220話 希望の国と序章の終幕
自分の欲望のためなら国民の、俺の意志など考慮する必要はない。
そう宣言し、有無を言わさぬ圧力を放つ皇弟イグノアに皇太子殿下は言い淀む。
「叔父上の仰る通りです、が……」
何か考えを必死に巡らしているようで、彼は数瞬だけ自らの叔父上と相対した後にゆっくりと口を開く。
「武力すらも使わずに事を成す方が、より上位者としての振舞いにふさわしいのではないでしょうか?」
「ほう、其方にそのような事ができるとは初耳だ。しかし、武力を背景に要求を押し進めた方が時間の無駄にはならぬ。我らが唯一抗えぬは時の縛り、老いと寿命には勝てぬからな」
ふふふ、と冗談めいて皇弟イグノアは笑う。だが、その目は半月状だけどちっとも愉快そうではない。
そんな不気味な反応を見せる相手に殿下は言い募る。
「叔父上、仏訊太郎さんの処遇に関しては、ボクが全権を握ると主張させていただきます」
「元々は其方の自由がなすところだったのだ。陛下もそれを望んでいたが、稚児が如く足踏みをしているからこのような惨事になっただけよな」
皇弟イグノアは切れ長の目をさらに細め、皇太子殿下を見据える。
「よかろう。ただし此度の騒動にて三条神宮司の処罰は不問とし、『虹色の女神』教会には我から話をつけておこう」
皇弟イグノアが『解け』と一言命じれば、俺やブルーホワイトたんの拘束は即座に解かれた。それからその場は皇宮警察が主導で事態を収拾した。
ちなみに晃夜や夕輝に暴力をふるった白制服たちは、一応の御咎めがあったものの、特に何の公的な処罰は実施されないようだ。
この一連の流れで……皇家が日本の法や秩序の頂点を、完全に掌握しているのをまざまざと見せつけられたようで憂鬱になった。
◇
騒動を聞きつけた教会の人達と皇宮警察のやり取りが終わると、俺と晃夜、夕輝の三人は聖イリス学園にある一室へと呼ばれた。
「……訊太郎さんたちには、本当に多大なる迷惑をおかけしました」
どうやら皇太子殿下が聖イリス学園の一室を借り受け、しっかりと謝罪をする場を設けたかったようだ。室内にいるのは、皇太子殿下のお付きっぽい白制服の男女が二人だけで他には誰もいない。
お付きの二人は皇太子殿下が頭を下げても何も言い出さない事から、殿下の意を汲むほどに近しい存在だと判断できた。
殿下の改まった謝罪に対し、俺達はどう答えたものか迷っていた。正直、皇弟と殿下の会話を耳にした後では、今後の俺達がどうなるか不安でしかない。
これから何を言われようが、俺の知る日本ではなくなってしまった事実に……大きなショックを隠しきれない。
今までたびたび起きてきた変化とは、根本的に違うのだ。
妖精が現れたり、歴史の改変や宗教の消失、介護自動ロボットの発売など、直接的に自分達の身が脅かされる事態はなかった。しかし、今回の現実改変は……その範囲内ではない。
まさに幻想が現実を侵し、それが俺達に目に見える脅威となって牙をむいてきたに等しい事態だから……。
こちらがだんまりの対応をしていれば、殿下は謝罪を受け取ったと見たようで続けて喋り出す。
「プロポーズを訊太郎さんにしてから、僕の方でも君へのアプローチをしたかったのは山々だったけれど……訊太郎さんの教会での立場があやふやだったので……」
どう行動を取るのが最善なのか判断しぐねているうちに、叔父さんに先手をうたれたと?
しかし、どうしてそこまで早急に俺なんかにかまう必要があるんだ?
「……どうやら訊太郎さんは、教会にとって聖人級の厚遇を受けているのですね」
そう言って、思考の海に沈む炎髪の少年。
中学生にして中学生らしからぬ素振りは、高貴な生まれを示すに十分だった。そんなやんごとなき一族の一員が俺に執着する原因か……ゲーム内での、俺に対するイグニトール王家の好感度が影響しているはず。
しかし、それ以外にも何かあったりするのか?
「叔父上は『虹色の女神』教会の権力が日本中枢に入るのは、よろしくないと懸念しています。父……陛下は教会勢力と手を取り合う一方で、世界的に日本の権威を強めようと画策し、なおかつ教会勢力を抑えつけて優位性を保持したいとお考えです」
世界各地で起きているキリスト教や仏教、イスラム教などのデモを鎮圧するべく動いている各国の政府機関。それに協力するのが日本であり、『虹色の女神』教会を支援して恩を売る。
なるほど、確かに権威は高まるのか。
「そこで先日、僕が君と出会った奇跡がくしくも運命の歯車を動かしてしまったのです。僕がプロポーズした訊太郎さんは教会の一員であります。そんな方が皇族の一員である事を示し、日本の代表だと知らしめた上で教会にも強い発言権があるとなれば、日本にとってかなりの強みとなるでしょう?」
なんだか話が大きくなり過ぎてないか……。
俺って教会勢力と日本代表がよろしくやれるよう取り持つ、外交官的な立ち位置にいるって判断されちゃってるわけ?
「叔父上や国民は……君に教会よりも日本を重んじる事を望んでいます。そう周囲に示す必要があるのです……」
目に見えて日本側についてるよ、とアピールか。そのために一番わかりやすい行動が――
「どうか、事を穏便に済ませるためにも『日本皇立学園』に通うのを承諾してくれませんか?」
日本の金の卵達が通う名門校。聞けば『日本皇立学園』のみんなはだいたい、『才能持ち』であり『金持ち』でもあった。つまり武力と権力をもっている子息子女の集まり。
そこに身を置き、有力な日本男子や女子と共に学ぶ姿勢を見せれば、俺は完全に日本側だと……確かに理にかなった宣伝方法だろうが、その前に大前提として俺は殿下のプロポーズにOKを出した覚えはない。
「殿下……初対面の時も、先程も言いましたが……俺は貴方のプロポーズをお断りしています」
「そこは話を合わせて欲しい。まだ正式に決まった事ではないけれど、君が婚約者だという立場であれば下手な行動を起こす輩も減るのです。先程のような輩を牽制する良い武器になります」
「いや、でも……」
「答えを急がずに。ボクのプロポーズを断ったなどと世間に広がれば、日本に君の居場所はなくなってしまう。テレビニュースでのメディア操作、『婚約者はとまどっていた』という内容に変えたのも訊太郎さんの安全のためです」
ははは……ほんと笑えない。
急速に進む現実に心が追いつかない。
「ボクが君に一目惚れをしてしまったから、このような状況を招いているのは百も承知です」
『でも君が欲しい、何をしてでも』と強い意志をこめて俺を見つめる殿下。
顔は確かにイケメンだが、狂気的なものを感じるのは……やっぱりこれがゲームの影響だと俺は知っているからか。
普通の女の子だったら、顔良し家柄良し、経済力良しの三拍子がそろっている殿下に、多少強引に迫られても玉の輿! と言って歓喜するに違いない。
だけど俺は……晃夜や夕輝と同じ学校で学園生活を送りたい。
でもそれだと大事な親友たちの安全が脅かされる可能性がある……。
夕輝は苦しげに血を流し、晃夜は激しく殴られ眼鏡も割れていた。あんなのは二度とごめんだ。
俺は……。
俺は殿下の……皇家の意向に従うしかないのか?
どうして俺がこんな目に合うんだ。正直、こんな面倒事に巻き込んだ殿下にいい感情などは持ってないのに。でも俺一人の行動で親友たちに迷惑がかからないのなら……。
現実に……幻想に押しつぶされそうになる。
思わず下を向いてしまう。
だが、唐突に両の肩にそっと温かいぬくもりが宿る。あぁ、これは後ろから伸ばされた親友たちの手だ。その温かさに釣られて背後を見れば、晃夜と夕輝が堅い笑顔を俺に向けていた。
圧倒的な暴力と権力を前にして、親友たちは気丈にも微笑んでいるのだ。
『訊太郎、ここは冷静に話を聞いておこうよ』
『大丈夫だ、また俺達三人で何とかしようぜ』
そう言っているような気がして、俺もしゃんと背筋を伸ばして殿下と再び相対する。
ダメだ、弱気になるな。
「これはボクが招いた事だから、君を出来る限り守りたい。でも、周りはそうはさせてくれません」
皇太子殿下も周囲を御しきれてないのが本音だという。
日本の重役や重要産業を担う名家の意向は、例え日本の頂点にいる皇家であっても、彼らの影響力は無視できないそうだ。
「おそらく、訊太郎さんの周囲を脅して強制的に学園に転入手続きをさせようとしているのは、叔父上と父の……陛下の意向だと存じます」
これから先程のような輩が俺達にちょっかいをかけてくるたびに、厳罰を連続でする事など到底不可能だそうだ。しかもその背後には炎皇家の現当主、天皇陛下の許可が下りているのならば、なおさらだ。
「僕一人では現状、その決定権に抗う事はできません」
『それにボク自身も同じ学園に通ってもらうのを望んでいる』と、皇太子殿下は素直に語る。
「あぁ、訊太郎さんを信頼してここまで内情を話したのですが――」
にこりと、女性が見たら十人中八人は可愛らしいと卒倒しそうな優しい笑みを放ってくる殿下。
「ここまで知ったら、簡単には逃しませんよ」
アイドルみたいな笑顔を向けながら、怖い事を言う。
「もし他言された場合は、君の意志など考慮せずにボクの妻になってもらいますから。ボクは宣言しましたから、この約束が反故にされた場合、そこに立つ君のご友人達が証人ですね」
ちゃっかり夕輝や晃夜も巻き込む事を忘れない殿下の手腕と、強制力が怖すぎる。
というか……ここまで権力を笠にして愛を迫って来るとか……堂々と自分の黒い部分を正直に明かすけれど、同時に俺への配慮も最大限してますよと……誠実さは垣間見える。
清々しいまでに新し過ぎて何も言えなくなりそうだ。
一筋縄ではゆかない、王道の王子様キャラではない事だけは確信できた。
「あの……殿下、もしもの話なのですが……俺が殿下のプロポーズが嫌で国外に行った場合はどうなりますか?」
「この豊かな国から出るのですか?」
皇太子殿下は一瞬だけ息を呑む。その顔は人生で一番の驚きに対面したかのように大袈裟なもので、何をそこまで驚く必要があるのかと思ってしまった。
そしてここから、殿下による怒涛の愛国話が始まったのは予想外だった。
「誰もが平和に安全に暮らせる幸せの国、それが日本ですよ」
それ程までに日本は、皇族の力は強い。それは国内に留まらず、諸外国での発言権もかなり強いそうだ。例えばアメリカ。戦後、日本に敗北したアメリカ国内は戦災によって疲弊し、人口激減から生産性の低迷、あらゆる文化や技術が失われた。戦勝国である日本は、多額の出資を行ってアメリカ企業を復興させたが、その際にオーナー契約を結び、今やアメリカ国内の巨大企業は全てトップが日本人であり、粗利の一部、巨万の富が税金として日本に流れるシステムになっている。
そんな環境下で潤沢な資金源を元手に技術開発、環境の整った研究施設をいくつも立ちあげ、世界各国から優秀な科学者などの人材を招き入れている。
悪く言えば、好条件を提示して国外から天才の引き抜きだ。
そうして軍事・科学技術面で世界のトップを誇る国の代表者となれば、世界に及ぼす影響は計り知れない。皇族の気分一つで、経済制裁による包囲網を国際的に構築し、狙われた国の国力は著しく低くなってしまうとの事。
「君がどこに行こうともね」
待って欲しい。それって俺が移動した先の国が、とばっちりを食うっていう脅しですか……。
「広大な資源と豊富な人材を持つアメリカを属国にし、兵器などの管理は全て炎皇家が独占。米国の核ミサイルボタンは全て皇居にありますし、例えどこからか大量殺戮兵器を発射されようとも……」
す、すごいな日本。
無茶苦茶じゃないか。
「魔法文化の継承国、イギリスすらも遥かに『才能持ち』の数を凌駕する我が国には、『才能持ち』と科学の結晶が合わさった対兵器装置がありますので。探知、迎撃は容易です。これほど安全面に優れた国は日本において他はないでしょう」
イギリスって魔法や魔術の本場ってイメージがあったけど、魔法文化の継承国ってどんな風になってるんだ?
内心で疑問が浮かぶも、さらに殿下の日本自慢は続く。
「もちろん、経済の頂点に君臨する我が国を批判する声も少なくはありません。確かに、彼らの、他国の労働者の上で日本の富は成り立っているとも言えますね。あちらでは何と言ったかな……」
とんとん、こめかみをいじり記憶を引っ張りだそうとする殿下。
「そうだ、奴隷労働者ですね。会社の家畜、社畜という言葉があるそうですよ。日本が富を搾取するシステムは、偉大な先人達が残してくださった大いなる業績にして遺産です。だからこそ、我が国は労働時間が1日5時間、週休3~4日制の会社が大半です」
なんですと!?
「アメリカなどは週に5日も働き続け、休日はたったの2日しかないそうですね。残業などもあるし業種によって週休1日もあるとか」
それは日本の話では!?
「こんな優雅で自由な暮らしを満喫でき、物も豊かな国は世界広しといえど我が国だけでしょう。さらに発展力も他国より抜きんでています。自由と富を謳歌できるのであれば、そこから新たな原動力が生まれ、世界の秩序や世界を一歩リードするためのアイディア、技術を生むのに費やせます。時間があれば人は何だってできる」
ここまで勢い良く喋り続けた殿下だけれど、ふっと肩の荷を下ろすように笑顔に切り替わり、殿下は唐突に熱弁をやめた。
「もちろん、怠惰を楽しむのもありです」
やんわりと穏やかな笑みだった。
「まだ君たちは学生だから、この日本という国の素晴らしさは理解し辛いかもしれません。しかし幼少期の教育は重要ですので手は抜けません」
大人になったら好きな事に費やす時間を存分に楽しめ、研究したり極めたりできる。そのためには基礎知識として、週5で学校に通う事を義務付けているだとか。
というか、なんて夢のある社会なんだ……。
学校の教師はよく『学生のうちにできる事はやっておけ』だとか、『楽しんでおけよー、自由は学生の時だけだぞー』などとよく愚痴をもらしていた……。
『大人になったら働き詰めでつまらない』なんて社会が木端微塵に変貌していたのだ。
もちろん、全員が働き詰めで疲弊してゆく生活を強いられてるわけではなかっただろうし、中には仕事を生き甲斐とする人達もいただろう。
しかし、俺の知っている現実よりも遥かに夢がある。
大人になっても選択肢は無数にあって、情熱を傾ける事のできる社会か。
時間があってお金に余裕があるっていうのは、多分そういう事なんだろうな。
しかも若者は未来に大きな希望を抱けて切磋琢磨し、自分を高めようと邁進するだろう。もちろん、殿下の言う通り『怠惰を貪る』という選択肢に溺れる生徒も出てくるだろうけど。
「そんな裕福な日本を捨てられますか?」
これには正直……首を横に振りたくなってしまう……。
「『日本皇立学園』の件はじっくりと考えてください。ボクが貴方達の安全を保障できるのは二週間が限界ですので、それまでにお返事をください。日本は間違いなく、世界の覇権を握る一国であるという事を忘れずにお願いします」
二週間という期限を言い渡された俺達は、殿下への挨拶もそこそこにその場を後にした。
こうして一連の騒動は一応の幕を閉じたけれど、帰路につく俺達の足取りは重かった。
「おい、訊太郎。お前、坊ちゃん学校なんか行きたくないよな?」
「ボクらは絶対に、訊太郎を行かせたくないんだけど」
不安は絶えず迫ってくる。
だけどやっぱり、親友たちと心は一つで。
「あぁ、行きたくない。晃夜や夕輝と一緒にいたい!」
嬉しくて、思わず二人と肩を組――――めないので、抱きついておく。
「おい、なんだよ急に」
「痛っ、訊太郎、僕ら一応怪我人だからね?」
とか言いつつ、お前らも嬉しそうに笑ってるじゃん。
「まずは皇族のアプローチとプレッシャーをどうにかしないとだね」
夕輝の言に俺も頷く。
「どうしよっか」
そしてポツリと問いを落とせば、やっぱり俺達の意志は一致していた。
それは既に出ていた答えとも言えて、三人の口からそれぞれ同じタイミングで同じ内容の方針が放たれる。
「「「ゲームで現実を変えるしかない」」」
ようやく序章が終了いたしました。
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