282話 錬金術士の陰謀
「ふぁ……疲れた……」
『秘密結社・化学式遺産帝国』の入団に関して、諸々の準備やフレンドたちへの説明を終えた俺は、いよいよゴッホさんと再会すべく約束の場所へと赴いていた。
招待された場所は地下室で、いかにも秘密基地っぽい雰囲気を醸し出していた。石レンガで敷き詰められた壁を伝って地下への階段を下りてゆけば、そこには薄暗い大部屋が一つ。
そして六つの錆ついた扉がある。
地下の集合アパートを連想させるような造りだ。
「よくこんな場所を見つけたな」
「なんだか、ごちゃごちゃと器材が散乱しているね」
後ろには晃夜と夕輝の2人もついている。
親友たちと地下室を眺めながらしばらく待っていると、コツコツと階段を下りてくる音が響く。
予定通りゴッホさんだけがこの場に来た。
「うん……? なぜ私だけしかいない?」
困惑するのも当然だろうな。
『秘密結社・化学式遺産帝国』の中で、彩菌拡散を禁止するのに1番反対しそうだった傭兵はゴッホさんと予想できた。
だから、最後に交渉する相手として選んだのだ。
こちらの要求を通しやすいようにするために。
「それに、後ろの男2人はなんだ? この場にいるにふさわしくない輩がいるようだな」
「ゴッホさん、こんにちは。この2人は他のメンバーの代理人と同義ですから、ここにいます」
俺の発言にゴッホさんは眉根を寄せる。
「他のメンバーの、代理人……? その2人も我らが秘密結社に入団したいのかい?」
「いいえ」
「じゃあ、即刻どこかに行きたまえ。部外者じゃないか。もう既に『白銀の天使』はうちに入るしか選択肢は残されていないのだから。今更、キミらがあがいたところでどうにもならんよ」
不機嫌そうに親友たちへと語気を強めるゴッホさん。
そんな彼に俺は冷静に答える。
「いいえ。俺は貴方達の秘密結社には入りませんよ」
「なんだと……? バカには何を言っても耳に入らないのか? それに『白銀の天使』、キミも何の権限があってこの2人を招き入れている? さっさと追い出してくれ」
ちょっと横暴なゴッホさんに、親友たちが一歩前に出て牽制しちゃう。
「バカって、失礼だな……それにタロには権限があるぞ?」
「タロの言う通りにしなければ、君は来月から代表取締役会から降ろされ――あ、傭兵団から追い出されるよ?」
「何を言っている……?」
全てを買い上げた。
今では俺が、『秘密結社・化学式遺産帝国』のオーナーだ。
疑問符を浮かべるゴッホさんに対し、俺達は全力で黒い笑みを浮かべる。
「貴方達の秘密結社は、俺の傘下に入ってもらいます」
そして、とある『契約書』をそっと見せる。
「ゴッホさん、ここにサインしてください」
「これは、なんだ……?」
◇
タネ明かしをしよう。
時はゴッホさんやヒラガ団長と会合していた瞬間に戻る。
「それで、何人ぐらいいるのですか? 団員は」
ヒラガ団長に団員数を尋ねる。
「エレキテル! 我を含めて、6人だ!」
目の前のゴッホさん、ヒラガ団長……東の建物の影に隠れてる傭兵が2人。北に1人、南に1人……。
スキル【群れの長】によって人狼たちが把握している情報を共有した結果、ヒラガ団長の言葉は嘘ではなさそうだ。こちらも戦力を伏せていたけど、あっちもそれは同様か。
唯一、あちらの誤算とすれば、それは人狼や吸血鬼の潜伏能力の高さかな。獲物を影から狙い、息の根を止める狩りを生業とする彼らは万能だ。
それからゴッホさんらと『1時間後にまた集合してお話をしたい』と約束し、その場を後にする。
もちろん、何も仕掛けずに立ち去るわけがない。
「――『追えッ……』――」
【群れの長】で命ずれば、すぐさま人狼たちから返事がくる。
「――『グルルゥ……御意』――」
様子を影から窺っていたそれぞれの傭兵へと尾行をさせる。
四人いた傭兵が四人バラバラになったら吸血鬼をあてがわす予定だったけど、2人組と1人と1人の3方向のままに散って行ったので、『月華の人狼』3人で事足りた。
ゴッホさんやヒラガ団長とはフレンドになっているから、これでしばらくは『秘密結社・化学式遺産帝国』全員の居場所を特定できる。
さて、こうして俺達は彼らに個別で交渉を持ちかけると同時に、姉やジョージなどに状況を説明しておく。当然、俺1人じゃ間に合わないので、人狼に教えてもらった団員の居場所を親友2人に伝え、各団員への交渉役として向かってもらった。そして特に『サディ☆スティック』に所属するジョージとは入念なやり取りをし、全ての準備を整えた上で1時間後にゴッホさんと相対している。
『秘密結社・化学式遺産帝国』のみなさんには、ここまでのやり取りに箝口令を敷いてある。ゴッホさんの不意を突く形になってしまうけれど、反対しそうなゴッホさんにはこれが一番有効な方法だから……。
「ゴッホさん。これは『傭兵団の契約書』です」
「『傭兵団の契約書』……?」
傭兵団が都市と契約できるシステムがある。
先駆都市ミケランジェロと契約していれば経験値+2%、鉱山街グレルディなら鉱石系のドロップ率アップなどなど。
今回の場合、『都市』=『俺』であり、俺と契約するのが可能なのだ。
爵位や支配権を持つ傭兵は、その領地を守るために傭兵団を雇える。まだ俺以外の傭兵の誰も到達していない領域だから知られていないシステムだけど。かく言う俺だって最近知った。
その契約に必要なのが『傭兵団の契約書』だ。
俺が傭兵団にエソを払い続ける限り、契約した傭兵団は特定の条件下での行動を制限されたり強制されたりもする。
契約内容は一月で60万エソに設定した。つまり『秘密結社・化学式遺産帝国』の団員1人1人に10万エソを払うといった内容だ。
資金に関しては、『サディ☆スティック』を介してのポーションの売上がじわじわと入ってきているし、刀スキルが売れた影響で現在はかなり潤沢だ。
他人に要求をのませるために最も有効にして最強、単純な武器は……金だ。
これに加えて俺の領地内での研究施設を貸し出し、『翡翠の涙』のレシピ開示を条件につければ、ヒラガ団長含め、全員がすぐに俺の傘下に入ると快諾した。
「この契約書を見てもらえば理解できると思いますが、すでにゴッホさん以外は署名しています」
信じられない、と言った表情でゴッホさんは目を剥いている。
「ヒラガ団長さんが応じた時点で、そちらの傭兵団のオーナーは俺です」
「なッ……」
「良好な関係を築くためにも、一応は1人1人の意見を聞いているのです」
ゴッホさんは初めこそ鋭い視線で俺を睨みつけていたけど、契約内容に目を走らせると顔色を変えた。
「キミは伯爵位を持っているのか……こ、これは……瞬時でHP回復を可能とする、『翡翠の涙』のレシピを!? キ、キミが生みの親だったのか……」
「はい」
ゴッホさんが驚くのは当然だ。
俺の中でも、エソよりも痛いのは『翡翠の涙』のレシピ開示だ。すでに独占市場を作ると約束したはずの『サディ☆スティック』の商人傭兵たちを納得させるのに骨が折れた。
つまりはジョージとの交渉だ。
「しかし、しかし……これではあまりにも我々が得をしてばかりでは……キミのメリットがあまりにも……」
「ありますよ。契約内容に書いてあるじゃないですか。『秘密結社・化学式遺産帝国』が発見した錬金術に関する全ての発見や知識は、俺と共有するって」
ここで肝なのが、俺の研究成果をわざわざ『秘密結社・化学式遺産帝国』に開示する義務はないという点。つまりは雇っている限り、錬金術関連の知識や情報は一方的に俺のもとへ入って来る仕組みだ。
そして、ジョージ達を納得させる材料として、今後は俺達が発明したアイテムは優先的に『サディ☆スティック』に流すことで手打ちとなったのだ。
「つまり、キミは……我々の研究に対する出資者……?」
「あっ、そういう捉え方もありますね」
「それなら異存は、な――」
話がまとまりかけたところで、親友たちが口を挟んだ。
「俺はこのゴッホとかいう奴を、タロの傘下に置くのは反対だ」
「彩菌散布の中止を最後まで反対してたって姿勢も気に入らないし、なんか信用できないよね。危険分子じゃない?」
「危険分子って……ゴッホさんは何Lvなの?」
そんなに脅威的な存在だとは思えない。
「5Lvだ……」
「低いな」
「大したことないね」
晃夜や夕輝が即座に答えるけど、俺はそこに異を唱える。
「いや、だいぶすごいよ」
「え?」
俺の称賛に一番驚いていたのは、ゴッホさん本人だった。
「だって5Lvで、この【水門回廊アクアリウム街】まで来たんでしょ?」
平均してこの街にいる傭兵のLvは10から14が多い。それなのに5Lvで辿り着けるって、すごい。
「それは、ヒラガ団長が……やるなら情勢が不安定なここで活動するのが最適って言うからであって……」
「ここに到着するまでに何回モンスターにキルされたのですか?」
「22回だ……Lvも下がってしまって、おかげでスキルレベルも下がった」
「経験値ロストってデメリットがあるのに、めげずにここまで来たんだよ。すごいファイトだよ。それに……」
「それに?」
「ゴッホさんの錬金術レベルは、今いくつですか?」
「35だ……」
「5レベルだから、スキルポイントを全部ふったとして25レベル。あとの10レベルは、錬金術スキルを使いこんで上げたのですよね?」
俺はスキルポイント3倍っていう称号がある。
だからサクサク錬金術スキルのLvを上げられた。でもゴッホさんは違う。
俺はスキルポイント以外で、錬金術をレベルアップできたのはたったの4Lvだけ。けっこう使いこんでいるつもりでも、双極スキルに分類される錬金術は途方もなくLvが上がり辛い。
対してゴッホさんは10Lvも自力で上げている。
「双極スキルである錬金術は非常にレベルが上がりにくい。それを10回も上げるなんてすごい根性だよ。危険人物なんてとんでもない」
すうっと息を吸い込み、ゴッホさんに向けて笑顔を浮かべる。
「逆境に打ち勝ち、粘り強い根性を持ってるすごい人だ」
そうして右手を差し出し、ゴッホさんに握手をしようとする。
「ようこそ、俺達の『研究所』へ」
「……私を……」
だけど彼は握手に応じてくれなかった。
ただ崩れ落ちるようにして膝を地面に着き、俯いてしまっている。
「誰もが……私を、私達を役立たずと罵るなかで……」
えっ。
ちょっとこの人、長い前髪で顔が隠れちゃったけど……声が湿ってる!?
もしかして――
「……努力を、私を、認めてくれるのか……」
やっぱり泣いていた。




