は医療界だけでなく、今や九城家のシェアを凌ぐほどの製薬会社を保持している。
当然、古くから日本の医療の支柱となっていた九城家からしてみれば面白い話ではない。仏神宮家など外交だけをしていればいいものを、自分たちの領分にまで手を出し始めたのか、と。
そんな思いを抱く相手の転入日を忘れるはずがなかった。
ましてや、自分と同じ学年に来るのであれば、それはもう意識しない方がおかしい。
「テレビでチラリと見ましたけれど、あれぐらい大した美貌じゃないです」
「九重様の色香に比べたら、ただの乳臭い子供ですわね」
「皇太子殿下も物好きですわよ」
九城の取り巻き令嬢は口を揃えて、噂の転入生を冷笑する。
そして肝心の九城九重といえば――
「……」
彼女たちの口からでた騒音を肯定も否定もせずに、ただただ微笑むばかり。
にっこりと綺麗な笑みで、取り巻きたちを眺めているだけだった。




