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211話 聖イリス学園と日本皇立学園


 世界が常に流動的に変化していくのは当たり前の話。

 だけれど、作為的な変化となれば話は別。そのあってはならない変化に抵抗できるのが、私たち数人だけではないと判明した今、言いようのない孤立感が多少は払拭できた。


「けれど……私達のできる事って何も変わらないのよね……」



 自分の独り言が、リビングに落ちるのを耳にしてハッとなる。

 私が暗い気持ちになってどうするの。太郎の方が不安は大きいはずなのだから、姉である私がしっかりしないとダメだ。

 うなだれそうになる気持ちをどうにかプラス思考へ持ってゆくよう努力する。



「あんな子達に頼るのは少し(しゃく)ではあるけれど、大丈夫。私とタロだけじゃない、円卓会議のみんながいるわ」



 円卓会議。

虹色の女神(アルコ・イリス)』教会やゲームが現実へと浸食する問題に対し、どう向き合って対策を講じるか話し合う作戦会議。ちなみに私が勝手に命名してしまった。


 軽いオフ会のようなものも終えたばかりで、帰宅してからもすぐにクラン・クランで円卓会議を行った。会議は思った通り難航。クラン・クラン攻略組に対する反抗勢力を組織する事は容易ではないわ。

 何故なら、クラン・クランのプレイヤーにとって、攻略組を妨害するメリットがないから。


 今のクラン・クランは不透明な部分がかなり多い。突発的なイベントで全貌が垣間見えるけれど、まだまだわからない事だらけ。その未知なる冒険が傭兵(プレイヤー)たちを駆り立て、あそこまでの熱気を生んでいるのでしょうね。

 それはつまり、クラン・クランを知る方法を阻む私たちは『有害』そのものと思われるはず。


『クラン・クランの世界を見て回り、広げていく』よりも『クラン・クランを知る事を妨害をする』方が大きなメリットがある。そう思わせない限り、仲間は得られない。



 正直、ゲーマーとしての考えから、それは無理ゲーだと思っている。PvPで得られる旨味もそこまで大きなものじゃないし……何よりクラン・クランの攻略を停滞させたとしても、その後どうすればいいかって点が頭痛の種ね。


 何にしても、クラン・クランをサービス終了まで追い込むには、もっと確信的かつ致命的な情報を得ないと不可能に近いわ。それに現実世界での協力者を探すためにもクラン・クランは必要。毒を以て毒を制す、しか今のところ取れる手段はない……。

 

 それでも、これから手探りで探せばいいの。課題は山積みだけど、オフ会や会議を重ねるたびに結束力が高まるのも確認できた。そう思えば成果は十分。



「ふぅ……」


 私は、心地よい疲れとともに自室のベッドで横になり、目を閉じる。

 そんなしばしの休息も許そうとしない音が……玄関口の固定電話のベルが鳴った。こんな時間に何だろう、と思いながらも体を起こし受話器を取りにいく。



「はい、どちら様でしょうか?」


 いざ出てみれば、聞き覚えのある声の主に思わず戦慄が走ってしまった。


「もしもし? その声は(ふつ)真世(まよ)さんですか? どうも、こんにちは。シスター・レアンです。夜分遅くに申し訳ありません。訊太郎(じんたろう)君はいますか?」



 シスター・レアン、私たちが怪しいと踏んでいる『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会に所属する謎多き修道女だ。彼女のやわらかな声が私の鼓膜に粘っこく張り付いた。

 すぐに子機を持ったまま自室へと戻り、意識を臨戦態勢に変える。


「すみません。太郎なら先ほどからお風呂に入ってまして……。長くなると思いますので、私が代わりに承りますがよろしいですか?」


 なるべく私はそっけなく、そして冷たく言うように努めた。わざわざこんな遅くにかけてきたという事は、円卓会議をしていたのがバレたからだろうか。そう勘ぐらずにはいられなかった。



「そうなのですね。可愛い子のお風呂ってどうしてか長いんですよねぇ、ウフフ。あ、話がそれちゃいましたね。それで要件なのですが……」


 私の警戒心をよそに、シスターはマイペースに話をすすめた。気のせいか、シスターの声には人を落ち着かせるようなものがある。だが、ペースに飲まれてはいけないと必死に自分に言い聞かせた。手汗で濡れた受話器からシスターの声が続く。



「実は我が校で三日後、学園内の教会にて信徒の子供たちに朗読会を行うのですよ。聖イリス学園の図書委員会のメンバー達と共に、それぞれ10ページ程度のお話を読んでいただきます。訊太郎(じんたろう)君にもよろしければ参加して頂きたいのですが如何でしょうか」



 現在、太郎は日本にいくつかある『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会の姉妹校に在籍している。

 太郎は性転化病のせいで、元の高校に在学する事を一度拒まれている。しかしシスター・レアンの口添えがあって聖イリス学園からの特待留学生として、元の高校に通う事が許可されている身。

 つまり本籍は『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会が管理する姉妹校の生徒なのだ。太郎が現在の高校を通いたいという望みがある以上、シスター・レアンの要求を一方的に突っぱねる事はまずいわね。



「は、はぁ……タロが読み聞かせをですか。なぜですか。」


 シスターの要件の意図がわからない。『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会に潜り込むいいチャンスかもしれないけれど、罠かもしれない。聖イリス学園に潜入して落とし穴に引っかかったり、上から檻が降ってくるなんていう露骨なものは流石にないだろうけど、なるべく太郎を行かせたくはなかった。



「理由はただ一つです。イグニトール天皇家の皇太子殿下による、訊太郎くんへのプロポーズ騒動です」


「……」


「すこし、圧力が……かかってしまいまして。(ふつ)訊太郎(じんたろう)くんが本当に『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会に属する身であるのか、それらしい活動をしている敬虔な信徒であるのか、という日本政府からの勘ぐりじみた調査がこちらに来まして……そこで大司教(だいしきょう)と話し合った結果、最低限の働きを訊太郎くんにもしてもらおうという運びになりました」


「それは……つまり、日本の皇家が太郎にちょっかいを出し始めたと?」


 同時に本格的に太郎に宗教活動をさせる腹積もり?



「いいえ。日本全体が(・・・)、ですね……日本の総意を司る天皇家の影響力は、例え世界に信徒多しの『虹色の女神』教会(わたしたち)でも無視できない力をお持ちですので……」


 日本全体って、そこまで大袈裟な言いように疑問を覚える。イグニトール天皇家がそこまで大層な存在であるはずが……ありえるわね。個人で核弾頭級の力を持つ人間なんて崇拝の対象にしかならない。ましてや、護国という実績があったという事になっているのだから。


 太郎にのぼせた視線を送っていた、あの忌々しいおぼっちゃんの顔をぐしゃりと握り潰したい衝動に駆られ、握った受話器がミシリと音を立てる。すぐ耳元で響いた亀裂音が、私の理性をすぐさま引きもどす。



「仏訊太郎くんが……私達の、『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会の庇護下にある、と先方にはっきりと知らしめねば面倒な事になりかねません……」


 シスター・レアンの言いようだと、まるでイグニトール天皇家が太郎にプロポーズを強引に承諾させる、と示唆していると同義だわ。

 いくら何でも……。



「シスター・レアンはイグニトール天皇家が、太郎の意志を無視し、権利を無視して蛮行に及ぶという可能性があると?」


「日本の法も権利も、イグニトール天皇家あってのものですので」


 それはつまり、個人の意見などイグニトール天皇家が持つ力の前では無意味と言っているようだった。それが果たして真実なのかどうか、調べる時間が必要だ。

 けれど、ここでシスターの提案を無碍に断るというのも早計過ぎる気がするわね。



「それに、訊太郎くんは読師です。経験を積むにもちょうどいいかと思いまして」


 シスターは優しく諭すように言った。

 なるほど、いちおう教育者兼庇護者としてタロの事を考えてはいそうね。それは有難い話だけど、胡散臭く感じる。それならば、私自身が確認し情報を収集すればいいというだけの事。保護者として、太郎と一緒に聖イリス学園に入れさえすれば、それは可能でしょうね。



「お話は分かりましたシスター。私の弟をそんなに考えて下さっていたんですね。ではそのお話をお請けする前に一つお願いがあります」


「なんでしょうか。ちなみに今回の催し物に真世(まよ)さんの参加は認められません」


「なぜですか。私はタロの保護者的な立場ですよ。弟の成長ぶりをこの目で見たいというのは間違いとでも言うのでも」


「そうではありません」


 出鼻を挫かれて思わず焦ってしまう。



「真世さん、この間の編入手続きで貴女と訊太郎くんのやり取りを、私はこの目で見ていました。貴女は訊太郎くんに対して少々過保護気味です」


「え、はぁ……」


「訊太郎君はやや内向的な性格です。これは、過保護な環境で育った子供、少々乱暴な言い方になりますが、親族からの抑圧に参った子供にみられる性格なのですよ。真世さんは、訊太郎くんに構いすぎです」


「そんなわけはないでしょう。私はタロの自立を願っています。貴女のそれは暴論に等しいわ」


「私も教育者として、『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会の教典を扱うものとして訊太郎くんの自立を願っているのです」



虹色の女神(アルコ・イリス)』教会と言う胡散臭い単語が鼻につく。一体そのありがたい教典には、なんて書いてあるのだろう。

 その疑問はいったん飲み込んで、シスターに喰ってかかる。



「シスター、どうか自立を見届ける姉の責務を妨げないで頂きたい」


「自立を見届けるならば、弟さんの帰りを待つことも大事です。このままだと編入手続きをすべて貴女に任せるように、姉に頼りっきりになってしまいます」


 それはそれでいいではないか、という本音は胸にしまっておこう。



「訊太郎くんは校長先生に在学希望を否定された時のように、抵抗せずに心が折れてしまわれたのでは、この先の将来も辛いでしょう。女神様も仰せられました。『心の色を失うことなかれ、例え困難で塗りつぶされようともそれを更に上塗りする心の色を持て』と」


「貴女の宗派の教えはさておき、親心を踏みにじるのはいかがかと思います」


「……真世(まよ)さん」


 シスターの声のトーンが一つ下がった。


「自立するのは貴女のほうです。貴女は依存しています。親ではないですが、弟離れが必要なのですよ」


 先ほどまで花のように優しかった言葉が氷の刃にすげ替わった。



「貴女は見たところ行動的で尚且つプライドが高いとみられます。一言で言うとエリートのような方ですね」


「……それが太郎と何の関係があるのですか」


「そういった方に限って、自分の子を高く持ち上げ、他人の子に対しては冷たく言うのですよ。例えば、何かの勉強、仕事に対して訊太郎君ともう一人の子供がくじけたとしましょう。訊太郎君にはやる気を出させるためにアレコレするでしょうし、ひょっとしたら代わりに貴女がやってしまうかもしれない。しかし、もう一人の子供に対しては」


 そこでシスターはさらに声のトーンを落とした。もう最初に電話に出た時の声とは全くの別物だ。まるで呪詛を吐く死者の声のようにも思えた。


「『いやならやめればいい』、その一言をぶつけるだけではありませんか」


 双子の後輩アイドルユニット。クラスルの片割れであるルルスに言ったことね……理解した瞬間、心にグサッとくるものがあるわね。確かにルルスにはこの間厳しいことを言った。けれど、それは彼女がアイドルだからだ。仕事でやっているのだから、応援してくれるファンのためにも、見てくれる人のためにもアレぐらいは先輩として強く当たるべきだと判断してのこと。


 そもそもシスターは私の身辺を知っているのだろうか。妙に言葉が的確過ぎるわ。

 私の内心に生まれた疑問をよそに、シスターはまた優しい声に戻って話を続けた。



「そんな貴女を身近で見続ける訊太郎くんは、どのような人間になってしまうのでしょうか? また自分のやる事、なす事に先達である貴女が口出しをしては、窮屈に思われるのでは? 慕われる偉大な姉であるためには、時に余裕を以って、信頼を以って弟の帰りを待つというのも重要なお役目なのではないでしょうか? 貴女の大事な訊太郎くんと、貴女の自立の為にも、どうかわかっていただけませんか」


 理由はどうあれ、このシスター。なぜ私をかたくなに拒否するのだろうか。私を学園内に入れたくないのであれば、信徒以外参加禁止とでもすればいいのに、なぜか私を名指しして出禁にしてきた。どうもそれがひっかかる。

 その理由を探るには、私自身が強引に聖イリス学園に乗り込んだとしても、事前にこのシスターであれば巧妙に隠すだろう。

 それなら、ここは私が引き下がって油断をさせる、という手法を取るのがいいかもしれないわね。姉である私が学園内に入れなくとも、探る手段はあるのだから。



「わかりました。無理を言って申し訳ありませんでした。太郎には私から言っておきます」


「ご理解いただきありがとうございます。こちらこそ、先ほどは無礼な事を言ってしまいました。どうも感情的になってしまっていけませんね。教えに反してしまいます」



 このシスターの言う教えは知った事ではないが、私には私なりの目的がある。

 それにしても……教会も皇族も、行動が早いわね。その辺はさすがというべきか、組織力の高さを窺えるわ。

 この際、『虹色の女神(アルコ・イリス)』教会の威光でも牽制力でも何でも利用させてもらう他ない。先程、郵便に投函されていた『日本皇立学園 編入手続きの薦め』という書類をそっと引き出しにしまう。太郎に気付かれる前に、自室に持って行ったのは正解だったわ。これ以上、あの子を不安にさせるのはダメ。



真世(まよ)さん、申し訳ありませんでした。では詳しい事は書面にてすぐにでも送りますので、よろしくお願いしますね」


 お互いに失礼しますと言って電話を切った。

 正直に言えば、大切な太郎の事なのに状況に流されるだけの自分が悔しい。電話の子機を乱暴に受話器へと戻し、しばらく自室でベッドに横になる。



「手はあるわ。太郎の奴隷二人を呼べばいいだけの事」


 頭に浮かぶのは堅物(かたぶつ)眼鏡と作り笑いの奴隷二人。ボディガードにも諜報にも丁度いい人材ね。不穏な聖イリス学園の催しに対し、どう奴隷達に指令を下すのがベストなのか思考を巡らせていると、遠くから風呂場のドアが開く音が聞こえた。


 私の可愛い太郎がお風呂から上がってきたのだ。



「太郎、髪の毛をしっかり乾かして。あと、ちゃんと服を着なさい」


 別に着なくてもいいのだけれど、クーラーの効いてる室内で風邪をひいたら可哀そうだから。



「……あーい……」


 間の抜けた返事が返ってきた。太郎は昔からこんな感じだったけれど、最近は何かに夢中になっていると特に酷いわね。考え事をしていると、本当に隙だらけになってしまうのだから保護者としては心配だわ。

 私の前だけなら問題なんて一切ないのだけれど。



「溜息が多いわね。おいで、太郎」


「うぇー?」



 なんて間抜けな声を出してるの。

 けれども、それがいい。


 バスタオル一枚体に巻いた太郎が、もう一枚のバスタオルで髪をくしくしと拭きながらリビングに入ってくる。あぁ、そんな乱暴に拭いちゃダメでしょうに。


「私が髪の毛を乾かしてあげるわ」

「うぁー……ありがとー」


 それからイグニトール天皇家のあらましを簡単に説明し終えた私は、仕上げにシスター・レアンとのやり取りを伝える。



「太郎。あんたの奴隷二人にもすぐに伝えなさい」


「は?」



 ぽかーんとした太郎も可愛いけど、それをぐっとこらえて私は事のあらましと、奴隷二人への仕事を話していく。


『日本皇立学園 編入手続きの(すす)め』という書類の存在はもちろん話さずに。




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